<   2006年 11月 ( 28 )   > この月の画像一覧

ホテル・ルワンダ

d0058606_23562793.jpg
 世界の情勢全てを把握するのは難しい。 だが世界のどこかで起こっている“戦い”や“困難”について知らなすぎるかもしれない、あるいは関心がなさすぎるかもしれない。 また、今ある平和がどのような過程で維持されているのかもよく把握もできていなかったかもしれない。 同じ地に住んで、同じ言葉を話す人間どうしなのに戦いが止まないところもあったのだ。 およそ10年前その戦いは起きていた。 それはルワンダという場所だ。 これは一人のホテルマンが千人以上の人々の命を救ったという実話である。 ホテルマンは自分を頼りにしてきてくれた人々を見捨てることはできず、命を張った。 
 主人公ポールはホテルの支配人。 彼の勤めるホテルは評判の良いところで外国からの客たちも訪れてくる。 彼のいるその場所には二つの対立した部族がいた、それはフツ族とツチ族である。 昔ツチ族がフツ族にした仕打ちが復讐となって帰ってきた。 フツ族はツチ族に抱いた怒りを果たすために敵であるツチ族に銃を向けた。 フツ族はツチ族たちが過去に起こした出来事を許せなかった。 その怒りの気持ちから彼ら,フツ族の冷酷すぎる仕打ちが始まり、それは日を追うごとにエスカレートしていくように思えた。 そんな状況下、ポールはなんとしてでも身内だけでも自らの手で守ろうと決意し、その後彼を頼りにやってくる一部の冷酷きわまりないフツ族から逃げてきた人々が彼のもとに押しよせポールはその人たちや自らが支配人を勤めるホテルの従業員たちを無事戦いから遠ざけ、彼らの命を救うと心に誓うのである。 ポールのその決意の強さ、助けを求めにきた人々を決して見捨てるなどということはありえなかった、
 過去に自分たちの先祖がされた仕打ちに対して怒りを燃やし、そのことをくだした人たちを,あるいは国を許せないでいるというのはこの話の舞台に限ったことではないけれど、この話にでてくるフツ族たちの怒りの強さがとても強く感じた。 国々によってそえrは程度は異なると考えられるけれど、それは不自然なことではないのかもしれないけれど、悲しいことであると思う。 というのは怒りの気持ちが中々さめないでいるのもまた当然なことかもしれないし無念もあるかもしれないが、それは「過去」のことで現在ではない。 現在の自分たちと相手の人々とでそれがフェアに向かい合うことができたならどんなに良いことだろう。 
 怒り、それをはらそうというのはフツ族の,全てではないけれど(一部というべきか),の人々。彼らと同じ部族でもツチ族にまっすぐ向き合える人々も多い。 なのに自分たちの仲間でさえ「裏切り者」と呼び,自分たちの敵と見ている相手を「ゴキブリ」(虫けらとして扱う)とみなし、命さえ奪うという事実はとても信じられるものではない。 彼ら(怒りに燃える人々)のところの「制裁」を受ける人々というのは山のようにあふれるほどである。 助けを必要とする人々を救う手立ては少なく,それが「お金」でであるというのもすごく虚しいこととも思える。 しかし、怒りに燃え,命すら奪いかねない者たちから頭をしぼり,どうにかして逃れてきた人々を救おうと全力をつくす主人公の誠意の強さには敬服すべきだと思う。 特別な能力があったわけではない、でも皆の命を救いたいという思いが彼を動かしたのだろう。 
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-30 23:56 | 映画タイトル は行

一番好きバトン

Robbyさんからいただいた「一番好きバトン」です。 このバトンは複数回答不可のようです。 では、さっそく。 


1.動物は?
 柴犬。

2.お菓子は?
 ダース(チョコ)

3.料理は?
 寿司!!

4.缶ジュースは?
 アンバサかな。 

5.インスタント食品は?
 チキンラーメン 

6.寿司ネタは?
 まぐろ(赤身) 

7.パンは?
 バターの風味の強いクロワッサン。

8.ドンブリは?
 鉄火丼w

9.お酒は?
 カクテルパートナー(すみません、お酒の銘柄よくわかりません。汗)。

10.TV番組は?
 ここはやっぱし「金曜ロードショー」!!!

11.洋楽は?
 どの人も好きだなー 

12.芸能人は?
 ジョニー(・デップ)!!!!

13.歴史上の人物は?
 う~ん、永倉新八…かな。

14.作家は?
 J.K.ローリング

15.言葉は?
 「ありがとう」という言葉。

16.雑誌は?
 ロードショー。 

17.マンガは?
 スラムダンク。 

18.映画は?
 「パイレーツ・オブ・カリビアン呪われた海賊たち」

19.お店は?
 TSUTAYA 

20.洋服は?
 ジャージ(笑)

21.靴は?
 スニーカー 

22.香水は?
 ランバン・オム(←名前あってるかどうか・・・)
 
23.アウトドアスポーツ
 ウォーキング 

24.インドアスポーツ
  ドッジボール

25.装飾品・貴金属
  ブレスレット
 
26.季節は?
 秋。
 
27.落ち着く場所は?
  布団の中。

28.旅行先は?
 京都。

29.インターネットサイトは?
 Yahoo!

30.ティッシュの銘柄は?
 エリエール

31.キャスターは?
  松本さん。

32.思い出深い曲は?
 世界にひとつだけの花

33.電車は?
 東武線

34.ラーメン屋さんは?
 元気らーめん

35.天気は?
 夏の青空  

36.一番幸せを感じる瞬間は?
 布団で寝るとき。

37.色は?
 青。

38.PVは?
 「スターウォーズ エピソード3」

39.童話は?
  ピーターパン?

40.どらえもんの道具は?
 どこでもドア 

41.外人さん
 ジョニー・デップ 

42.好きなチロルチョコ
 「ミルク」って書いてあるやつ。

43.好きなうまい棒
  チーズ味

44.キャラクター
 ミニー 

45.音(楽器とか)
 雪の上を歩くときの「ザクッザクッ」という音。

46.紅茶
 アイスロイヤル・ミルクティー

47.アーティスト
 宇多田ヒカル

48.先生
  でんじろう先生

49.ケータイの機種
 docomo。

50.好きな身体パーツ
 手
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-29 23:45 | バトン

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

 この話は“オカンとボクと、時々、オトン”とあるように主人公の母親栄子と主人公・雅也と時々でてくる主人公の父親の話である。 家族とそのまわりの温かい人々との風景がなんとも和やかでその雰囲気・様子じたいがとても温かい。 まるで秋から冬にかけて食べるホクホクの焼きいもを食べているかのよう。 そんな温かな物語なのだ。 “オカンとボク”の物語は雅也の子供時代から始まっていた。 田舎で暮らしてきた母親と息子、いつしか二人は東京で暮らすようになった。 素朴でありながらもいつ温かみは消えることなく雅也の胸に生きていた。
 雅也のとなりにはいつも母親(以下、オカン)がいて、それは例え遠く離れていても隣にそっと腰掛けているかのように存在そのものが彼のとなりにいたのだと思う。 雅也はオカンが大好きな子供だったのだ。 雅也にとってオカンがいることが当たり前で、近くにいても遠くにいてもオカンに甘えてしまう雅也、また,息子が自分を頼りにして甘えてくれることがとても嬉しい母親。どちらも心優しく,どちらにとっても,お互いが特別だった。 田舎で暮らしていた雅也は東京へ出て夢を追う、オカンは遠い雅也の故郷から息子を見守っている。 オカンは息子も,息子の知り合いも,大事に思い、みながみな家族のように見ていたように思う。 例え、苦しいことがあっても表に出さないオカンはいつも幸せそうでオカンのいる空間は涼しくなることを知らなかった。親をとても大事に思う息子も、息子のために何かをすることに喜びを感じ,(それは生きがいといってもよいだろう)常に何か人に役立てることを考え、のんびり過ごしているオカン。
 主人公の少年時代から大人になってからをずっとを描き、現代から過去へと思い返す。 オカンは息子に厳しくあたることもなく,叱ることもなく,感情をみだすこともない。 また、グチをこぼしたり弱みを見せることを避けてきた。 オカンは雅也に、そしてみんなに変わらぬ姿、自分でありたいと願い,そうしたのだと思う。 雅也にとってのオカン。 雅也は大人になって変わった面もある、しかし子供時代から絵を描くことが大好きで、また母親が大好きであったのは変わらず今も彼の中にある。 社会で行き、それで少し変わったりもしたけれど根元は少年時代から変わることがなかったよう。 
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-28 23:52 | ドラマ・その他

ウォーク・ザ・ライン~君へつづく道~

d0058606_23514966.jpg
 貧しくても仲がよく毎日を過ごしていた兄弟、しっかり者の兄ジャックと音楽が好きな弟JR(以下ジョニー)。 ジョニーは大好きだった兄を亡くし、大人へと成長する。 彼は大人になっても音楽への熱き想いを胸に秘めていた。 1950年代から70年代、最も輝いたジョニー・キャッシュの生涯をつづった物語である。 彼は人生の波に乗り,光の頂点とその最下点とを行き来した人物であったと思う。 少なくとも彼にとって人生で一番の修羅場であった時期を乗り越えるまでは。 どんなに才能があっても何事もなく輝き続けることは難しい。 ジョニーは天国と地獄の両方を肌で感じてきた歌手であると思う。 しかしタフでもあった。 
 数年前この世をたった彼だけれど、現在 いろいろな著名人の参加によるビデオで彼の栄光が蘇り、その中にはあのジョニーの姿もあるではないか。 そしてそのジョニーがジャック・スパロウのもとをえた人物までもがそこにいた。 20世紀、たくさんの歌手たちにより築き上げられたロックが人々を喜ばした。 その精神は未来へと受け継がれ,現在なおもロックは脚光を浴び続けている。 ロックにスポットライトあてた、また築き上げた人物の一人としてジョニー・キャッシュがあげられることだろう。 時代はどんどん流れ、ギターなど楽器もまた進化をとげていった。 ビードルズをはじめとする歌手たちもバンドでハイテクなものを取り上げて曲を飛ばしていくれど、ジョニーは自分の持つクラシックギターを手放すことなく彼らより上へ上へと上がっていく。
 ジョニー・キャッシュという歌手がどういう生い立ちであるか、そして歌手ジョニー・キャッシュとしてどのように成功を収め,奈落の底からどう登ってきたのかが大きく描かれている。自分の中で必死にジョニーは戦い、苦難を乗り越え生きていく。 ジョニーの生い立ちと歌手としての最高の時と輝くまでのロードがここでは物語られている。 
 ホアキン・フェニックスのジョニー・キャッシュは歌声から雰囲気まで本物にすごく近いと評判がいいと聞いている。実際 比較してみるととてもよく似ていることがわかる。 個人的(というべきかはわからないけれど)にはホアキン以上にこれほど成し遂げる人はいないだろう、まさにこの役のために役者という道を歩んでいたのではないかと思うほどのものがこの映画を見て感じられる。 役者自身が歌うというところにも魅力はあるけれど、なおかつその歌声は綺麗だということころが素晴らしい。 文句のつけようがないほどホアキンはジョニー・キャッシュであった。
 波乱万丈な人生を送るジョニーはいくつも峠を越える、そんな彼にとってジューンという歌手の存在は大きくて、ジョニーに魅力を感じながらも常に複雑な気持ちにあったジューン。 彼女の視点からみてもこの作品の魅力、そしてジョニーの魅力が見えてくるだろう。 ジューンはジョニーに関心を抱き,惹かれていくけど逃避に走ったり、困難にぶつかったりと安定せず,荒々しくも見えるジョニーの生き方に彼女も悩む。そして、本音が表に出せずにいる。 そういった登場人物たちの心情の動きが鮮明に感じさせられた。 
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-27 00:34 | 映画タイトル あ行

クラッシュ

d0058606_15471757.jpg
 今日から昨日、昨日から明日へと向かうストーリー。 はじめに一つ,事が起きる。 それは序章であって終章でもある。 これから展開していく話をここで強く印象付けて物語へと引き込んでいく、そういった仕組みでできている映画だと思った。 幕が開け、事件が起きてそこにいたるまでの過程を描くのが特徴と言えるだろう。 物語には様々な始まり方があって、現在から未来へであったり、過去から現在であったりだとか時間の設定さまざまである。 大きく分ければそんなところだと思われる。 話の展開の仕方も大きく分かれる。 エキサイティングな気持ちを重視に追及されるもの、真実を追い続け,次第に明らかにされていくもの、何でもありでノリでつっきるものもある。 多くの登場人物たちが交じり合う,関わりあう内容構成となっているのだ。 登場人物一人一人にはそれぞれのタイムラインがあって、それは一つのラインに混じりあっていている。 主として現在にいたるまでの彼らの物語を一つ一つをまるでお店でいろいろな種類の商品をじっくり眺めるかのようである、あるいは複数のモニターを常に見ているかのようである。モニターの数は登場人物の数だけあってモニターの一つ一つでは彼らの物語が展開され映し出されている。 スイッチを押すと自分の目の前のビジョン、あるいはモニターにはそのうちの一人の物語が映し出されるといった具合に見える。
 社会は不条理の重なりの上に成り立っていてる。 正義を貫こうとしてもそれが無にしかならないこともあり、通用しない。 人はこのような社会の中に生き,衝動にかられたり怒ったりする。だけどその原因がわからないでいる。 それはきっと人と人との心のぶつかり合いがなくなりつつあるから。 “せわしい街中にいけばぶつかるが心と心がぶつかりあうことがない”とこの作品は言っている。 遠慮をする、我慢をする、解決のめどをたたせることなく流してしまう,などなど人は心をぶつけあうことを失っている,あるいは忘れてしまっていると言ってもいいかもしれない。人が感情におしつぶれてしまう、その源がわからないのはそういったぶつかりを求めているからではないだろうかということもこの物語の中で読み取られるし、実際そう物語っている。 そういった現実が登場人物たちの口から語られている。 “人はぶつかりあいたのだ”ということが物語を動かしていると思う。 そういうことが今まさに人には必要でそうすることで相手をまっすぐ見ることもできるのだ。 
 心に残るのは後半の場面。それは“人間というものがおもしろい”という全体からしたら小さな場面である。 何のつながりもないような人どうしがつがっている、共通点がある。 それはすごくおもしろいと思う。 それに気づいたときというのは嬉しいことだろう。 一瞬にして終わってしまう場面なのにすごく惹きつけられるところだった。 さらにもう一つは直接何かをしたのではなくても自分がしてきたことが誰かに刃をくだしてしまうということ。 これも印象深い場面の一つ。 直接刃を突き刺したことももちろんであるが、自分のしてきた行為が(,間接的に)人の命を奪ってしまったということがわかったときほど、罪悪感を感じることはないのではと思う。
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-26 16:10 | 映画タイトル か行

ベートーベン

d0058606_23443527.jpg
 わんぱくセントバーナードが大暴れ! とある家族のもとへやってきたセントバーナード犬、名はベートーベン。 その名のとおりあの有名な作曲家ベートーヴェンの名からとった名前である。 ベートーベンは子犬のとき、家族のもとへやってきたのだ。 やんちゃすぎるベートーベンだけれど、憎めない愛されるべき犬なのである。 ベートーベンと飼い主である家族の絆の物語だ。 
 ある日家族のもとに子犬のセントバーナードが迷い込んできた。 末っ子のエミリーはその犬を“ベートーベン”と名づけた。家族はみんなベートーベンとすぐに打ち解けあったけれど、唯一人ベートーベンに近寄れない人がいた,お父さんだ。 犬を飼うことに猛反対をするが、家族の願いの前ではそれを聞きざるをえず、子供たちのベートーベンを家族の一員として迎えることを望む心に負ける。 そして“飼い主が見つかるまで面倒をみる”ということで合意した。 ベートーベンはとにかくやんちゃで元気いっぱい、時に頭を使い自由にあちらこちらへと歩き回る。 彼のやんちゃぶりは飼い主である一家の主を困らせてばかりで毎日大暴れ、その大暴れぶりにお父さんは心底参ってしまう。 
 そんなベートーベンだけど、家族にとても必要な存在であることは確かであった。 ベートーベンが家族の中心にいることで家族がみな絆を深め合うことができ明るさと活気を導いてくれる。ある意味でムードメーカーだと言ってもよいだろう。 やんちゃばかりしているようだけれど賢い部分もあれば家族の一員としての温かさも持っていた。 家族の身の回りで起こることにはいち早く察知し、かぎつけることができる。 彼は飼い主である家族たち以上に敏感に異変を感じることができるとても賢い犬なのだ。 というより、犬じたいにいえることかもしれない。 犬は人間以上のするどさを持っているところがありる。 人間には人間にしかないところがあり、犬や猫など動物にしかないものがある。 ある生き物は災害が起こる前に察知することのできるのもいるという。 ある程度は未来に起こりうることは予測できるが、いつどこでとかそういった未然に防げる情報までは完全には把握をするのは至難の技、もしくは不可能であるではないかと思う。 人間と動物、生き物としての仕組みが違うことで鋭い神経といったものも異なってくる。
 家族たちが楽しく過ごしているとき、悲しいときもまた人間も動物も,また互いに互いの思うところ、あるいは感情は互いの中で伝わること言えそうだ。 あるときは家族を守るヒーロー、またあるときは子供たちの友人と、普段は暴れていてもこうして頼れる存在ともいえる。 幸せな家族の影でひそむ影さえ,誰よりも早く見ることが出来,悪が企むことはお見通しといった風にもとらえられる。
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-25 23:44 | 映画タイトル は行

シン・シティ

d0058606_19194011.jpg
 映画のいろんな面に驚かされた。 それは内容はもちろんのことだがキャスティング,製作陣にである。 出てくるキャストたちはブルース・ウィリスやベネチオ・タルトロからニック・スタールとバラエティに富んでいるが、監督が三人というところもまた異例であり、すごいところである。 三人も監督がいたら意見も食い違いそうなものであるけれど、そうではなかった。 原題(「Frank Miller's SIN CITY」とあるように)原作者フランク・ミラー、ロバート・ロドゲリス、そしてスペシャルゲスト監督としてクエンティン・タランティーノと良い意味で驚きの組み合わせである、キャスト陣も登場人物が多いだけに各方面のキャストが揃っている。 だからキャストが多いということは普段では中々お目にかかれない組み合わせをそこで見れるということである。 そのすごさを伝えるためにキャスト陣を述べていきたいと思う。 ブルース・ウィリス、ベネチオ・タルトロ、ジェシカ・アルバ、ミッキー・ローク、クライブ・オーウェン、ニック・スタール、イライジャ・ウッド、ジョシュ・ハートネットなどなど。 この豪華な顔ぶれは登場人物の多い映画の見所である。 
 この映画には複数の主人公が存在する。 作品中では一人一人のエピソードがあって、それぞれが数人ずつが登場している主な登場人物はたくさんいるけれどその中でも特に主要といえるキャラクターと準主要キャラクターと分けられると思う。 だから主要キャラクターと準主要キャラクターが小グループとなってそれぞれのエピソードが連ねられていく。 一見、それぞれが“シン・シティ(罪の街)”が舞台となってそこでストーリーが展開されていくこと以外関わりのないように見えるが、そうではない。 物語が進むにつれて複数の主要人物たちのエピソードが一つにつながっていてそれがサークルになっているということが明らかにされていく。 つまりパズルのピースをはめていくように物語が進むにつれてピースが揃って組み合わせれていくわけで、そのピースが全てはまったとき、おもしろさと一つの輪で物語がつながっているということがわかる。 最初と最後はかなり鮮明に残るもので、はじめで謎を問いかけ、最後で答えがあらわとなるというわけだ。 「なるほど」と納得させられる。 
 ストーリーとしては登場人物一人一人が目的を持ち,生きていてシン・シティに潜む異常な何かに動かされている。 黒幕ももちろんいる。 彼らは彼らが信じる道を進み、全うする。誰もが迷いなどなく、思いを遂げていき そのさまはまるで詩を語るかのようでもあり、潔さがあって実にすっきりとしていて曖昧さを残すことがない。
 登場人物たちは誰も彼もがただものではなく、ブラックヒーローのようである。 しかしどのキャラクターにも惹かれる箇所があって、決して現実離れしすぎずていないのでよくできていると思った。 体内から炎をだすわけでもなく、体が変形したりするわけでもない。  また、映像的にもおもしろい部分がある。 アニメーションを折り重ねられているところはタランティーノ監督の「キル・ビル」を連想させる。 しかし、この斬新な映画をよりいっそう斬新なものにしているのはまさにこの演出、そして映画で使われている色のトーンにある。 主にモノクロであるけれど、赤やはっきりした色がところどころでカラーが使われている。 その色彩の度合い、使われ方がおもしろく、そして綺麗である。
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-24 19:33 | 映画タイトル さ行

クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの冒険

d0058606_18123417.jpg
 「クレヨンしんちゃん」は決して子供向けに限るわけではない。 もちろん主人公は5歳児の幼稚園に通う子供であるのでどちらかといえば大人というより子供がよく見るものであるのは確かであろう。 しかし、そんなアニメーションであっても大人の感動のツボをつくのがうまく、さらに物語の中につまっている何かが引き寄せるのである。 主人公のキャラクターも大人の意表をつくものであると思う。 主人公野原しんのすけは年相応の子供らしさも兼ね備えるキャラクターであるが大人顔まけな部分も多いと思う。 最近思うのが、ふざけていてボケているようなのにするどいところはとてもするどいし、賢いとさえ感じる。 それは何気ない一言だったりするのだが、ズバリポイントをついているのだ。 また、しんちゃんが惹かれるものもまた,子供的なところと大人の男の人の視点なものがある、ただ愉快すぎるというところでは終わらない。 この主人公を見ていると「こんな子、実際にはいないだろう」と最初は思う。 がしかし、最近の子供を見ているとしんちゃんほどとは言えないしてもあながち現実離れはしていないのではないだろうか。 ちょっと生意気なところ、するどいところ,今までは考えられなかった子供らしからぬ面などなど、いくつか現実としんちゃんの世界との間に共通点を見出せることだろう。
 しんちゃんは幼稚園の遠足で遊園地「ヘンダーランド」に行く。 そこはヘンダーランドの世界の住人たちがそれぞれのアトラクションであったりパーク内にいて子供たちは大喜び。 そんな中しんちゃんは不思議な人形のあるまだ公開されていないアトラクション施設へと迷いこんでしまう。 そこでしんちゃんはネジのついた人形を見る。 そこでヘンダーランドの知られざるところを目撃したしんちゃんは事件に巻き込まれていく。 悪が存在していたのだ。 悪を消し去ることを頼まれたしんちゃんの冒険の物語である。
 しんちゃんの映画というのは平和でほのぼのとした日常からどこか遠くへ出かけると不思議な領域へとしんちゃんたちが足を踏み入れることで物語が始まる。 そしてしんちゃんの家族が家族ぐるみで事件に巻き込まれ(また,しんちゃんの友達も含めて)、力をあわせて悪と戦うというもの。 しんちゃんたちが戦う悪というのはいつもユーモアであふれていておバカかな感じがするもので、笑いどころも満載。 普段のおバカなしんちゃんが子供らしさが表れ,輝いた瞬間や大切な友達や家族のために敵と立ち向かう瞬間がすごくおもしろいし,心が揺さぶられる。
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-23 18:36 | 映画タイトル か行

妖怪大戦争

d0058606_17421652.jpg
 「ゲゲゲの鬼太郎」など妖怪作品の巨匠水木しげるによる「妖怪大戦争」。 CGアニメーションではなかう実写としての映画作品、出てくる妖怪たちのほとんどが人の演技によるもので、着ぐるみを着ているわけでもない。 CGアニメーションにするとただ可愛い妖怪たちとしか移らないかもしれないけれど、それを人が体を張って演技をするという妖怪たちがよりリアルに見えるという要素であると思う。 いったんもめんや ぬりかべといった「ゲゲゲの鬼太郎」でお馴染みの妖怪たちの登場のほか、日本のありとあらゆる妖怪たちが画面いっぱいに登場する。 不気味なものから可愛らしさがあるものなどそのタイプも様々であるが多くが愛されるべきキャラクターなのだ。 人のような温和な心も持ち、楽しむときも人間たちがやるのと同じである。 次々と妖怪が出てくることでちょっとした驚きだったり恐れが印象づけられるが、決して背筋が凍るようなものとは違う。 恐さを追求するのではなく、妖怪のおもしろさを人に伝えようという作る人たちの意図が考えられる。 妖怪たちの個性も様々でどのキャラクターも魅力的であり、彼らの役を多くが日本の歴史にひそむ妖怪たちが勢ぞろいである。
 少年タダシは大天狗が住む山の近くに暮らしている、彼はお祭りの日「麒麟送子」に選ばれた。 「麒麟送子」に選ばれた者は人々を救うといういわれがあった。 弱虫とずっと言われてきたタダシはその勇気を試されることとなる。 人々が生活を送る一方で妖怪たちは毎日を過ごし、妖怪たちが暮らす影では人間に対して強く怒りを持った加藤保憲の姿があった。 彼はもとは人間であったが、魔人としてこの世に蘇り、怒りの対象である人間たちに復讐をとげるため妖怪たちを集め,ある手段にでていた。 それは人間たちにより見捨てられたガラクタたちと妖怪を怒りのパワーで融合させ、東京の町を攻撃し,そこは妖怪たちが大戦争を繰り広げる戦場と化すのである。
 様々な日本の妖怪たちが見れることも楽しみのひとつ、そして妖怪たちを演じる俳優たちも個性派ぞろいで目白押し。 演じる俳優たちの持つ個性が生かされているし、またその個性にあった役柄であるように思う。 小豆を数えることに余念がないもの、顔を大小できることのできるもの、遠く離れた場所のビジョンを見ることの出来るものと役も演じる役者も個性がすごく強いものもあるし,妖怪の定番、傘の妖怪、雪女、ろくろくびなども登場したりと妖怪の仲間たちは実に様々。  妖怪は日本にしかなくて決してマネのできることのできない貴重なもので,だからこういった作品というのは日本の財産ともいえるし、誇りにすべきでもあると思う。 
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-21 17:54 | 映画タイトル や行

シャイニング

d0058606_23432346.jpg
 ホラーにはいろいろなジャンルがある。 それは恐怖の出てくる源がジャンルを分ける決め手となることだろう。 見た目の恐ろしさとその状況などといった表面的で恐怖がカタチとなってでてくるもの、そして見えないものからくる恐怖、そして狂気と化した人から追われるというものなどなど。 大きく分けてしまえばカタチある恐怖と精神からくる恐怖の二つである。 「シャイニング」は精神からくる恐怖,その中でも狂気と化した人間が標的をとことん追うというもの。 ハリウッド界でこだわりぬいた役作り、個性派の大御所ジャック・ニコルソンが狂気じみ,恐怖そのものと化してしまう男を演じる。 じわじわとゆっくりゆっくり時が経過し、次第に訪れる恐怖を描いた作品だ。
 ジャック・トランスは息子ダニーとその母親ウェンディと,家族で閉鎖されたホテルの管理のためそこへ住み込むことになった。 彼らの他には誰もおらず、音のない静かなホテル。 滞在客もいなければ従業員が行きかうこともないただただ広いホテル、ジャックたちは豪邸のような我が家で暮らし始める。 仲の良かったはずの家族、ジャックっもウェンディも息子を大事にしていた。 しかしそんな彼らがホテルでの日々が始まり、少しずつ時間が経過する中でその影で恐怖が芽生え始めていたことに気づくよしもなかった。 ダニーには不思議な力があり、それは見えるはずのない人々を見ることである。 その力はまだ幼い少年の心には負担が大きいものであり、そして彼とウェンディに襲い掛かる恐怖はさらにダニーを苦しめることになる。 ホテルで過ごす中で彼の父親は何かに取りつかれて日を増すごとに狂気になっていく。 その過程は実にじれったさがあるがそれこそが恐怖をゆっくりと確実につのらせる要素なのだと思う。
 先に述べたように父親ジャックがだんだんと恐怖に変わるという恐怖と、さらにダニーとウェンディが斧を手にしたジャックから追いかけられるという恐怖とがある。 一人が何かに取りつかれ武器を持って家族である二人を恐怖に陥れるというのは恐るべきこと他ならない。 ついこの間まで仲良かった家族がそのように変わり果ててしまうとういうのは恐いというより悲しさがあろう。 しかし、母子は必死で恐怖から逃れるほか道はないのだ。 ジャックが自分の狂気を感じ始めるのもとてもリアルに描かれている。 “広すぎる我が家”、これは彼ら家族を苦しめるものとなってしまうものになってしまう。 暮らすには申し分なく広いけれど逆に恐ろしきことが起こるときは厄介なものにすらなる。 
 最後にちょっとした謎もうかぶようであるが、恐怖の原因が明かされるというのは後に“その恐怖”を印象付けるものであるように思う。 恐怖が過ぎ去ってしまったと思いきや 最後にもう一押し残る。 そういうものがより恐いものであったりする。
[PR]

by jd69sparrow | 2006-11-20 23:43 | 映画タイトル さ行