カテゴリ:映画タイトル か行( 75 )

クイーン

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<あらすじ>
 1997年、英国王妃だった,ダイアナ妃がこの世を去った。 ダイアナ妃はエイズ感染者や恵まれない子どもたちへの救済活動を行った,英国のみならず、世界中の人々の愛された人である。 
 チャールズ王大使とかつては共に過ごしていたが、別れてしまう。 ダイアナ妃は交通事故で命を落とす。 大勢の国民たちが悲しむ中、王室は沈黙を通す。 そのとき、王室では何が起こっていたのか、エリザベス女王の視点で描かれている。 女王としての姿、心の変赤、彼女の知らぬ間に変わり行く時代がそこにある。

<コメント・感想>
 この話の要は、国民から絶大な支持を受けていたダイアナ妃の死をどう弔うか。 はるか昔から続いてきた,王室のしきたり、エリザベス女王はそれを信じ,従ってきた。 今もなお,しきたりに忠実な王室、国民もまた、王室のやり方に理解を示すと女王も考えていた。 しかし、時代は変化し、国民たちが求めるものも王室の理解するところとは違っていたのだ。 “国のトップにいる人は、冷たく,感情をおさえるのではなく、その声を届けること”を人々は求めているのだろう。国のトップの声を聞くことで、国民に対する“思い”があるということ、また,直接声を聞けば 説得力が出るということが考えられる。
 ちょうどその頃、新たなイギリスの首相が選ばれた。 トニー・ブレア氏である。 エリザベス女王は日に日に,国民からの反感を買うかたちとなり、追いつめらえていく。 そんな状況を変えようと変わらず常に女王に手をさしのべていたブレア氏。 ただ、助けようというのではなく、ブレア氏は女王の中に国民に見せる冷たさとは違う感情があると信じ(あるいは見抜いていたのかもしれない)、女王にと言うよりも 一人の母親の本心に呼びかけていたのではないかと思う。
 この話は、時代が変わる境目にある。 この時の王室と国民との間には、2つの違う“時”が存在している。 新と旧。 新しい“時”が流れる中に、たえだ一つ“時”が止まった場所がある、それが当時の英国の王室で悪く言えば、時代に取り残されている。 あるいは、王室だけが孤立している感じ。 そういった国・時代の変化をエリザベス女王は強く痛感したのだろう。
 国を治める者として強くなくてはならない、また,その務めに励まなくてはならないという責任感と女王は戦う。 もちろん、それは国のトップとして守らなければならないことだろう。 しかし、務めを果たすというのが、どういうことなのかというのは時代が変われば、それも変わるということが言えると思う。
 話が進むにつれて、エリザベス女王の感情が出てきて、強く冷静な姿kら、弱さや脆さが見える。 感情が出るとということは女王の本当の顔が表されるということで、何かが静かにくずれ、どっと感情があらわになるところは、印象的だった。

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by jd69sparrow | 2008-03-27 19:46 | 映画タイトル か行

クロサギ

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<イントロダクション>
 クロサギ。 クロサギとは、詐欺師をつぶす詐欺師のことである。 よって、そのターゲットは詐欺師以外になることはない
 主人公黒崎はシロサギと呼ばれる者たちに家族を奪われた。 彼はシロサギへの復讐を誓う。そのために黒崎が選んだ道は詐欺師になることだった、それもタダの詐欺師ではなく、“クロサギ”だ。 自分と同じようにシロサギたちに騙され、被害にあった人を助けようというのだった。 黒崎はそれについての情報をえるため、本来なら憎むべき相手,つまり彼から大切な人たちを奪った張本人で詐欺師の世界のドンである桂木のもとへ通うようになった。

<ストーリー>
 今度の依頼人は桶川レイコという,会社を経営をしていた人で、彼女を欺いた相手,言い換えれば黒崎がくらう敵は、石垣という男。 石垣は一筋縄ではいかない,手ごわいシロサギ。 かつて、日本経済をゆるがした人物であり,(黒崎にとって)強敵である。 それでも黒崎は決してあきらめない、彼は桂木や桂木とも石垣とも関わりを持つ,さくらの力を借りて、また,ターゲットに巧妙なトラップを次々と仕掛け、苦境に負けることなく依頼人,困っている人を助けるため,そしてシロサギたち、他の卑劣な詐欺師たちをくらいつくすために果敢に敵へと立ち向かっていく。

<感想・コメント>
 作品の中にはいくかの鍵がある。 それは話の内容を示すものだったり、謎を解くヒントだたりと鍵が物語にもたらす効果はそれぞれ違う。
 その中で二つ言えるのが、シェイクスピアの言葉と,オセロ(ゲームの)である。 前者はkの映画やドラマだけでなく、現実をも表すものであり、私たちにより,近いものだと思う。 後者は私たちに直接つながるものではないにせよ、リアルな人間の心理が含まれている。 実際、この物語のような“クロサギ”が存在するかどうかはさておき、映画フィクションでも現実味のある話だ。
 よく海外などで命に関わる事件とか、数多くのニュースを聞くけれど。日本もまた,そういったことについて全くの無関係ではなく、私たちが生活していく中でも、これほどまでの危険が潜んでいるということがよくわかり、フィクションの物語に,恐ろしさが見受けられた。 決して、物語の中で語られていることが、そこだけの話ではないからだ。 そういった事柄が数百年も前の人の言葉で表されているのがすごい。 どんなに時が流れ,世界が変わっても人の根本的な部分は変わらないということなのだろう。
 悪に対して、その悪と同様の立場から罠をかけて、その悪に気づかれることなく,最終的には敵に一泡吹かせる。 その結果、弱い立場にある人たちなど,善なる人たちが報われるという『クロサギ』という作品のコンセプトがとてもおもしろい。
 “クロサギ”は人を救う救済で、ターゲットで敵でもあるシロサギたちとの駆け引きという心理戦でもある。 
 映画全体で言えば、ストーリーを楽しみ,多くを知り、考えさせられるものであると思う。

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by jd69sparrow | 2008-03-25 19:26 | 映画タイトル か行

クローズZERO

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 男たちは己の力を試すため、強くなるために強いものに立ち向かっていく。何度パンチを受けてもその目から炎が消えることはないのだ。ボロボロになっても真っ直ぐ前を見ている。 それは男の意地やプライドからくるものなのだろうか。 確かなのは、頂点に立つことに一心で,熱き魂を持っていることである。 青春時代を目一杯生き,男として、人として成長していく。 実際、主人公がそれを体現している。この映画のもう一つの良さと言えるのが、仲間同士の絆の強さ。そこに集うは突っ張った不良たち、だけど仲間を思う気持ちがあり,互いに信頼しあい,仲間意識が強い“人間”だ。 だから彼らが互いに向き合い,大切な仲間として見ているところに熱いものを感じさせられるのだ。
 作り手たちの言葉にもあったと思うが、「何のために人は強くなろうと思うのか」ということが最大のキーワードであり,そういう物語である。
 内容。鈴蘭高校、それはその場所のトップに立とうという志を持つ男たちが集う,不良たち(crowsクローズ)の学校である。 トップに立つ者はいまだにいない。 しかし、“百獣の王”と呼ばれる男,芹沢多摩雄がいた。派閥争いの絶えない鈴蘭で頂点に最も近い男である。 そこに滝谷源治が転入し、その争いに拍車がかかる。
 物語は二大勢力による争いを軸として動く。鈴蘭にやってきた源治には目的は一つしかない。鈴蘭の男たち同様,その頂点を目指し,さらに自らの父親を越えることだ。
「男たちが強いものに挑む」理由として付け加えたいのが、自身の力を証明するためであるということ。それを成し遂げることに対する強き思いを原動力に人は強くなっていく、それが源治。“仲間”を知らない源治が仲間というものを学んでいく話でもある。同時に、鈴蘭高校という“場所・姿”が映し出されている。
 大切なものを守るため,志や思いを貫くため、相手が誰であろうと立ちはだかる者と戦う。 拳を握り締め、全力で相手に挑む。 拳やけりの重みが低く,鈍い音で伝わってくる。戦国や江戸のサムライたちが命を惜しまず,各々の軍がぶつかりあったように、大将がいて,大将を信じる兵がいて二つの勢力がぶつかりあう。そして戦っている様子、それを遠くで見ている者たちの会話、それらはまるで戦を語るようである。
 臆病な者などいない。二つの勢力の戦い、その大将たちは互いに敵対しつつも、心のどこかで理解しあっていて,後にわかりあえるときがくるように思えた。 

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by jd69sparrow | 2007-11-05 22:41 | 映画タイトル か行

Closed Note

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 一冊の“閉ざされたノート”。 主人公・堀井香恵はそのノートを通じて二人の人物に出会う。 その出会いは彼女自身の心を大きく動かす。 ノートは思わぬ真実へと続いていた。 ノートは香恵に優しく語り,そして彼女は多くを学んだ。 ノートには持ち主の思いか書き綴られていて,語り手が側にいるかのよう。 日記は自分が自分でいられる場所、その中には間違いなく“真野伊吹”という人がいて,文面が書き手の温かさを物語っていた。
 大学に通う香恵は一人暮らしをするためにアパートへと引っ越してきた。 そこはどこかぬくもりを感じさせる場所だった。 大きな窓から温かい太陽の光が差し込んでいる。
 親友のハナの力を借り,荷物を広げ,部屋作りをしていると鏡に目が留まった。 鏡をあけると中には背表紙が赤く彩られたノートが残されていた。 その持ち主は前の住人のものであるのは間違いなかった。 閉ざされたノート、開けてはいけないとわかりつつも興味をそそられてしまうのが人の性。 どこか引き寄せられるノート。 香恵は人の心をのぞいてしまう。そのノートが導く先を知らずに。
 引越しを済ませ一息をついたとき窓の下を眺めると上を見上げる男がいた。 香恵のアルバイト先,万年筆のお店へやってきたその男は石飛リュウ。 アーティストである。 香恵はリュウのアーティストとしての一面やクールでポーカーフェイスの下にある優しさにいつしか惹かれていった。 
 香恵の将来の夢は小学校の先生になること。 そんな夢と恋が“ノート”に書かれた“伊吹”へとリンクしていく。
 日記に描かれた伊吹は小学校の先生。 十人十色の生徒たちへ前向きな彼女は同じ道を目指す香恵にとっての先輩であり指南役,また姉のよう存在。 彼女が伊吹から得たものは「心の力」である。 伊吹が歩んできた道が羅針盤の針のように香恵に道を指し示す。 香恵の中で伊吹の言葉は恋のキューピッドだったのかもしれない。 
 理想の教師、そして理想の生徒たち。 とは言え,伊吹も一人の人間。 壁にだってぶつかり,ひたむきに努力を重ねていくし、恋だってする。 いつだって目の前に真剣で逃げ出したりはしない。 彼女には明るさと生徒を思う心、そして彼女が思い寄せる大切な人の優しさがあったからだ。 それらは希望へとつながっていて 仕事と恋と2つの幸せがあった。
 そんな伊吹の物語が香恵を成長させていくというのがこの作品の概要。 堀井香恵、真野伊吹、そして石飛リュウの三人の中に恋がある,恋の物語は切なくもある。 “切なさ”というのはこの,「クローズド・ノート」という一つの物語に霧のようであって,それは消えたり いつの間にか広がっていたりする。 つまり、霧は突然たちこめることもあれば、晴れることもあるように日記の中の出来事と現実で起こる出来事には切なさ一つではなく,香恵と伊吹のそれぞれの幸せな時間がそこにあったのだ。
 しかし、個人的には伊吹と“彼女の思う相手”,隆との最終的なくだりに重点を起きたい。 そこが一番心に響く場面だったからであり、“Closed Note”こそが恋のキューピッドだと思うからだ。 一方通行にのびていた矢印が交わり,一つにつながった瞬間がとても感動的なのだ。 感動的でもあるのだけれど、(何度も言うようだが)同時に切なくもある。 、“Closed Note”はそれを手にするものたちに思いを届け,勇気、そして未来という希望をあたえ,そこに意義があるのだ。
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by jd69sparrow | 2007-10-04 00:21 | 映画タイトル か行

ゴスペル

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  映画の出演者の言葉にもあるけれど、“ゴスペル”とはもともと“伝達手段”だったそうだ。 アフリカ系アメリカ人の最初と言われる人々,つまり彼らがアフリカからアメリカへと奴隷として連れてこられた頃、ゴスペルは生まれたということになるだろう。 教会で歌われる音楽だとは言え,とてもパワフルでソウルフルであるのは冒頭にもあげた彼らの伝達手段だったからだと思う。 彼らの思いがつまっているもの、神への信仰が熱くそこで語られている,だからこそである。 “時代に適した音楽”であることにも頷けるはずだ。 
 音楽にも歴史がある。 ベートーベンやモーツァルトといった偉大な音楽たちが作ったクラシック音楽,歌詞のあるもの、メロディのみのものなど様々だ。 ロックンロールが生まれ、ポップス、R&Bなど時代を追うにつれ音楽は進化を続けるけれどそんな時代の流れの中でもずっと親しまれ,愛され続けている音楽の一つがゴスペル。 主として教会で歌われるこの音楽は人々が神への信仰を忘れない限り、永遠にいき続けるのだと思う。 
 この物語は歩むべき道から踏み外し、道を誤った主人公の青年が心のよりどころを求め、彼の帰るべき場所,“家”へと帰る物語である。 人々の人生には選択肢があり、“選択”によって人生を歩んでいくものであると私は思う。 人生の分かれ道、二つに分かれた道のうちどちらを選ぶか、それはそこに立った者が決めるもの。 けれど、その選択しだいでその人の人生は良き方にも悪い方にも傾くわけで人生における最も難題な選択なのである。 それは子供から大人になるとき、そして大人として社会に出るときである。 まさに物語は主人公ディヴィットが、人として第二の出発地点に立ったところから始まるのだ。
  聖職者になるための課程を終えた二人の若者がいた。 人々は皆,彼らの先にある有望な未来に絶大な期待を寄せていた。 彼らのうちの一人,ディヴィットの父親は教会の主任、多くの信仰者から大きな信頼を受けていた人物だ。 二人の若者,ディヴィットとフランクは幼き頃からの友、誰もが彼ら二人ともが聖職者として立派な人生を始めると信じていたことだろう。
 しかし、ディヴィットの母親の死により事態は一変した。 母親の死の間際に居合わせなかった父親に怒りを覚えたディヴィットは道を誤ってしまうのだった。 彼は教会を離れ、歌手としての栄光をつかむために毎日を過ごしていたのだ。 ディヴィットは今よりビッグになることしか頭になかった。
そんなあるとき、父親が倒れたという知らせを聞き、彼は気付かされるのだ。 彼のいるべき場所、やるべきことを。 ディヴィットは父親と向き合うことで少しずつ人生をやり直すことを決意し、自らのあるべき姿について考え始めるのだった。
 人々の信仰に応えるために説教をし、人々に,また神につくす父親を理解できなかった少年時代、それから15年という月日を経て,自分の過ちに気付き父親の姿を見、聖職者としての人生を選び,日々 人々からの信頼を集めるフランクを見て聖職者として生きた父親への理解がようやく生まれ、深まっていく。 “信仰”、それがキーワード。 信じ続ければ願いは届く、そして人生だって良き方向へと変わるし,いくらでもやり直せることができるのだとここでは語っているような気がする。
 (主人公の)築き上げた教会は道に迷った者を温かく迎え入れ,誰もに“おかえり”や“ようこそ”を言って受け入れてくれる。 人を区別したり、差別することに受け入れてくれる場所、それが教会であり、神に仕える者のつとめ。

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by jd69sparrow | 2007-09-15 00:00 | 映画タイトル か行

キサラギ

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 五人の男たちによるワン・シチュエーション映画。 物語はどこかにある一室で始まり終わる。しかし決して飽きさせないストーリー展開である。 なぜなら一つの狭い空間でありながら登場人物たちには常に動きがあり、次々と展開が変わっていくからである。 これはコメディでありサスペンスなのだ。 一人一人に物語を魅力的に演出するそれぞれの役割がある。 互いが見ず知らずで、物語が進むにつれ,新たな意外な真実が積み重なっていく。 その事実の数々が彼らの目の前にある問題を解く鍵となっている。 物語は彼らの愛するアイドルの事件を軸に動いている。
 一年前、一人のアイドルが自らの命をたったという事件が報じられた。 彼女の名前は「如月みき」。 それから一年がたった現在,彼女の一周忌迎え,その思いを語るために五人のファンが一堂に会した。 インターネットのファンサイトを通じて知り合った五人の人物。 家元、スネーク、オダ・ユージ、安男、いちご娘である。 主催者は家元。 彼の呼びかけで集まったのだ。 如月みきへの思いを語り,盛り上がる五人であったがやがて一つの疑問にたどり着く。 それは如月みきの死。 彼女の死には不可解な点が多かった。 そして彼らの推理が始まった。 何故,彼女は命をたたなければならなかったのか。 五人の持つそれぞれの情報源をもとに事件の真相をあばいていく。
 如月みきの事件にも謎は多かったが,五人にも謎が多かった。 それはそもそもインターネットの書き込みでしかお互いを知らず,ましてや素性だって知らない。 事実が一つ明らかになるたびに驚きがある。 この映画は製作者たちが語るように「人は未知である」ということが一つのテーマなので何があっても,何がどこでどうつながっているかなんて驚くに値しないなのだ。
 人は第一印象でイメージを固めてしまいがちだがそれは100%その人につながるとは限らないし、ある一人の役者の映画やドラマを見尽くしてその人について知り尽くしているつもりでもそれはその人の一部分でしかない。 人が発揮する能力というのがその人の一部分であり自身ですら知らない自分があるというように人が自分自身を知り尽くすことも、他人対して知り尽くすことも中々できることではないし、もし仮にそのようなことがあるとすればそれは奇跡としか言いようがない。 
 しかし、全てが明らかではなく五人が五人とも謎があるからこそおもしろいのであり、その謎がひとつ明らかになると見方が変わるし,この映画の見方も変わる。 ここに出てくる登場人物たちだけでなくこの映画じたいが一言で言い表すことはできないし、イメージや印象は一つではない。 だからここで記す作品の魅力も映画「キサラギ」の魅力の一つでしかない。 よってジャンルがなんであるとか,枠にくくるということも皆無である。 ドラマあり、笑いあり、サスペンスあり… そして一言で語りつくせないおもしろさ・・・。
 今まで映画は全体,つまりストーリーや画面を全部をあわせて見ていて,映画を作る要素を個々で見たことはなかったがこの作品を通し,脚本のおもしろさを知り,そこで初めて個々で作品のおもしろさを実感できた。 よく出演者のインタビューで「なぜその作品に出演しようと思ったか」という質問があり、その答えの多くが「脚本がよかったから」というように脚本は作品のおもしろさを左右するといっても過言ではないくらい重要なものであるのに今、ようやっと実感できたというのは映画ファンとしては恥ずかしい。 
 セリフの中にはいろいろなネタがぎっしりつまっていて,そのネタを知っているとなおおもしろい。 だから登場人物の行動はさることながらその言葉にも笑いを誘うものがある。

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by jd69sparrow | 2007-08-09 17:29 | 映画タイトル か行

GOAL!

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 幼い頃、少年たちが夢中になるもの,スポーツと言えばサッカーがその一つとしてあげられるだろう。 ただサッカーが好きでプレーをする子、プロサッカー選手になるという大きな夢をいだきボールを蹴る子などそれぞれがサッカーに,あるいは(他の)好きなことに夢中になることは違うだろう。 チームメイトたちと共に力を入れて勝利を手にすること、自分が蹴った、また,パスを出したボールがゴールに入る喜びというものはこの上なく誇りである,それは自分だけでなくチームにとっても同じ(サッカーの知識に乏しい私が言うのもなんかもしれないけれど)。 これはサッカーと限らず人の人生そのもの,仕事や学校など様々な場に置き換えられることだ。 当たり前なことかもしれないが、個人で力を伸ばしていくこともできるかもしれない、だけどそれは一人の力ではなく支えてくれる誰かの存在あってのこと。 人と協力し合い,チームとして築き上げていくことはなおさら己の力を伸ばす手段であろう。 主人公サンティもそんなサッカーに対する大きな夢を持つ少年の一人であった。
 サンティはサッカー少年だった、彼はメキシコに暮らし,後にアメリカへとやってくる。 大人になってもサッカーへの熱い思いは消えることなくプロのサッカー選手になることを夢見ていた。 しかし中々その夢をかなえるチャンスはやってこなかった。 そんなある日のこと。 かつて英国ニューカッスル・ユナイテッドでプレーをしていたグレンの目にサンティのプレーが目に留まる。グレンのスカウトでサンティは厳しい父親の反対を押し切り,英国へと向かい,ニューカッスルユナイテッドへ入団する。 プロとしてピッチにたつこともそう遠くないところまでやってきたサンティ、しかし自分のコンディションをチームに打ち明けられずいにいた。 はじめてプロの世界に飛び込み,そしてその世界を知ったサンティはそこの厳しい現実を知ることになる。 窮地に追い込まれるサンティだったが彼には家族、自分をスカウトしてくれたグレン、心強いチームメイト、そして恋人ロズがいた。サンティは夢への第一歩をふむ。
 アマチュアでいた頃とプロとは世界が違いに悩まされるサンティ。 そしてそこに自分の弱点も見つめなおすこととなり、成長を遂げていく。 この三部作のうちの第一章では主人公がサッカーの世界を知るというもの。 初めてプロとなることでプロとしてプレーする一方でのしかかってくる問題。 プロになることを反対した父親との関係。 サンティは父親とはあまりうまくいっていなかった。 サンティは夢に向かって走り続けることをあきらめなかった。 父親とは中々うまくいかない、それでも血のつながった親子。 息子は父親に認めてもらい,喜びを分かち合い共有しあいたいという思いがあり,父親は夢に向かって一生懸命な息子から目をそらすことない。 それぞれがお互いに対しの思いがある、そこがとても温かいと思った。 これはサッカーの物語であり、主人公が夢の実現を目指す物語であり、そして父親と息子の物語なのである。 

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by jd69sparrow | 2007-06-21 18:39 | 映画タイトル か行

GOAL!2

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 “DREAM”、これはこの映画を表すのに合う言葉ではないかと思う。 それはサッカー界の世界のスター選手たちの共演というのももちろんだが,貧しい暮らしをしていた少年が大人になりサッカーのプロとして夢を追いかけるというものという点から言える。 実際主人公と全く同じ道を進んできた人というのはいるかどうかはわからなけれど、サッカーにしろ他のものにしろ、地道に努力を重ね,また楽しいこと・辛い逆境など様々な壁にぶつかっても起き上がりあきらめさえしなければ、どんなに自分の置かれる環境下が厳しくとも夢をつかみとれるのだとサッカーのプロを目指し,志す者たちにエールを送っているとも考えられる。 だからこれを違うジャンルでも置き換えることができる。 「ロッキー・ザ・ファイナル」での言葉にもあるように「自分をあきらめない」よう心がければよは自分の目指す道やなりたいもの、やりたいことはどんなに障害が目の前に立ちはだかろうと努力を惜しまなければきっと夢が実現する。
 主人公サンティはその才能が認められプロのサッカー選手としてイギリスで活躍するようになった。 そして所属するチームのファンからも熱い声援を送られていた。 そんなあるとき、なんと思いも寄らない夢のような知らせが彼の耳に入ってきた。それはあのスター選手たちが揃うレアル・マドリードからの誘いだった! サンティはスター揃いの銀河系軍団の中に飛び込むことになる。 そこにはデイヴィッド・ベッカム選手をはじめとする世界中で脚光をあびる実力派の選手がいた。 サンティは一つ夢を実現させたのである。 一足先にレアルに参加してイギリス時代からの仲間ガバンと共にサッカーの頂点を目指す。 ますます人々から注目されるようになったサンティ、だが彼には超えるべき壁が待ち構えていた。 それは恋人ロズとの関係・距離、そして今まで離れ離れだった実の母親の存在だった。 サンティは一流のサッカー選手の一員の自分と一人の人間としての自分との間でゆれる。 それは新たに課せられた彼への試練だった。
 この映画のおもしろいところはサッカーという媒体の部分だけではない。 もちろんスター選手たちの登場にもある。 そして個人的に大きいのは主人公サンティが選手として確実にステップアップしていくとともに彼に襲い掛かる逆境とどう向き合うか、あるいはどう切り抜け,選手として、また人間としてどう成長していくかにある。
 人はチャンスをつかんだときひたすらその夢を追いかける。それはそれぞれにとって素晴らしいこと。 しかしそうすることで大切なことやもの、人を見失いそうになることもある。 夢に近づけば近づくほど試練が自身に課せられる、オンとオフとの両立というものである。 それが第二章のメインだと思う。 両方をバランスよく分けること、両立させることは難しい。 だけどそれを志すと言うものが人生だ。 サンティはプロになりはじめて心がゆれ,彼自身の中に迷いのようなものが生まれる。 そして葛藤。 けれどサンティには支えとなる人々とのつがりがあり、絆があった。 それが彼を動かす。
 サンティとガバン。 それぞれがそれぞれの抱えるものと戦う。 ガバンは中々成績をあげることできずにいる、サンティは不安定な気持ちと状況に陥っている。 しかし、一選手としての魂(、人間としての)は熱い。 そこから吹き出るものが彼らに力を授け.困難に立ち向かう力を与えるのだ。
 サッカーの試合の場面は迫力がある。 選手が走り,ボールを蹴り 弾む音、きめ細かく機敏に動く選手たちのその映像はリアルを表現し臨場感があふれる。

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by jd69sparrow | 2007-06-19 01:55 | 映画タイトル か行

ゴーストライダー

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 夜の闇につつまれたとき、髑髏の頭をした“ライダー”が現れる。 それはまるで悪魔の使いのよう。 彼の名は“ゴーストライダー”、その頭は炎でつつまれ,手にした鎖の鞭を打ち鳴らし悪なるものに制裁をくだすヒーローなのだ。マーベルコミックから生まれたホラーチックなヒーロー・アクションムービー。 ゴーストライダーことジョニーを演じるはニコラス・ケイジ、ヒロイン・ロクサーヌをエヴァ・メンデスが演じる。 これはジョニーとロクサーヌの愛を背景に描かれている。
 十数年前、ジョニーの少年時代。 彼は父親と共にバイクにまたがり大胆なパフォーマンスでショウに出演し,観客をわかせていたライダーであった。 父親が病にふしたとき悪魔メフィストがジョニーの前に現れる。 父親の身を案じていたジョニーは悪魔と契約を結ぶ。 月日が経ち大人に成長したジョニー、再びメフィストが現れ,ジョニーに使命を与える。 それは人間世界を危機に陥れ支配しようともくろむ悪魔ブラックハートをこらしめることだった。 ブラックハートは悪魔の世界の中で悪なのだ、それゆえ同じ悪魔であるメフィストとも敵対関係にある。 夜になるとジョニーは“ゴーストライダー”と化し,彼の愛車(バイク)もゴーストバイクとなり炎をふかし夜の街をかけめぐる。
 ジョニーには愛する人がいたそれは十数年前に分かれたロクサーヌである。 彼女に再会したジョニーは一度はあきらめた愛を取り戻すチャンスをえ、そして愛する彼女のため,戦うこととなる。 
 ゴーストライダーになったジョニーは悪魔のそのものにも見える。 ゴーストライダー、メフィスト、ブラックハート。三大悪魔が集結したかのようであえる。 みながみな,髑髏の顔を持ち 人の顔、悪魔の顔は表裏一体。 ゴーストライダーにブラックハート、その力は人間をいとも簡単に骸に変えてしまう恐ろしい力である。 この二人が違うところ、それはゴーストライダーには相手の瞳を見たとき,その中に悪あればそれを見抜く力があるところである。 ゴーストライダーの印象は荒削りなヒーロー。 その相棒であるバイク共に縦横無尽に悪を追うとき,破壊的に駆け巡るのだ。 姿は悪魔のようであるが、その正体はヒーローなのだ。 黒いジャケットに黒いパンツ、全身が黒でうめつくされるスタイルは闇と一体化し炎につつまれた髑髏の頭が際立つ。 そんなゴーストライダーがスケルトン(悪魔)カラーにそまったバイクに乗り,鎖の鞭を武器に悪魔と戦う(言い換えれば悪魔と悪魔の戦い)、そのシチュエーションがクールである。

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by jd69sparrow | 2007-06-07 18:04 | 映画タイトル か行

ゲゲゲの鬼太郎

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 「ゲゲゲの鬼太郎」は十年に一度のペースでテレビアニメ化がされ、実写版も過去に数回既に実現されているらしい。 2007年、新たに「鬼太郎」に命がふきこまれる。 五度目のテレビアニメ化になり、実写による劇場版が実現された。 CGが駆使され、妖怪の世界はリアルに再現されており、本当に人間社会のすぐそこには妖怪の住む世界があるかのようである。 古風な世界観を残しつつもビジュアル的に優れた現代がここに表れている。 まず,それは主人公の鬼太郎によく表れている。 ちょっとビジュアル系な感じのただよう鬼太郎。不思議なオーラをかもし出しつつも人間界と妖怪の世界との架け橋のような役目を担い,優しさと純粋さを持つ鬼太郎のイメージは変わらない。 恐ろしくもあるけれど どこか憎めない妖怪たちが勢ぞろいである。 その愛らしささえ感じることのできる妖怪たちは水木ワールドならではの特徴と言うべきだろうか。 どれだけのどんな妖怪たちが登場するのか。 もちろん、お馴染みのキャラクターも登場。 アニメや漫画とイラストでしか見たことのなかったキャラクターたちがどのように動くかというのは楽しみの一つ。 鬼太郎のまわりにいる目玉のオヤジやねずみ男、猫娘などメインとして出てくる妖怪たちのほかにも鬼太郎たちに関わりを持つ妖怪たち、また名前が紹介されずとも妖怪の不思議な世界を作り出している。 様々な個性と力を持った妖怪たちも一匹一匹見てみたいところである。 役を実際に演じる人、声で演じる人といるけれど目に映るところ、そして目、あるいは耳をよくこらすことでやっとわかるような各界からの出演者たちも注目すべきならば 作品の世界観や物語じだいも見るべきである。 妖怪には古くから伝えられるものが多くいる。 鬼太郎や目玉のオヤジは別として、その仲間である子なき爺は遠い昔から伝わる妖怪。
今回は妖狐たちが守る災いや強大な力を持つ「妖怪石」をめぐる物語である。
 時は現代、鬼太郎の暮らす世界へつなぐポストに一通の手紙が届く。 その手紙を見ると差出人には「三浦健太」と書かれていた。 差出人は小学生の少年である。 その内容は健太の暮らす団地に妙な事件が立て続けに起こり、その事件解決を鬼太郎に頼みたいというものであった。 人間の世界と妖怪の世界とを行き来するのは鬼太郎だけではない、“びびびのねずみ男”もその一人である。 ねずみ男は人間相手に悪徳な商売をする、金の関わる美味しい話には目が無いのだ。 ねずみ男は金欲しさに白く輝く宝石のようなものを見つけ,それをすぐさま金に変えてしまう。 「妖怪石」という古くから妖狐たちが守っていた邪悪な妖怪たちの怨念のつまった石であるとも知らずに。 封印されし場所から妖怪石が紛失したことで災いの影が忍びよる。 石は人の手に渡り、それを狙う妖怪たちが人間世界にやってくる。 その恐ろしい事件を聞いた鬼太郎はその一件に巻き込まれた健太や実花(健太の姉)のため、妖怪石のもたらす災いをふせぐため、立ち上がる。
 髪の毛針、霊毛ちゃんちゃんこ、リモコン下駄など鬼太郎ならではの必殺技が見られるほか、その仲間たちの技の数々も見ることができる。 しかし鬼太郎の持つ力や技はまだまだこんなものではなく、驚くような必殺技を多く持っているのだ。 目玉のオヤジのエピソード、バラエティに富んだ妖怪たち、細かな設定など「鬼太郎」の世界は奥深い。 話だけで聞くと人間からの以来を受けた鬼太郎がただ悪い妖怪たちをこらしめるヒーローアクションものにも思えるけれど 人間世界の家族の絆であったり、人間よりもはるかに長い時を生きる妖怪たちのつながりや付き合いであったりと妖怪関係(人間関係)が描かれていたりと物語じたいも「単純」であるとは言えない。 妖怪たちの愛らしさくる魅力やその世界のおもしろさもあるけれど、そうしたドラマがあるからこそ親しみ深く付き合える物語なのだろう。
 鬼太郎だけでなく、砂かけ婆や猫娘などが披露する戦いぶりや技を一つ見るのにも見ごたえがある。 それに一反木綿やぬりかべなどといった脇役たちも忘れてはならなない。 一反木綿は空を飛び、鬼太郎たちをいろいろな場所へといざない、ぬりかべもまた鬼太郎をサポートする頼りになる仲間である。 様々な妖怪たちを見ることも鬼太郎の世界へと入っていくのも楽しみなことなのだ。
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by jd69sparrow | 2007-05-06 23:57 | 映画タイトル か行