カテゴリ:映画タイトル か行( 75 )

コーチ・カーター

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<イントロダクション>
 チームワークが必要とされるスポーツを題材にしたもの,あるいはオーケストラやバンドなど音楽をテーマにしたもので,青春ドラマは多い。 その中では何かに夢中になる子供がいて、コーチはそれをただ応援する。 子供たちを支える両親達は子供たちの将来を考え、勉強を薦める。 両立させることを言う親もいれば、子供が熱中するものに反対する親もいる。 まわりから反対されても夢を追いかけるというパターンだ。 しかし、ここではその逆である。  コーチはバスケット部の指導者であり、部員たちの親のよう。 部員達の親達はバスケットのことだけを(目の前のことだけを)応援し、それ以外の大切なことには干渉しない。
 モチベーションや気持ちの面から、まだ幼く,弱い少年達をバスケットマンとして、人間として成長させることがコーチ・カーターの仕事で『コーチ・カーター』という物語なのだ。

<あらすじ>
 リッチモンド高のバスケ部のOBである,ケン・カーターは息子が通う私立校とリッチモンド高との試合を見てから、リッチモンド高のバスケ部のコーチに就任する。 カーターは彼らを根から叩きなおすべく,やってきた,その理由は弱いチームをただ強くするということ以外にもあった。
 コーチ・カーターの指導はスパルタだが、彼の指導は的確だった。 負け続きのチームに光が見え始めた。勝利の味を知った部員達だったが、次第に本質的な問題が浮かびあがってくる。 それこそがカーターがリッチモンド高バスケ部のコーチを引き受けた理由に大きくつながるものだった。

<感想>
 カーターは一気にチームを立て直そうとはせず、ステップに沿って 少しずつ着実にチームを変えていった。当たり前かもわからないが、これがベストな方法と言える。 いち早く、チームの問題に気づき,その問題を一つ提起しただけで、チームは大きく変わった。 たった一言でこれほど人を動かせるのだからすごい。
 カーターは教師以上に教育の指導者である。 部員達の将来を考えつつ,バスケを熱く指導する。 子供の未来を気遣う親のようである。 学問がまともにできなければ、バスケをお預けだという程だ。
 勉強をし、学ぶという学生・子供の役目を,彼らの親や教師達はあきらめ,唯一子供たちが夢中になれるもの,つまりバスケしか視野に入れていない。 卒業後に待ち受けている現実を知りながらも。 子供が夢中になるものを応援するのも一つの愛だけれど、でもこれが真の愛情と言うべきか。
 部員達の問題が目立ってきた時、カーターは体育館を閉鎖した。 これに親達の誰もが異議を唱える,この場面…一見、親が子を思い,かばうように思えるが、子供を支える者たちまでもが、町の環境の悪さ同様、少し堕落しているように見えた。 カーターの厳しさの裏には愛情がある。 厳しくても、間違ったことは何一つ言っていない。
 子供が未来へ向かうのに、悪い環境を作っているのは(治安のみならず)、親や教師などの教育者自身というのが印象的。 リッチモンド高の子供たちを待っているだろう,明かりのない未来と彼らの置かれている環境を変えようというカーターの気持ちが伝わったからこそ,リッチモンド高は真の意味で強くなり、部員達は大人になったのだと思う。
 彼(カーター)の言葉を受け,部員たちは答えを返してくる。 投げられた球をそのまま返す、または力強く返す。 そしてそれ以上のものが生まれ、想像以上・期待以上のものが返ってきたとき、胸に熱いものを感じた。それは、部員たちのことを本気で考えた確実な教えであり、言葉だったからなのかもしれない。

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by jd69sparrow | 2009-03-06 17:04 | 映画タイトル か行

K-20 怪人二十面相・伝

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<イントロダクション>
 ストーリー性やアクション、ドラマなどいろいろな角度で楽しめるエンタテインメント…一番ひきよせられたのが“トリック”である。 二人の怪人二十面相の対決が見れるが、両者が互いに騙しあうところは、もちろんだが、なんと言っても怪人二十面相の得意技の“変装”が印象深い。 怪盗と言えば、他人に化け,人々の中に紛れ 巧みにターゲットを奪うテクニシャン。
 アメコミヒーローに劣らないヒーローここにあり。

<あらすじ>
 1949年帝都。 厳しい決まりのもと、格差社会は大きく広がり 大勢の人々が貧しい生活を強いられていた。 遠藤平吉もその一人。 サーカス団員でその実力は人々を魅了した。 しかし、生きていくので精一杯の日々が続き、サーカス団にも危機が迫っていた。 そんなある日、謎の紳士から名探偵・明智小五郎と上流階級の羽柴葉子の婚約の儀式を写真に収めるよう依頼されるが、それは大きな罠だった。 濡れ衣を着せられた,平吉はカラクリ士・源治の力を借りて、新たな怪人二十面相となり,無実を証明すべく,怪人二十面相と戦うことを決意する。

<感想>
 ところどころにトリックが仕組まれた,良い意味でこの作品は二度見て,より楽しいものかもしれない。 結末は考えつかなかったものであり、もう一度見て,キーワードを一つ一つつかんで理解してから、また楽しみたい。 一度見ただけではラストに待ち受けている答えにたどり着くのは難しいかもしれない。
 “答え”を知らず、見落としていた点に気付かされるのも楽しいし、キーワードを知った上で見るのもいい。
 細部にまでこだわった映画は何度か見る必要がある。 あとで気付かされると損した感じもするが、次にどこに注目して見れば楽しく見れるかを教えてもらうわけだから逆に美味しい。
 もちろん、ストーリーやアクションを見ることに集中し、物語の中にある世界観は目に焼き付けられるけれど、一歩離れたところで見ているに過ぎない。
 二回以上見ないとわかりにくいものに作品を作り上げる作り手たちの狙いはすごい。
 本物の二十面相と平吉版の二十面相とではスタイル(タイプ)もターゲットを狙う目的も違う。 その対比がおもしろい。 本物は悪役風に描かれ、平吉の方は、ユーモアがあり、人々から愛されるヒーローそのものである。 つまり、『K-20』に出てくる怪人二十面相は、一人であって二人でもある。 タイトルにある『K-20』は平吉の扮する怪人二十面相を一つ指しているように思える。
 ものすごいアクションもあれば、コメディもところどころに散りばめられている。 そういった意味で良かったのが、まず明智小五郎に変装した,平吉が登場する場面。 明智であって明智ではないのだが、クールなイメージから外れたのがとてもおもしろく、平吉の表情が見えてくるようだった。
 命をかけると言いつつも、実のところ “死ぬのは勘弁だ”というのがありありと伝わってくるのが、とても人間らしくておもしろい。
 あともう一つおもしろいのが、葉子と明智のツーショットで,お決まりの展開である。 あくまでクールさを損なうことのない明智が葉子が(時間稼ぎのために)わざとケーキを明智の方へぶちまけようとしたところ、宙に舞ったケーキが(明智により)見事にキャッチされたところだ。 小さいけれど、ちょっとしたインパクトのある場面である。
 幸せというものや、お金や権力があることではなく,信頼できる仲間がいるということ、また,“信じれば、どんな夢もかなう”というサーカス団での平吉の師の言葉…この作品からメッセージは、登場人物の口から,また物語の流れの中で語られている。
 平吉と源治の漫才コンビのようなタッグ彼ら一人一人のキャラクターもおもしろい。 平吉の怪人二十面相との戦いを見ると、和製マスク・オブ・ゾロという感じがする。 ゾロ対オペラ座の怪人(本物の二十面相)というふうにも見えた。

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by jd69sparrow | 2009-01-16 14:38 | 映画タイトル か行

クローン ウォーズ

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 1999年、新シリーズとしてスタートし、三部作で公開された『スター・ウォーズ』。 ジェダイの騎士アナキン・スカイウォーカーが、ジェダイとなり,後にダークサイドへ落ちるまでの過程が描かれている。これまでCGと実写の絶妙なバランスで見事に二つの世界を融合させた,『スターウォーズ』が、CGアニメーションという新たな一歩を踏み出す。
 
<あらすじ>
 時代はクローン戦争の最中。 ジャバ・ザ・ハットの子供が何物かによってさらわれた事が始まりだった。 共和国は、活動の域を広めるために、ジャバの信頼を得て,突破口を開くことを考えた。 そこで、ジャバの子・ロッタを救出することを(ジャバに)約束し,それを引き受けたのがアナキンとオビワンだった。 そして、もう一人 二人の応援としてパダワン見習いのアソーカが送り込まれる。 それはヨーダの意志により,他ならぬアナキンのジェダイとしての成長のためでもあった。 アソーカはアナキンのパダワンになることを命じられたのだ。 ロッタの一件にはドゥークー伯爵が絡んでおり、ロッタを救出し、帰還するまでの道のりには、ダークサイドの策略が光る。 戦争・争いという危険な道を避けることは出来ない。 オビワン、アナキン、アソーカはそれでもひるむことなく,戦い続ける。

<感想>
 『クローンウォーズ』は、アナキンとアソーカという二人の主人公のもと,ストーリーが展開される。 二人が師弟関係になり、絆を深めていく物語であり、作品の中でも語られるように アナキンが自分を見つめなおし、成長する話でもある。 アソーカはジェダイの騎士にも劣らぬ勇気を持っているし、戦士としては師にかなわないにしても、アナキンにはない力を持っていることは確かだ。 奇抜で大胆なアイディアを持ち,はじめはパダワン見習いとしか(アソーカを)見ていなかったアナキンも認めざるを得ないほどの活躍ぶりを見せ,それが『クローンウォーズ』の見所の一つと言えよう。 映画の中でも語られたかもしれないが、アソーカの姿というのは、かつてのアナキンの姿を映すかのようである。
 女性であるパダワンの登場、新しい才能の開花という,なんとも新鮮なものがある。 アナキンが師,アソーカが弟子という構図だけど、アソーカがアナキンの支えであり、アナキンはアソーカから教えられることも少なくない。
 実写からCGアニメーションに変わっても,人とCGと、映画の作りが違うにしても,『スターウォーズ』の世界観や魅力は変わらない。 
 実写でもCGが多かったため,CGアニメーションになることに違和感が感じないと言ってはそれまでだが。 CGアニメーションは柔軟性が高い。
 ライトセーバーによる戦闘シーンはやはりここでも一番光るところである。 こうして戦いやビジュアル面も迫力があるけれど、内容的にもおもしろさがある。 意味深な締めくくりであるのは、『スターウォーズ』シリーズ共通の魅力だ。 一つ気になるのが、アナキンとアソーカのその後だが、ここは観る側の想像に委ねたのかもしれない。

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by jd69sparrow | 2009-01-03 15:08 | 映画タイトル か行

恋空

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<イントロダクション>
 人生の中にあるかけがえのない大切な時間、最高に幸せなひとときがある。 その先に残された時間の長さが人それぞれ違うけれど、でも,その“時”の価値や人にもたらす温かさは変わらない。 生きていれば,出会いがたくさんあり,時も流れていく。 とは言え、心の中にある引き出しの中にちゃんとおさめられている。
 思い出は形に残らなくても、生き続けるもの。 そして,それが癒しや元気を人々に送るのだ。

<あらすじ>
 主人公ミカの初恋は高校時代。 自身が気づかぬ間に恋が始まっていた。 一度なくした携帯電話、探しに探した挙句,図書室の本と本の間に“置かれていた”。 誰かが拾ってくれたのだ。 その誰かからなんと連絡が来た。 名前を名のならない相手を始めは不信に思っていたミカだったが、電話の向こう側にいる人が何度も話しているうちに優しい刺激を与えてくれる人だと感じるようになる。
 夏休みが終わる頃,ミカの誕生日の日、会う約束をした二人。 ミカの前に現れたのは彼女の想像とは離れた人物だった。 金髪の少し派手めなその人は とっつきくく見えた。 その人物はヒロだった。 ミカの友人が好きな人の友達である。 信じられずにいたミカだったが、ヒロの優しさを目にして,電話の相手だとわかる。 そして,そこから二人の恋が始まる。

<感想>
ある一人の嫉妬心からミカとヒロに辛い現実をつきつけられたり,苦難が強いられる。 それでも二人の絆は強かった。 恋愛には時に,高い壁が立ちはだかる。 そして試練が待ち受けている。 どんなに壁が高くてもヒロはミカを支え,自身も乗り越えていった。 ミカは柔らかな想いで、ヒロは熱く,どこまでもミカ思いだった。 時に不器用なヒロ、冷ややかに見えるときもあった、でもその裏には人を思う心がある。 一度はヒロからミカという存在が消えたように思えたが,実はその反対で,ミカがヒロという存在を消せず,彼を思う心を持ち続けたように、ヒロも本当はミカと同じ気持ちだったとわかる瞬間、どんなに温かいことだろう。
 ミカが歩くより速く,どんどん先へと突き進んだのには深い意味があったのだ。
 顔を知らなかった,電話を通しての出会い。 いつもヒロの言葉や行動はミカを笑顔にさせ、(ヒロのミカへの)相手の思いがまっすぐで(ミカがひどい目にあった時,)全力で、必死で“守り”,戦った。 また、一度距離をおいたときも毎年の約束を忘れず,ミカに対する気持ちも形に残していた。 そして、ヒロはミカのために涙する人間味の深いところがあった。 そのヒロの優しさと思いの強さはミカにとって大きかったのだろう。
 どんなに優しく,穏やかな人が現れても,ヒロのミカへの気持ちに勝るものはない。
 年月が過ぎ,障害を目の当たりにし,長い道のりを歩んで、ミカとヒロは互いの存在の大切さやありがたさが確かなものだとわかる。 だから、二人に待ち受けていた現実はあまりにも残酷だった。
 その悲しい運命が訪れようとしているとき、“離れていた時間を取り戻すかのように”と劇中にもあるように、(その)先には辛い現実が待っていたとしても,楽しい“今”を生き,ヒロに守られ,支えられてきたミカはヒロの支えとなって,時を過ごす。 とても温かい、そしてお互いが本当の意味で素直となり,素の自分を出す(ヒロが弱みを初めてミカに見せるとき,ぐっとくる)。
 ヒロは最後までミカを笑顔にさせ,ミカはそれに答え、思いを伝える。 そして,そのときがきて,時が過ぎる。 いろいろなことがあった二人…ヒロはミカに確かに,温かさをくれ,“空”となり,見守り続けているだろう。

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by jd69sparrow | 2008-08-11 23:46 | 映画タイトル か行

カンフーパンダ

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<イントロダクション>
 カンフーアクションが取り入れられた映画はたくさんある。 ブルース・リーやジャッキー・チェンが出演した名作から『カンフーハッスル』などなど。 アニメーションで本格的に取り入れられるのは、ないかもしれない(あったとしても、そう多くないはず)。 しかも、カンフーをするのは動物たち。
 アニメーションといえば、世代を問わず楽しめるもの。 こうして、CGアニメで(しかも愛らしいキャラクターたちがカンフーをする)取り入れられることにより、往年のカンフースターを知らない世代や子供に至るまでカンフーに親しみを持てることだろう。

<あらすじ>
 平和の谷で父親と二人でラーメン店を切り盛りするパンダのポー。 ポーはカンフー好きでマスター5(ファイブ)と呼ばれる,カンフーの達人たちに強い憧れを持っている。 彼らのようになりたいという夢はあるものの,カンフーを実際にはできなかった。
 平和の谷の目の前にそびえたつ翡翠城(ひすいじょう)には、ウーグウェイ導師、シーフー老師、そしてマスター5がいる。 マスター5の師はシーフー老師で、ウーグウェイ導師はシーフー老師の師。 その彼らでさえ,苦戦する存在がある。 それは監獄に服役中のタイ・ランである。 ある日、タイ・ランが平和の谷へやってくるというお告げがあり、平和の谷を守るため,タイ・ランに対抗できる“龍の戦士”を選ばなくてはならなくなった。 龍の戦士に選ばれたのはなんと、ポーだった。 ウーグウェイ導師を除く,誰もがその事実を疑った。 カンフーもできず,体だけが大きいパンダのポーに。 やがて、龍の戦士として、タイ・ランと戦えるほどの強さをつける,ポーの修行が始まった。

<感想>
 マスター5のトラ、サル、ヘビ、ツル、カマキリ,それぞれのアクションもかっこいいけれど、(偏見かもしれないが)カンフーだとか戦うことが中々想像しにくいパンダが龍の戦士を目指すべく,様々な修行を積んで成長していくのはのは見ごたえがある。 それ以前に、“パンダがカンフーの達人に”というのがおもしろいと思った、 
 まわりから信じてもらえず,自分さえも自分を信じられないとかいろんな困難に直面するけど,精神から少しずつ変わっていく、その様子がはっきりと映し出されている。 他の者たちとは違う方法でたくましく成長するポー。 ラストは始めでは想像できない,ポーの姿が見れる。 パンダというか、ポー自身が持つ愛らしさを見せつつ,かっこ良さもある。 
 ポーはその表情豊かさ、キャラクター性もさることながら、ポー独自の戦法もかっこ良さとユニークさがある。 ユーモアを多く持ちながらも,純粋な面もあって,悩むときもある。 そうして人間性を出すことで,ただおもしろいだけのキャラクターではなく,深みのあるキャラクターになるだろうと思う。
 様々なカンフーアクションを楽しみ、隅々までに施された演出のすごさに魅了され,ところどころにあるユーモア(コメディ)に笑い、そして最後にメッセージを受け取る…そんな作品だ。
 今回は過去の名作のパロディ…というよりも名作の数々の良さをくみとり,うまく応用して活かしているということを知り,一つのアニメーションを作るのにもこれほどのリサーチがあるんだなぁと思った(※プログラム参照)。 そういう過程があって、この深みのある作品があるというわけで…すごい!

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by jd69sparrow | 2008-08-06 00:17 | 映画タイトル か行

崖の上のポニョ

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<イントロダクション>
 明るくゆったりした世界は、私たちに元気を与えてくれる。 作り手たちの温かなメッセージがこの素敵な世界観を作り,優しく,やんわりと伝えるから心にしみる。 『となりのトトロ』のような穏やかさである。 また、主人公の歩ニョはメイを連想させた。 海にはない(陸の)モノに触れたときの目の輝き・楽しいことへの喜び、そして感情表現…。 純粋で明るい女の子(ポニョ)は、物語に活力を与えている。
 画面の隅々まで、CGに頼らず手書きという手作り感のこだわりは、すごい。 アニメーション(映画)はじっくり人の手で作るものなのだと思う。

<あらすじ>
 深い海で、妹たちや父・フジモトと暮らすポニョ。 父親により縛られた狭い空間…ポニョは家出を決意する。 クラゲに乗ってポニョが向かったのは、人間の住む陸の世界だった。 陸の見える場所にたどり着く頃,海中にあったビンにはまり,自力では抜け出せずにいるところをソウスケに助けられた。 “ポニョ”という名前はソウスケに名づけられる。 一人と一匹はすぐに互いを好きになる。 まもなくして、フジモトにポニョを連れ戻されるが、ソウスケが大好きなポニョは人間になりたいと願い,人の姿となり,陸の世界へと向かう。 その後に待ち受けているものも知らずに…。

<感想>
 生物でないものをまるで生きているように描く宮崎はやお監督作品では、過去の作品でも“それ”があるように思う。 色濃く,立体的に見える。 そして今回は海。 海は穏やかでもあるが恐ろしくもある。 その恐ろしさとは人をのみこむような荒々しさ。 そんな海がここではファンタスティックな要素が盛り込まれて描かれている。
 ソウスケは保育園に通う五歳。 思いやる心を持ち,しっかりした考えを持っていて,少し大人びている。 母親を思いやり、父親のこともちゃんと理解している…。 そしてポニョにした“(ポニョを)守ってあげる”という約束を忘れることなく,いつもそれが頭の中にある。さらに陸の世界を知らないポニョにいろいろな事を教えてあげたり,エスコートしたり…と,紳士的でもあり、お兄ちゃんのようでもあるからだ。
 海と言えば、ありとあらゆる海の生物がすむ,美しい世界。 冒頭にその様子が映し出されたとき,宮崎ワールドに訪れたのだという実感がわく。 一つ一つが丁寧に描かれていて、その綺麗さに圧倒され,物語への期待もふくらむ。 
 また、透明感ある海もリアルに描かれている。 水没した街。 現実に街が水没したら恐ろしいことだけれど、ここでの“それ”は海と同じように穏やかに見える。 それは色彩的にもいえるし、雰囲気的なものもあって、あと海の生物が自然と静かに,そこで暮らしているからだ。
 水没し、水かさの増した街は表面的にも綺麗だけど中から見ても美しい。 海をあらゆる角度から見ることができる。
 “母と子の物語”というテーマ。 ソウスケとリサ、ポニョとグランマンマーレという二組は生き物としては違うが、母と子が互いを大事に思っているという共通点があって温かい。
 ソウスケとポニョの恋の話だとも,どこかで触れられていたと思う。 幼い二人の恋はとても微笑ましく,ラストでそれを強く印象づけられた。 ちょっと大人っぽいソウスケと、そんなソウスケがただ純粋に大好きなポニョ…。 最後に一つのことを問われたときのソウスケの答えが,ソウスケの長所や大人っぽさなど人間としての魅力を決定付けていると思う。

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by jd69sparrow | 2008-08-05 23:15 | 映画タイトル か行

ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌

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<イントロダクション>
 前作では、悪を退治するという,軸のもと鬼太郎のヒーロー像や“ゲゲゲの鬼太郎”の世界観が描かれた。 邪悪な敵もいた。 しかし、主として自由気ままに日々を送る陽気な妖怪たちの姿が印象的だったと思う。 “締め”を見てわかるとおり。 二作目となる本作は多種多様な妖怪たちが登場することに変わりはないが、色やテイストが違う。 影で覆われているのだ。 キャラクターじたいも少しずつ変化している者もいる。 鬼太郎、猫娘…それとネズミ男といったところだろうか。 前回とは一味違う,また,今まで見れなかった『鬼太郎』がある。 そこではある真実が語られる。 ただ、人間のために戦うのではない。 人間らしさもうかがえる,エモーショナルな鬼太郎に注目だ。

<あらすじ>
 “かごめ女の歌を聞いた者は、魂を奪われる”という都市伝説がある。 それを知った楓は半信半疑。 しかし、学校から帰る楓の背後から“あの歌”が聞こえてくる…命を奪われた時、ネズミ男と鬼太郎に遭遇した楓は一命を取り留めるが、手の甲には鱗が生えていた。 それは濡れ女の呪いの証だった。そしてその印は楓の死が近づいていることを示していた。
 人を助けても感謝されるわけでもなく,報われることもない現実に迷いと疑問を鬼太郎だったが、楓の言葉でそんな深刻な思いを断ち切った鬼太郎は自然と体が動き,気付くと楓に手をさしのべている。 
 ダークさは物語全体にもある。 ある一つの悲劇が背景となり、物語は進む。 それは古来より続く,人と妖怪との諍いに始まる。 諍いにそれとは無関係なものたち,つまり濡れ女たちが巻き込まれ,諍いや悪とは無縁だった濡れ女には無念がつのり,やがて恨みとなる。 恨みは千年もの間消えることなく生き続け,それを利用することを考えたのがぬらりひょんである。

<感想>
 ぬらりひょんと言えば、腹黒いイメージがあり、邪悪さそのものと思っていた。 しかし,それここで描かれるぬらりひょんは違う。 それはキャラクターから、また,ぬらりひょんに命をふきこんだ役者の二つにある。 ぬらりひょんの語る人間像には偽りがない。 人を良しと思わないゆえの思いもその中にはあり、多少の偏見はあるかもしれないが。 彼の語ることからは彼が妖怪であることに誇りを持っていること、妖怪の世界を守りたいと思う心があるように思う。ただ、ぬらりひょんは人の愚かな部分しか見えないために人を恨む。 逆にそれは一部の人々にも言えることで、人々が妖怪と人の恋を見て,自分たちにに災いをもたらすと思い込み,自分たちとは違う存在(妖怪)を悪としか見ていないということからの行動に出る。
 中々、分かち合うことの出来ない人と妖怪。無論、全ての人や妖怪たちに当てはまるわけではない。 “両者が互いへの恨みや偏見を捨て,理解しあえば変わる”、それが今回の話での大きなテーマ。 だからぬらりひょんも人を理解しさえすれば、悪から離れるように思われる。 おすでなくても善であり、悪であるように見える。
 大河ドラマ『風林火山』で上杉謙信の家臣にして右腕的存在、また良き理解者・宇佐美に扮した俳優・緒方拳。 ここでも主人公の敵だが悪というわけではなく,戦乱の世を見据え,また主人公(敵)と主君の両者を理解しているという感じの良き宇佐美像を体現していて、そこでも見られるように,ぬらりひょんもの言葉もより説得力を出し,完全なる悪ではないこと体現しているようである。
 『鬼太郎』はこれまで何度もアニメ化され、そのうちの一つのを見た。 そこで『鬼太郎』を知っているつもりだったけれど,実写化され、第一作,二作と見るたびにいろいろな,知らなかった部分が次々と見えてくる。 その一つと言えるのが鬼太郎である。 鬼太郎の出生から彼の戦法・パワーや鬼太郎を取り巻くものなど。 鬼太郎が今,存在する その背景には何があるのかが語られ、そして 前回では見れなかった,戦闘能力である。 かっこよさが増している。  最大の敵が戦う先にいるdかえに壮絶な闘いがあって、鬼太郎一行はこれまでになく,ハードな命がけの戦いが強いられる。
 シリアスな物語だけど、コメディがないわけではなく、ところどころに笑いが盛り込まれている。
鬼太郎一行,それぞえに見所があって、バラエティに富んだ妖怪たちが登場。 ダークな雰囲気で悲劇も描かれる…だけど、斬新で綺麗な締めくくり。 だから,今回は“美しい”という印象が残るだと思う。 
 ドラマティックな部分、パワーアップした鬼太郎のアクション、手ごわい敵の登場が内容を充実させ、見事に妖怪になりきっているためにエンディングでようやくそれが誰であるかに気付くこともあった。 また、パンフレットの解説などを読み,改めて物語を振り返り,気付くこともあった。 そういった意味でも,また作品の完成度からしても,もう一度見たくなる『鬼太郎』の実写映画 第二弾『千年呪い歌』である。

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by jd69sparrow | 2008-07-21 00:00 | 映画タイトル か行

奇跡のシンフォニー

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<イントロダクション>
 この映画の作り手たちが言うように、これはおとぎ話だけど ここでの奇跡を現実に起こることを信じたくなる…そんな気持ちにさせる素敵な映画である。 しかも、その奇跡は音楽によって導かれるのだから,“音楽は神からの贈り物”という言葉の美しさが身にしみる。
 一度は失った希望を取り戻す、また 希望の光を信じ 追い求めるというのがこの作品における主軸と言っていいだろう。 離れ離れになった家族が音楽を通じて引き寄せられ,一つになっていく。

<あらすじ>
 11年間、エヴァンは一人ぼっちの生活を送っていた。 孤独にさいなまれても,施設の他の子供たちにいじめられても,彼は決してくじけることはなかった。 エヴァンには両親から授かりし,宝物である “音楽”があること,また まだ見ぬ両親との再会を強く信じ、望む心がある。 そして彼は決心する、自ら両親を探すことを。
 (一方、)11年前,ハーモニカの音色に導かれ,ルイスとライラはワシントン門が眺められる絶景,満月の夜空の下で運命的な出会いを果たす。 二人には自然の中に音楽を聴く,才能があって,音楽に長けているという共通点があった。 さらに音楽を愛する価値観も通じるものがあり,二人はお互いに恋に落ちる。 しかし、すぐに二人の仲は引き裂かれてしまう…そして、ライラの中に一つの命が宿っていて,新たな命の生を受け入れると決心するが…

<感想>
 人は自分とは違う何かを中々認められないところがある。 とは言っても、人が皆,そうであるとは100%言い切れないが。 これについては、物語の世界でも現実でも,よく取り上げられるテーマである。 現実にこういうことがあるからこそ,映画などでも取り上げれるのだろう。
 エヴァンにとって自然の音は音楽で、それは彼自身にとって特別なもので、才能だ。 彼の育った場所ではそれが認められず,変人あつかいをされる。 いじめっ子たちは表面でしか見ていないから,エヴァンの奥に光るものが何たるかを知らない。 知らないがゆえにただ変わり者としか見ることができないし、見ようとは思わない。 施設という閉ざされた空間がそうさせているというのも一部あるだろう。 しかし、差別をしていた“人(モノ)”が,実は賞賛すべき,素敵な存在だということを(カタチとして)目にしたとき,どう(何を)思うのだろうか。 変わり者ではなく,ある才能に長けた人物だと知ったとしたら…
 変わっているといって頭ごなしに変人と言ってあしらうのではなく,まずその人を知ろうという理解が必要だ。 どうしても,特別目に付くところでその人の全てを判断しがちなのである。 とは言っても、(差別をしてしまう人ばかりではないけど)ちゃんと人を見ようというのは難しいことなのかもしれない。
 自然の中に感じるのは両親から受けつぎし,エヴァンの力。 大自然の真ん中にたたずみ,耳で また,肌で音楽を感じているエヴァンの姿・映像が美しい。 エヴァンは
N.Y.という都会に来てからも,まわりの音に耳をすませる。 すると、人工的な音でさえも(音楽の)音色そのもので、いろんな音であふれる街中にいると,オーケストラ(合奏)を聴いているように感じるのだった。 この“音楽”を聴ける者とそうでない者がいるとある。二つに分けられているようだが,後者は聞こうという意識がないかもしれないし、前者は無意識に…というか自然と聞こえてくるのかもしれない。 それでも耳をすませば,音楽が(自分にも)聞こえてくるかもしれないと思わせて(信じさせて)くれる。 この物語はいろんな面で信じることを教えてくれ,信じたい気持ちにさせてくれる。
 物語の締めくくり、エヴァンたちが辿りつく“場所”は、とっても綺麗。 カタチとして「こうなりました」として見せるのではなく,最高の奇跡が今,この瞬間に起こったのだなと観る側の心の中で、物語が幕を閉じるものなのだと思った。 その先,この後を知りたいと思う、だけどはっきりと説明されずとも,わかるような気がする。 実際、そういうものであって、作り手たちが観る側に託したのだろう。 こんな素敵な奇跡が人生に一度あったらと思う。

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by jd69sparrow | 2008-07-16 18:53 | 映画タイトル か行

コンスタンティン(二回目)

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 (神とサタン、)天使と悪魔の関係は相反するものどうしであるといことがまず一つ言える。 同時に,様々な人たちにより,あるゆる解釈ができ,たくさんの場面・場所に登場する。 その多くが、“天使は神の使い,悪魔は地獄の王の使い”と 天使は善.悪魔は文字通り悪として描かれている。 (他のモノを)これらに例える事もある。 例えば、(天使はわからないが)悪魔は吸血鬼を連想するものとして耳にした事がある。 また,人の人格を表す一つとしても使われる。 それだけ天使と悪魔は深いテーマと言える。
 映画には、その二つは当然のこと,さらに、天国と地獄の両サイドの使者がそれぞれ存在する。 半分が人間,もう半分が天使か悪魔…ここではハーフブリードと言う(つまり、人間と人間ではない存在の血が流れている者)。 主人公を始めとする,人から見れば,彼らに敵と味方がいるということになる。ハーフブリードはある意味で中立的。
 主人公のコンスタンティンはエクソシスト。 彼が接触する相手に“天使ガブリエル”がいる。 ガブリエルは、他の作品でも時々出てくる名前。 例えば、『ヴァン・ヘルシング』では、ドラキュラ伯爵がヴァン・ヘルシングを“ガブリエル”と呼ぶ場面があったと思う。 宗教的に言えば、聖母マリアにキリストの誕生を告げた天使がガブリエルとある(『受胎告知』)。

 あらすじ。 ジョン・コンスタンティンに特別な“力”がある。 それは、普通の人間には見えないものが見え、人にとりついた悪魔を地獄へ返す能力である。 さらに、水(と椅子)を使い,この世と地獄とを行き来できる(水がこの世と地獄を結ぶ・・・そして時に人の命を奪う…しかし、人が生きるのに必要であるのも水。 救いとも刃ともある水は不思議である)。
 彼はこの力に悩まされ、日々煙草に頼っている。 そうして自らの身を削り,その先に見えるのは地獄への入り口。
 天も地獄も人間の世界に影響を与えられるが,直接手を下すことはない…そう思われていた。しかし、そんな世の調和が乱れる異変が起こり始めていた。 そんな時、事件が起こる。 それもこの異変に大きく関わるような。 イザベル・ドットソンの死、しかも自ら命を絶ったという…。 何故,“異変”に関わっているのか? それは彼女に双子の姉妹がいるからだ。アンジェラである。 悪魔たちはアンジェラの命を狙っている。
 イザベルの死の真相をつきとめたいと願うアンジェラはコンスタンティンに助けを求めにやってくる。 そして、彼らと悪魔の戦いと駆け引きが始まる。

 感想。 天使と悪魔の間にハーフブリードという新たな存在が加わり、人間世界がそのまま荒廃したような地獄の世界が映し出される。 今までの作品にない要素が含まれていると思う。
 個人的に地獄のイメージは、ごつごつした岩の大地に火の海(あるいは、血の海)があるという火山のようなものなのだが ここでは人間世界に地獄があって,人間世界が荒廃したうえに炎の色が色づけされ,とても人が暮らせるような場所ではない。 さらに,そこには人の代わりに悪魔がいて地獄に迷い込んだ人間を餌食としている感じ。 迷い込んだ人間,地獄に落とされた人間(罪人)…いずれ,その悪魔たちのような醜い姿となり,我も忘れてしまうのだろうと思った。 そうして、悪魔と化した人間はこの世の人をうらめしく思い,とりつく…日本で言うところの悪霊だろうか。
 『コンスタンティン』の物語にはまだ続きがあるような気がする。 自身の未来に地獄しか見えないコンスタンティンが過去に犯した過ち(罪)が報われ,天へと導かれる日が来るのだろうか。 ダークな作品だけど、エクソシストと悪魔たちとの戦いはエキサイティングで ビジュアル的にも繊細に描かれていると思う。 

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by jd69sparrow | 2008-05-31 00:33 | 映画タイトル か行

10,000 B.C.

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日本はもちろん,世界に今ある国々がまだ存在もしなかった、と言うより世界が国によって分けられていない,遥か昔。 人類こそ誕生はしているが人々は皆,外の世界に無知である。 “紀元前一万年”、原始時代。 個人的なイメージでは漫画(アニメ)『はじめ人間』で描かれているような,無限に広がり,草が生い茂る大地で人々は暮らしている。 そして石で作られたハンマーを持っていて お金は石、マンモスの毛皮で出来たテントが言えである…さらに彼らの家の後ろには火山が噴火している…というもの。 確信できる,明確なイメージはない。 『10,000 B.C.』は、原始の時代に新たな解釈と作り手たち,独自の(想像の)世界で彩られたダイナミックかつ,人間ドラマも大きい映画である¥。
 あらすじ。 ヤガル族のデレーは山の頂でマンモスを生きる糧にして暮らしている。 彼の少年時代。 村に青い目をした少女エバレットがやってきた。 エバレットは悪党たちに両親の命を奪われ,身寄りがなく ヤガル族の村へと流れ着いたのだった。
 デレーとエバレットはその時から,次第に互いを思うようになり,大人へと成長していく。 デレーにはカレンというライバルがいる。 デレーは幼いときに村を離れた父親のしえで自分は“裏切り者の子”というレッテルをはられたと思い,カレンを始めとした(エバレットを除いて)村の仲間たちもまた,そういう目で,デレーを見ていた。 だからデレーにはエバレットへの思いがある一方,孤独感も心に抱いていた。 デレーはエバレットへの愛のため,その力と勇気が試される。 
 ヤガルの人々が暮らす世界は、地球という惑星の世界の一部,自分達の場所から外へ出ると目の前には,無限に広がる未知の世界。 外の世界を知らない人々の多くは一つの空間(自分たちのいる)が全てで、中から出ずに一生を過ごす者もいれば、外へと冒険に出る者もいる。 だから外へ出た瞬間,自らのちっぽけさを知る。 それは,かつての日本でも今もその理念は同じで、今後も変わることはないだろう。 母国から出て,海外へと降り立つとき,“この世界にはこんなに素晴らしい場所があるのだ”と感動を覚え,驚く。
 デレーの旅は危険なものだとは言え,少なからず 驚きの連続だったに違いない。 愛のための道のりは険しく,それでも諦めずに,その長旅で愛する人の大切さを持ち続けていられるかが主人公に試練としてのしかかる。 また、信頼のできる仲間たちやデレーたちの行く手を阻む者たちなど彼は人間間でる困難とも闘う。
 そのとき、共に旅をする仲間たちと助け合い,エバレットへの思いが彼を動かしていたのだろうと思うと、パンフレットにも書かれていたが,これは“愛の物語”、“愛のための未知の世界への旅”なのである。
 映像で映し出される雄大な大地…自分たちの住む場所より遥かに文明の栄えた(帝国のような)、また,自らを神とする者が支配する世界…。 つまり、ダイナミックに表現された大地や自分たちが知る世界とは全く違う世界に来たというギャップが(映像を中心に)映画全体で表されている。 
 主人公は死と隣合わせの事態という苦難や悲しみなど様々な経験や刺激を(旅の道中で)受けていき,大切な人を救うという自らの使命を果たすことへ向かう最中、次第に真の勇気と愛、新しい時代を担う力、そして人々をそこへと誘う,先頭に立つ力を養い、成長し その顔立ちも“戦士”の顔へと変わっていくところが見所だ。

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by jd69sparrow | 2008-05-27 23:40 | 映画タイトル か行