カテゴリ:ドラマ・その他( 44 )

A Happy New Year!!

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 あけましておめでとうございます!! 今年もよろしくお願いいたします。 2006年は大変お世話になりました。 昨年はご訪問やコメントなど多くしていただき誠にありがとうございます!! 感謝感謝です☆ 今年の十二支は“”!十二ある干支が今年はアンカー、一周しました。 来年は新しく十二支のリレーが始まります。 今年もどんどん映画を映画館で見て,レンタルで見て,テレビで見ていこうと思います。 今年一年みなさまにとって幸せな一年でありますように☆
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by jd69sparrow | 2007-01-01 15:44 | ドラマ・その他

2006年、今年一年。

 2006年、今年も映画は熱かった...。 ハリウッド映画をさることながら日本映画も熱いものであり、ハリウッド映画に負けない勢い!! はじめは「THE 有頂天ホテル」からはじまり、「大奥」に終わった一年でした。 映画全体において、続編が多くみうけられた。 それは「マスク・オブ・ゾロ」の続編「レジェンド・オブ・ゾロ」、ディズニー映画で数年前にヒットしたディズニーアトラクションを映画化した「パイレーツ・オブ・カリビアン」の続編「デッドマンズ・チェスト」、漫画から映画化された「NANA」の続編「NANA2」、「X-MEN」の最終章「ファイナル・デシジョン」など数多くあった。 さらに一年のうちに前編・後編を一挙に公開するというものもあった。「デスノート」である。 
 漫画の映像化もたくさん見られ、「NANA」や「デスノート」などが言える(「大奥」もその一例にあげられるだろうか)。 そして漫画の映画と言えば「X-MEN」などいったアメコミからの映画化もあげられるだろう。 本からの映画化では「007/カジノ・ロワイヤル」や「手紙」などが記憶に新しい。 今、原作があっての映画がどんどん映像となり、それは映画でもテレビドラマでも見られる。 来年もさらにこの勢いは増すことと思う。 小説からの映像化というのは以前から見られていたが、漫画が映画になったりテレビドラマになるというのはここ数年のことであり,映画だけではなく漫画の世界もまた勢いにのっていると言えよう。 来年以降もよりいっそう期待がかかる。
 キャストを新たに、今までシリーズとして映画史に名を刻んできた作品が再びスクリーンに帰ってくることもあり、「スーパーマン」の新章「スーパーマン・リターンズ」、「007」シリーズの原点にもどった作品「カジノ・ロワイヤル」がある。  「スーパーマン リターンズ」ではスーパーマン誕生の話、「007/カジノ・ロワイヤル」は主人公ジェイムズ・ボンドが“007”に昇格し最初の任務につくというどちらも“第一話”をリニューアルされたり、描かれていなかった最初の話が作られたりである。 「犬神家の一族」のように以前演じた役者による再演もあった、同じ作品を同じ監督と同じ主演役者というものである。
 2007年の映画も期待がかかる。 「ラッキーナンバー7」、ジョシュ・ハートネットとブルース・ウィリスの共演が衝撃作である。 さらにトニー・レオンとアンディ・ラウが競演した「インファナル・アフェア」のリメイク作「ディパーテッド」、ウィル・スミスの初の息子と共演の「幸せのちから」などがある。 漫画からの映画化作品では 手塚治虫原作のアニメの実写版「どろろ」、オダギリ・ジョー主演の実写版「蟲師」、「ゲゲゲの鬼太郎」の実写版、アメリカン・コミックから「ゴースト・ライダー」や「スパイダーマン3」などなど。 原作つきの映画ではドラマ化にもされた「東京タワー オカンとボクと、時々オトン」、そして続編の期待作では「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」というラインナップとなっている。
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by jd69sparrow | 2006-12-31 12:57 | ドラマ・その他

The Twilight Zone Monsters are due on Maple Street

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 1960年代に放送されたテレビ・シリーズ「トライライト・ゾーン」は日本では「ミステリー・ゾーン」の名で知られている。 サブタイトルの“Monsters are due on Maple Street”「怪物たちがメープル通り(の上)にやってくる」という訳というふうな訳と聞いている。 「異星人の静かなる侵略」という訳ともとれそうである。 わずか三十分のドラマであるがそこで取り扱われているものは人間そのものを表していて不変な事実が語られている。 時代が変わっても人間の原理というものは変わらぬものがあるのだと思う。 40年前に放送された「トワイライト・ゾーン」はもちろん、(あまり多くは知らないけれど)文学史に残る作家たちが残した作品で登場する人物たちの思想もその作品が書かれた時代に固定されたものではないものがある。
 西洋の映画には引用される部分が多いという。 それは聖書だったり、歴史で起こった事実からくるものがある。 最近の映画だと映画の名作からの引用もある。 それは登場人物が自然に話す言葉の中に含ませている。 このドラマの中にもそれは多くある。 ところどころに過去に起こった出来事の例えがされている。 だからセリフ一つ一つがストレートに入ってくるのだ。 セリフはどんなものであるかによって一瞬で通り過ぎ行くものととどまるものとに分かれるけれど、ここではセリフが入るたびに思い浮かぶものがあり、考えさせられるものもある。
 メープル通り、それはどこにでもあるような平凡な町。 人々は電気に囲まれた中で生活していて今もそうである。 生活には電気はかかせないほど科学技術が発展している世の中ではそれなくては生きてはいけないほどまでに至っている。 だから人々がしていく中の電気は必需品、つまり人間の急所と言えるだろう。 世界の頂点にあるアメリカなどなおさらその急所をつかれることへの打撃は強いはず。 
 宇宙人がメープル通りに到来し、電気がたたれることで人々はパニックにおちいる。 宇宙人は直接ではなく間接的に,また音もなく人々を襲撃するのである。 直接何をするでもなく、宇宙人たちは人を陥れるというのは直接刃をかけるよりもずっと恐ろしくぞっとさせる非道さがあるように思える。
 短い時間の中にこれだけのものを圧縮し、色濃く見るものの心に残すところはすごい。 短いだけに集中力が切れることなく見ることができるし、テーマもしっかりまとまっているので見ごたえ的には抜群といえよう。 人の心の奥にある恐怖に対する概念が自らを破滅に追いやるという事実の表明、にわかに信じがたく,受け入れがく重いけれどこれが真実なのだ。
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by jd69sparrow | 2006-12-08 18:18 | ドラマ・その他

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

 この話は“オカンとボクと、時々、オトン”とあるように主人公の母親栄子と主人公・雅也と時々でてくる主人公の父親の話である。 家族とそのまわりの温かい人々との風景がなんとも和やかでその雰囲気・様子じたいがとても温かい。 まるで秋から冬にかけて食べるホクホクの焼きいもを食べているかのよう。 そんな温かな物語なのだ。 “オカンとボク”の物語は雅也の子供時代から始まっていた。 田舎で暮らしてきた母親と息子、いつしか二人は東京で暮らすようになった。 素朴でありながらもいつ温かみは消えることなく雅也の胸に生きていた。
 雅也のとなりにはいつも母親(以下、オカン)がいて、それは例え遠く離れていても隣にそっと腰掛けているかのように存在そのものが彼のとなりにいたのだと思う。 雅也はオカンが大好きな子供だったのだ。 雅也にとってオカンがいることが当たり前で、近くにいても遠くにいてもオカンに甘えてしまう雅也、また,息子が自分を頼りにして甘えてくれることがとても嬉しい母親。どちらも心優しく,どちらにとっても,お互いが特別だった。 田舎で暮らしていた雅也は東京へ出て夢を追う、オカンは遠い雅也の故郷から息子を見守っている。 オカンは息子も,息子の知り合いも,大事に思い、みながみな家族のように見ていたように思う。 例え、苦しいことがあっても表に出さないオカンはいつも幸せそうでオカンのいる空間は涼しくなることを知らなかった。親をとても大事に思う息子も、息子のために何かをすることに喜びを感じ,(それは生きがいといってもよいだろう)常に何か人に役立てることを考え、のんびり過ごしているオカン。
 主人公の少年時代から大人になってからをずっとを描き、現代から過去へと思い返す。 オカンは息子に厳しくあたることもなく,叱ることもなく,感情をみだすこともない。 また、グチをこぼしたり弱みを見せることを避けてきた。 オカンは雅也に、そしてみんなに変わらぬ姿、自分でありたいと願い,そうしたのだと思う。 雅也にとってのオカン。 雅也は大人になって変わった面もある、しかし子供時代から絵を描くことが大好きで、また母親が大好きであったのは変わらず今も彼の中にある。 社会で行き、それで少し変わったりもしたけれど根元は少年時代から変わることがなかったよう。 
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by jd69sparrow | 2006-11-28 23:52 | ドラマ・その他

信長の棺(ドラマ版)

 日本史というは一生の中で一つの勉強の科目として勉強するものであり、教科書で知ることのできるのはその時代で起こったという事柄を知ることである。 しかしそれ以上,そこから先のことや深みを知ることもできる。それは本を読むことであったり、時代劇を見ることなどである。 あるいは歴史上深く関わりのある場所へ訪れることである。 多く知られている歴史の中でもあまり知られていない事実がある。 「信長の棺」では今まで多く知られてきたことをくつがえす事実が描かれている。それは主人公太田牛一により語られる推理時代劇である。 歴史を後世にそのまま,ありのままを伝えようとする者がいて、さらにそれを妨げようとする者がいる。 その二つの存在により歴史の表裏ができるのだろう。 歴史の裏側を知ることはとても興味深いことである。 個人的には一般に多く知られている歴史には裏というものがつきものであり、今もどこかで人知れず眠っているのではないかと思う。
 話は安土城が完成した直後、そして織田信長が本能寺にて明智光秀により命が奪われる前より始まる。 主人公太田牛一は織田信長に仕える者の一人であり、あるとき信長の口よりあることを耳にする。 しかし本能寺へと入った信長は明智光秀の手で命を奪われてしまう。 その事実を知らされた牛一には疑問が残った。 “信長は本当に本能寺で死んだのか?” 実際、牛一の耳に入った信長の死には謎があったのである、それは本能寺から信長の遺骸が出てこなかったということ。 牛一は信長を敬愛し、忠実であった。 牛一はその信長の死の謎を解き明かすべく旅路へと出るのであった。
 信長のイメージというのは悪者というのが強いけれど、それだけではないと思う。 信長に忠実に仕えた太田牛一、彼により書かれたのが「信長公記」である。 信長がただ悪者だけに留まらなかったのは本能寺により信長が死んだということに疑問を持ち,さらに信長をこの上なくしたった牛一の存在あってのことなのだろう。 ここでは信長が牛一にしか見せることのなかった素顔があるという。 信長には大きな野心があり、それは他の者たちを敵にまわすこととなった。 そして光秀の謀反により命が狙われるという手立てとなってしまったのだ。 真実がどうであるにせよ、信長が死にいたるまでの過程には一筋縄ではいかないものがあって、それには策略と陰謀とがあったのは事実あろう。
 つくづく思うのがもし歴史がこの時こう動いていたらいったい歴史はどう変わっていったかのかということ、時代劇を見るたびに思うことである。 特に、信長がもし本能寺の変、あるいはこの物語で語られるように命をたつことにならずにそれ以後も生き続けたとしたら日本は今どうなっていたのかということ、それはこの物語の時代が描かれるものを見るたびに感じる。 もし信長が生き続けていたら天下はどう変わっていたのか。 新しい世の中を、日本を自らの手で築き上げようと試みていた信長、そんな信長の夢ははかなく消え去ってしまうわけだけど もし実現していたとしたらきっと今ある日本とは一味も二味も違うものになっていたことであろう。
 この物語は信長と牛一の物語である。 彼らの他には豊臣秀吉、徳川家康、石田光成、森蘭丸、明智光秀などが登場し、秀吉は牛一にとって仕えるべき主である、つまり味方であって敵なのだ。 物語の大半としては牛一が楓という連れともに信長の死を謎とくことにあって、また 牛一と秀吉の間にある見えない、そして冷ややかな壁とうことにもあったように見受けられる。今回ここで知られざる事実を知るわけだが、そういった歴史の影にある事実というのはどれだけあるのだろうか(また、どうして事実を伝えることを妨げるものがあったのだるか)? 歴史の深さを改めて感じさせた。 「和製 ダ・ヴィンチコード」(とか「ナインスゲート」)と言われる「信長の棺」はミステリーであり、物語の中では主人公たちが命がけで手がかりを少しずつ見つけ、隠された真実をあばいていくものでその先々には驚くべき真実が待ち受けており、ミステリーならではのスリルもある。 時代劇は歴史の探索である、そう思うのである。
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by jd69sparrow | 2006-11-06 01:40 | ドラマ・その他

モーツァルト。

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 「モーツァルト生誕250年目の真実」という番組を少しではあるけれど見た。 今年,2006年は偉大な作曲家の一人、モーツァルトことヴォルガング・アマデウス・モーツァルトの生誕から250年目だそうだ。 モーツァルトが残した数々の曲が紹介されたり、彼のエピソードなどを特集した番組も数多く放送されている。 
 モーツァルトは1756年オーストリアのザルツブルグで生まれ、ウィーンでその生涯を終える。何百もの曲を35年という短すぎる彼の人生の中で書き上げるという偉業をなしとげたのである。 「フィガロの結婚」、「ドン・ジョバンニ」、「レクイエム」など数々の名曲の生みの親なのだ。 ジャンルはオペラからピアノ曲までと幅広い。
 今回見た番組では幼少時代から既に始まっていたモーツァルトの音楽に対するプロセスが語られ、どのようにして彼は天才的な作曲の才能を培って言ったか、どのような曲を残し,どのように成功し、道を歩み、そして成功をおさめていったのかが語られると同時に成功の裏にあったモーツァルトの苦悩の日々、彼の行く人生という道の行く末が綴られていた。
 彼の才能は生まれもってのもの、父親の熱心な教育によるものの二つといえるだろう。 父親レオポルトはとても厳格な人、彼は息子モーツァルトを後の天才作曲家へと育てるため、長い長い月日をかけ息子を導いていきた。 レオポルトはモーツァルトに自らの人生をも注いでいたと言っても間違いではないはず。 幼少時代から息子を様々な地へと連れて行き、音楽家としての実力を実らせるために幾度となく、人前で音楽を演奏させるなどといった鍛錬を息子に積ませていった。長い年月とういうこともあり、苦労や辛い試練も課せられたモーツァルト、しかし彼の中で父親の存在はかなりもので縛られていた日々から抜け出してもやはり彼の中で父親が消えることは決してなかったと思う、それは父親の死後にしても変わらぬことであろう。 
 その出来事はその後の彼の人生をゆるがすこととなる。 批判される時期もあった、自分の子供たちがあいついで病気で命を失い、さらには妻であるコンスタンチェの病気にかかるなど辛すぎる日々もあった、そんなこともあり,さらにはコンスタンチェの度重なる浪費など彼の苦悩の日々はとどまることを知らず、それが彼のピンチに拍車もかけた、しかしそれでもモーツァルトは曲を書き続けたというのだから驚きだ。 作曲家が作る曲にはその時の曲を作曲していたときの作曲家の心が映るという。 父親についても曲の中に大きく表れているそう。 彼の曲の中には一つのことに対しての問いかけのようなものやまた,説くものもある 作り手が伝えようとするメッセージの中に作り手の心情がふくまれているものなのだと思う。 
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by jd69sparrow | 2006-11-04 00:52 | ドラマ・その他

名古屋旅行~お城編~

 この間に引き続き「名古屋旅行記」です、今回は旅でまわった見てまわったお城を中心としてご紹介したいと思います。
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 熱田神宮,境内周辺にある木です(写真・奥)。 かなり樹齢が長いようです、そのため大きめなのですが長い年月を経てもなお,力強く元気にそこに立っているというのがすごいと思いました。 木の上方には小さな祠に似たものがありました。 熱田神宮の敷地内はたいへん広く,境内などを楽しむだけでなく歴史を知ることのできる場もありました。歴史上の人物がたてたものが残されていたりとか見所の多い場所です。

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 清洲城です。 残念ながら天候があまりよくなかったのですが、橋のたもとから見たお城のアングルがとても素晴らしく、綺麗でした。 橋を渡り、お城への門をくぐると見える庭のような場所も風情がありました。 城内では清洲城にまつわる歴史が様々なかたちで紹介されていました。

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 犬山城、ここはそのままのカタチで残されていると聞きます。 黒と白という色で統一されたお城の外観もとても魅力的でしたが、中に入るとあちらこちらで歴史を感じることができます、改築されたものにはないものがたくさんありました。 「戦のとき、ここにいた人々はこうだったのか」と歴史にひたれるとても赴きのある場所です。 また最上階からの眺めもなかなかよいです。やはり昔の人々が実際に使っていたとなるとすごく魅力的で、当時はきっとこうだったのだろうといろいろと想像をふくらますことができます。 そういうことのできる場所は最高です。 歴史をめぐるたびというのは見て,歴史を感じて楽しむのがよいなぁと思いました。

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 加藤清正像です。 名古屋駅からしばらく歩き,名古屋城へと向かう。 名古屋城が見えてくる頃、この銅像が見えてきました。 まず目に入ってきた,加藤清正像。 そこに像がどんと立っているだけで何か威厳のようなものを感じます。 まるで城へと導く案内人のようでした。

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 名古屋城はとても大きく,その周辺には小さな城のようなものがたくさんありました。そして建物だけでなく名古屋城へと続く道すがら見える広い広い庭のような場所や、木々,石垣などたくさん見所があります。 城内は昔の町の様子を見ることができたりなどたくさん見るところがありました。 晴れた日に見るお城はとても綺麗です。 お城の近くでは鹿たちを見ることもできました。

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 最後におまけです。 このネコは名古屋城の敷地内にいたネコで、とても人懐っこく,さらに とてもリラックスした様子でごろごろと寝転がったりとかとにかく可愛いです。 かなり観光客慣れしている様子で「かまって」と言わんばかりになついてくれました。 観光客からまた別の観光客へと渡り歩き、とても切り替えがいいとうかなんというか…。 それでも惹かれてしまうネコです。
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by jd69sparrow | 2006-10-27 18:27 | ドラマ・その他

名古屋旅行~グルメ編~

 けっこう前になるのですが名古屋の方へ足を運びました、日本の歴史をたどる旅であり,名物を食する旅でした。 短い期間でしたがお城を中心とした場所を見て回り、同時にそこで食を楽しむことができました。 

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 ひつまぶしデス。 かりっと感があり、さらにとても香ばしいものでした。 記憶が定かではないのですが熱田神宮からそう遠くない場所にあるお店ににて食しました。 丼モノの中でもトップクラスに美味しいと思います。 文句のつけようがないくらいの美味しさで、満足度でいくと100以上!! 

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 犬山城から車でそうかからない場所にあったお店にて味噌カツを食しました。 味噌とカツとが最高にあっていてとっても美味しいです、思うに 特に味噌の味はとてもコクがあって味噌だけ楽しむのもよいかもです。 名古屋の味噌つながりでいくと饅頭の中に味噌が入っているもの(味噌饅頭)もかなりの美味しさです。 味噌との愛称が両方ともかなり素晴らしく,とてもおいいしいです。

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 味噌うどんです。こちらもとても美味しいです。味噌の濃い味がうどんにバランスよく味がついていました。 これは名古屋駅から少し離れた場所だったと思います。 寒い日に食べるとさらに美味しいと思います。 味噌と一言にいってもその料理の種類はさまざま(味噌汁をのぞく)あることがわかりました。 今回は二品でしたがまだまだ味噌モノはたくさんあるような気がします。次の機会にもっとグルメを知ることができればと思います。
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by jd69sparrow | 2006-10-25 23:45 | ドラマ・その他

Love,Janis

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 “Love,Janis"とはサンフランシスコでとても有名なミュージカルである。 ジャニス・ジョップリンというパンク(ロック?)ミュージシャンがいて、彼女の生涯、一番輝いた時を描いたもの。 彼女は実力のあるシンガーであったが若くして命を落としたのである。 それはあまりにも短い人生、しかし彼女の歌う歌の数々には魂がこもっていると思う。 実際ビデオというカタチではあったがジョップリンの歌を彼女自身が歌っている映像を見、聞く機会があったがとてもソウルフルなものと見受けられる。
 ミュージカル版「Love,Janis」はジョップリン役の役者さんが二人いてそのうちの一人が“Mercedes Benz”をはじめとするジョップリンの名曲を彼女の人生をふりかえると同時に歌うというものである。 ミュージカルの役者さんたちは日替わりで変わるものであるが同じ役を演じる役者が同時に二人舞台にあがるというは中々ないものなのではないかと思う。 二人のジョップリンはまるで親友どうしかのように互いに言葉をかわしながらジョップリンが歩んできた人生の道のりを語っていくのだ。 ちなみに“Mercedes Benz”という曲は独創的な雰囲気で歌われる曲で思わず口ずさんでしまうような印象に残るもの。 二人のジョップリンにより彼女の生きた道がそれぞれ時代を見ながら語られ、その間 間に歌がバンドの演奏とともに歌われる。やはり生のバンドの演奏というのはとても迫力のある。お客さんが立ち上がり一緒に盛り上がるというほどで、“Mercedes Benz”や最後の方ではかなりの盛り上がりようで見る側としてとても楽しめるものとなっている。 生の演奏による歌も魅力であるが、二人のジョップリンが飛ばす言葉も時に笑いを誘うものでさらに場面場面で変わる衣装にも注目。 ちょっとしたファッション・ショーという感じなのだ。 出演者は二人のジョップリンとジョップリンのバックにつくバンド、そして二人はお互いが一緒に会話したりとか一人観客にむかって語りかけるとか第三者(声のみ)に向かい話しかけるというわりと小規模なものである。 しかし、見ごたえのある作品であり、そこで紹介される曲の一つ一つは心に残るものばかり。 
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by jd69sparrow | 2006-10-08 03:06 | ドラマ・その他

ハリー・ポッターと謎のプリンス


d0058606_13315748.jpg 冒険ファンタジーなどの物語は舞台となる時代が大昔、言い換えるなら遠い過去だたりするが、「ハリー・ポッター」は現代という時代に設定がなされ、主人公の感じとしてもごく普通の男の子で彼の行く魔法学校も同じ年頃の子供たちがいて7年制の学校でしかも物語は主人公が学校に入学するところから始まり、巻を追うごとに彼らの学年も上がっていく、そこには親しみやすさがあり,まさにそれが「ハリー・ポッター」人気の理由の一つだと思う。
 第六巻…最終章までの道のりがすぐそこまで迫ってきている、実にもう約7年という月日が経っているのだ。 多くを知らず,待ち受ける運命も見えずホグワーツ魔術学校に初めてハリー・ポッターが一歩踏みしめた、そんなハリーがすっかり大人になり、魔法使いとしての力もますますと身につけている。そしてハリーは今回の戦いを通して自分のやるべきことに対して真っ直ぐと目を向ける覚悟を決めていくのである。 全体として物語の雰囲気は明るいものではなく,読後もそのイメージが残る。しかしここでさらに物語は大きく動くことになるは確かであり、ありとあらゆる新たな事実、今までの謎が明らかになり、パズルのピースもあとわずか。雰囲気が明るくないと言っても、笑わしてくれる場面も興奮をかきたたせる場面もある。
 物語を大きく進める、あるいは盛り上がらせるイベントがたくさんある。 その中でも大きいのが悪の魔法使いヴォルデモート卿の過去とそこから導き出される事実の発見。ハリーはダンブルドア校長との授業を通し、その事実を目の当たりにする。
 ハリーは大きな試練をこえなければならない、それはとても苛酷でハリーに重くのしかかってくる。 彼はまわりでおこる変化、邪悪な影を察知し敏感になっていく。その様子が事細かに伝わってくる。怒りであったり、真実をあばきたいという熱意などである。 ハリーの思いがひしひしと伝わると同時に主人公の気持ちと一体になるかのようである。 物語は思わぬ展開をむかえ、さらにクライマックスへとゆっくり,時には急速に,そして着実に向かっていく。 ヴォルデモート卿の狙いや彼に対抗する手段の確信に迫っていく。
 最終章、ハリー、ハリーの親友のロン(・ウィーズリー)、ハーマイオニー(・グレンジャー)たちに待ち受けているものはなんなのか。 ハリーとヴォルデモート卿の戦いの行方はどうなるのだろうか。 そしてどんな結末をむかえるのかとても期待が高まるところだ。
 読み始めると止まらないストーリー展開、読めば読むほど次に何が起こるかが気になるし、楽しめる。 何度読んでも楽しめるし、おもしろい。 様々な魔法を得、幾度となくヴォルデモート卿はカタチを変えハリーに戦いを挑み、ハリーを,人々を恐怖でおびやかすのだ。 倒しても倒してもヴォルデモート卿は手段を変えてハリーたちに襲い掛かる。ハリーはヴォルデモート卿にそうして立ち向かうことで強さをつけるのだ。
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by jd69sparrow | 2006-08-09 13:32 | ドラマ・その他