カテゴリ:映画タイトル か行( 75 )

この胸いっぱいの愛を

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 人はみな何度も後悔をしながら生きている。 あの時ああしていればよかった、こうするべきだったなんて考えてしまうことはよくあることだろう。 それがもしやり直せることができたらなんて思う。 訳もわからずただただ後悔をして悲しんで時に身を委ねてしまう。 そういったことで納得がいく答えを見つけ出したとしたらどんなに気持ちが良いことだろうか。 時を越え、過去を振り返る。 未来から過去へ、やってきた者たちは今まで心に抱えてきた疑問の答えを求め,また過去に遣り残してきたことを果たすため彼らは時を隔てて答えのある同じ世界,同じ場所にたどり着く。 彼らに共通すること、それはそういった後悔の念であったり疑問の答えであったりと何かしら心のどこかにひっかるる部分を持ち合わせしていることだ。
 2006年、主人公・比呂志は飛行機を使って出張にいく最中であった。 そこはかつて比呂志が幼い頃育った場所であった。 少年時代と何一つ変わらないその場所に懐かしむが自分の目の前を通り過ぎていった少年に見覚えがあった。 「オレだ!」、彼の目の前にいたのは20年前の自分だったのだ。 そこで比呂志は自分のいる場所が過去の世界であることを悟る、1986年であると。 飛行機にゆられていたはずの彼はふと気づくと時を越え,少年時代へとやってきたのである。 しかし過去へやってきたのは自分以外にもいるということを知る。 偶然同じ飛行機でしかも席も近くに居合わせた。 布川という少年、名前のとおり影の薄い臼井、そして目が不自由な老婦人・朋恵の三人である。 比呂志は20年前の世界で大好きだった人と再会する。 そして四人はそれぞれが望む人々・場所にタイムスリップしたのである。そして彼らは自分たちがそれぞれ過去へやってきたのかを知る。
 騒がしさのがありふれた未来から過去へとやってくる,言葉で表すとするならば“時を越える旅”、“時間旅行”といったところだろうか。 これもまた世にも不思議な世界観がある。 
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by jd69sparrow | 2007-04-06 00:18 | 映画タイトル か行

カサノバ

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 18世紀ヴェネツィア、愛に生きる男がいた。 その名はジャコモ・カサノバ,実在した人物である。 彼は生涯に想像を超える数の女たちと恋をしたのである。 恋という情熱にかられ 一度炎がつくととめることはできない。 恋の芸術家とでも言えようか。 そんなカサノバの物語を綴ったのがこの映画である。 水の都ヴェネツィアの美しい街並みをバックに真実の愛の物語が描かれる。 
 カサノバはたくさんの恋をした。 それゆえ彼はその行動ぶりから有名人であった。 胸に抱く相手は次から次へと変わりその勢いはとどまることは知らない。 美しい人を見つけると一直線なのだ。 ここで描かれる時代は厳しい社会のルールがあった、しかし追いかけられてもそう簡単につかむことができないのが彼なのだ。 追っ手から華麗にくぐり抜けてしまうというまるで怪盗のよう。 自由気ままな暮らしを楽しむカサノバであったが唯一救いの手をさしのべてくれるヴェネツィア総督に,追放をの命を免れるためにも結婚相手を探すこと言い渡される。そんな最中,彼を夢中にして止まない女性が現れる。 フランチェスカである。 彼女はカサノバとは正反対の考えと強い心の持ち主なのだ。 カサノバは自分を偽りながらも彼女へ心から惹かれてゆき,二人の間にはしだいに愛情が芽生え始める。
 「恋の多き人間というのは本当の愛を知らない」というのは本当かもしれない。 真を知らないために衝動にかられてしまう。 そしてカサノバの恋は長く続くことはなくその相手は次から次へと新しい人へと変わっていく。 彼の手中に落ちることなく,むしろそこに留まることを望まず敵としてカサノバを見たフランチェスカなわけである。 人は自分の生きてきた道を覆すような、あるいは自分の考えに反するような考えをもってぶつかってくるという相手には刺激と魅力というものを感じるということがいえると思う。 カサノバはフラチェスカにより本気で人を愛することを知る、それが自分の正体を隠してでも彼女からの愛を求めるという行動にうつさせたのかもしれない。 
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by jd69sparrow | 2007-03-16 19:31 | 映画タイトル か行

幸せのちから

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 「希望を捨てなければいつしか成功をつかめるときが訪れる」、 これは夢のような話と思えるかもしれない。 夢と思ってしまえばそれまでかもしれないが、けれど真実の言葉なのである。 それは実話であるからこそ説得力がある。 観る者の心に伝わってくるのだろう、また自らも頑張ろうという気持ちにさせてくれる。 どんな苦境にさらされても主人公クリスの息子クリストファーへの愛は変わらなかった、その経緯は彼の生きてきた環境が物語っている。 父親の愛と親子の絆の物語である。
 クリスは医療機器を販売するセールスマン、彼が売るのは骨密度を測れる優れものであるが
その贅沢さゆえに値が高く中々それを購入しようというクライアントはおらず二人の家族を養うのはとても困難だった。 そのため共働きをしなければならなかった。 そして生活も厳しくなっていき、クリスのビジネスも中々成果をあげられずじまい。 ついにはクリスの人生のパートナー(リンダ)も彼のもとから去ってしまう。 彼はクリストファーを手放すことだけはできなかった、父親のいない自分と同じ人生を息子に味わって欲しくなかったからだ。 息子のため自分のため,彼は汗して働くけれど,どん底へと追い込まれていってしまう、しかしある日高級車にのった男に出会い学歴のない自分にも企業へ就職するチャンスはつかめることを知り,クリスは歩みだした。
 日々働き普通に暮らしてきた生活からお金もなく絶望的なくらいの状況に陥ってしまう。 けれどクリスは少しでも残された可能性にかけ,クリスファーへ愛情をそそいでいた。 持ち前のユーモアと頭脳で仕事をえるための挑戦をし、息子への愛こそが彼をどんな困難からも救い,切り抜けていけられたのだと思う。 
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by jd69sparrow | 2007-02-17 18:34 | 映画タイトル か行

カーズ

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 仲間がいることの大切さを知らない一匹狼ライトニング、彼はレーシングカーでレーサーである。 ルーキーとして自信に満ち溢れるライトニングはその走りやスピードは誰にも負けないと信じていた。 チームメイトに頼ることもせず,ただ光の中で輝いていることを考えていた。 レースに出て勝利をおさめることがすべて。 ライトニングには心から友と呼べる仲間はいなかった。 レースで勝ち残った彼は優勝を決める大事なレースが控えていた。ライトニングは決勝戦が開催されるカリフォルニアに向かう道中、「ラジエーター・スプリングス」という小さな田舎町に迷い込む。 何が何でも目的の場所へ急ごうとあせるあまりアクシデントを起こし,町の道路をめちゃくちゃにしてしまう。 ライトニングは道路を自分で直すまで足止めさせられる。
 全てのキャラクターが乗り物であって生きている。 車たちが主役。 地上が舞台なだけに人間の社会がほぼそのまま形で乗り物が生きる社会になっている。 乗り物たちが動きまわるのこの世界は全体を見渡すと人間社会のように見える。 車仕様のところ、車の世界ならではと思える部分もあっておもしろい。 人間の生きる社会が動物や魚などの生き物、また車の世界で描かれているという発想、そしてそれぞれの世界ならではの個性がちゃんと活かされていてその一つ一つを発見していくのもまたおもしろい。
 時代の進歩で新しく便利なものが作られて閑散としているルート66のラジエーター・スプリングスの町、しかし町の住人たちはみな,温かく優しい車だった。 また明るさを失ってはいない。レースで勝つこと、自分のことにしか目がなかったライトニングは車の温かさを知り、そして仲間のいることの大切さやありがたさを知る。 一人ぼっちだた彼は本当の意味での仲間と出会い、他人を思える車として成長していく。 そして「勝つこと」が全てではないこと学ぶのである。
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by jd69sparrow | 2007-02-11 17:27 | 映画タイトル か行

キングコング

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 「指輪物語」をスクリーンに映し出したピーター・ジャクソンの映画の魔法で「キングコング」が21世紀に甦った。 スケールも高く,映像も迫力満点! 映画の技術が発達しつつある今,この物語を再び描くというのはとても見ごたえがある。 モンスター・パニック的な部分も大きいがこれはキングコングと一人の女性を主点とした切ない物語である。 人は身を守るために武器をとり,また珍しいものを人の目にさらしたがる。 登場人物の一人,カールの言葉に「世界にはまだまだ不思議なものがたくさんある」とあるようにその点においては今のこの世にも言えることであろう。 不思議なものへの探究心ははかりしれない、危険をおかすことになろうともその領域に足を踏み入れずにはいられない。 そんな欲が滅ぼされるべきではない命を滅ぼすことになってしまう。 主人公アンとキングコングの心のつながりが描かれている。
 映画のプロデューサーをするカールは映画命の男であるが、そんな彼の運もつきかけていた。 予算をつぎ込みにつぎ込むがそれは報われることもなく見捨てられたも等しかった。 それでもあきらめのつかないカールは映画をとるために女優を起用することにまず目をむけコメディアンの女優をスカウトし,脚本家も連れ,強引に映画の撮影のため船に乗る。 彼が目指すは“髑髏島”。 生きては帰れない危険度大の幻ともいうべき島へと向かう。 そこで彼は映画をとろうと考えたのだ。 島には多くの危険と大きな恐怖とがあり彼らを待ち受けていた。 主演の女優として選ばれたアンは“キングコング”と出会う。
 未知の世界、人々が去り,数百年前の過去から時が止まったその島で今や外から訪問者を近寄せつけない領域と化していた。 長い年月,人の手のくわわることのなかった大地では虫でさえが脅威そのもので人一人ではたちうちできないという,人が無力でしかない。 そんな危険そのもの世界においてもカールの自らの映画への執念深さは髑髏島の“巨大さ”くらい並々ならぬものである。 人に知られていない世界を追求しようという考えの中には説得力のある部分も見受けられる、しかし彼の野望はふくらみ異常にまで達する。 そして生まれる必要のない悲劇の種をまいてしまう、そう思えた。 
 “キングコング”には感情がある。 孤独であることに耐えられず恐れられるものになってしまったという人間的とも感じられる。 また、自分に立ち向かい向き合ってきた相手にキングコングは自分を孤独をとくものが見えたからこそ人に心を開いたのかもしれない。 人に近い生き物であるということも言えるだろう、人が感じることをキングコングも同じように感じ,理解ができるのだと思う。 アンが感じるものとキングコングの感じるものとがつながった瞬間、アンの自然への価値観が伝わった瞬間に美しさを感じずにはいられなかった。
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by jd69sparrow | 2007-02-03 01:37 | 映画タイトル か行

奇跡の人

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 この世に生を受けまもなくして熱病により視力も聴力も失ったヘレン・ケラー、そんな彼女に奇跡を起こさせるきっかけ作った人がアン・サリバンであった。 サリバン先生の必死な試みよりヘレンは言葉の意味を知る,奇跡と成長の物語。
 ヘレンは視力も聴力も幼いときに失い、その彼女の不自由さを思って彼女の両親たちは特別へレンを甘やかして育てた。 ヘレンは言葉を知らず,振る舞いも知らずに生きてきた。 そうして育ててきた両親だったがヘレンに教育を受けさせようと家庭教師を雇うことにした。 家庭教師としてヘレンの元にやってきたのはアン・サリバンという人に教えるという経験の浅い若い教師であった。 彼女は自由奔放に振舞うヘレンを見て両親たちによる娘に対する哀れみや甘やかしすぎている養育がそんなヘレンを作っているということを見抜く。 サリバン先生はヘレンを見ていくうちになんとしでもヘレンに言葉の持つ意味を教え,礼儀なるものを教えようと決心する。ヘレンとサリバン先生の奮闘が始まる。
 突然、家族以外の人間が目の前に現れ、自分の振る舞いを正そうとするサリバン先生に反抗を繰り返すばかり。 その力加減のすごさに頭を悩ませるサリバン先生であったが決してあきらめるということはしない。 その粘り強さとサリバン先生が次第にいだいていくヘレンへの愛情がヘレンを変える。そんな二人が正面から向き合いぶつかり合うさまが力強く感じられる。 ヘレンは話すことができず,態度でしか意思表示をすることができない、しかし学ぶ力があった。何度も何度もサリバン先生に抵抗をするけれど彼女の教えることを少しずつ学びとっていく。 その様子が,その過程が奇跡への道のりのように思えた。
 サリバン先生は投げ出したりはせずいつもへレンに真正面から向き合った、まるで家族のように。 全力でぶつかり合い,そして行動を常に起こしていく姿勢でヘレンへの教育を取り組み,見捨てたりはしない、ここにサリバン先生のヘレンへの愛情の大きさがうかがえる。
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by jd69sparrow | 2007-01-03 00:05 | 映画タイトル か行

きみに読む物語

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 デュークとなる老人は自らを“平凡な人生を送ってきたが、一つ誰にも負けないことがある…それは一人の女性を命がけで愛した”ということだった。 彼はその一つの誇りで心を満たしてるとも言う。 彼の目の前には一人の上品な老女がいて彼はその彼女にある物語を“奇跡の愛”の物語を読み聞かせる、そんな映画である。 デュークにとってその物語は永遠で現在,未来,過去なのである。 一生変わることのない純粋な恋の物語。 恋の物語を読んで聞かせるという話、それはとても素敵な進むにつれて続きがいてもたってもいられないくらい気になるようなロマンティックなものであった。 その老女のためにデュークはページを一ページ一ページ,ゆっくりと内容豊かに穏やかで優しい口調で読み聞かせる,それだけでもなんだか素敵な感じがする。
 デュークとなのる老人の素顔はノアといった。 彼は老女にどうしても物語を聞かせてあげたかった、彼女のためと彼の願いのために物語を読み聞かせ始めるのであった。 ノアにとってもその老女にとっても素敵な物語である。 その物語とはノア自身の物語と真実で、彼は青年だった頃から変わらぬ愛を持ち続けている一人の女性についてを読み聞かせ,その思い出をふりかえるのであった。 ノアは友人であるフィンを通して知り合ったアリーという女性に一目ぼれ、彼の目はその瞬間からアリー以外映し出さなくなった。 ただひたすら彼女のことだけをずっとずっと純粋に愛をいだきつづけるノアのひたむきさに心が揺さぶれる。 また、ノアがまっすぐな愛情をそそぐと同じくアリーにとってもノアは唯一な存在へと変わっていく。
 しかし二人の間には大きな壁があった、それはあまりにもかけ離れた育ちにある。 ノアは田舎育ちで稼ぎも少なくつつましい生活を送っていて、アリーは都会育ちで豊かな家庭の育ちなのである。 当時の風習的なことだったのかもわからないが人と人が結婚するのに育ちや職業がものを言ったようだ。 貴族が存在していた時代は身分が違いことにはとりわけ厳しかったことだろう。 今でも相手がどういう仕事を持っていてどんな育ちにあるのかということは少なからずきっとまだ残っているのではないかと思う。 それは完全に否定することはできないし、多少は仕方ないことなのかもしれないという部分もあるかもしれない。 でも愛は奇跡を起こせるのだとそう感じさせられた。
 悲しい事実、楽しく純粋に相手を思っていた思い出、愛の奇跡をつづるノアとアリーの真実の愛の物語。 ノアが切実に願い、奇跡を信じ続けたひたむきさに,そしてノアがアリーにそそぐ愛の深さに感動である。
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by jd69sparrow | 2006-12-18 00:53 | 映画タイトル か行

クラッシュ

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 今日から昨日、昨日から明日へと向かうストーリー。 はじめに一つ,事が起きる。 それは序章であって終章でもある。 これから展開していく話をここで強く印象付けて物語へと引き込んでいく、そういった仕組みでできている映画だと思った。 幕が開け、事件が起きてそこにいたるまでの過程を描くのが特徴と言えるだろう。 物語には様々な始まり方があって、現在から未来へであったり、過去から現在であったりだとか時間の設定さまざまである。 大きく分ければそんなところだと思われる。 話の展開の仕方も大きく分かれる。 エキサイティングな気持ちを重視に追及されるもの、真実を追い続け,次第に明らかにされていくもの、何でもありでノリでつっきるものもある。 多くの登場人物たちが交じり合う,関わりあう内容構成となっているのだ。 登場人物一人一人にはそれぞれのタイムラインがあって、それは一つのラインに混じりあっていている。 主として現在にいたるまでの彼らの物語を一つ一つをまるでお店でいろいろな種類の商品をじっくり眺めるかのようである、あるいは複数のモニターを常に見ているかのようである。モニターの数は登場人物の数だけあってモニターの一つ一つでは彼らの物語が展開され映し出されている。 スイッチを押すと自分の目の前のビジョン、あるいはモニターにはそのうちの一人の物語が映し出されるといった具合に見える。
 社会は不条理の重なりの上に成り立っていてる。 正義を貫こうとしてもそれが無にしかならないこともあり、通用しない。 人はこのような社会の中に生き,衝動にかられたり怒ったりする。だけどその原因がわからないでいる。 それはきっと人と人との心のぶつかり合いがなくなりつつあるから。 “せわしい街中にいけばぶつかるが心と心がぶつかりあうことがない”とこの作品は言っている。 遠慮をする、我慢をする、解決のめどをたたせることなく流してしまう,などなど人は心をぶつけあうことを失っている,あるいは忘れてしまっていると言ってもいいかもしれない。人が感情におしつぶれてしまう、その源がわからないのはそういったぶつかりを求めているからではないだろうかということもこの物語の中で読み取られるし、実際そう物語っている。 そういった現実が登場人物たちの口から語られている。 “人はぶつかりあいたのだ”ということが物語を動かしていると思う。 そういうことが今まさに人には必要でそうすることで相手をまっすぐ見ることもできるのだ。 
 心に残るのは後半の場面。それは“人間というものがおもしろい”という全体からしたら小さな場面である。 何のつながりもないような人どうしがつがっている、共通点がある。 それはすごくおもしろいと思う。 それに気づいたときというのは嬉しいことだろう。 一瞬にして終わってしまう場面なのにすごく惹きつけられるところだった。 さらにもう一つは直接何かをしたのではなくても自分がしてきたことが誰かに刃をくだしてしまうということ。 これも印象深い場面の一つ。 直接刃を突き刺したことももちろんであるが、自分のしてきた行為が(,間接的に)人の命を奪ってしまったということがわかったときほど、罪悪感を感じることはないのではと思う。
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by jd69sparrow | 2006-11-26 16:10 | 映画タイトル か行

クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの冒険

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 「クレヨンしんちゃん」は決して子供向けに限るわけではない。 もちろん主人公は5歳児の幼稚園に通う子供であるのでどちらかといえば大人というより子供がよく見るものであるのは確かであろう。 しかし、そんなアニメーションであっても大人の感動のツボをつくのがうまく、さらに物語の中につまっている何かが引き寄せるのである。 主人公のキャラクターも大人の意表をつくものであると思う。 主人公野原しんのすけは年相応の子供らしさも兼ね備えるキャラクターであるが大人顔まけな部分も多いと思う。 最近思うのが、ふざけていてボケているようなのにするどいところはとてもするどいし、賢いとさえ感じる。 それは何気ない一言だったりするのだが、ズバリポイントをついているのだ。 また、しんちゃんが惹かれるものもまた,子供的なところと大人の男の人の視点なものがある、ただ愉快すぎるというところでは終わらない。 この主人公を見ていると「こんな子、実際にはいないだろう」と最初は思う。 がしかし、最近の子供を見ているとしんちゃんほどとは言えないしてもあながち現実離れはしていないのではないだろうか。 ちょっと生意気なところ、するどいところ,今までは考えられなかった子供らしからぬ面などなど、いくつか現実としんちゃんの世界との間に共通点を見出せることだろう。
 しんちゃんは幼稚園の遠足で遊園地「ヘンダーランド」に行く。 そこはヘンダーランドの世界の住人たちがそれぞれのアトラクションであったりパーク内にいて子供たちは大喜び。 そんな中しんちゃんは不思議な人形のあるまだ公開されていないアトラクション施設へと迷いこんでしまう。 そこでしんちゃんはネジのついた人形を見る。 そこでヘンダーランドの知られざるところを目撃したしんちゃんは事件に巻き込まれていく。 悪が存在していたのだ。 悪を消し去ることを頼まれたしんちゃんの冒険の物語である。
 しんちゃんの映画というのは平和でほのぼのとした日常からどこか遠くへ出かけると不思議な領域へとしんちゃんたちが足を踏み入れることで物語が始まる。 そしてしんちゃんの家族が家族ぐるみで事件に巻き込まれ(また,しんちゃんの友達も含めて)、力をあわせて悪と戦うというもの。 しんちゃんたちが戦う悪というのはいつもユーモアであふれていておバカかな感じがするもので、笑いどころも満載。 普段のおバカなしんちゃんが子供らしさが表れ,輝いた瞬間や大切な友達や家族のために敵と立ち向かう瞬間がすごくおもしろいし,心が揺さぶられる。
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by jd69sparrow | 2006-11-23 18:36 | 映画タイトル か行

クリムゾン・リバー

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 ニーマンス警部の事件簿。 彼の巻き込まれる事件は謎につつまれた不気味で残酷な事件なのである。 彼は一匹狼的で堅物な刑事であるが実は犬嫌い。犬を目の前にしただけで固まってしまうほど、察するにその理由というのも彼のイメージからは想像できない笑い話のようなものではないだろうか。 そんな一面がニーマンスの堅く気難しい印象を和らげ、親しみに似たものを感じさせるのだろう。 彼の相棒は彼のいる地域に赴任したばかりの警部補マックス。 短気で熱くなりやすい男だが体術に長け、優秀な刑事なのだ。 彼らは奇怪な連続殺人事件の真相を迫っていく。 複雑にからみあった事件の糸、ニーマンスとマックスはその糸をほどくことで事件を解き明かしていくのだ、からみあった糸の奥には事件の謎の鍵が隠されているのだと思う。 事件の裏に隠された組織の存在、その謎の組織が奇怪な事件と深く関与していて ニーマンスたちの影にひそみ,時には襲ってくる静かなる敵がいる。 これがこの作品の特徴のようにも思う。
 ニーマンス警部は謎で奇怪な方法で起こった事件を知り、事件の真相を解くための強力な協力者に出会い、事件を追っていく中で同じ事件を追う刑事に出会う。それが警部補マックスである。 事件に関わっていくことにより彼ら自身の身にも死に落ちかねない危険がどんどんと襲い掛かってくる。 無言で近づいてくる敵の魔の手が彼らに触れる。 その先に見えたものはまさかまさかの驚愕の真実だった。 
 ジャン・レノ、ヴァンサン・カッセルの二大スターが共演。 彼らに共通するのは彼らの選ぶキャラクターにあり,悪役と良い役との両方がこなせ、その役が例えスナイパーだとしてもいい味を出し,悪役にしても濃い味を残し 時には魅力さえ感じさせてしまうように見せるということだと個人的には思うのである。
 物語で見れるミステリアスさはこの作品の魅力でもある。思わずぞっとしてしまうような被害者たちの末路。 何かの儀式のあとのようにそれらは発見されるのである。 そこが不気味さをよりいっそう増させるのだ。 ちょっと恐ろしいけれど見てしまう、あるいは先が気になる,というおもしろさが味わえる映画。
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by jd69sparrow | 2006-08-29 00:15 | 映画タイトル か行