カテゴリ:映画タイトル あ行( 101 )

劇場版3Dあたしンち  情熱のチョ~超能力♪ 母大暴走!

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<あらすじ>
 その日は、朝から何故か絶好調。 そこまでは まだおかしくはなかった。 そんな母が買い物に出かけた帰り、雷に打たれる。 すると、母に超能力が!! 念じると、モノを浮かせたりと 手を使わずになんでも出来るようになった。 家族の反対もあり、中々目立つことが出来ずに,うずうずしていた母。 しかし、人のために力を使えることを発見し、仮面の戦士に仮装して、人助けをしていくことに。 しかし、その力は暴走していく…
 果たして、タチバナ家の運命はいかに! 笑いと感動、エンターテインメントに満ちた『あたしンち』、映画という港から出航なり。

<感想>
 一言で正直に言うなら、「こんなもんだろう」という感じです。 パンフレットも不要なくらいシンプルなつくりです。 所々に笑いがあるのだが、やはり子供向け…というか、テレビ放送の延長線上にある。 だが、よく目を凝らしてみると 魅力がいっぱいあると思うのである。
 人は特別な力を持つと、それを使わずには入られない。 家族からは目立つことはするなよって言われるけれど、なんだかウズウズしている。 そんな状態の時に、誰かに打ち明けると「もったいわよ」って言われる。 そして ふとしたことで人助けを゛その力”ですると、人助けならいいだろうと考える。 そしてひたすら力を使い続けるゆえに、力が暴走する。 正義の味方になったその主人公は、海賊との間に溝に気付く。 そしてその後の暴走。 感情が抑えられなくなると、暴走する力、力を使いすぎることで弱る体。 なんだか、ここまで考えただけでも ありがちな話なのだが、私はこれに対する みかんの親友・シミちゃんの言葉に少し胸が打たれた。 「もし、超能力ができたら?」という問いに彼女は、「(力は)使わない。 カラダにどんな影響があるかわからないし,力を使うことが怖いから」という感じの大人びた言葉を言っていた。 確かにそうだ。  しかし、力を人助けに使いたいと思ったり、家族の生活を楽にしようって,「ただ助けたい」という母の気持ちもわかる。
 でも、やっぱ普通が一番でしょ、っていうシミちゃんの言葉が心に響く。 みかんも,そこから考えが変わり,幻から現実に戻る。  
 母よりも みかん と ゆずひこ の方が大人で、母を心配する娘の姿を見ると まるで立場逆転したかのように見える。 そして、父のぼそっという一言は面白い。 父にその気があるかないかは、さだかではないが いつも母を止められるのは父である。 しかし、その父はいつも呑気で でも,緊急時にはちゃんと母を,家族を心配するところが やっぱり良き父であり,夫なんだなぁと少し感動した。
 感動に浸っていると、父が一言。 「超能力、あきたな」って。 この手のストーリー展開にはない,衝撃かつ笑撃な一言である。 母の固まる気持ちもわかる気がする。 個人的に、タチバナ家で一番おもしろいのが 好きなのが「父」である。 口数の少ない父の、たまに言う一言が かなり面白いのだ。
 全体から見ると、いたってシンプルで ありきたりな話だけれど 所々に笑いのポイントを押さえています。 ただ、3Dでなくても良かった…。 確かに立体的だからウケは悪くないけどね。

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by jd69sparrow | 2010-11-13 17:02 | 映画タイトル あ行

大奥(男女逆転)

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<あらすじ>
 時は、江戸時代。 第8代将軍・徳川吉宗の時代である。 日本全国の人口は、男だけがかかる顔が赤く腫れ,大きな吹き出物が全身に出た上で,死にいたる不治の病が流行っていたため,女の四分の一にまで男の数が減少していた。 男の仕事は女が任されるようになり、武士として生きる男も稀になっていた。 そんな時代を生きていたのが,貧しい旗本の家に生まれた水野裕之進だった。 彼は家族のため、俗世での生活から大奥へ入る決心をする。  大奥には、将軍にお目見得の叶う位の一つ下の場所だった。 早速、いじめという洗礼を受ける裕之進だったが、ただでは引き下がらず,切り抜ける。 大奥に使える者たちが集う武道の場,つまり剣道を目にした裕之進は、大奥最強の鶴岡を負かし、総取締役・藤波の目にとまり,一気に昇進を果たす。 しかし、その先も欲望や策略にまみれた闇が広がっていた…

<感想>
 男女逆転というのは、なんとも面白く,新鮮味のある発想だろう。 全てが男女の立場が逆だと世界が180度変わって見えてくる。 大工など力仕事も女がこなし,一家の大黒柱も奥さんだという今まで見たことのない世界が広がっていることに驚く。 男が嫁の貰い手を懸命に捜すというのはなんとも変わった光景である。 建物の骨組みのてっぺんで女二人が力を合わせて仕事をしているさまが未だに目に焼きついている。
 作品の解説などで示されているように、やはり時代劇と言っても現代につながるところがある。 それも一つではない。 男の人口の方が四分の一も少ない『大奥』の世界。 そこでまず語られるのは、“力の上では、男が上だが、(体の)強さで言えば女が上”ということ。 この時代はどうだったかわからないけれど、女性の方が長寿であり,体も健康。 女性が連れ添いがいなく,一人になった時は強いと思う。 全てがそうだとは限らないけれど、家事を普段こなさない旦那は、一人になった時に弱いと言う説があるのだ。 メンタル麺で、女性の方が強いと言えるだろう。 あくまで推測だが、世界にも視野を広げた上で考えると 女性の人口は男性より上回るのではないだろうか。
 水野の両親を見ての通り、その上下関係…というか、力関係はあながち現代でも同じではないかと思うこともある。 子を案じる気持ちは母親に勝るものはなく,家計を管理するのも母である。 夫は尻に敷かれ,奥さんが子供に対して物申す。 夫はそんな奥さんの後ろで静かに見守り,その時がくると 的を射た大切な言葉を子供に話す。 裕之進が大奥へ行く決心を打ち明ける場面がその全てを物語っていると思う。
 あらゆる男の仕事を女が任されている『大奥』の世界。 この世界までとは言わないにしても、女性が広く社会進出している光景はなんとも素晴らしいものがあり,理想的であると思う。 実際の歴史を考えるととても考え難い光景だ。 現代ではようやく,徐々に女性の社会進出の幅が広くなってきているところだが、いつの日かこの“男女逆転”の『大奥』の世界のように、今まで踏みこまれることのなかったところまで女性が進出する…つまり、力仕事なども女性に任される時代が来るのではないかと私は感じている。
 質素倹約を好んだ,将軍・徳川吉宗。 その女将軍の誕生に,水野の大奥への就職。 とても運命的に考えられる。 吉宗が質素な衣服を好んだように,水野もまた他の同じ地位のお目見得以上のものたちの豪華絢爛な様とは逆に派手好きではなかった。 黒い袴というのは、本来ならばこの時代の男であれば、普通のはずだけれど、ここでは特別に見える。 色とりどりのパステルカラーの中の漆黒の色はとても映える。 しかも、水野ただ一人が、江戸の男らしく,頭のてっぺんの髪をそり落とし、見事な髷をゆっている。 全てが実際の歴史とは逆の“男女逆転『大奥』”の世界で水野だけが歴史の通りの姿なのである。
 吉宗で印象的な場面はいくつかある。 鈴の廊下での勇ましさ、その男勝りできりっとした感じは全体を通してあるものだが、同じ女性ながら、とてもかっこよく思う。 水野に対しての計らいをするとき、どう見ても男女逆転していると思った。 吉宗は男、裕之進は女と。 実際の多くでは、この上下関係は普通だけど、この映画においては不思議な光景だ。
 そして特に印象的な場面。 それは歴史上にもあることだが,大奥が財政圧迫している中で,大奥で仕える男たちから特に美男な50人を集め,一度にリストラした後半の場面。 その一人であった松島は、驚くも不満をあらわにすることもなく,むしろ納得をしているところが印象が強く残っている。 
 悪く言えば、ケチと言える吉宗だが,それを裏返せばこれほど国を思い,民を思った将軍はそうそういないんではないかというくらいの人柄だ。 徳川の将軍たちを見ると、なんとなく今の歴代総理大臣に通じるものがある。 良き国のトップもいればそうではい人もいて、決して悪いトップではないが,不慮にもその座を降りる人もいた。 しかし、思うのである。 この第8代将軍・徳川吉宗のように、今の官僚を思わせる大奥の大胆な経費削減をはかり,それもそのもの達を考えての配慮をする。 つまり、思いやりのあるトップはとても理想的だと思う。 最近の総理大臣など見ると,吉宗に見習って欲しいと凄く思う。 経費をやたらかけることもなく、すぐ投げ出すこともない。 進んで国を背負う立場に名乗りをあげ、自身も質素に努めるというのは凄い。 莫大な富を持つと、中々このように質素で…などということは難しいことで滅多にあることではないのではないか。 
 女将軍という設定のこの作品の吉宗。 何気に水野の中心にお信と三角関係というのがちょっと面白いと思った。 現代で一般的に言うそれとは全く異なるが。 運命のいたずらか、吉宗の本名は“信(のぶ)”という。 そう、水野の幼馴染にして,意中の相手である,お信と同じ名前。 これが最期の晩と覚悟を決めた,水野との場面はとても印象的で,水野の姿にぐっとくるものがある。  密かに片思いをしていた吉宗。 初めての総ぶれの場面の直後の“私も女と言うことだ”と恥じることなく,自然に気持ちをもらす場面は女性として共感のようなものを覚える。 その恋破れども、実際の大奥をイメージするようなドロッと感は一切ない。 それがまた好印象が持てる。 
 そして。 記憶の中では、ドラマシリーズや過去の映画版を含めて考えるとこれ以上,潔く,そして心地よい終わり方はないのでは?と思う。 とても平和的で穏やか…そして爽やかですっきりとした締めくくりは,とても気持ちがいい。
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by jd69sparrow | 2010-10-05 23:54 | 映画タイトル あ行

Limit of Love 海猿

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<あらすじ>
 海上保安庁・潜水士,仙崎は環奈との結婚が間近に控えていた。 しかし、今日も出動命令が下るのだった。 それは、フェリー,くろーばー号の事故である。 それはフェリーが他の小さな船に衝突するという事故で600人もの乗客を乗せた大型船への救出活動だった。 そこには環奈の姿もあったが、彼女の安否を心配する一方で、妊婦や負傷した男性を助けることへ全力を向ける。 バディである吉岡と二人、沈みつつあるフェリーの中で四人が取り残される。 右を見ても左を見ても海から上がってきた海水で浸水し 八方塞。 爆発も起こり、他の仲間達は助けたくとも中々近寄れない無念の状況下に…
 リスクを背負いながらも、海水に囲まれ 絶体絶命の状況から脱するため、大輔と吉岡はトラブルに巻き込まれながられても 取り残された四人全員が助かる方法を考えるのである。

<感想>
 シリーズを通し、主人公たちは成長をしていく。 それは潜水士を目指すところから始まる。 最初から潜水士ではないところがまず良いなぁと思った。 三作まで続いた『海猿』。 ほぼシリーズ初めてで見たのが『ラストメッセージ』。 それを逆回しで見ると言うのも不思議なもの。 特に主人公の成長物語という点で。 『ラストメッセー』で仙崎は海保六年目。 父親にもなり立派で頼りがいのある先輩になっているけれど、二作目である『リミット・オブ・ラブ』はまだあどけなさみたいなものがあり、逆戻しで見ることが意外にも新鮮。 自分の任務を遂行しようという気持ちがあっても中々、最善をつくせず 迷いが目立つ。 3から見ると「こんなとき」もあったんだと意外だったらいするけれど 仙崎という人物は“人命救助への熱き思い”は変わらない。そこがいい。常に成長するけれど、変わらず持っているものがあるということが。
 まだ、仙崎の後輩に当たる吉岡も3のときほどたくましくはなく、互いの信頼はあるものの,「阿吽の呼吸」も完成されていない。 だから、このときの二人はまだエモーショナルな感じが強い。そこには人間らしい恐怖や焦りがあって共感を覚える。 
 絶体絶命の時。 負傷者はつきもの。 負傷者ではなくても なんらかの大変な状況にある人がいるもの。 彼らを救うのは自分しかいない。 そんなときの心境がとても生々しいものがあると言うか、リアルに描かれている。 まるで観る自分が主人公と一体になったかのようにその緊迫感が伝わってくる。 あくまで推測だが初めて危機的状況に置かれ,その責任が自ら(仙崎)にふりかかってきたのではないかと思う。 判断するのは自分であり、目の前で救いを求める人をどうするかも自分の手にかかってくる。 しかし、どんどん追い込まれていく仙崎はたくましい。 そこが凄い。 つまりは、追い込まれるほど責任感が強くなり,たくましくなっていったといことになる。 もし、自分だったらと考えるとここまでの精神力は到底かなわないと思ってしまう。 逃げ出したくなり、それこそ3の服部みたいに恐怖で腰が抜けてしまうだろう。 だから、炎が絶ちこめる道から、要救助者のもとへ帰ってきた仙崎は本当に尊敬できる。というか、どれだけ勇ましく、かっこよく見えたことか。 決して逃げ出さない心の強さは凄い。 
 緊迫感…どんどん逃げ場がふさがってゆき、負傷者も出てくる…。そんな状況にはあいたくはないけれど、なんだがこの緊迫感がこの映画の醍醐味というか、観る側を最も惹きつけるところである。 どう抜け出すのか…。 危機から脱した時の安心感はぐっとくるというか、心の不安から解放されるがごとしである。 すっきり。 肩の力が一気に抜けて…というか、肩にあった重い石が取り払われたかのよう。 
 環奈との恋に注目したいところだったが、どうしてもこの『海猿』ならではの場面ばかりに目がいってしまう。3Dではないけれど、大迫力であり,水がどっと押し寄せてくるところでさえ楽しさに似たもの(スリル?)があり、とても楽しめる作品だ。
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by jd69sparrow | 2010-09-29 23:36 | 映画タイトル あ行

THE LAST MESSAGE 海猿

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<あらすじ>
 仙崎大輔は海上保安庁の潜水士になって6年たっていた。 もうプロフェッショナルらしい姿だ。 環奈と結婚をして3年が過ぎており、二人の間には「大洋」という男の子も生まれていた。 結婚三周年の日。 大輔は海にいた。 天然プラント作る海の工場とも言うべき,レガリアにドリルシップが高波にあおられ,突っ込んでしまい,事故が発生。 そこには数百人もの作業員がおり,仙崎は彼らを救出する最前線に立たされていたのだ。 台風が近づく中、急を要しいていた。
 ほとんどの人たちが救出される中、仙崎は作業員の久米夫、常駐医の夏、レガリアの設計者・桜木、そして違う管轄の潜水士二年目・服部と五人,レガリアに取り残されてしまう。 最後のヘリに間に合わなかったんだ。 事態は悪くなる一方で一刻を争う状況へと追いやられていく中で、五人は無事に帰還できるのか…


<感想>
 きっと『海猿』を鑑賞するのが『3』が初めて。 映画で公開され、その後ドラマにもなった超大作。 しかし、やっぱりこれは劇場で見るからこその迫力ある作品だ。 3D版があるとい現代にそくしたアクション。 船や人が立体感と奥行がある。 自分がその場にいるかのような臨場感である。 目の前で起こっているかのように。
 主にレガリアという名の水上にある施設で物語は展開。 当然,複雑に設計された機械にかこまれた空間が背景となる。 最近では夜の工場の魅力に魅せられる人が多い言うが、私は今回この『海猿3』を見て、機会の美に目覚めた。 天井からいくつもの部品がぶらさがるこの環境が一つの芸術作品に見えてくるのは何故だろう。 機械の匠たちが考えに考え抜いて、その手で築き上げた。 芸術もまた“築き上げる”もの。 この時点で共通するものだから、やはり 工場やこうしたメカに囲まれた環境に美を感じるのも普通なことかもしれない。 水が流れ込んだり、炎が噴出したり、さらに石油がなだれ込んできたり そんな危機的な状況下の映像でさえ美しい。 
 それに。 そんな危機的状況下にある大輔たちは さらにより一層かっこよく映る。 バックの綺麗さもあるけれど、そういう時の顔がなんともたくましいのである。 石油まみれになって顔とかも黒っぽく石油のシミが残る感じがけっこうセクシーだったりする。
 今回、大輔は父親となり、キャリアも積んできてるということもあり,「1」のときのような やんちゃっぷりというか、熱くて無鉄砲な感じがなくなり,まさしく「頼れる兄貴」になっていた。 辛い顔を決して見せれないなんて,ましてや絶体絶命の状況の中で平気な顔を維持するのはどんなに大変なことか。 計り知れない。 後輩である服部は恐怖におびえてしまうけれど、大輔はいつだって最後まであきらめない。 そんなたくましさに惹かれてしまわないわけながない。 “守るべきもの”の存在、そして離れていても“つながっている”仲間達…それが大輔を動かす力なのだなぁとよく伝わってくる。
 ユニフォーム着た背中に刻まれる「海上保安庁」と「仙崎」という文字がとても印象的。 というか、背中がとってもかっこよくて部下だったら絶対憧れるだろうし、ついていきたいって思うだろる。 ここが個人的には今回の三作目を見てのポイントだと思っている。 仲間との絆と、大切な人への愛をこの背中は語っている。
たとえ一人でも、大輔は決して諦めない。 そこが萌える。 
 大輔と環奈はホントに良い夫婦。 変わった仕掛けを作って毎年結婚記念日の祝いをする大輔の心遣いが環奈の立場だったらすごい嬉しいと思う。 その裏には大事なときに必ずしも,大事な人のそばにいてあげられない海保の人間と、待つ人たちの辛さがあるのだけれど… それこそ「ラストメッセージ」になるかもしれない、メッセージを声で吹き込まれているプレゼントは一生の宝だと思う。 いつもこんなことを考えてくる夫は素晴らしい。 
 始めとクライマックス。 大輔と吉岡のくだりは絶対必要。 やっぱり仕事以外でのあの少年らしさは多くの女性を虜にするのではないかと思ってしまう。 こんなバカっぽいところ…というか、明るい一面もあるのだという楽しさ…。 確かに仙崎の吉岡への「お前は意外と癒し系だ」という感じのセリフは印象深い。 彼らの無線での会話も心が温まる。  決して恐怖を感じてないわけではない、仙崎にとって吉岡との会話はどれだけ力となり,はげみとなったことだろう。 
 レガリアに閉じ込められた五人。 クライマックス、スタッフルームでの団欒もまた ほんわかしていて印象的。 最初は停電のときの会話に賛同していなかった,桜木でさえも笑顔になって夏と桜木の険悪ムードもいつしか消えていた。 というか、この二人…この後恋愛に発展していくのでは?と最後思ってしまったのは私だけだろうか。 
 服部も最後には思いをふりきり、一歩を踏み出していく。 惜しくも、彼の初登場場面はほとんど記憶に残っていない。 それからもう一つ。 吉岡が無線を通して?服部に言う「バディを決して死なせてはいけない」という言葉もかなりぐっとくる。 これで服部にもエンジンがかかったという感じだ。 今回は仙崎と服部がバディだけど、吉岡とのバディがどんなだったかとても気になる。 服部とは、偶然バディになったというか、状況的になったという変わった形でのバディ結成だが、最後には仙崎と服部はよき師弟関係になっていた。
 感動あり、ちょっぴり感動ありの最高のエンタテインメント!
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by jd69sparrow | 2010-09-24 08:50 | 映画タイトル あ行

インセプション

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<あらすじ>
 コブは他人の夢(潜在意識)へ侵入し、“アイディア”を盗むスペシャリストである。 つまり、コブは企業から依頼される商業スパイだ。 コブは相棒のアーサーと共に、サイトーという名の謎の男より、アイディアを盗もうとしていたが、モルの出現で動揺した挙げ句,仕事は失敗に終わる。 サイトーに腕を試されていたのだ。 彼は、過去の犯罪暦の抹消と子供たちへの再会を条件にコブへ仕事を依頼する。 それは、コブたちの稼業にとって,かなりの困難な仕事だった…。 “インセプション”。 今度の依頼はアイディアを盗むのではなく、他人にアイディアを植え付けるというもの。 コブは子供たちに会いたい一心ですぐ承諾する。
 サイトーの依頼は彼のライバル企業の御曹司ロバート・フィッシャーを標的に,ロバートに父親の会社を潰すアイディアを植えつけること。 そのためにコブはその道のプロ,仲間を探す。 彼のもとに集まったのは四人…アーサーは敵のリサーチ、イームスは夢の世界で他人に化ける,“偽造士”、アリアドネは夢を自由に築き上げる“設計士”、ユスフは集団を一つの夢に結びつける“調合士”であり、サイトーは見届け役として加わり、六人でターゲットへの“インセプション”を狙う… 

<感想>
 現実と夢とが見事に融合したのがこの作品。 空想的であり、現実的でもあるという。 まさにそうだ。 共感できうる場所が随所に存在する。 どこからが夢で現実なのかが,わからなくなる迷路のようである。 彼らは夢からさらなる深い夢へとその足を向けていくのが,凄く面白い。 たとえば、第一の夢の段階での影響は第二段階の彼に影響を与えるという設定とかもそう。 そこから斬新で美しい映像が生まれていく。 第一段階で車の中にいる彼らだが、その車が落下すると第二段階に入る彼らの世界は無重力となり,世界が回転するというのも面白い。 
 どこの場面をとっても印象深いのだが、記憶に強く残るのは前半のアリアドネとコブとのツーショットだ。 アリアドネは、コブの義父マイルズの教え子でまだ大学生。 そんな彼女を“設計士”として戦力にするため,コブは夢の世界へとアリアドネを連れ込み、訓練を施す。 まずは街角で爆発が次々と起こり,モノが細々とまるでアートのように飛び散っていく様子、そしてアリアドネが天変地異としかいいようのないものを作っていく…世界を曲げるとでも言うべきだろうか。 ある一点から道がが正方形のように曲がり始め,横向きになったかと思うと曲がり始めたところから自分たちが立つその場所へと動きくっつける。上下さかさまの世界どうしが背中合わせに,空と空とで密着するという映像が最も印象に残った。 その後のくだりでも景色がガラスとなり割れるところなんかも凄く綺麗で印象深い。 
 アリアドネは初めてコブたちの動くビジネスの世界に飛び込み、興味津々。 子供の反応を見せる、そんな彼女がコブの理解者になるとは…コブの抱える秘密や本心を偶然にも知ってしまったからだけど。 恋人までとはいかないが、アリアドネはコブにとって必要不可欠の存在になっていく。 容姿は子供であれ,そこには大人のアリアドネがいた。 
 コブたちが行く夢の世界は三段階とプラスアルファ。 早い話、四つの世界をわたることになる。 各世界に一人が残留し、夢の深みへと進んでいくものを安全を確保する役目を果たすのだが、どの世界でも危険が迫り,第一,第二段階で残ったユスフ、アーサーはそれぞれの世界で仲間をなんとか危機から脱するために仲間達を“キック”…つまり、起こそうとする。 それが第三段階まで進んだものたちへのタイムリミット狭めていく。 時間との戦い。 前の世界での数分がその先の世界では何十分・何時間となるのがせめてもの救いの中、迫りゆく時間の中で、ターゲットへのインセプションを命がけで進めていく…その緊迫感が見所の一つといえよう。
 夢のことに関して色んなことを考えるようになるだろう。 ここでは第一段階からどんどん深いところへと進むけれど、個人的には(というか、普通は?)その逆で第三段階から第一段階へと進んでいく感じ。 夢から覚めたと思いきや、まだ夢の中にいるという二重の現象がそれである。 夢の中に他人が侵入するというのは、非現実的なことだけれど、しかしリアリティたっぷりに描かれている。 それは標的のロバートが体現している。 夢を夢だと気付かないところとか。 あと、コブがアリアドネに忠告する言葉で、記憶で夢の世界を設計してはならないという点。 夢は通常、実際にありそうでない景色で出来ていて、本物のようで本物ではない。 だから人は、夢と現実との区別を明確にすることができる。 ただ、本物の世界と似すぎてしまうとその区別がつかなくなる…実際、個人的にもそれと似た体験をわずかな時間の中でだが、体験したことがある。 夢の世界とはいえ、モノに触っている感覚も…時に、歩いている感覚でさえもリアル。 いくつかの感覚において,とても実感がわくものがあるから、恐ろしい。 そういった面で、この映画で主人公たちが夢の世界で現実に動き回るのがリアルに感じる。 また、“設計”という面でも似たようなことが起こりうる。 例えば、魔法を使いたいと思えば、夢の世界では使えるように。 現実を考えても、ごくたまに 現実なのに夢の世界を歩いているような感覚に陥ることだってある。
 舞台は日本や中東、ヨーロッパ、カナダの?雪山、アメリカと次から次へと場面が転換していく。 その中でも日本は特別な雰囲気を醸し出していた。 日本のイメージって海外からはこうなんだなぁと改めて思う。サイトーの豪邸は極道っぽくもあるけれど、明治の頃の日本の雰囲気も醸し出している。 少し強烈な気がした。
 しかもそれは、冒頭から始まるのだが、サイトーがいきなり,かなりの年を取っており、コブも漂流してきた様子。 何が彼らの間であったのか,ということにかなりの期待がかかる。 そして、クライマックスでこの場面にもう一度再会する。 つまり、過去から現在へとたどり着いたということ。 最後まで見た後、何故この場面が冒頭に来たのか、その意味を考える。 意味あるものだが、なんだろう?と、なんとなくつかめているつもりだけど…
 『インセプション』の世界は作り手が得意とするダークな世界だけれど、最終的には感動が待っている。 しかし、最後の最後のトーテムの動きが いろんなふうに取る事ができるが 私は良い方に考えるようにした。第一印象としては、どっちつかずの終わり方という感じだった。 つまり、最後コブが行き着いた場所は現実とも夢ともとれるということ。 どちらかといえば、トーテム,コマが止まったように見えるのだが…回る駒の音の乱れ的に。 やっぱり夢だったのか…とやはりダークなままで終わると思いきや,最後の最後で“現実”が証明されたと考えている。
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by jd69sparrow | 2010-07-27 01:44 | 映画タイトル あ行

アデル

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<あらすじ>
 時代は20世紀初頭、舞台はフランスにエジプト。 アデルは冒険の大好きなジャーナリストである。 彼女はある不慮の事故で瀕死の状態である双子の妹アガットの命を救うべく、“ファラオの秘薬”を追い求めている。 尊敬するエスペランデュー教授の本の教えに従い、彼女はエジプトの最大の王とされた,ラムセス2世の眠る王家の墓へと向かう。 ラムセス2世の侍医を復活させれば、妹の命も救えるはず!と強く信じるアデルは、男たち相手でも怯むことなく、戦う。 
 一方、アデル母国フランス、パリでは博物館に展示されていた翼竜の卵が孵化するという大事件が起こっていた。プテロダクティルス…。 この翼竜の孵化に大きく関わっていたのはエスペランデュー教授であり、アデルが成し遂げようとしている目的の鍵となるのもこの人だった。 
 警察は、政府関係者を事故に巻き込んだプテロダクティルスと、エスペランデュー教授を危険視し、教授を死刑の罪とし、翼竜をアフリカより呼び戻したハンターに殺させようと考えた…さらに、マッドサイエンティスト・デュールヴーの策略の影が忍び寄り… アデルの冒険は果たしてどこへ向かうのか…。

<感想>
 女性版インディ・ジョーンズという称号はまさにぴったりのヒロイン,アデル。 あらゆる危険が立ちはだかろうともびくともしない。 普通の女性では中々出来ないことをなんなくこなしてしまう,強い冒険家である。 盗賊たちを目の前にしたら、アデルが不利なように見えるけど あっさり彼らは負けてしまう。 財宝を目の前にした彼らが、罠や呪いにかかり,倒れていく場面は言葉で聞いたら恐怖だとかグロテスクだったりするけど、実際はそうではなく,思いっきりコメディ。 
 アデルは何が何でも…教授が瀕死になっていようとも アガットを助けるために必要な教授をなんとかミイラ復活の手段として息させようと必死。 あくまで手段…ってとこになんだか目的ために手段を選ばない…強引さもあるように見えなくもないのだが、それだけ彼女はアガットを愛しており,彼女を瀕死にしてしまった原因を自分にあると重い責任を背負っているのだ。 そう思っているからこそ、ちょっと手荒になることもあるのだろう。
 だけど、憎めない。 それはやっぱりアデルが幾度となく,立てる計画の数々。 変装。 牢に閉じ込められた教授をなんとか救おうと様々な変装で刑務所に入りこむ。 だが、中々うまくいかず、つまみだされてしまう。うまくいったかと思うと、教授に拒否されたり…。 うまくはいかないのだが、めげずに毎回変装を変えて踏ん張るアデルはとても可愛い。  最後にはなんと翼竜をてなづけて、間一髪! という展開。 変装では通用しないとあきらめたのか。 太った料理人のおばさんや尼さんだったり…個人的には尼さんの姿がけっこう好き。 どこか見えない何かを見ている…という尼さん姿でのファーストショットがとても印象的なのだ。 料理人のおばさん姿は,とても荒っぽいけれどなんとなく、アデルの必死さも伝わってくる風である。
 変装している以外の服は時代にあった貴婦人風。 だけど、このスタイルで数々の冒険をするのはちょっとギャップがあって面白い。 普段着のレパートリーもどれをとっても綺麗。
 解説に書かれていた通り、ハリウッド映画ではスピーディなアドベンチャー・アクションというパターンが定番だが、『アデル』だいぶ,ゆったりしている。 映画全体もわりとスローテンポ。 ほのぼの感がいい。 冒頭が語りで始まる時点なんて特に。 ところどころで驚きがありつつも、急かさないストーリー展開なのが、新鮮味があってよかった。 だから、部分的に見るとアドベンチャー・アクションには見えないだろう。 普通に見ていても忘れてしまいそうなくらい、さりげないアクションの盛り付けだ。 
 これもまた指摘があるのだが、王家の墓での場面で、財宝とともに罠に引っかかった盗賊の無惨…というマヌケな最後が別の場面でちょろっと出てくるのは面白い“遊び心”である。 やはり遊び心は、面白くて素晴らしい演出なのだ。 コメディを押していなくても、そんなところがあると作品を愛するきっかけになる。  
 映画で面白いのはアデルだけではない。 エジプトからアデルが運んできたパトモシスのミイラ。 パトモシスはラムセス2世に仕えた人間の一人であることは間違いない。 けど、彼をファラオかかりつけの医者だと思い込んでいたアデルと私たち…だけど、実は学者だったという…。 それが明らかになるところ、実にコメディ。ミイラは復活する前から、つまり動けない状態でも目の前にる生きてる人間の姿が見えるという設定も、またいつの間にやらフランス語も習得しているという設定もなんだか面白い。 恐怖の対象として描かれてきたミイラがC3POに見えるという、なんとも愉快な展開だ。 パトモシスはC3POのように動き、『ONEPIECE』のブルックのような陽気なキャラクターという…。 個人的にアデルの次くらいに好きな登場人物だ。 
 パトモシスの復活の瞬間もなんだか滑稽で面白い。 くしゃみをしたかと思うと、予想外に礼儀正しい振る舞い。 邪悪のかけらもない、喜劇のキャラクターにしか見えない。 教授はほったらかしに物語は進んでいく(笑) 教授の力なのかどうなのか、ミイラには特別な力があり,また,教授がパトモシスやプテロダクティルスを復活させたように、パトモシスがファラオとその臣下を復活させていくところから、またその彼らがパリの凱旋門(だったかな?)あたりを仲良く歩いていくというくだりもとても印象深い。 果たして、彼らはその後どうなるのかと…。
 カポニ警部も重要なことが近づいてもあっさりと見逃している場面の数々が面白いし、翼竜の事件の際の責任の流しが続き、警部にたどり着くという流れも中々面白かった。 正真正銘のコメディだなと思った。
 最後に、アデルは休むまもなく休暇で、旅へ出るわけだが 乗り込んだのがあの歴史的に有名な、豪華客船で…アデルはひょっとしてこの後…と悲しくもなるのだが続編があるかも?という予想も納得。 原作となる漫画もみてみたいものだ。

星にすると…
★★★★☆
四つくらいになるだろうか。 中々面白いです!!
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by jd69sparrow | 2010-07-07 14:00 | 映画タイトル あ行

踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!

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<あらすじ>
 湾岸署は新しい門出を迎えようとしてた。 それは新しく建てられた新湾岸署への引越しである。 係長に昇進した青島俊作は、その引越しの指揮をとっていた。 そんな慌しい中、二つの事件が発生。だが、どちらの事件も金銭を一切とらずに犯人を行方をくらますという妙な事件であった。 あっけにとられ,ほっとしたの束の間…今度は湾岸署内で事件が起こる。 引越し作業に追われる中で、青島や恩田の拳銃三丁が紛失するというものである。 何者かにそれは盗まれた…そして、それは最悪な事態へと発展。 なんと、盗まれた拳銃によって連続殺人事件が起きたのだった。 残るのは、青島の拳銃一丁…なんとか阻止しなければならないが…。
 そこで捜査本部が組まれ、犯人との接触が成功。 犯人の要求は、今まで青島刑事によって逮捕された犯人たちを全員,解放することだった。 しかし、それはなんとか避けねばならない。 青島を始め、湾岸署の所轄チームと本庁は相変わらずぶつかり合いながら捜査を始める。

<感想>
 衰えぬ面白さ…続編となると前作を越えるのが難しく,中々また同じようにヒットを飛ばすのは難しいのではないかと思うのだが、『踊る』は続編のたびに進化している。 今回など特に、新しい局面を迎えている。 “新踊る大捜査線”とするだけある。 確かに『踊る』の登場キャラクターと言っても過言ではない“湾岸警察署”が新しく生まれ変わるのだから。 最後、犯人が旧湾岸署を死に場所に選ぶように湾岸署というのは、『踊る』の中で重要な場所であり、キャラクターなのだ。 個人的にはこの映画第三作目で湾岸署が登場キャラクターの一員という認識が強くなった。
 『踊る2』からもう7年の月日が経ったなど、とても信じられない。 2がつい最近のように思えてならないのはやはり、『踊る』のパワーだろうか。 スピンオフを経て、再び本家『踊る』の劇場版の帰還…どんなに待ちわびたことだろう。 
 新しい仲間達が増えても全然違和感がなく、自然に馴染んでいる。 新しい風といえば、本庁と所轄とのパイプ役の登場。 両方の意見を聞いて,メリット・デメリットを調整する役割を担う鳥飼という若手のキャリア。どちらの人間のタイプにも属さない,ちょっと危険な香りもする人物である。
 『踊る2』から時間が経って、その時の流れがちゃんとカタチになっているのもいい。 青島の昇進のみならず、周りの湾岸署メンバーがそれぞれみんな昇進し、立場が変わっている。 本庁メンバーでは唯一、室井も。 最後わかるけど “アノ人”がまさかまさかの立場に就任・昇進を遂げているし。 かなり予想外。 青島が“中間管理職”なっているのは『踊る』のスパン的にも自然なことなのだが、驚きだ。 自分の立場を他人事のように外から見ている感じがなんとなく青島らしいと言えばそうかもしれない。 昇進してもちっとも変わらない人柄がいい感じ。 やはりシリーズを追うごとにちょっとした変化がつくのがいいところ。
 青島といったら、トレードマークとも言うべき,グリーンのコート。 これを着てる青島を見てこそ、『踊る』を見ている実感がわくと言っても過言ではない。 しかし、このコート…すぐに着用はされない。 拳銃も紛失し、コートも姿を消してしまう。 必死…というか、ずーーっとただ探し続けている青島の様子がとても面白い。 彼が刑事になるときに買ったという思い出の品。 彼以外の人に足蹴にされているのは、可哀相だが面白い。 重いも寄らぬところから出てくる。 しかも「ここぞ!」というグッドタイミング。 コートを羽織って走り出す場面はフルスロットル…それまでブルーだったのが信じられないほど、エンジン全開になる最高場面だ。 それだけの力をこのコートは持っていると思うと特別な思いのこもったものの凄さを感じる。
 走って飛んで…そして効果的に使われるのが『踊る』のメインテーマ曲。 すみれに励まされ、和久さんの腕章を見て,そこから力をもらい、コートでエンジン全開! 『踊る』ならではの展開で青島がわくわくするように観ている側もテンションが上がってくる。 毎回どこで『踊る』テーマが流れるか…というのも楽しみなところであり、やっぱりエンジン全開のところでかかるというのが良い。 ビルからビルへのダイブのシーンも,これから走り出すぞ!という湾岸署の場面もコートが風に乗り,ふわっとなるのが画としても綺麗だし、このコートもまた登場キャラクターの一員なんだなぁと思う。
 所々に笑いの場面があるのだが、その中でも今までにない感じで不思議な感覚にもなったのが、青島の病気疑惑のくだり。 意外にも早い段階でその誤解は解けるがスリアミの策略ですぐには明らかにされず。 青島はブルーで、青島らしさがない…そんな彼を見て,すみれが必死で励ます。…とか、閉じ込められた仲間たちを救おうと死に物狂いの青島に、みんなに青島の病気のことをマイクを通じて、伝えるという…何も知らなければ感動的かつ熱い場面だが、観ている側は先にわかってしまっているので、どういう気持ちで見たらいいのか…なんて思うのだが わかってるからこそ、こんなに必死になっている場面なのに面白いのである。
 忘れてはならないのが、所々に余すことなく用意された小道具の数々。 『踊る』と言えば、カメラに映らないところまで徹底して小道具が置かれるのが有名だ。 これは演者への配慮が大きいだろう。 引き出しを開ければ空っぽのデスクの側で演技するよりも、まるで実際に実在する場所を借りて映画を撮っているかのような感覚する…言わば演者のモチベーション・アップにつながる,美術さんの力の入れどころだ。 たとえ、カメラに映らないにしても,デスクの中,あるいは背景のように置かれた小道具など、細かなものがあるとないとじゃ、大違いだろう。 観ている側にしても、あの机の引き出しにはちゃんとキャラクターに沿ったこだわりの品が入っているんだ!という意識が働くから見方だって小道具の有無で変わってくる。 しかも、作品の中で使われた道具が商品化するあたりも凄い。
 これまで青島が逮捕してきた受刑者の解放が犯人の要求ということだから あまり驚くべきことではないはずなのだが、 劇場版第一弾のアノ人や、他にもキャラの濃い受刑者の再登場があるのも見所の一つと言ってもいいかもしれない。 シリーズ三作目で劇場版の原点に帰るとはとても意外だった。 よって、最後の結末もとても意外だった。 実行犯に真犯人。 実行犯のことを真犯人が語る場面…現代社会を語っており,それが大変リアルで恐ろしい現実だと思った。 真犯人の最後の言葉はもっと強烈。 …だけど、青島の一言によってそれは払い去られる。 和久さんから受け継がれた精神の強さの表れである。 劇場版の1と2と、そのたびに誰かが死の淵まで追い詰められ、自身も瀕死に近いところまで行き、誰よりも“命の重さ”を知る青島だからこそ説得力があり,力強いものになっているのだと思う。
 “命の重さ”をわからない人が出てきていると作り手も指摘する。 それは真犯人にも指摘できることだった。“生”という最大なテーマがここにあり。爆発する建物から出てくる青島は“生”を体現しているようであり,その一歩一歩がとても力強い。 そして、和久さんの言葉を青島が代弁する場面はとても感動的で心に響く。
 『踊る』はいくつまで続くのか…やっぱり、エンドロール後のカットは一見、なんでもないようで期待できる,また気になるカタチで終わってる。 いや、終わっていると言うよりも続いている…と言うべきだろうか? 現に製作者側は『3』は“最後”のつもりで作ったのではないと語っている。 だから、また今後も期待できそうだ。 新しい湾岸署での新たな事件が青島と、視聴者を待っている!! …そんな気がしてならない。 青島と室井との約束の行方も凄く気になるし。 そういうサイドエピソードも完結するところまで話が続いて欲しいと願うのである。

今回の星!!
★★★★☆
4.5点!…ってところでしょうか。
まだまだこの勢いは衰えることはないだろう。
(ドラマ再放送がやればいいのにな。)
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by jd69sparrow | 2010-07-06 18:57 | 映画タイトル あ行

ヴァンヘルシング(2回目)

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<あらすじ>
 モンスター・ハンター,ヴァン・ヘルシングは ヴァチカンの協会の命によりモンスターを退治する,過去の記憶のないモンスター・ハンターである。 彼は、例によって協会から,トランシルバニアに飛び、ドラキュラ伯爵を倒す依頼を受ける。 協会のある研究所で働く,発明家のカールと共に旅立つ。
 トランシルバニアは小さな村。 その村にはドラキュラを倒すべく戦う一族の末裔,アナがいた。 彼女には唯一の家族である兄ヴェルカンがいたが,ドラキュラ伯爵の策略により,狼男の呪いをかけられてしまう。
アナは兄を助けるため,ヴァン・ヘルシングは使命のため,協力してドラキュラ伯爵に戦いを挑む。 伯爵の計画を阻止するためでもあった…

<感想>
 ブラム・ストーカー原作の『吸血鬼ドラキュラ』で、吸血鬼ハンターとして登場するのがヴァン・ヘルシングだ。ドラキュラ伯爵と対決する位置として出てくるあたり、本作で伯爵が言う“因縁”につながるのだろう。 原作に出てくるヴァン・ヘルシングは還暦を越えているし、最初映画公開された頃も、その設定に基づいている。 今までヴァン・ヘルシングが登場する映画は10作近く作られていて、原作より若い設定になるのはその中でも後半の方。 2004年公開『ヴァン・ヘルシング』は180度それらとは異なると思う。 アメコミヒーローとまではいかないけれど、現代ヒーローとして,“主人公”として登場。 カリスマ的なモンスター・ハンターだ。 
 原作ではエイブラハム・ヴァン・ヘルシングといい、ファーストネームが聖書の中の人物に対し、本作は名前こそ違うが同じく,キリスト教を連想するものなっている。 しかし、本人がその名を知らないという。 “ガブリエル”。 神の言葉を伝える“メッセンジャー”(※Wikpedia参照)的役割であり、その重要な役割を持つ天使ガブリエルについても、伯爵の言葉によりなんとなく,ほのめかされている。 …ってことは、ヴァン・ヘルシングってもしや!! って思うのである。 それに、 映画の設定上,ドラキュラ伯爵はヴァン・ヘルシングにより,裁きを受け,命を落とした後、悪魔と契約しているのだから。
 続編が出るとささやかれた本作。 それは噂に過ぎなかったのかは、定かではないが 謎の点が多く、それを明らかにして欲しいと願ったファンも多いはず。 個人的にフィーチャーされて欲しいと思ったのは、ヴァン・ヘルシングの過去。 まさにここが最大の謎の部分だと思う。 協会の前で倒れていたというところから、何か匂わせるものはあるが、一切 記憶を失った経緯などは語られていない。 もし、実写映像としてみたいの喪として、まずは 何故記憶を失ったのか? また、ドラキュラ伯爵との因縁はどのように生まれたのか? ということである。 何故因縁があるのかというのは、伯爵の「自分はガブリエル(ヴァン・ヘルシング)によって殺された」という言葉でわかるが。 伯爵が“悪魔”となる前後のエピソードをこの,ヴァン・ヘルシングの過去と同時進行で物語作品となったらなぁなんて思うのだ。
 伯爵の「四百年ぶりの再会か?」という言葉から、ヴァン・ヘルシングが何者なのかととても気になるところ。もし、“神のとなりいる存在”というのが本当だとするならば,翼を失った天使なのか?という疑問もある。『コンスタンティン』に登場したガブリエルのように。 『コンスタンティン』では悪魔と天使の中間という設定だが、なんとなく『ヴァン・ヘルシング』でもそれに近い何かがあるのではないかと匂わせる印象。 宗教がらみのことがあるとなると、やはり“ガブリエル”と名のつく人物もキリスト教で語られる上での,天使ガブリエルの設定をどこか担っているものだろう(当たり前かもしれないが)。
 また、モンスターハンターという設定ならば、また新たな敵と戦うという話があったらと思う。 とは言っても、モンスター映画の代表的な吸血鬼に、フランケンシュタイン、狼男…と出尽くしているのだが。
 二度三度と見ていると、物語は楽しむけれど注目する点が変わってくるものだ。 最初は、ウルヴァリンとは全く違うタイプのヒーローで、見た感じはソフトな感じで気品もあるが,実はワイルドセクシーなヒーローであるというところがイイ(もちろん、登場人物のキャラクター性を強調するファッションも繊細で美しい)。…とぱっと入ってくる情報に視線が行く。 回を重ねていくと見た目やどんな面白さかというのは、わかっているのでそれ以外のこと。 隠された謎をとことん追求したくなるし、色々な仮定も考える。 あまりにも掘り下げて欲しいポイントがある…何故? っと気になり続けるのだが、そこでストップしているのもオイシイのかも??
 最後の衝撃的な場面。 アナとヴァン・ヘルシングの最後のツーショットが悲しい場面だけど 凄く心に残る場面で何より悲痛の叫びが ヴァン・ヘルシングの感情を最大に表現されているところであり どの場面よりも印象的である。  
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by jd69sparrow | 2010-06-27 23:36 | 映画タイトル あ行

IRON MAN 2

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<ここまでの話>
 軍事兵器の生産と開発をする会社のCEO トニー・スターク。 彼自身技術者としての確かな腕があり,巨万の富を持っている。 彼の会社で開発された兵器のお披露目の日、事件に巻き込まれた,トニー。 その事件の最中で生死をさまよう事態になるが、テロ集団に同じく捕まっていた医師に救われる。 …が、しかし 命は助かったものの,金属で出来た“心臓”なしでは生きられない状態だ。 監禁されていた際に ありあわせの道具で作り出したのが“アイアン・スーツ”である。 全身を鉄のアーマーで覆い,彼はその日からアイアンマンとなり、世界の平和を守る戦士となる。 部下の裏切りにより,とんでもない兵器が生まれるが、激闘の末勝利したアイアンマンは一躍ヒーローに。

<今回のあらすじ>
 アイアンマンは若者を中心とした多くの人々から愛されるようになった一方で、政府から目をつけられていた。 それは、“アイアンマン・スーツ”が兵器とみなされていたからである。 しかし、口の巧いトニーは体の一部と豪語することで、切り抜けるが また、新たな危険が近づいていた。 
 トニーは相変わらず派手好き。そして、大胆。 自らの正体、つまり 自分がアイアンマンであると公表するも彼の人気は変わることはなかった。 メディアに引っ張りだこなトニーだったが、それが災いしてか とんでもない敵を作ることになる。ウィップラッシュ。 ロシアから来たトニーに引けをとらない技術力を持った,手ごわい敵である。 トニーの会社の商売敵であるハマーと手を組んだウィップラッシュはトニーを追い詰めていく。
 ヒーローとして崇められてきた,アイアンマンの運命はウィップラッシュの手で“ゲーム”に賭けられ、ヒーローとしても…また、自身も命をつなげる金属の心臓によるリスクに苦しむことになる。

<感想>
 堂々としているヒーローはカッコいい。 正体を隠しながら、人々を悪から守るというのがアメコミを含む,万国のヒーロー像が多い中でとても貴重な存在と言ってもいい。 することなすこと、人目を引くことばかりで、金をもてあましているようにも見えるけれど、不思議と憎めないのはその愛嬌の良さだろうか。 ブラックウィドーというまだ謎に包まれた集団の一員,ナタリーに“典型的なナルシスト”と評価されるくらいのナルシストでもある。 ナルシストって聞いたら「自分大好き」というのを執拗にアピールする…例えば王子っぽいような男が「僕って最高」みたいなふうに言って歩くようなそんなイメージを個人的にはイメージしていたのだが、トニーの場合はとにかく大勢の前で見せるアイアンマンとして輝く自身っぷりにそれがあるのだろう。 自分の正体をあっさり明かしてしまうだなんて…掟破りなヒーローだ。 トニーのその性格を象徴するのがやはり、アイアンマンとしてエキスポへさっそうと表れ、観客の前でトニー・スタークに戻るというパフォーマンス・シーン。  とは言え、その派手の登場っぷりのカッコ良さったらない。 
 しかし、そんなエンターテイナーの裏側には,命に関わる,逃れようのない危機に苦しんでいる。 その苦しみが増せば、増すほどトニーは突飛な行動へと走っていく。 リミットが迫っているという緊迫感がスクリーンにじんわりと映し出されつつ、物語は進行する。 リミットというリスクを背負ったアイアンマン。 ヒーローものの多くが、恋人との時間が作れない自分へのもどかしさが悩みである一方で、それなのである。 世に悪ある限り、彼らのヒーローとしての人生から解放されることはない…という悩みはアイアンマンにも共通する,ヒーローの悩みであり,宿命。 人々を守る守護者にはリスクがつき物なのだ。
 今回、明確な敵が初登場となる。 前回は身内の裏切りで、その暴走を阻止するのがアイアンマンの役目だった。 それを成し遂げた現在、安心も束の間、トニーの平和を誓う笑顔が消える。  その瞬間は、まさに盲点をつかれたのごとし。 その敵とは亡き父の無念を晴らすべく立ち上がった敵。 そして彼はメカニックの天才とくる。 しかも、アイアンマンと同じ動力源により、戦いを挑んでくるというあまりにも不意をついた攻撃手段(もちろん、彼の父親がトニーの父親とのつながりが関係するのだg)。 アイアンマン一人では、かなり手ごわい相手。 何故なら、アイアンマンの攻撃には弱点があるからである。 手のひらから発車する光線は時間を要するため,ウィップラッシュの攻撃には中々追いつかないのだから。 とは言っても、逆のことも言える。 それは両者の攻撃パターンの違いにある。 ウィップラッシュの攻撃手段はムチ…つまり、武器によるカタチある戦闘手段。 それに対し、アイアンマンは拳はさることながらだが、光線という形の定まらない攻撃手段。 この戦いは戦闘能力とか,機能の良さというより,意外に頭脳戦なのである。 一見して、力比べに見えるが実は違うのである。  
 面白いと思ったのが、トニーの腐れ縁的な親友ローディがマーク2こと,“アイアンマン・スーツ”を身にまとった後のくだり。 (きっと「1」を見ればわかることなのかもしれないが)、アイアンマンの開発であるトニー以外の人間がこのアーマーを簡単に着こなせてしまう、あまりにも簡単に。 そして、暴走したアイアンマン姿のトニーを止めるためにローディはこの行動に走り,色の違いを除き,同じ姿をしたヒーロー(アイアンマン)がケンカするというドハデな戦いはなんだ見ていて楽しい。 その後に、ローディがハマーにマーク2を預けたあたり,なんだか裏切られたのかな?と思いきや、しまいには相棒として一緒に戦うというバディ型におさまるのがちょっと意外。 思いっきり、日本の庭園をイメージさせる背景で背中合わせで、二人でウィップラッシュと戦うという。 その光景が見たことのない絵図であり,こんなバトルステージもありだな、なんて思ったりした。  “二人のアイアンマン、ただいま参上!”という感じ。
 実際、原作ではローディがアイアンマンの代理をつとめていたというこれも珍しすぎるエピソードがあるという…驚き。 親友だからこその展開だろうけど、あっさりそんな人に任せていいのか?なんて思ったり。 思いついたら、迷わずに直ぐ実行というトニーの潔い性格を物語っている。 社長の椅子より研究が大事と言って、秘書に,これまたあっさり,譲ると言う…なんとも大胆。 
 何故簡単にアーマーを他人に預けたのか。 それは口では言わないけれど、ローディの助けを必要としていた…という、トニーの心の奥の本音がそこにあったからなのではないか。 唯一、頼もしく,信頼の置けるローディだからこそ,信頼したのだろう。 どんなに酔っていても,ほんのわずか本音という自我が残っているのだと思った。  そしてそこで、気になるのが壁に並べられた“アイアンマン・ヒストリー”。 トニーのナルシズムな部分から来るものだろうけど、過去のアイアンマンたちが飾られている。 自分の成果を常に目で見えるようにしておきたいということなのかもしれないけれど、ファンからしたら嬉しいところ。 あまり長くは映っていないけれど、このアーマーにはあんなエピソード…と「1」から見ていたら振り替えることができる。 しかも、過去に活躍した跡がちゃんとそのまま残されているという☆  デザインなどはほとんど変えずに,どんどんパワーアップしていくのがまた良い。 前作では“誕生”ということで、試行錯誤が重ねられアイアンマンのスーツは形を変えていくけれど、前作と今回とは外から見る感じでは同じ。 また,ライブ中継のように,アイアンマンである間もその中にいる者の感情も見れるのも前回から引き続きあって、良いと思う。 
 とても印象に残るのが、アイアンマンの動き。 とても滑らかに柔軟に動くのだ。 その動きはヒーローのらしいものだけでなく,コメディアン・チックなのもあっていい。 戦うときに関しては、磁石がひきよせられるときのように速く動くところや、やっぱり“鉄の音”が響くときが忘れられない。 だから、空からかっこよく着地するところなんて最高。 この着地だが、二種類あって もう一つの方がなんとなくお茶目というか可愛い。 空を飛ぶメカとしては自然なことと言えばそうだが。 
 登場時間が少ないながらも、確かな存在感を残すのがニック・フューリー。 平和を守るというアイアンマンとの共通点以外、謎だらけの男。 ニックはあらゆるヒーローたちを見守ってきた,守護者的な存在であり ある組織の一員。 いわばトニーからすれば,スカウトマン的な位置。  組織の存在が明らかになったあたり、マーベルコミックらしさ?のようなものが感じられるようになることがとても嬉しい。 スパイダーマンなどとは違い主人公自身に特別な力を持っているわけではないという設定上、他のマーベル・ヒーローものとは一線を置いていた感じだった中で、まるで『X-MEN』の世界観を思い出されるような感覚になるからだ。
 アイアンマンだけでなく、見所はたくさんある。 やはり まず最初にモナコでのレース。 風景として楽しんだ後、ウィップラッシュとの初対面場面ほど強烈な印象に残る場面はあまりない。 敵の力が初めてお披露目する場面だからである。 そして、この印象深い後に 軽量化され,スーツケースから足でのワンプッシュで瞬く間にトニーがアイアンマンに変身という見所まである(この場面は 突然の強敵の出現によって驚いてることもあるのだろうけど、その時のトニーの表情はスターク・エキスポに登場したあのナルシストとは思えない、素そのもの。ヒーローの顔とも言える)。 ある種のアートが仕上がるがごとく、細々と,徐々にアイアンマンになっていくのがイイ。  
 そして! 忘れてはならないのが ブラック・ウィドーなる組織の一員である,ナタリーのバトルシークエンス。 身体能力という武器だけで男たち相手に戦い、倒してくのがなんともカッコいい。 どのショット,ひとつ挙げてもキマっていて,ここだけが異空間。 女性版イーサン(『M:I』シリーズ)な風格だ。 女性ならではの美しさとキレの良さが活かされたアクションである。  まだまだ謎の多い,ブラック・ウィドー…続編があればいいのにと私は思う。
 ヒーローアクションはいかに迫力ある映像見させるか…というのが、印象深い。しかし、この作品では トニーのヒーローとしての苦しみなど、人間味もある。 その他にも作品を探ってみることできっと何か見えてくるはず。 つまり、見た目ではわからない何かがあるということ。 表面で見がちだがじっくり人物の動きを見てみるよう努めたいところ。 それこそが“映画を見る”ということだと思うから。 

 そして…
エンドロールが終わるまで席は立たない
ことをオススメする。 特に原作からのファンなら。 そうでなくても、なんだかワクワクすることだろう。 意味深の締めくくり。  そして、意外なところに意外なキャラクターが出る予兆だという…なんとまぁ、期待させてくれること!!
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by jd69sparrow | 2010-06-11 22:08 | 映画タイトル あ行

噂のモーガン夫妻

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<あらすじ>
 ポール・モーガンは弁護士で、メリル・モーガンは不動産のセールス・ウーマンだ。二人とも有能で誰もが羨みそうな夫婦である。 しかし、この二人には今、問題があった。ポールの浮気が原因で別居中で,離婚も秒読みと言っても過言ではなかった。 しかし、ポールは自分の過ちを認め,なんとかメリルとのよりを戻そうと必死だ。 なんとか二人での時間を作れた矢先、事件は起こる。殺人現場を目撃してしまうのである。 犯人の顔を見たメリルは命を狙われる。 危険な生活を避け,落ち着くまで警察の保護下に置かれるようになり、二人はニューヨークを離れ田舎町へと送られる。そこはレイという名の街で、二人は保安官の家にしばらく泊めてもらうことになる。
 夫婦の間がギクシャクする中で,そして,外部への連絡手段も全て暗証式となり,実質何も身動きがとれない環境下で,二人の共同生活が始まるのだった。

<感想>
 ポールとメリルの二人に共通するのは意地っ張りということ。だから、共同生活も最初はうまく行かず,ぶつかり合うことも多々あった。だけど、この共同生活は、殺人鬼から難を逃れるために警察が用意した偶然のものとは言え,必然だったのだと思う。 別々に暮らしていれば、二人の間に壁があったまま、そのまま絆も自然消滅の道を辿っていたことだろう。だが、向き合う時間が出来ることで状況は少しずつ変化していく。お互いがまだ、相手への気持ちを少なからず持っていたからこそ、だ。意地を張るということがどんなに馬鹿馬鹿しいことなのかを気付かされるのである。
 保安官とその妻はとても仲がよく。良い意味で二人ともドライ。そんな二人を見て,ポールたちもその絆に影響されて,お互いの関係を見直すことになる。 夫婦には一緒にいる時間を出来るだけ多く作る。時間を作り、それをコミュニケーションする時間とする。 これが少しでも欠ければ 溝が出来てしまうし、二人がそれぞれ犯した過ちのようなことが起こりうるのだと思った。会話のの時間は大切なのだ。そして、本音を隠すべきではない。隠し事をしてはならない。やり直す気持、向き合う気持ちがあるならば、相手の過ちも許すべきなのだ。その相手が悔いる思いがあるのならば尚更。
 仕事から離れた田舎町で、二人は互いの力を発揮していて,特にメリルが町の医者の古い家を客に紹介されているところなど印象に残る。また、ポールは終始,メリルにやり直そうと持ちかけて、メリルのピンチには体を張る姿がとても男らしく、また夫らしくみえる。 カッコいいところだ。二人はずっと忘れていた大切なものをこの田舎での暮らしの中で取り戻す。
 サスペンスもあり、笑いもあり、温かいところもありとても楽しい映画だ。作品が伝えようとしていることが設定上わかっていても、作品全体を通してみると、そのメッセージがいかに大切なのかがよく伝わってくる。
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by jd69sparrow | 2010-04-25 14:59 | 映画タイトル あ行