カテゴリ:ドラマ・その他( 44 )

劇団四季『ライオンキング』

d0058606_22304310.jpg
<イントロダクション>
 ミュージカル、映画ともに不朽の名作と言えるだろう。 そして何度見ても感動のできる作品だ。 今回で鑑賞するのは二回目、そして,劇団四季のミュージカルで一番最初に見たのがこの作品である。 劇場の扉を開けて見た景色はわりとこじんまりとした印象にも関わらず、空間を上手く利用し,また舞台装置にもかなり手が込んでいる、さらに作品じたいも映画版に劣らぬ感動があるという最高のエンターテインメントというのが私の個人的な感想である。 舞台でしか見れない数々の演出…このドラマティックな物語をライブで見るという楽しさはテレビ画面通してでは決して100%で味わうことは難しいであろう。 舞台版「ライオンキング」を手がけた演出家,ジュリー・ティモアがこだわったように着ぐるみではなく、役者の顔を見せる,パペットと生身の人との他にない演出が観る者を惹きつける最高傑作である。

<あらすじ>
 アフリカの大地、プライドランドには様々な動物たちが住んでいる。 その国を治めるのが百獣の王・ライオン。 プライドランドに新たなる命が生まれる。 それはムファサ王の子,シンバである。 シンバが次期王になるのは明らか。 けれど、シンバが王になるまでの道のりには様々な試練が待ち受けている。 ムファサの弟・スカーは自分を差し置いて王位を継承することになる,シンバを快くは思っていない。 力では王に劣るが、悪知恵に長けたスカーの策略でプライドランドは危機にさらされ、シンバも窮地に追いやられてしまう。
 そんなシンバに悲劇が訪れ、それはプライドランドにも大きな衝撃と打撃を与えた。 その責任が自分にあると思い込み,それがトラウマとなったシンバ。 王になる定めにあるシンバは、そのトラウマに苦悩し,葛藤しながらも成長し,乗り越えていく…。 単純に言えば、シンバが王になるまでの話である。

<感想>
 前回の鑑賞から四年くらいになる。 四年経った今でも、一番印象に残るのがこの作品の最大のテーマである,“サークル・オブ・ライフ”(生命の輪廻)である。 観客席を含めた劇場全体が舞台であることを感じさせる最初の場面だ。 映画でもとても印象的なところ。 ライフィキの第一声で一気に観客は「ライオンキング」の世界に入り込むことが出来る。 そして、あちらこちらで歌声が加わり,響きわたる。 この冒頭からのライブ感がなんともたまらない。 間近でその,工夫に工夫が重ねられた動物たちを見ることができる興奮は見終わった後も冷めやむことはない。 
 まず最初に言えるのが映画のコピーではないことだ。 話の大筋は同じだけれど、作り手の解釈により,よりドラマティックかつ深い内容に生まれ変わっている。 最大の違いはキャラクターの見せ方。 ミュージカルなのだから、当たり前と言えるかもしれないが,先も触れたように役者の顔が見れるのが,舞台版の楽しみ。 これがあるからこそ、子供から大人まで楽しめるのだと思う。 もしも、着ぐるみで構成されていたら 思い切り,子ども向けのショーになっていたことだろう。 個人的には、衣装やパペットももちろん,魅力的なのだが 毎回どんな役者がどのように演じるのかが楽しみなのだ。 その理由は演じ手によって違う味が出されるからというのはもちろんなのだが、スカー役の方がムファサを演じるという一例が見受けられるからだ。 現実にそれを味わうことができた。 役が違えば、発声の方法も異なることだろう。 タイプの違う,ムファサとスカーであれば尚更、その声の出し方をどう変えてくるのかという楽しみができる。 また、シンバの印象的な一こまとして挙げられるであろう,最後にプライドロックで叫ぶあの名場面も役者さんによってどんな風に聞こえてくるかという期待感も持てる。
 アフリカをよく知らない素人が言って説得力があるかどうか定かではないが、音楽から舞台のセットまで映画以上にアフリカを感じさせるものがある。 特に音楽。 これは完全に舞台版にしかない味。 調和の取れたハーモニーが異国の空気を漂わせる…。 かと言って、映画が劣るわけではない。 
 舞台装置。 プライドロック、像の墓場、ヌーの大群が押し寄せる峡谷、ジャングル…とあらゆる場面で次々と変わる舞台セットは数多くある。 この装置の数々がどう収められているかも気になるところだけれど、場面の変わる一瞬の間にどんなふうに動かされているかというのは想像は難しいけれど,何気ない場面一つにしてもたくさんの人たちがせわしくなく動いていると考えるとすごい。 プライドロック一つにしても、誰が回転しつつ舞台の下から登場すると想像しえただろうか。 製作の課程の書かれたジュリー・ティモアの著書にもあったが、映画のようにカメラで映し出されているかのような工夫がここに見られる。 他にもそういった場面が多々あるようだ。 象の墓場の場面での、象の骨の装置は丸み帯びた階段という印象を受けたが、それだけに留まらず 他にも仕掛けがあるし、ヌーの峡谷の場面での,ヌー大群の表現方法もさることながら,舞台を隅々まで使って表現されている。 どの場面にもあらゆる仕掛けがある。
 ダンスと言っても、様々な種類のもがあったけれど 一番印象に残ったのがハイエナのダンサーたちが舞台の中央で踊るモダンなダンスである。 バンザイやシェンジといった主軸のハイエナとは違ったスタイルのハイエナたちが,まるでストリートダンスかのようにかっこ良く舞台を彩るのである。 ハイエナというキャラクターじたいがとてもリアルに表現されているし、映画版のトリオを見ているかのようだ。 それに役者自身の表情の豊かさもよく見える。 
 衣装にも注目したい。 シンバとナラ、ムファサとスカー(とサラビ)との違い。 最大の違いは重量感。 シンバとナラはアクションが多いこともあってか,かなり動きやすく,ムファサたちに比べるとかなり軽量化されている印象だ。上から下まで。 このような言い方が適しているかはわからないけれど,年の功と若さという違いからくるものだとも考えられる。 頭にかぶるパペットはその役者が演じる動物を表す一番象徴的なものだと思うが、衣装にも作り手のその動物を表す意図が隠されていることを初めて知った。 尾はすぐわかるけれど ライオンの腹の部分の色合いにまで工夫がされているのに驚いた。 もちろん全体的な色もそうだが、細部にまでこだわって衣装がデザインされていると聞くとそこにプロのこだわりを感じる。
 シンバが子供から大人に成長を遂げた,初の場面も好きな場面の一つなのだが、その他にもいくつか印象的な場面がある。 シンバに王としての素質が目覚める瞬間とその課程、そして王となってプライドロックに上る場面などなど。 王の証が手渡され、プライドランドに響き渡る叫びをあげるが美しい。 
 自分が王になる存在だとうことを信じられない、過去を乗り切れずにいる…これは子供から大人へとなる私たち人間をそのまま投影した場面(これもどこかに記述があったかもしれないが)と思うととてもリアリティがあると思う。 
 生命の輪廻について考えてみる。 映画にもあったようにライオンがシマウマなど草食動物を食べ,ライオン
が死んだ後,その大地から生えた草を草食動物が食べるというような生命のサイクルもその一つであり、王の死の後、その子供がその王位を継ぐというのもその一つ。 一人(一匹)の王が誕生し、そしてその王から次期王が生まれるというサイクル、一つの命があらゆる生命ののもと成り立っているという仕組みなど“生命の輪廻”は作品の随所で表現されてる。 それらが私たちに語ることは今ある命は,様々な生命の輪廻のもと,成り立っている,大切なものなのだということだろう。
 舞台版「ライオンキング」が公開されるまでには作り手たちの激しい戦いと苦難があったそうだ。 ムファサの頭一つにしてもかなりの試行錯誤が重ねられたとのこと。 一つの作品が出来上がるのに,いかに苦労があるかを考えるともっとよく端から端まで見なくてはと思う。 不可能を可能にするというのが,今の時代に与えられた課題なのだろうか。 まさに舞台版「ライオンキング」の製作過程を読むとそんなふうに受け取れる。
 この先も変わらぬ楽しさを期待できることだろう。
[PR]

by jd69sparrow | 2009-09-17 22:53 | ドラマ・その他

Disney's Halloween in TDS

d0058606_1541329.jpg
 ディズニーシー初のハロウィーン・イベント。 これを見逃すわけには行かないと思い、行ってきました。 学生時代よくこの時季にランドのハロウィーンイベント行った…というか、今まで一番この時季にランドに行くことが多かったように思う。 今回、シーに行ったのはランドとは味の違うハロウィーンだということと、ただ単純に“ハロウィーン”というイベントが大好きだからだ。 だから、大学時代の英会話の授業でやったハロウィーンパーティはとても楽しかった。 西洋の国ではこちらの節分などの行事のように当たり前なことなのだと思うけれど、全く違う文化を味わうというのはとても新鮮なものだ。 そこでは、様々な衣装に着替えたネイティブの先生たちのもとへ行き,ゲームをしてお菓子をもらうというパーティをした。 
 それ以来だろうか。 ショッピングモールなどに行き、雑貨屋さんの店頭にハロウィーングッズがあると,自然とお店へ向かっている。 なぜハロウィーンが好きなのか。 いろいろ理由はあると思うけれど、やはり一番といえるのが“ジャック・O・ランタン”だろうか。 様々なジャック・O・ランタンが見れるし、そのどれもが可愛いものばかりである。 うまく言葉には表せないけれど、どのデコレーションもとても綺麗だ。

 ハロウィーン・イベントの開催一日目。 ちょうどこの日に休みだったため、行くことにした。 とは言っても、前回シーに行ったのが二ヶ月ちょっと前と最近だったため,イベントだけ楽しむために。 つまりは、ハロウィンのショーとパーク内に施されたデコレーションをカメラにおさめ、さらにハロウィーン限定のお土産を手に入れるということ。 だから、そんなに長居することはないだろうと思っていた。 が、しかし。 ディズニーの魔法にかかったということなのか、実際いたのはなんと7時間。 乗り物を一切乗らなかったのにも関わらず,それだけの長時間いるというのは,そうとしか言いようがないだろう。

 開園時間を過ぎてから行くことをあらかじめ,決めていたとは言え、十時半からのショーに間に合わず,舞浜の駅に着いたのはなんと十一時近く…。 次の別のショーを見るにしても時間があまったのでイクスピアリに行くことにした。 イクスピアリは今までに一度くらいしか行ったことがなく,しかもまともに歩き回ったことはなかった。 ショッピングモールから映画館までぐるぐる回った。 もちろん、ディズニーストアも。ここのストアはやはり他の店舗とは違う。 ハロウィンのガチャガチャなど初めてだ。 映画館とリンクしているのもなんだかいいなぁと。 映画のエリアは一つの町並みのようだ。
 ストア以外にもいろいろなお店があって、まるで異国にいるかのような味をかみ締められる場所が多々あり,思わずカメラを握った。 天気にも恵まれて,写真に映し出された風景はエキゾチックだった。

 そして、初めてディズニーリゾートラインに乗車した。 普通の乗車券一つにしても色が異なったりとか,デザインが凝っているし、電車の車体もその内部も最高だ。 ただ、一日券を買わなかったことにとても後悔している。 もしまた、乗れる機会があるのなら一日券にしよう。 一日券が良いことに気付いたのは電車に下車した後だったのだ。
 切符。 会社ごとに様々だが,私は電車の切符にとても興味がある。 東京メトロやゆりかもめのとてもデザインチックなのが特に。 ディズニーリゾートラインもしかり。 出来ることなら保存したいくらい。 全国各地にはきっとこのようなものがまだまだあるに違いないと思うと興味がそそられる。 

 開園時間が過ぎているにも関わらず、ちょっと列が出来ていた。 ゲートを通り,地球の噴水がある広場を抜けてその先にある、入口…ハロウィーンの垂れ幕?を見て期待で胸が膨らんだ。 そこからカメラを手放すことは出来なかった。
 ミステリアス・マスカレードの抽選の列に並んでいる最中でさえも。 平日だけれどそこそこ人は入っており、抽選会場の列はパークに入ってすぐの橋?のところからタワー・オブ・テラーの方にまでのびており,景色を楽しんだり,『ワンピース』を読みつつ,時間をつぶした。

 結局抽選に外れたが、会場外からでも見えたので良かった。 爪先立ちして,カメラを片手に持ちながらその場に立つのは辛かったけれど,デジタルカメラの性能のよさに感謝だ。 途中からだが、ミステリアス・マスカレードを見て、キャラクターグリーティングとマスカレードダンスも見れた。 
 お昼はスーベニア付きデザート二種類だけしか食べれなかったけれど、夢の国にそんなことは関係ない。空腹など忘れさせてくれるのだから。
 あとは、パーク内のあちこちのハロウィーンのデコレーションを取り捲った。 二回目のミステリアス・マスカレードを見る頃にデジカメが電池切れになってしまったので使い切りカメラを買ったほど写真を撮った。 おそらくは百枚近く撮ったことだろう。

 一眼レフカメラを持参していた人は多かったけれど、その中で驚いたのは女性が目立ったということだ。 一人で来ているのか二人で来ているのかは定かではないけれど,かなりの気合が入りようである。いろいろな角度から撮っているようだった。 恐るべき?,ディズニーファン。 お土産ショップの中でも写真を撮っている人がいて、商品にまでカメラを向けていたのには驚いた。 個人的に撮っているのだとしたら、いいのかよって思うけど。

 いつものことだけれど、お土産を買う時の私のお財布の紐は、かなり緩い。 軽く万を超える。 マスカレードマスク、キャンドル、ピンバッジ、絵葉書、Tシャツ、8周年グッズの置物と葉書、長袖の服、タンブラー、エコバック、写真たて、ミステリアス・マスカレードのCD…そんなところだろうか。 後は人にあげるお菓子類。 かなり買いすぎなのは百も承知だが,何故か買いすぎてしまう(汗)

 お昼前には入場し、出たのは夜の七時ごろ。次は出来れば、ランドに行きたい。
[PR]

by jd69sparrow | 2009-09-10 20:00 | ドラマ・その他

CATS キャッツ

d0058606_1353871.jpg
<イントロダクション>
 パフォーマンスとダンスのエンタテインメント・ショーというのがこのミュージカルの第一印象だ。 それだけでも見ごたえはあるが、猫たちをまるでコピーしたようなリアルを追求した役者さんたちが演じ、また 踊るというのがなんとも魅力的だ。
 “サーカスにディズニーランドが迷い込んだみたい”という言葉も納得がいく。 ディズニーリゾートで観るショーのエンタテインメント・ショーに匹敵するレベルの高さだ。 そして、なんと そのディズニーリゾート(ランド)と『キャッツ』は同い年というのだから驚きである。 『キャッツ』は歴史と伝統あるミュージカルなのだ。
 
<あらすじ>
 ジェリクル・キャッツたち24匹は年に一度の集会がある。 そこでは舞踏会と天上へあがり、本物の自由を得ることのできる,ただ一匹を選ぶという催しが行われる。 個性豊かな猫達の紹介を交えつつ,ドラマティックな展開が繰り広げられる。

<感想>
 劇場にはたいてい一階と二階とがあるが、どの場所にいても決して損はしない。 まさに会場全体がステージなのだから。 だからステージの目の前や通路側はより楽しい、かと言って中央であっても、キャッツたちの顔がはっきりと見れるという特典があるので充分に楽しめる。
 大仕掛けな舞台装置に演出の数々。 例えば、ステージと一部の客席とが回転するのが、期待をふくらませる。 アトラクションのようだ。 見えなかったところが見えるということ、また 一匹…また一匹と所々にいる猫達の登場を見ると心が躍る。 
 客席の方まで施された装飾はCATS視点で見た,ゴミである。 驚きなのが、思わぬところに出てくる“仕掛け”。 公演が行われる場所によって異なるというこだわりがある。 その土地の名産物や有名なものが“ゴミ”として紛れているのだ。 各地の『キャッツ』めぐりをし、“ゴミ”をじっくり見てみたくなる。 『キャッツ』の他にも,ご当地限定のものがある。 それは『ライオンキング』のラフィキがその土地の方言でセリフを言うというもの。 こうして、その土地にちなんだ何かを演出することで全国の人たちがこれらの作品を身近に,親しみやすく見ることができるわけで、劇団四季のこだわりとサービスというおもてなしはすごいと思う。
 明るかったり、コミカルなものや、サイレントなもの、悲しげなもの…etc 曲目によって雰囲気が変わり、また曲調も様々。 ミュージカルの特徴なのかもしれないが、実にバラエティに富んでいる。
 ソロも歌声が劇場と観る者の心に響き、魅力的だし,団体でのパフォーマンスはとても迫力があり、まさにダンスをモチーフにしたミュージカルの醍醐味である。 しかも、色とりどりの猫達が一箇所に集結するといころを見ると、“『キャッツ』を見に来たぞ!”という実感が湧く。 グループダンスは様々な形態で行われるのが楽しい。 途中でその人数が増えるもの、みんなで“作り上げた”と呼ぶべきものなどが印象に強く残った。 完全なソロである,バレエダンスの演目も素晴らしく,また心に残る,美しい舞がオス猫により披露され、魅了される。
 第一幕と二幕とがあるが、第一幕が終わろうという場面では美味しいところで区切り、“次回へ続く”というのがはっきりと表現され、「次がとても楽しみ」という気持ちになり、第二幕のはじまり,つまり第一幕と二幕のつなぎがとても上手く,よく出来ているのだ。
 猫は気まぐれで気ままというイメージがあるが、それだけではない。 そのイメージに一番近いのはラム・タム・タガー。 猫一匹一匹にはそれぞれの人生があって、猫達の物語は一見幻想世界の中に人間社会が投影されているのは、とても身近に感じさせると同時に作り手たちの人間的なメッセージが込められているという証拠。 人の社会を猫の世界に変え、そのメッセージを伝わりやすく、また受け入れやすく,社会的メッセージを伝えたいという作り手の気持ちが感じ取れる。 人間達と同じような社会が動物達の中にもあるのだろうと改めて思う。 信じたくなる。
 人それぞれが各々の夢に向かって走り、自由と人から認められることを求めているというメッセージがあって、出演者と会場とが一体化して楽しめ,観るたびにおもしろいミュージカルだと思う。

d0058606_1343675.gif
←クリックお願いします。
[PR]

by jd69sparrow | 2009-01-28 13:04 | ドラマ・その他

WICKED ウィキッド

d0058606_22302989.jpg
<イントロダクション>
 劇場へ一歩、足を踏み入れた瞬間 心が踊るような気持ちになるのというのはどんなに素敵ななことか。 もとはブロードウェイ、つまりは外国から来たものだから海外の作り手達のこだわりからくるものだろうけど、それにしても四季へ見に来るたび、作品が始まる前から劇場をあとにした帰り道まで…というか作品を見てしばらく,興奮が冷めることはない。
 “ウィキッド”は名作『オズの魔法使い』の序章であり,サイドストーリー的なものだと言える。 『オズ』の物語を“別の角度”から見た話。 悪者が実は、悪者ではないという,主人公と悪役とが逆転させたように作られていて、悪役とされていた人からの視点で物語を描くという,異色なアイディアが魅力である。
 題名にある“wicked”を調べると、“悪者”という訳がある。 “悪者”という概念について考えさせられる。 ある人、存在が“悪”と呼ばれるには理由があり、そこに至るまでの過程にスポットを当てたのが『ウィキッド』である。

<あらすじ>
 エルファバは生まれつき、肌が緑。 父親にさえ避けられるという辛い重荷を背負った,彼女は妹・ネッサローズとオズの国にあるシズ大学へ入る。 そこには自分とは正反対で、明るく まわりからちやほやされている,グリンダという同級生がいた。 エルファバとグリンダは初めて、会ったその日から、ぶつかりあい、つりあわない。 そんな二人は恐ろしい陰謀の渦に巻き込まれていくが、次第に友情が芽生え 絆を深めていく。 そして、それぞれが己が歩むべき未来へと向かっていく。

<感想>
 人間の社会の真実を語るのにファンタジーという素材を使うと言うのは、とても伝わりやすく、効果的だと思う。 その真実とは信じがたいものであwり、この物語はフィクションだが、ここで起こっていることが現実にもあったというのだから、“wicked”には説得力がある。 強い者が言えば、それがたとえ、偽りだとしても人々は信じてしまう。 もちろん、全ての人とは限らないけど、国を治める人が言った言葉には力があり、多くの人が真実だと思うだろう。 逆に、人々の上に立つ人間を信じられなくなったら、大変なことだ。
 かと言って、嘘を嘘のままにしていいわけではない。 だから、公表されている事実ばかりを見るのではなく、別の視点で見ることも大切なのだと物語は訴えているのかもしれない。 ウィキッド(悪者)と言われている人が本当にそうなのか疑ってみることも必要だと。
 エルファバはオズに対して、裏切ったとされるが、実はその逆。 夢が叶ったかに思えた,次の瞬間、策略の手助けをさせられたのだから。 その時の彼女が受けた衝撃は強かったかもしれないが、エルファバはとてもタフである。 どんなことがあっても、現実から逃げ出さない。 まわりからひどい仕打ちを受けても,へこたれないのはネッサローズとい守るべき,大切な存在があったからだろう。 辛いことがあっても、ひきずったり,振り返らずに自分が信じた道へ一直線。
 グリンダはオズの国民からすれば太陽。 希望の光。 愛されることを求める彼女にとって それは幸せであると同時に 重い責任を背負っていることとなり、「良い魔女」というレッテルの上で生きていかなくてはいけない。 振り返ったり,迷ったりはできないのだから、ある意味で辛い運命を背負っていることになる。
 世の中でウィキッドと言われる人には、本当にそうである人もいれば、ウィキッドにされてしまった人もいる。 また、“ウィキッド”という言葉は案外,身近といえる(パンフレット参照)。 私達の行動の中でよかったと思って、やったことでも見かたを変えれば “ウィキッド”かもしれない。
 『オズの魔法使い』が元になった話だが、オリジナリティが強い。 『オズ』に登場するキャラクターたちが様々な形で出てくるが、一人一人出てくるたびに嬉しくなる。
 『オズ』のキャラクターたちのエピソードが見れるからだろうか。 『オズ』に出てくる悪い魔女の素顔…こういう視点を見ると他の童話もこのような見方で見れたらおもしろいかもしれないし、見てみたくなる。
 一番印象に残ったのはエルファバの歌。 演じ手の声量と声域の広さの素晴らしさあって、クライマックスが盛り上がり、エルファバの思いがダイレクトに伝わってくるし、思いの強さを感じる。 エルファバの歌は太陽である。
 エルファバの魅力は歌だけではない。 と言うか、物語としての魅力と言うべきだろうか。 シズ大学に着たばかりの頃から次第に大人の女性として、美しく成長していくところも、良い意味で忘れがたい。 魔女らしいと言えばそうだし、女性らしいと言っても同じことが言える。
 衣装、歌、演出、そしてストーリー。 この四つが充実していてバランスが良い。 さらにそれぞれが互いに対し,劣ることなく、どれも素晴らしく最高である。
 悪者は人が作り出すもおで、本当に“悪者”と呼ばれる人がそうとは限らない。 正義が輝くためには割るが必要で、その悪がいない時 立場が低いもの,弱い者を悪者に仕立てるというのはその行為自体が“wicked”だ。 これが権力に魅せられた者たちの手で行われたことがあるという現実はあまりに恐ろしい。
 しかし、それをしりながらもエルファバは権力者の策略で悪者とされたことに逆らおうとはせず、そのレッテルの上を歩くことを決める強い人だと思う。 悪者と言われても、彼女にはそれが気にならない,上回る幸せがあって、自分が悪であることで人々が平和に暮らせるならそれでいいと考えたのかもしれない。

d0058606_1054254.gif
←クリックお願いします♪
[PR]

by jd69sparrow | 2009-01-21 22:28 | ドラマ・その他

イタリア旅行

d0058606_23135939.jpg

約一週間ほどイタリアに行って参りました。
初のヨーロッパで初の海外旅行。
イタリアと言えば、世界遺産の多い国。
建物とかもキレイだし、教会や聖堂もあちらこちらにある。
そんな魅力に惹かれたんです。

ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、そしてローマ。
オプション入れればナポリとピサも入る。
一言で感想述べるなら『大満足』。
スケジュールが詰まっているとは言え、この短期間でこれほど
まわれたのだから文句なし。

何を見たかというとバチカンのサン・ピエトロ教会やピサの斜塔、
ドゥモと呼ばれる大聖堂をいくつかなど、歴史的建物を中心としたものです。

印象に残ったこと。
イタリアの街というのは、日本の東京のように公共施設や道路が続くところもあるけど正直,すごいです。
今まで日本から出たというのはないに等しい自分にとっては
感動の連続でした。
聖堂やお城とかじゃなくてもあちらこちらに歴史のあると思われる建物群が並んでるのだから。 右を見ても左を見ても深みのある建物というのが多いです。
さすがヨーロッパ!と言うかイタリア!!
歴史的建物好きには刺激のある国です。

そんなイタリアがもともとは別々の国が集まってできた国だって
今回初めて知った。
ローマ出身なら“ローマ人です”って言うし,フィレンツェ出身なら“フィレンツェ人です”と答えるのだそうです。
ちなみに聞いた話をそのまま引用すれば、
イタリア人は陽気だってよく紹介されるけど
昔,イタリアの地で起こった戦争の関係でイタリア人は
人見知りなんだそうです。

ここでも『建物リサイクル』はあるし、
祖国の財産を守ることに力をかけているようである。
何より崩れてその残骸となった建物をその当時の形を残しながら
新しく建物としての生をあたえているってのが尊敬。

やっぱ日本も新しい建物を作ることより本気で
祖国の財産を守るべきだし、一人一人がそれを大切に思う心を持つべき。たまにそんな財産が汚されるというニュースを聞くと
胸が痛くなる。

街を歩き、歴史を見て、食事や買い物を楽しんで…
イタリアの魅力に満たされる卒業旅行でした。
とても一度ではその魅力を全て見渡すことはできない。
もしチャンスがあるのなら,礼儀としてみなされるくらい、イタリア語を覚えて少しでも自力でイタリアを見てまわりたい。

歴史を体感できる国、イタリア。
機会があったら、ぜひ行ってみてください。
観光、ショッピング、食事の三拍子で楽しめ,
心に残ります☆
[PR]

by jd69sparrow | 2008-03-06 23:14 | ドラマ・その他

日本アカデミー賞

2007年度の『日本アカデミー賞』が発表された。
特に見入っていたわけではないけれど、
最後の最優秀作品賞だけはチェック。
あとは、結果だけネットのニュースで見た。

ちなみに、受賞者ならびに受賞作品は…

最優秀作品賞
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

最優秀主演男優賞
吉岡秀隆『ALWAYS 続・三丁目の夕日』

最優秀主演女優賞
樹木希林『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

最優秀監督賞
松岡錠司『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

最優秀脚本賞
松尾スズキ『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

※その他の受賞者は こちら

*****

『ALWAYS 三丁目の夕日』が公開された年は『ALWAYS~』がすごい賞をもらってたような気がする。 そして今年は『ALWAYS~』の続編もさることながら、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』がなんと上にあげた受賞の他に助演男優賞に小林薫さんが受賞されるといった5部門での受賞があった。 ただ、オダギリジョーさんが男優賞受賞にならなかったのは惜しいように思う(だからと言って吉岡さんがどうのというわけではないけれど)。

今回もオダギリさんは一つ目立つものがありましたね~
100%普通にってことはないようで。

『東京タワー~』という作品も希林さんの演じるオカンも温かい。
だから、個人的には納得できるものだった(自分、偉そうだけど)
[PR]

by jd69sparrow | 2008-02-16 00:50 | ドラマ・その他

A Happy New Year in 2008

d0058606_21371112.jpg

皆様!!!


あけましておめでとうございます058.gif

今年もよろしくお願いします。

今日,この日が無事に迎えられたこと、本当に良かったと思います。

新たな一年が皆様にとって素敵な一年になることをお祈りします072.gif


*****

ちなみに、今日は早起きして初詣をし,初日の出を拝みました。

おみくじは『吉』。悪くはないかなぁって感じ。

上の写真は初日の出です。
d0058606_21422370.jpg

[PR]

by jd69sparrow | 2008-01-01 21:42 | ドラマ・その他

白虎隊(第二夜)

 若き武士たちの戦いと生き様を描いた「白虎隊」。 第一夜では白虎隊結成までを描いていている。 彼らがどのように支えられそこに行き着いたか、また,幕末を生きた白虎隊の若者たちがどんな時代に生き,まだどんな若者たちだったのかが紹介されている。 彼らの多くはあまりにも短い生涯を戦いの中で閉じ,散っていったが彼らは指揮するものに従い,そして後には自分たちの力で戦に立ち向かっていき,辛き戦いの中で武士らしく生き抜いていったのだ。 今の世とはあまりにも違うけれど、歴史は戦いを生き抜いた人々により語り継がれ,あるいは書物として残されたりしてその意志が伝えられていったからこそ戦乱の世から何百年もたった今でもこうして私たちはその出来事を,その時代の人々の生きた証を知ることができるのだ。 時代が違い,社会の色が変わっても人から人へと血が受け継がれ 立派な志をも持って終わりと遂げていった人々の誇り高き魂は今もなお人々の中で生きていると思う。
 白虎隊が始動した、彼らはやがて初陣を果たすこととなった。 それぞれの思いを胸に,会津を守るための戦へと旅立っていく。 彼らは会津の敵・薩長と剣を交えることとなる。 しかし、敵方の強さはとどまることを知らず会津は状況が不利になる一方でその力も衰えていってしまう。どんどん追い込まれてしまう中、会津を守る人々の胸には無念の気持ちがつもるばかりであった。 裏切りといった汚いことを嫌う会津はなんとしてでもその意志をまげることなく貫き通したいと最後の最後まで願っていただろう。 圧倒的な勢力の中、それを実現させることは困難であった。 白虎隊は、そして会津のために生きた人々は自分たちが苦しい時代に生きた証を残すことを思っていたに違いない。
 無念さこの上なく心に抱いた人々は自ら刃を彼ら自身に突き刺した。 そうして命をたっていった人々の誇りは高く、彼らにとっての生きる意義や死ぬことへの覚悟というのは武士の生き方そのもので そうやって生きていく道こそがその時代の“サムライ魂”。と言えよう。 白虎隊の隊士たちの生き方とその力は忘れてはならない。 立派な最後をとげていった若き男たちには確かに武士という名の日本の誇るべき侍の姿が映っていて,宿っていたのだ。
 なぜ彼らのような人々が屈していかなければならなかったのか、また滅びてしまわなければならなかったのか。 戦を好まず,戦がなくなることを願っていた人々はどの時代にもいてどの場所にもいたと思う。 しかしそういう考えを持った人々というのはその時代にむなしくもそぐわないことが常だったのではないだろうか。 しかし“どんな雨が降っていても、生きていれば必ず晴れる”という言葉が今の世を証明しているのではと思う。 その言葉は普遍的な真実を私たちに語りかけていると受け止められる。 どんなに時代が変わっても変わることのない青空のように,“よく生きた”という白虎隊や会津を守ってきた人々の意志と“会津魂”とがこれからも変わることなく生き続ければ良いと思う。 (自分が言うのもなんかもしれないが)そして何年、何十年、何百年たってもこうした事柄が語り継がれていくことを願う。
[PR]

by jd69sparrow | 2007-01-08 01:16 | ドラマ・その他

白虎隊(第一夜)

 幕末、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の時代。 このとき桂小五郎らのいる長州藩と西郷隆盛らのいる薩摩藩とが手を組み,薩長と同盟となり北の会津藩にとっては手ごわすぎる敵となる。日本は北と南とが対立する。 だが会津藩は明らかに不利な状況にあったが,“会津魂”を胸に秘めた会津藩は手をつくした。 このとき薩長に対抗するために作られたのが玄武隊でその中でもまだ若き男たちにより形成された隊が白虎隊である。 このとき、同じ旗の下で動いていたのが新選組で彼らもまた会津藩の藩主・松平容保に仕えた。 人々はまだ自由に自分の道を歩むことは許されなかった。 この時代に生きた男たちに課せられたのは“立派に生きて、立派に死ぬ”ことである。 戦で名誉ある死をとげたものこそが男たちにとって意味ある一生であって選ぶべき生き様だったのだと思う。 前編では白虎隊が結成されるまでの物語である。
 酒井峰治をはじめとする16、17歳の若者たちはみな武家の家柄で、会津という地を愛し,“会津魂”を信じ誇りとし志しとしていた。 彼らはその会津のために役に立つことも夢に見ていた。今回,中心となって描かれているのが白虎隊士・酒井峰治、伊東又八、篠田儀三郎である。 会津を取り仕切る松平容保の命により“白虎隊”という名が与えられ,会津のために戦えることとなった。 正義を信じるものたちにとってその正義のもと,自分たちが役に立てることが名誉にもあたいするほどの喜びだったに違いない。 白虎隊となった若者たちの初陣となる。
 峰治は母・しげに“立派に生涯を終える”ということをいつも教えられていた。 生きていくための選択肢はただそれだけで,それが当時の世の中であったようである。 しげはその信念を厳しく息子にいいつけつつも時代により自由に生きていくことをさせてあげられないことに悲しみを感じていたのだろう。 それはこの時代に生きる人々誰もの胸にあった思いであったのだろう。 白虎隊となる若者たちが強くなり,会津のため、家族のため何か役に立てることをしたいという思いがにじみでている。
[PR]

by jd69sparrow | 2007-01-07 01:36 | ドラマ・その他

悪魔が来たりて笛を吹く

 稲垣吾郎版“金田一耕助”シリーズ第四弾「悪魔が来たりて笛を吹く」、これは終戦まもない日本が舞台に描かれている。 金田一耕助のシリーズは数多くあり、2006年の暮れから2007年にかけて公開されている石坂浩二版“金田一耕助”シリーズ「犬神家の人々」が公開された、稲垣版“金田一耕助”シリーズは「犬神家の人々」に始まり,「八つ墓村」、「女王蜂」とドラマ化され、そして今回の「悪魔が来たりて笛を吹く」へと続いてる。 どの事件簿もまた「犬神家の人々」と同様,さまざまな役者によって映像化されている。 今回の事件簿は2つの事件が関わりあっている。 戦後の日本が舞台でさらに日本初のモンタージュ写真という時代背景がはっきりと描かれている。
 昭和二十二年、銀座にある宝石店で強盗殺人事件が発生した。 多数の犠牲者を出す卑劣な犯行による事件であった。 ちょうど同じ頃高貴な家柄の家でその子爵・椿英輔が自ら命をたつという事件が起きていた。 横溝氏が語ることを拒んだ事件の発端は椿と強盗殺人事件の犯人のモンタージュ写真の相似していることだった。 夜、月が光を大地におとす頃椿の娘・美禰子(みねこ)はもうこの世にいるはずない父親の姿を見る。 それは果たして本物なのか。 その謎が深まり金田一は美禰子からその疑問の真相を解き明かして欲しいという依頼を受ける。 静寂が訪れ,恐怖が忍び寄る頃,不気味と聴こえるのが椿の吹く笛(フルート)の音色,“悪魔が来たりて笛を吹く”であった。 そして次々と事件が起きていく。
 今回、鍵となってくるのが椿がつくったその曲と椿家と椿の妻・秋子の実家である玉虫家とに隠された真実にある。 どちらにも深いものが含まれているのだ。 その両家の間に隠された事実が悪魔をつくり、悲劇をももたらす。 その関わりを持つ人々は思いもよらぬ衝撃な事実による恐怖の渦中に巻き込まれ,戒められていく。 恐ろしくも偶然が重なりあうことで事件解決に困難を虐げられ、金田一は頭をかかえてしまう。 一つの屋敷で暮らす椿家と玉虫家の人々は炎のようにかたどられた悪魔の紋章のような印にとてつもない恐怖を感じ脅かされる。 そしてさらにそれに脅かされるという結果に
[PR]

by jd69sparrow | 2007-01-06 01:55 | ドラマ・その他