カテゴリ:映画タイトル あ行( 101 )

アバター

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<あらすじ>
 時代は2154年。スカイピープルと呼ばれる地球人は、惑星パンドラへと探索しに地球を出る。ジェイク・サリーは軍人を足の負傷で退役した身。ナヴィの種族を知らない,宇宙探索に関しては全くの素人だったが、当初行く予定だった双子の兄弟の死により,代わりに宇宙へと旅立つ。パンドラに住んでいるナヴィたちが暮らす自然はとても美しい場所だ。 しかし、偵察にやって来たスカイピープルたちにはある狙いがあった。それはナヴィたちを脅かすものであり、ジェイクはそれを知らなかった。
 ジェイクたちはナヴィの体にそっくりな肉体にリンクすることで、新たな体を手にする。リンクしている間だけは彼らにとっては別世界。 ジェイクの動かない足もナビィの体だと、自然に動き,そのことにジェイクは喜びを隠せず、どんな無謀なことにも飛び込んでいく。 
 パンドラにはナヴィのように人にそっくりな生き物ばかりではなく、いろんな生物が住んでいる。その中には人間に敵意を向ける獰猛なものもいた。 ただただ、ナヴィの体を楽しむジェイクは絶体絶命の危機に陥る。それを救ったのがナヴィの一族でスカイピープルの言葉も通じる,ネイテリという女性だった。 
 スカイピープルたちが空飛ぶ軍艦でナヴィたちに脅威を与える中、ジェイクはだんだん同じ地球人たちのやり方に疑問を覚え、ナヴィたちの優しさに触れた恩恵から,ナヴィと絆を結ぶ,研究者グレイスたちと共に,また,スカイピープルたちに立ち向かうナヴィと共に戦うことを決意する。

<感想>
 惑星パンドラは壮大な自然。そこで暮らしているのはナヴィと恐竜のような生き物だけ。人が未知の土地へ足を踏み入れた時、そこに文明を築き上げる。そして人がだんだんと多く、訪れるとそこは俗化されていく。人が暮らしやすいとわかると、豊かな自然は少しずつ消えてしまう。もしくは、カタチを変える。 そんな桃源郷のような場所は大切にしなければならないし、そこで生まれたナヴィたちを尊重するべきなのだ。 パンドラが架空の惑星であっても、実際宇宙には私たちが知らない数多くの惑星がある。 それに憧れるのは悪いことはなく、自分たちの星にないものを見たくなるのも当然。地球にだってそんな未知な場所も,美しい自然もあるわけだから、どちらにしても美しい自然や惑星は大切にしなければならない…そんな深いことも考えてしまう。
 仮想現実世界に、特別な力を得て戦うマトリックスのような世界もすごいけれど 同じ世界にいながら、リンクすることでアバターというもう一つの,全く違う体を得て,歩き回ると言うのはどんな気分なのだろう。 動きも身軽で人より背が高く、他の生き物たちとも自然と心を通わせる事のできるナヴィに、ジェイクやグレイスのように誰もがリンクしてみたいと思うことだろう。少なくとも個人的にはそうだ。自分の体は別にあるのに、アバターに入っている間も自分の本当の体のように身動きできるというのは、とても想像しがたいことだけど魅力的。
 軍にいる時もきっとそうだったのだろうと思えるほど、ナヴィとしてのジェイクはとても身軽で戦士としての力が大いに発揮される。 個人的に『アバター』という映画に出てくるナヴィに良い印象は持っていなかったのだけれど、ジェイクやネイテリを通し,ナヴィは人情に溢れた存在で 武士のような強い精神を持ったカッコいい存在だと思えてくる。 彼らは皆、スカイピープルが銃を持ち,ロボットで戦うよりもずっと格好よく見える。特に、後半戦。 
 子供のように好奇心旺盛で、無茶な人間でしかなかったジェイクは、ナヴィと彼らのの守る自然を知るうちに心が清められていく。 その様子が丁寧に描かれている。 それを知ったからこそ、最初はとっつきにくかったグレイスを理解し、ナヴィの精神をも取得していくのだと思う。
 ナヴィの暮らすパンドラの美しい世界観、ナヴィと人間との間に立つジェイクの心の葛藤と、ナヴィの仲間として,人間として成長していく課程がとても見ごたえがある。
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by jd69sparrow | 2010-04-25 11:55 | 映画タイトル あ行

アリス・イン・ワンダーランド

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<あらすじ>
 アリスが始めて“アンダーランド”を訪れて13年という月日が経ったある日、大人と子供の境目にあるアリスは選択を迫られるが、どうしたらいいかわからず,逃げるようにしてその場を後にする。 その時アリスは白いウサギを目にし、木の根元にぽっかりと空いた穴へとたどり着く。ウサギが消えたその穴を覗いた,その直後、吸い込まれるようにしてアリスは穴の奥深くに落ちていくのだった。
 不思議な部屋にたどり着く。そこにはいくつものドア。 ドアの中で一番小さなドアに入るために薬やケーキの力を借りてなんとか,扉を開ける。 その扉の向こうには世にも不思議な世界が広がっており、アリスの目にはとても現実とは思えなった。 
 そこでアリスはかつて訪れた時に出会った、仲間達と再会し,彼らからアリスがアンダーランドに平和を取り戻すべく,悪と戦うという預言を聞かされる。 マッドハッターたちの力を借りてアリスの悪を倒すための,また自分の進むべき道を探す冒険が始まる。

<感想>
 「不思議の国のアリス」は19世紀に生まれ、愛され続けてきた不朽の名作の一つ。日本にやってきた,この名作は何人もの翻訳家によって訳されたそうだ。原作では、挿絵が複数の人が手がけられた(初版と、その後に出版されたものとで)。一つの作品が何人もの人たちの手で読者へ届けられる…その数が多いほど,その作品が愛されているということになるのだろうと私は思う。翻訳する人が違うと,物語の根にある魅力じたいは変わらないにしても、印象はちょっとずつ違うだろう。 だから、様々な人により訳された本それぞれを、読み比べするのも面白いかもしれない。 解説を読んで、印象に残ったのが 固有名詞である人物の訳し方。 (他の国で日本の小説が訳されるときもそうかもしれないが)その国で親しまれるように、カタカナの名前を,日本人風の名前に変えるというのが面白い。 「アルプスの少女ハイジ」でもそうだったように。 
 ルイス・キャロルという想像力豊かな作家によって生み出されたアリスの物語とティム・バートンとの出会いは運命的だと言っても過言ではない。こうとも言える。イマジネーションに長けた,原作者と監督の「不思議の国のアリス」という作品を通しての必然的な出会い。 バートン監督の作品の数々の世界観は,「アリス」と,とても相性がいい。
 世に知られる童話の数々。「シンデレラ」や「白雪姫」という名作をディズニー・アニメにより知ったという人は少なくないはず。それだけディズニーの影響力は大きい。
個人的に、ファンタジックで色彩も柔らかなパステルカラーな印象を受けていたのだが ダークな色合いにより,描かれたこの「アリス」がまさに原作のカラーだったのだろうと思った。 「本当は怖いグリム童話」という本があるように、童話は暗い部分があるものなのかもしれない。
“ネバーランド”に訪れた子供たちが、自分たちの世界に戻り,大人になると不思議な世界を忘れてしまうように、夢のような世界“アンダーランド”に再び訪れたアリスも同じだった。しかし、「ピーターパン」と本作が違うのは、大人になった主人公がもう一度不思議な国へ戻れたこと。
 アリスが初めて訪れたのは6歳の頃。マッドハッターやウサギたちはアリスが戻ってくると信じ、待ち続けること13年間、ティーパーティで待ち続ける。どんなふうにここで,この長い年月が過ぎていったのだろうか。「スリーピーホロウ」のクライマックスに出てくるような場所で… アリスが救世主だと信じる彼らの時は,アリスが現れるその日までずっと止まったまま。 そんな中,どんな思いで待ち続けたのだろうか。
『不思議の国のアリス』を最後に見たのはいつのことだっただろうか。あまり何度も繰り返したという記憶はないけれど、幼い頃にやはりディズニーアニメで見たという記憶はある。 その記憶も見たという事実だけを覚えているというものなのだが、不思議と物語の随所随所は覚えているのは何故だろう。幼い頃の記憶というのは-印象の濃いところは特に-大人になっても覚えているものなのだろうか。それともこの物語の持つ“力”なのか。
本作を見て「そうだったのか」というところがいくつかある。 どんなキャラクターが登場するのかという点、キャラクターの性格…などなど。 例えば、ウサギ。 「アリス」でウサギと言ったら、懐中時計片手に「大変だ!」と言って走り回り,アリスを不思議の国へと導く(意図的にではなく)白いウサギというイメージが個人的に持っていたのだが、実はもう一匹ウサギが存在したということを気付かされた。 三月ウサギ。 白いウサギとは似ても似つかない,むしろ正反対とも言える。なんでもそこにあるものを投げる癖のある,三月ウサギ。長年の仲であるマッドハッターはともかく、アリスも物語の中盤を過ぎた頃には三月ウサギの投げるものを,すっと避けれるところが面白かった。アリスの持つ力なのか、それとも幼い頃にこの場所へ来たことを体が覚えているということなのかはわからない。
 どんな結末だったのか、マッドハッターとのお茶会、ハンプティ・ダンプティとのやり取りの風景…などなど原作をもう一度おさらいしたくなる。文字として、映像として。 「鏡の国のアリス」も然り。 
 「アリス」において、やはり語らずにはいられないのが美術。物語自体にも十分に魅力があるのだが、“世界観”はとても重要なポイント。 見るもの全てが魔法で出来ているかのようで、動物も花も言葉を話すなど奇想天外な場所、この設定だけでも魅力的だが,バートン監督版は少し不気味だけどよりいっそう魅力的。最新技術により作り出されたとは言え,城は城内の隅々まで見たくなるほど綺麗で可愛い。 それは、赤の女王,白の女王の城共に言える。 赤の女王は欲深く,無慈悲な性格だけれど,彼女の住む城はとても色鮮やかで綺麗。 赤を中心とした色使い、贅沢に手入れをされた庭…そんな城から来る赤の女王の印象は、派手好きで…気に入らないと,すぐ「首をはねよ」と癇癪を起こす性格とは裏腹に彼女の憧れる女王像の表れと思われる。
 アンダーランド全体の雰囲気もさることながら、美術的に印象に残るのが衣装。特にアリスのもの。体が伸縮するという特殊な設定なだけに衣装は様々だ。ベーシックかつシンプルなドレスから、甲冑までアリスの着るものは実に多く,中でも綺麗だと思ったのが 赤の女王から与えられた,赤のドレス。 アリスを印象付ける第二の衣装という感じ。もう一つが小さなドアからアンダーランドへ足を踏み入れたときの服。現代風で露出のあるドレスだが,全く違和感のない花びらが折り重なったかのような美しさがある。
 物語を全体としてみると,とても平凡。 “シンプルに”という作り手の言葉があるからなのかもしれない。だけど、もっとダークでブラックユーモアに作れたのではないか?とも思う。 しかし、よく目を凝らしているとそんな,バートン監督らしいところが見受けられる。それは物語の始まり,タイトルが画面に出てくるところや、普通の人間でさえ,また アリスの住む世界でさえ“世にも奇妙な”印象を受けるところなど様々だ。 出てくる人たち全員とは言わないが、色白で目の周りが暗い感じがする登場人物を見ると 「コープスブライド」に出てくるキャラクターたちを思わせる。たまたまなのか、アリスへ求婚する貴族がとりわけ,そうなのだ。 その他、「スリーピーホロウ」ばりの不気味さが垣間見れるところもあった。
 キャラクターはどのキャラクターをとっても,かなり個性的だ。宣伝文句にある「マトモではいられない」という言葉のようにアンダーランドには誰一人として,完全にマトモと言える者はいない。個人的に好きなのがトウィードルダムとトウィードルディーの双子と、マッドハッター。 まず、双子は意地悪なキャラクターと思っていたが,実はそれは大きな間違いで とても憎めない,愛らしいキャラクターだ。サイズ、姿形、その行動(性格)、どれをとっても面白い。二人の会話もさることながら、どつきあっている場面はお笑いコンビのようで愉快だし,ジャブジャブ鳥に捕まって無気力な後姿がとても愛らしい。
 マッドハッターは、純粋な少年そのものだけれど,素朴な一面も見えたり,格好よく映るところもあったり,時にはダークに見えたりもして いろんな面を持っているのが魅力的な人物。 ピエロのようにも見えるけれど 帽子屋としての手さばきにあっと驚かされたりもする。
 彼のトレードマークとも言うべき帽子。 それは、インディ・ジョーンズやジャック・スパロウが持つ帽子と同じように持ち主にとって欠かせないものであり,特別な力を持つものだ。他のキャラクターもそうかもしれないが マッドハッターにとって帽子は、体の一部のような存在で,自分らしくいるために必要なもの。そして格好よく見せるアイテム、そして時には意外なところで活躍もする。
 幼いアリスが父親から教えられた“ありえないこと”はアンダーランドを表すもので,ずっと信じてきた大切なこと。 “原点に帰る”というふうな説明があるのはまさにそこから来るものだ。そして、物語の始まり,本当のアリスの冒険が始まるときは,小さい頃に学んだ“ありえないこと”へと戻る瞬間。 その冒険の始まりは、13年前の時と同じ。そこで、原作の第一作目が瞬時に頭の中でプレイバックされるのだ。
 父親の精神は娘へと受け継がれる。父親がアリスに残した言葉,「才能がある人はみんな頭がへんなんだよ」という言葉もその精神から来るものだろう。 アンダーランドを見て,それが夢か現実かわからず,混乱するアリスへ父親が書ける言葉である。 だから、「人から変だと言われても,また自分がおかしいと思っても気にすることなかれ。人より優れた力あるということだ」ということなのだと思う。
 人は必ず選択を目の前にするときが来る。 そんな困難にぶつかったときは 自分を信じた道へ“冒険”することだと,(この物語は)教えてくれているかもしれない。
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by jd69sparrow | 2010-04-18 18:06 | 映画タイトル あ行

男と女の不都合な真実

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<イントロダクション>
 恋愛に関する男女それぞれの本音を語る映像作品というのは、私の知る限り日本にはまだないだろう。 もしくはあまりない。 少なくとも、これ程堂々と過激かつ大胆に述べるものはないはず。 また、男女問わず楽しめるロマンティック・コメディなんて、新鮮だ。 この新しい切り口と言えるこの作品ではあらゆる言葉、本音が行きかうけれど、学ぶべき要素が多く散りばめられている。 それは、現代うつしたリアルな“真実”があるからだろう。 よく主人公と自分とを重ねあわせることができる、という評価を耳にするけれど 作品を見た後、それを本当に実感できるし,考えられる。 ジェリーが語るように“普通のロマンティック・コメディ”ではない。 華やかなラブストーリーや ありきたりな話に飽きた方,また“普通ではない、ひねりを効かせた話”が好きな方にオススメな作品だ。

<あらすじ>
 敏腕プロデューサー、アビーは地方局の報道番組を背負っている。 しかし、そんな彼女の番組の視聴率は低迷しつつある。 おまけにアビーは理想が高すぎて相手が中々見つからず,仕事もプライベートも順調とは言いがたい日々。 ある日、偶然見たテレビ番組「醜い真実」。 それはパーソナリティが男の本音を言葉選ばず、ストレートに語り,視聴者と電話を用いての恋愛カウンセリングをするというもの。 完璧主義のアビーにとって最も敬遠すべきものだった。 アビーの上司スチュワートから、視聴率をあげるために呼び寄せられたのがなんと、その低俗な番組の司会であるマイクだった! 報道とは全く世界が違うところから来たマイクの出演はアビーの懸念に反して、好成績を生んだ。
 恋愛感など考えが全く異なり、意見の対立するアビーとマイク。 ついに理想の相手を見つけたアビーだが、いざチャンスをつかんだものの,中々一歩の踏み出せない。 意に反するものの,自称恋愛プロのマイクの力を借りることに。 アドバイスを受け,指南を施すという二人は思わぬところで自分の本音を知る…。 

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by jd69sparrow | 2009-09-24 15:34 | 映画タイトル あ行

ウルヴァリン X-MEN ZERO

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<イントロダクション>
 “アメコミの映画化の先駆け”と聞いて驚きの後に、納得できた。 シリーズ第一作が公開されたのは2000年と、十年近く前。 それ以降 数々のアメコミのヒーローが脚光を浴びてきた。 そしてそのスピンオフが主人公にスポットライト当てているという意外というの指摘にも頷ける。 ウルヴァリン。 確かに彼の活躍はひときわ目立つため、主人公と考えられるのだが 実際、これまでの三部作は主役争い的でもあった(これも解説にあったが)。 『X-MEN』は一作目から…というか最初からヒーローたちには力があるというのが他にはない『X-MEN』ならではの特徴と言えるだろう。 それゆえに,それ以前の過程は謎のことが多い。 
 そもそも“ウルヴァリン”という名がどのような由来からくるものか、ということが明かされる。 それはとてもロマンティックなものである。 アクションのみならず、他のあらゆる面で楽しめることだろう。
 『ウルヴァリン』はミュータントと呼ばれる特殊能力を持つ人々からなるプロフェッサーXにより集められたX-MENという名の組織の先頭を立つ,ウルヴァリン誕生の秘話を、能力覚醒からX-MENへの加入に至るまでを過程を語る物語だ。

<あらすじ>
 18世紀半ば。 ある呪われた運命を背負う一人のミュータントが誕生(覚醒)する。 彼の名はジェイムズ・ローガン、後のウルヴァリンである。 少年時代、悲劇により真実を知ったローガンは幼心にはあまりに衝撃的な事実から逃れるべく、兄のビクターと共に150年間 ずっと戦地で過ごす。 そんな彼らの元へ謎の男,ストライカーが現れる。 彼は二人に言う、「本当の意味で国のために働かないか」と。 兄弟はストライカーが統率するチームに加わり、任務をこなすが その行為に疑問を感じたローガンはチームを脱退。 しばしの平穏な月日が流れる。 しかし、平和な彼の日々もそう長くは続かなかった。 愛する人を奪われたローガンは その元凶であるビクターを倒し,敵討ちを決意する。 そして、ビクターを倒すための力を授けるというストライカーの申し出を引き受けるのだった。 それはストライカーの陰謀の余興に過ぎなかった、さらにその直後にまたや,愛する人たちをストライカーたちにより奪われた。 復讐心に火のついたローガンはウルヴァリンと名乗り,彼らへその復讐を果たすべく戦う…。

<感想>

※ネタバレにご注意を!※

 冒頭からいきなりの衝撃を受ける。 この衝撃的かつ悲劇的な出来事がその後の彼の運命を表しているかのようだ。 というよりも“始まり”だったのだろう。 少年時代から始まるわけだが、意外なのがローガンが覚醒前は病弱であったということだ。 戦争・戦いは人を変える。 ローガンは持ち前のパワーと拳から出る長い爪を武器に強く成長する。 ミュータントである彼は兄と同様、化け物と恐れられるけれど人間らしい優しさは、持ち続け,それはいかなることが起ころうとも変わることがない。 その温かさがビクターと大きく異なり、長所でもある。 少々乱暴ではあるものの、心は人間そのものなのだ。
 ストライカーは自分が考える正義こそが、正しいと思い込み,彼の行く手を阻む者は排除するという考えの持ち主だ。 一つの考えに捕らわれている。 これを作り手は“聖戦”と表現しており、それはまさにその通りと言える。 とてもリアルに感じるのは、現実に相違することが存在するからだ。 “正しいことってなんだろう?そもそも正しいとされることはみな,正しいものなのかなど,一個人や一部の人々が理解し得るだろか?”というのは現実的な問題であり、それを掘り下げるときりがない。 
 現実的に考えると、その思想はマスメディアにより目に見えるものもあれば、あちらこちらで隠れているような気がする。 そう考えるととても恐ろしい人間の側面であると思う。
 この人物により人間兵器を生み出すことを考えれたわけだが、今は非現実的だが 遠い未来に現実になりうる気がしてならない。 映画の中で起こるそういう出来事は未来を予知しているように感じる。 その人の命はその人のものなのに、他人によりロボットのように操作されるのはとても悲しい。 デッドプールという存在がそれにあたるのだが、その初登場の場面で正体が明かされた際はなんとも皮肉だ。 生身の体のはずなのに機械に等しい。 けれど人には人を完全に支配しきれない。
 物語の最後、結末でローガンは『X-MEN』シリーズのウルヴァリンとして完成する。 その前までのローガンの消された記憶が意図的に作られたものかもしれないという指摘があるけれども 個人的には本物であると信じたい。 一番人間らしかった,また人のぬくもりの中にいた頃のローガン。 それがまがい物だとしたらあまりにも悲しすぎるし、そうでなくても 温かい記憶が失われて,再び孤高へ帰ってしまうわけだから悲劇である。 多くのミュータントが人間としての平穏な暮らしを望んでいるだろう。 それを阻むものがいて、これが人種問題という社会問題にリンクする点はリアリティがある。 ローガンの人生はミュータントしての目覚めのとき,少年時代からその波乱に満ちた人生が始まっている。 愛する者たちの命が奪われ、幾度となく悲しみを味わう、けれど悲しみにおぼれることなく前に進むという心の強さがウルヴァリンの強みで,その後も持ち続けるパーソナリティなのである。
 ストライカーの策略のもと、手にした鋼の爪。 これまでにない力を手にしたウルヴァリンは最強だ。 力をてにしたばかりの彼は少年のようで、コメディチック(コント?)な場面が垣間見れるのが,様々な味に満ちた作品のスパイスの一つなのだと思う。 ウルヴァリンの力が覚醒した瞬間,人の力では簡単に倒れないとわかったあの,怒りがこみあげていて,液体状の能力を持つターミネーターに弾丸を撃ち込むことのごとく,相手の攻撃を跳ね返す場面はウルヴァリンが悪役のようにも見えて,カッコいい。
 さらにパワーアップしたウルヴァリンの力が証明される場面がある。 ガンピットの登場場面だ。 以前の自らの骨の爪とは違う,切れ味が発せられ、その他にも爪を応用した一撃を食らわす場面もまた然り。
 ガンピットもその初登場場面から印象深く、力をいろいろな媒体を使いチャージし,多様な方法でその力を発揮するところがウルヴァリンに負けず劣らずである。 しかも、かなりの美味しい場面を持っていっており,まるでウィル・ターナーのようだ。
 今回もまた前半からミュータントの様々な能力が見れる。 そのどれもがやはり,主役級ばかりで サイクロップスの力を見るときはシリーズは既に見たはずなのに、先取りした気分にさせられた。 おそらく、この「X-MEN ZERO」から見た方にはそうなりうるだろう。
 アクション、ヒューマンドラマ、(微妙に)コメディ、そして社会問題と様々な要素がある『ウルヴァリン』。 「X-MEN」シリーズとは違う味(例えば、老夫婦との場面)を出しながらも、面白さや完成度がシリーズに劣らない従来のスピンオフを超える作品だ。 だから視覚的だけでなく,内容的にも楽しめるし,もう一度シリーズ通して見たくなるような要素がふんだんに施された最高傑作だと私は思う。 

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by jd69sparrow | 2009-09-14 23:19 | 映画タイトル あ行

ウォッチメン

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<イントロダクション>
 個性豊かなヒーロー達が一度に集結する話が好きだ。 なぜなら一つの作品に一人の基本がたくさん味わえるからだ。 『ファンタスティック4フォー』や『リーグ・オブ・レジェンド』もそうだ。 『ウォッチメン』はどちらかというと後者に近いと思う。 違うのは他の作品の人物たちの集合ではないこと。 ほとんどのヒーローが戦闘能力意外(素手とか)、普通の人間と同じであり、とてもシリアスな内容なところ。
 “ウォッチメン”とは“見張り”という訳語になっている。 ヒーロー達は顔を隠して人々の平和を“見守る”。 『Mr.インクレディブル』のようにヒーローの全盛期から落ちていき、再び動き始める(復活)ところまで描かれていたけれど、とえもシリアスな作品である。

<あらすじ>
 かつてヒーローの一人として戦っていたコメディアンが何物かの手により,殺される。 その裏に陰謀があると睨んだロールシャッハはこの事件の謎を解明すべく,一人捜査を始める。 ヒーロー達が消されていく、そんな恐怖が漂っていた。 そして、ロールシャッハはヒーロー仲間達に警告を発し、戦いが始まる。 そこには驚くべき、衝撃的な真実が隠されていて、それは彼らを苦しめることになる。

<感想>
 時代は二十世紀後半にさしかかった頃。 レトロな雰囲気、時代背景は徹底されている。 そこに映像的な最新技術が使われていてもそれは変わらない。 ヒーローたちがそれを物語っている。 エンディングテーマに至るまで,まるでその時代にタイムスリップして見ているような感覚。 映像、しかも斬新なものを得意とする作り手だけにもちろん視覚的にこだわりがすごい。 CGという以前に映し方。 何よりオープニングが印象的だ。 実際に人が演じているはずなのに、静止画のよう。 と言うより、ゆっくり時が過ぎていくという感じ。 そのふんわり感がすごい。
 そんな映像的な部分よりも内容の複雑さの方がもっと心に残る。 ヒーローものなのに、始まりは一人のヒーローの死から始まり、彼らは追い詰められた立場となり、何者かに命を奪われる恐怖に怯えていて、最後の方,少し悲しさが残る。 正義とは何なのか、平和とはどうあるべきで、どう手にするべきなのか、そこが一番問われるところ。 頭を抱えるポイントだ。
 ロシアとアメリカの間に、戦争が起きかねない状況にあり、それは世界に打撃を与えることになる。 この状況にあり、どう変えるべきか。 もちろん避けたいけれど、慎重になるか,つまり、現実に向き合うか、罪なき人々の犠牲をはらい、まやかしとも言うべき幸せを手にするか。
 確かに後者でも平和はくるかもしれないか個人的には前者に共感をえる。 この二極化した考えはロールシャッハとオジマンディアスの考えと信念である。
 たくさんの人たちの死という犠牲がありながら、世界は平和ボケしたように 垢抜けている。 現実的な正誤を貫いた者が滅されるなんて、なんとも皮肉で悲しい。 ロールシャッハは独自の考えをこめ,聖書のごとく歴史を語る。 事件らしい事件、というよりも 伝えるべきニュースがないほど,平和すぎる世、編集社に届いたロールシャッハの日記…。 平和の裏にある真実が語られようとする頃、幕を閉じる。 とても斬新な話。 “歴史は繰り返される”というように,まさに戦いが再び始まることを告げているかのようだ。
 恐れはさらなる恐怖を生むだけ。 未知なるもの(ここではアメリカがロシアに対して抱くもの)を恐れ,疑う。その結果、悲劇へもつながる。 失うべきものではない。 大切な何かを失うことも起こりうるのだ。
 “正義”にも人それぞれ違うように、いろんなものがある。 誰がどう見ても間違ったことが目の前にあろうとも 太刀打ちできない力が立ちはだかれば、それを指摘などできない。 間違っていることを間違っているといえないのだ。 
 だから、正義を貫くことは難しく、勇気がいること。 それは時に身を危険にさらすことにもなりかねない。 物語の中と限らず、現実にしても同じだと思う。 その勇気を出した者が何故(命を落とさなければならないのか)悲劇に見舞われなければいけないのか。 近からず遠からず、未来を示しているようで不気味で恐ろしい。
 果たして、残されたウォッチメンはどんな道を辿るのか。 彼らの幸せは続くのか。 余波と予兆を残しつつ,物語は静かに幕を閉じる。 フィクションだけど、現実の間とウォッチメンとが戦っているという感じ。
 ヴィジュアル重視と思いきや、サスペンスもあり,その世界観もさることながら、濃厚かつ深い作品だ。

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by jd69sparrow | 2009-04-30 21:37 | 映画タイトル あ行

ICHI

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<イントロダクション>
 目の前には暗闇しか映らない。 光が閉ざされた世界を生きる女旅芸人・市。 容姿端麗な見かけからは想像できない武士と変わらぬ強さを持っている。 信じられるのは己のみ。
 刀をゆっくりと抜いたかと思うと、目にも止まらぬ速さで敵を次々と斬っていく、そんな市の強さと一人の人間としての弱さと未来への道を描いている。

<あらすじ>
 市は三味線を持ち,“杖”をつきながら旅を続けている。 人とは関わろうとはせず,自分の力だけを頼りに生きている。 ある日、同じ盲目の女旅芸人とともにいたお堂に手荒な男たちが現れ、そこへ一人の侍が市たちを助けにやって来たが、逆に市がその侍を助けた。 その侍の名は藤平十馬。 刀は持つものの,それを抜くことができない。 それゆえに十馬が市に救われることばかりに見えたが、市もまた十馬に救われる。 二人は滞在中の宿場町を脅かす万鬼党と戦うことになる。

<感想>
 市は人の答えを求めて、旅を続けている。 それは、市が幼い頃、彼女に逆手居合いを教えた人物が誰なのかということだ。 はじめ、ただ一つの目的のために市は旅を続け、偶然出合った十馬と共に過ごし、万鬼党と戦っていた。 しかし、市の戦いはそれだけのためではなくなっていく。 人の優しさと温かさを知った市は、その温もりを与えてくれた十馬に恩返しするように戦うようになる。
 ただ、強くてクールなだけの市ではなく、内面の奥の奥まで描かれており、今ある市の過程や強さの裏にある女性らしい弱さも丁寧に表現されていることが魅力と言えよう。
 武士して、人として“その”実力がないように見えて、あるいは思えて 実は力があるとわかったとき、インパクトが強く,カッコいいと思った。 それは二人の主人公に当てはまる。 追い込まれたと思えた次の瞬間,刀が敵を斬りつけ 引き出される。 だから、この二人の登場人物が魅力的なのだ。
 市は十馬の温かさに触れ、失った心を取り戻し、心動かされる。 また、十馬はそんな市の力で過去を乗り越える。 愛という力のもとに。
 全てを悟った市の十馬への重いがストレートに伝わってくるクライマックスにぐっとくる。
 世界が真っ暗に見え、市自身も暗闇の人生を歩んでいた…しかし、あきれめなければどんなに暗い道の先にも光が見えてくるのだ。 それが市が得た最高の希望と言えるだろう。 孤独だった市が十馬との出会いで温もりや生きることへの実感をえたように、心の扉を開ければ、やがて過去のような…いや、それ以上の何か,幸せが、光が、市の心を照らすかもしれない…と市は感じたのかもしれない。

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by jd69sparrow | 2009-01-18 00:00 | 映画タイトル あ行

ウォーリー

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<イントロダクション>
 人間のように意思や感情を持つロボット。 ロボットが活躍する物語にそういうロボットが登場する事が多々あると思う。 現実的に考えてみて,ロボットは人の手により作られた,人に忠実な機械でプログラムされたことをひたすら実行する。 現時点で機械に意思がないにしても、ウォーリーのように感情が芽生えることもなきにしもあらずと思うのだ。 というのも、時折 機械にも意思があると思えるときがあるからである。 例えば、狙ったかのように機械が立て続けに故障やエラーを起こしたときなど(家電が一機、壊れるとその後、また別のものが故障したりするように)。
 『ウォーリー』は、長い年月 一人ぼっちのロボットに感情が生まれ、そのロボットこと、ウォーリーの宇宙への冒険の物語。

<あらすじ>
 29世紀、美しい星・地球はゴミにまみれ、もはやそこには人はいない。 空っぽになってから、700年後の地球にただ一機取り残されてしまったウォーリー。 ウォーリーは人がいなくなってから、ずっと自らの仕事であるゴミ処理をマジメにかかさず,行っている。 人々が残していったものに触れるうちにウォーリーに意思ができて(生まれる)。 また、ゴミの山から毎回何かを発見するという楽しみを覚える。 そんなある日、一つの宇宙船が目の前に現れ、中から出てきたのは、白く美しいロボット・イブ。 宇宙から地球へと送り込まれたのだ。
 たちまち、ウォーリーはイブを好きなる。 イブが使命を終え、宇宙へ旅立つ時、ウォーリーはイブを追い、見知らぬ世界,宇宙への冒険が始まる。
 
<感想>
 この作品は三つの要素によってできている。 一つはウォーリーの冒険、二つ目はウォーリーとイブのラブ・ストーリー、そして三つ目は地球再生への道のりといったところだろうか。 
 地球を去った人間たちは便利で快適かつ,楽な生活に依存し、関心ごとといえば 自分の目の前にあるモニターだけ。 かつての人間のように感情があって、いろんなものに興味を持つウォーリーとは対照的で、まるで人とロボットの性質が逆転したかのようである。 人には感情がなくて、ロボットにはある。 
 地球を捨てた人たちは巨大な宇宙船で毎日変化のない日々を過ごしている宇宙船には艦長いるけれど、舵をとるのはメカ(人々のリーダーである艦長だが、実権を握るのはメカにあるに等しい)。 悪い意味で舵をとるメカ,“オート”に意思が生まれ、プログラムに忠実なオートはオートの役割を阻むものに容赦がない。
 機械に囲まれ、便利さばかりに気を取られてしまうと、こんな未来がやってくるかもしれない。機械が人に逆らい、人の体が退化してしまうという。 700年間も、ゴミ処理ロボットとしての仕事を続け、その機体は汚れてしまっても、ウォーリーの心は綺麗で人間が失ってしまったもの(感情)を持っている。 彼の“綺麗にする”という役割は、違った意味でも働いている。 “綺麗にする”といことは、汚くなったものを元通り,きれいな姿に“再生する”という意味にもとれるだろう。 だから(意識的にではないにしても)人々を帰るべき場所・生活に導いたのも まさにこの“再生(=綺麗にする)”だ。
 ウォーリーがいた元々の世界,地球はゴミであふれているけれど、彼がそのゴミで築き上げた,一見ビルに見えるゴミの山は芸術的である。 まるで建物に汚れがついたかのよう。 それも複数存在する。 つまり、ウォーリーは700年かけてマジメに仕事をし、知らず知らずに芸術も作り上げることになる。 すごい。
 宇宙が映し出され、ロマンティックなところもあれば、思わず笑顔になってしまうところもあり、また,心温まるところもある。 それら全てに通じるのがウォーリーのイブへの気持ち。
 感情表現の豊かさ(ウォーリーの)には温かさがある。 ウォーリーからイブへ、イブからウォーリーへの気持ちがとても印象に残り、観る者の心をつかんで離さない。
 ウォーリーは人々が残していったものから宝物を見つけ、集める。 彼には家があって、宝物の数々は大事にそこへ収められていて、お気に入りの映画・音楽があり、そこから得た夢がある。 人間味の深さがうかがえる。 さらにイブのために雷にうたれたり,ボロボロになっても一生懸命というひたむきさを持っている。 言葉なくして そういったことが出来る…これらが『ウォーリー』最大の魅力だと思う。
 ウォーリーとイブとの出会いが地球の運命を変え、ウォーリーのイブへの想いが地球・人類の両方を救うなんてとても素敵である。
 物語は一見平和だが、堕落寸前のところから、明るい未来へと向かっていて、主人公ウォーリーは地球を救おうとしたのではなく、結果的に救ったという点が作品をより良きものにするのに大きく働いている。

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by jd69sparrow | 2009-01-17 00:00 | 映画タイトル あ行

アイアンマン

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<イントロダクション>
 ヒーローと言えば、普段は目立たないような青年がひょんなことから、スーパーパワーを手にして愛する者や人々のために戦い,そんな中でヒーローとして人間として成長していくというイメージがある。 もちろん,この理屈が全てではないが。 『アイアンマン』のトニー・スタークは今までのヒーローたちと違い,ヒーローになる人物像からかけ離れている。 逆にそれが良いのだと思う。
 心から変化していくという点ではこれまでのヒーローたちと共通するところ。 また、自らの手でスーパーパワーを作るというところは『バットマン』のブルース・ウェインを連想させられた。 アイアンマンは最高にクールなヒーローである。

<あらすじ>
 トニー・スタークは、軍事兵器を開発する一流企業のトップ。 仕事でアフガニスタンを訪れたトニーは命の危険に関わる事件に巻き込まれてしまう。 テロリストたちにより,捕らわれたトニーは同じく捕虜となっているインセンに命を救われる。 テロリストから兵器の開発を要求されたトニーだったが、彼が作ったのは兵器ではなく,鋼鉄の鎧。 インセンの助けがあって,なんとか脱出をするが、思いもよらぬ事態が彼を待ち受けていた。 事件に巻き込まれ、さらに自分が今までしてきたことがもたらした現実を知ったトニーは、人々を危険にさらす兵器ではなく,人々を守ることを考え、“アイアンマン”となる。 一方で、彼のこの転身を良しとしない者がいた…

<感想>
 実業家としてカリスマ性を持ち,自信に満ち溢れるトニー。 贅沢三昧で欠点も少なくないが、魅力的。 その理由の一つは“仕事の顔”。 社長という型にはまらない人間性だと思う。 社長椅子にどっしりと腰を落ち着かせているというのでなく、自由人であり、熱心な発明(研究)家なのだ。 アイアンマンのパワードスーツを作るトニーは男らしいと言うよりも、少年のよう。 そこに惹かれるものがある。
 他のヒーローものでは見ることの出来ない,スーパーパワーが誕生するまでの過程。 従来のヒーロー映画では特殊能力を手にしたものはパワーコントロールするところから始まり、yがて応用する力を身につけ,真の超人となる。 『アイアンマン』は、何もないところから、パワーを手にするまでの“間”が描かれている。 だから、戦闘シーンはさることながら、“アイアンマン”が完成されるまでの道のりに注目がいくし、おもしろいところである。
 “アイアンマン”には様々なパワー、戦闘手段があって それを一つずつ実験を重ねていく様子はユーモラス。 その中の一つで人間的な機械とのやりとりがコントじみていて良い。
 さらに! アイアンマンの機体は改良が重ねられ、進化していく。 赤と金のカラーが施されたものになるまでに三段階あって、最初と最後では大きく異なる。 トニーは自宅のコンピュータシステムとのやりとりで“アイアンマン”を築き上げていくわけだが、そんな中でボツとされたデザインの機体が形となって、残されていて それをトニーのビジネスパートナーであり、信頼関係にあるローディが見て,一言言っているところは、意味深である。 意味深と言えば、最後の最後のシーンにも言える。
 アイアンモンガーとの対決も忘れがたい。 まず、アイアンモンガーはトニーがはじめに開発した,“アイアンマン”のモデルが元になった機体であること、次に『スパイダーマン3』のスパイダーマンとヴェノムとの対決を連想させられたからだ。 あともう一つ、付け加えたいのが、鋼鉄の仮面のない状態でのトニー(アイアンマン)の戦いぶり。 限界と危険に耐えながら,戦う姿がカッコイイ。 それにトニーの人間らしさや強さがストレートに表現されているのだ。
 改良に改良のなされた“アイアンマン”はどこにそんなパワーや武器が隠されているのかという感じ(ペンくらいにミサイルがアーマーから出されて、しかも,その破壊力が見た目以上)。
 戦闘スタイルはかっこ良く,自由に空を駆け巡るところは遊び心を感じさせ,エキサイティング。
 トニー・スタークの人間性。個性は変わる事はない。 だが、物語を通して変化がないわけではない。 現実を知ってから、トニー・スタークという人間がしだいに明かされ,人間味ある彼の一面が浮き彫りにされ、最初の印象からのギャップがある。 それもまた,この作品の魅力の一つ。
 新しい何かを作ると、それが悪用されたりする。 たとえ、それが武器・兵器のための道具とは、目的が違っていても パワーを秘めるものは良くない方向へと転がされることもある。 それは、とても皮肉で現実的だ。 これはネットという最新技術が物語っている。 アフガニスタンという舞台も,強力な兵器開発も実際に今、問題となっていることだ。

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by jd69sparrow | 2009-01-03 21:33 | 映画タイトル あ行

ウォンテッド

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<イントロダクション>
 『ウォンテッド』。 登場人物、ストーリー展開、アクションなど、どこから見てもクールな作品である。 迫力あるアクションや戦闘シーンとい刺激的な世界を、見る者が受け入れられるのは、作り手たちによるたくみな技があるからだろう。 観客を物語の中へ引き寄せるがうまい。 それは物語が始まる,その瞬間からである。

<あらすじ>
 デスクが所狭しと立ち並ぶオフィスで、ウェスリーは働いていた。 ウェスリーは仕事でも私生活でも惨めな生活を送っており,その上、パニック障害という悩みを抱えている。 まさにストレスの中に埋もれていた。 自分の人生に嫌気を感じていた頃、フォックスという謎の人物の出現により、ウェスリーの人生は一変した。 壮絶な戦いを目の当たりにしたウェスリーは、気がつくと“フラタニティ”という名の千年も続く,暗殺組織の中にいた。
 彼のパニック障害は、障害ではなく,特別な能力と知らされ、さらにフラタニティの一員になることを薦められる。 さえないサラリーマンだったウェスリーの暗殺者への道が今、開かれる。

<感想>
 冒頭で主人公が語る彼の状況・環境はまさに、現代社会を鏡で映したようである。 意地悪な上司がいて、日々その上司からいびられる。 まわりがそうするように、上司の調子に合わせることにうんざりし、ストレスがたまる。 そんなことが繰り返される毎日という。
 友人にはいいように使われることもあり,恋人をとられたりとさんざんなウェスリー。 仕事一つしにしても,自分を見失ったり、自分が分からなくなるのも無理はないかもしれない。 
 そんな現実的な環境下にある,ウェスリーは、体格も良いわけではなく、むしろ小柄に近く、この後,暗殺者へと変貌していくとは想像しにくいところから始まるために,観る側は主人公を身近に感じ、見事に物語へ引き込まれるのだ。
 主人公は無意識に異世界へ入る,きっかけを持っていて、隠れた才能を開花させる,一つの組織に入った。 主人公はやがて、組織の中でもトップクラスな力の持ち主へと成長をとげる。『マトリックス』のネオを想像させる。
 ウェスリーとフォックス、そしてウェスリーの父親を殺したいというクロスの2対1という戦いがメインといっても過言でない。 スタイリッシュかつ大胆なアクションがすごい。 アクションと言っても、“見せるためのもの”だったりなど派手すぎないのが良い。 迫力はもちろんあるのだが、それよりもテクニックが重視されているのではないかと思う。
 この映画の一番の魅力はなんと言っても、ウェスリーの変身ぶりである。 ことあるごとに、謝ってばかりの腰の低さ、死が訪れるかもしれない突然な出来事をただただパ二くる気の弱さを持っていた,ウェスリー。 そんな彼が変化していく中で,ウェスリーを軸として動く映像には斬新なものがある。 その中で印象の強いものとしては、フラタニティという組織を知った後、ストレスの源への一撃である。
 フラタニティに入ってからも、迷いがあったウェスリーは衝撃的な真実を知る。 その真実が悲劇を生むことになり、しかもその悲劇の引き金を引いてしまうのがウェスリー自身。 この悲劇の裏と真実に向かい、ウェスリーは真の暗殺者の顔となり、復讐を誓い,戦うその姿がかっこいい。
 銃を手に敵のアジトへと踏み込み、ウェスリーによるガンアクションが繰り広げられるが、そのアクションは従来のガンアクションのある映画を遥かに越えるものがある。 味方だった者たちが敵となり、彼らと戦うこととなるというのが、なんともおもしろい。 最後には機転のきいた,また、暗殺者だった父親の技と同じ方法で復讐劇の終止符を打つ。 『トゥームレイダー』のララ・クラフトとは一味違うアンジーのアクションもすごいけど、ジェームズ・マカヴォイによる,斬新すぎるラストはそれよりもすごい!!

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by jd69sparrow | 2009-01-03 18:09 | 映画タイトル あ行

インディー・ジョーンズ クリスタルスカルの王国

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<イントロダクション>
 古代の遺跡物は、財産。 というのも、現代に生きる人たちが過去に文化を築き上げた証を目で見れるからだ。 そして、そこから学べることはたくさんある。 インディー・ジョーンズの冒険は遺跡に眠る財宝を巡り,争いがあって,そして遺跡に足を踏み入れることで危険と対峙するという冒険活劇。
 遺跡にもいろいろあるが、からくりがいつもどこかに潜んでいる。 インディは毎回それに巻き込まれる…それはインディの宿命と言っても過言ではない(実際、映画化の中での作り手たちのこだわりとして、彼の冒険の数々の記録を示すものがある)。
 お決まりではあるが、それがまた期待を裏切らない,おもしろさを生む。 そして、このシリーズ四作目では新たな方向に物語が向けられている。

<あらすじ>
 1950年代。無限に広がる大地を車が走っている。 インディー・ジョーンズ博士は思いもよらぬ所から…しかし、これから始まる痛快な大冒険を予感させる始まりである。
 遺跡から歴史的な意味を持つものなど,文明の数々を発掘することが,半ば生きがいなインディーは時々,学校の教授である。 彼が関わってきたことにFBIが目をつけられており、学校をしばらく離れることになった。 そして、慣れ親しんだ地を後にしようとした,その時マットという青年に呼び止められ,彼の母親がさらわれたこと、インディーの学者仲間・オックスが命を狙われていることを知らされる。 それは“クリスタルスカル”という財宝にまつわるものだった。 仲間と共に“クリスタルスカル”の持つパワーを狙うものたちと戦い,他の仲間たち(大切な人たち)を救い、さらに敵の陰謀を阻止する,インディーの冒険が始まる。

<感想>
 インディの冒険ストーリーは現在から少し離れたところにある。 だから、冒険の場面や登場人物、それに(最初のほうは)レトロな雰囲気のある映像が演出されているのだろう。 登場人物、つまりはマットなのだが,映画「ヘアスプレー」に出てくる人物たちを想像させた。
 (プレーリードックが大地から出てくる)物語の始まりは個人的に好きな場面の一つで、その後もその“始まり”を思い出させてくれる場面があっていいなぁと思う。
 前作から19年もの月日が過ぎ、ストーリーとしても時が過ぎている。 それでもインディは私たちに大胆なアクションの数々を見せてくれる。 無鉄砲…というか、出たとこ勝負(※作中参考)な彼の冒険心(好奇心)が魅力的な映画を作っていると言っても良いだろう。 考えることはあるが(謎を解く時に)行動に出るとき,つまり 敵との戦いのときや、危険から脱するときは考えるより早く前に動く。 それが吉と出るか凶と出るかインディの気にするところではなく,まず やってみるという感じ。 とはいっても、何か底知れぬ自信があるに違いない。 体を張ったアクションがあって、さらにそれは、見ていて爽快であり,どこかコメディを感じさせるものがあっておもしろい(コメディばかりでなく,はらはらドキドキな戦闘場面もあるが)。
 マットがさらに大胆なアクションを見せる。 かっこよくもあり,おもしろくもある。 インディとマット…後に二人の意外なつながりが明かされるが、その前後でのインディの態度のギャップがおもしろい。
 今度の敵は、イリーナ・スパルコ大佐という初の女性の黒幕。 冷酷でポーカーフェイスなその裏には欲深さがある。 知への欲求。 方向性が違うが,あるところまではインディと共通するものがあると思う。 そして、簡単には倒れることはなく,執着心も強いし 戦闘能力も高く,で妖麗かっこよくもある。
 ストーリー、演出、音楽、そして登場人物とあらゆる角度から楽しめる。 そして、全四作のsリーズはつながっていて,それは今回のコンセプトや映像に映る,細々とした“モノ”にもあるが、過去のシリーズに登場したマリオンの再登場(同じ役者さんで!)もその一つだ。
現在、東京ディズニーシーにある「インディ・ジョーンズ」アトラクションは今までのシリーズを凝縮したような感じである。 「クリスタルスカルの王国」もまた,そういうアトラクション的で魅力的なところが満載。 アトラクションとしてあれば最高だ。
 いかなる時も冷静で,その冷静さが面白いこともある。 力に衰えなど皆無に等しく、目の奥で光るものは実際ずっと若い。 それがインディであり,ハリソン・フォードという俳優の魅力である。

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by jd69sparrow | 2008-07-11 17:11 | 映画タイトル あ行