トロイ

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 一つの愛のために富と名声をかけた戦いがおきたのは紀元前にまでさかのぼる。 トロイ、スパルタ、ギリシャの三つの国。 国境をこえた許されざる愛の物語である。 純粋で一途な思いどうしが交わった愛はいくつもの犠牲を出し,悲劇をもたらす。 誇り高き英雄たちは剣を持ち,盾をかまえ、そして弓をひいた。 そして国どうしの争いが巻き起こり、男たちは神々のため、主君のため、そしてそれぞれの名誉と誇りをかけて全身全霊で戦う彼らは猛獣のごとし。
 トロイの王子パリスは他国,スパルタの王妃ヘレンへ恋に落ちる。 パリスのヘレンへの愛の強さは彼にスパルタの王妃を奪わせる。 しかしパリスとヘレンとの間にあるものは他ならぬお互いを思う“愛”だった。 そのことはスパルタ、そしてギリシャへも知れ渡ることとなる。 そして一人の戦いに生きる戦士をも立ち上がらせるのだった。 戦士の名はアキレス。 ギリシャ側に立つ男である。 彼は恐れを知らない鉄壁の戦士であり,迫りくる死への危機をものともしない。ただ目の前にたちはだかる敵を倒すのみ。 しかし人の心を持っている。
 愛は温かさや希望といった幸せを人に与えるものであって時に争いを導く二面性をもったものである。 それが人々にもたらす力はあまりに大きい。 良きも悪きも動きやすいものなのだと思う。 愛が悲劇を生み出し、憎しみからも未来は望めない。 憎しみが生み出すもの、それは新たなる憎しみ。 その思いが完全にはれ、むくわれるというのは難しい、怒りに燃え,それを行動にうつしてもその先にあるのはさらなる危険であろう。 愛の力というのは恐ろしくもある、それは悲劇を呼び寄せてしまうと言うことある。 けれど、国を動かし、大勢の兵士たちを立ち上がらせ、その激しき戦いの火蓋を斬って落とさせるという力強さを持つ。
 銃なく一撃を入れるのは弓と剣、己の持つ腕力や精神力などといったパワーのみ。 力と力がぶつかる,まさに誇りやプライドをかけた戦いにふさわしいのはもちろん戦士ひとりひとりの戦いにも言えることのなのだが、(個人的には)トロイの戦士へクトルとギリシャ側にいるアキレスとの一騎打ちである。あっけなくもあるように思えるけれど人々の心・記憶に深く刻まれる迫力ある作品におけるまさに熱き戦いと言っても過言ではないだろう。 悲しさ残る映画だ。 戦士たち・英雄たちのたどる末路は悲しいばかりであるが戦士に恥じないものであったとそう思うのである。 
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by jd69sparrow | 2007-04-30 03:11 | 映画タイトル た行

アンフェア the movie

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 アメリカ映画では「トゥームレイダー」のララ・クロフトというヒロインが誕生した。それに続き「バイオハザード」のアリスや「アンダーワールド」のセリーンのようにキャラクターは様々であるが戦うヒロインが続々と登場している。 日本でも今、映画作品においての“戦うヒロイン”がここにある。 洋画におけるヒロイン像とは違った風合い。 その役割としてはヒロイン、けれど一言で“戦うヒロイン”というのは少し違うようにも感じられる。 しかし彼らに共通するのはクールであること。 それぞれが各々の正義を持ち,それを貫く。
 元警察幹部の命が次々と狙われ奪われるという事件が起こり、それには警察が隠す裏金の問題がからんでいた。 主人公・雪平夏見は検視官・三上の協力のもと一つの答えにたどり着く。 それは事件の鍵を握ると思われる“Y's FILE”なるものの存在だった。 雪平は公安部に拠点を変えてその謎の真相をつきとめるための捜査にとりかかっていた。 そんなとき一人娘の美央が危険な目にさらされてしまう。 警察病院に運ばれ一命を取り留め,ほっとしたのもつかの間美央をあずけたその病院で事件が起こる。 娘を救い、一連の事件の謎を解くため雪平の戦いがはじまる。 黒幕の存在を知る彼女のまわりにいる誰もが怪しい。 まさに信頼できるのは己のみという状況下に陥っていく。
 一人の刑事として、そして母親として雪平は事件に挑んでいく。 母親としての娘への愛や、自らの大切な存在(娘)をも危険に巻き込んでしまったことへの責任がのしかかってくるなど雪平の人間的な面があらわになる。
 以前の仲間の裏切りから仲間さえも疑わしい、さらに身勝手な警察の重役たち。 雪平は孤高な戦いを強いられる。 常に頭にあるのは黒幕の存在、状況はいつどこでどう転ぶかもわからない。 予測のつかない展開がおもしろい。 この物語はまさに“アンフェア”の上に成り立ち、また,「世の中にフェアなことなんて何もない」という言葉は現実におきかえてもとてもリアリティのある言葉であり事実だと思う。
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by jd69sparrow | 2007-04-29 20:04 | 映画タイトル あ行

ラブソングができるまで

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 詞は人の心を表すものである、とどこかで聞いたことがある。 曲があって詞があり、詞があって曲があるというふうに曲と詞とのつながりは深い。 二つが一つの歌となるまでにはドラマがある、映画を見てそう思えた。 原題"music and lyrics"がそれを一言に表している。 歌い手は詞にこめられてメッセージを受け取り,それを人々の胸に届ける、だからこそ詞の意味を歌い手は読み取らなくてはならないし、歌の世界観を壊すことなく伝えなくてはならない。 メッセージを声と気持ちによって表現する、それを可能にできる人に作り手たちは歌い手に歌を贈る。 両者のそうしてコミュニケーションがとれたからこそ聞き手である私たちの心に直接呼びかけるように届くのだ。 
 80年代、一世を風靡した“PoP!”。 解散後、二人いたボーカルの一人アレックスはもう一人のボーカル同様,ソロとデビューするが全く売れず、“元人気グループのボーカル”という過去の栄光だけを頼りに当時のファンたちに囲まれた小さなイベントにまわるなどと細々と活動を行っていた。 輝きを失った宝石のように彼はすっかり“過去の人”という色に染まっていた。 彼自身、いまだ過去に生きていたのだ。 そんな落ちぶれた日々を過ごすアレックスだったが、ある日突然嬉しい知らせが舞い込んできた。それは今をときめく歌姫コーラからの新曲の依頼だった! 音楽界に本格的にカムバックするチャンスをつかむため、歌作りをはじめることに。 しかし作詞家とはそりがあわず、詞を作るのが苦手なアレックスは途方にくれようとしていたその時、たまたま彼の家に植物の世話の手伝いとして訪れていたソフィーの何気なく口ずさんだ詞がアレックスの耳に止まったのだ。 ソフィーの口ずさんだ短いフレーズに可能性を感じた彼は彼女に共に曲作りをすることを申し出る。
 過去の自分の栄光にすがっていたアレックス、文才でありながら過去の失恋によりその道へ進む夢をたちきっていたソフィー。 二人は互いに捨てられない過去の記憶がありそこに縛られていた。 しかし 二人の出会いと共にラブソングをつくるという共同作業が二人がお互いがお互いを現在・未来へと導く。
 ところどころにジョークじみたセリフがちりばめられているのもさることながら,アレックスのPoP時代の姿、常に彼がこだわり続けている“腰ふり”もおもしろい。 歌って踊る、さらにはピアノの弾き語りというめったに拝むことのできないヒュー・グラントの姿があった。 冒頭から時代を感じさせる。 当時のアイドル風のファッションに身を包み、別人のように(スクリーンを通して)目の前に現れたグラント。 ださめだけれどセクシーさもあって実在した人物でありグループのように思えるし、また,物語で描かれるアレックスの姿、彼の陥る状況というのはリアルな話なのだとも思う。
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by jd69sparrow | 2007-04-28 17:34 | 映画タイトル ら行

ハンニバル

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 この物語で印象に残るセリフはハンニバル博士が少年にかけた言葉である。 それは食べ物、あるいは「食べること」に対してだったと思う。 「ハンニバル」シリーズは(映画だと)「羊たちの沈黙」から「ハンニバル ライジング」へと続いている。 殺人者としての姿を知らなったとしてもこれは静かなる恐怖の場面であったと思う。 ちょっとした一言、しかしこれはハンニバルの異常な好物を指しており,また彼自身を表すとも十分にとれることだと思う。 ハンニバルの異常さと恐ろしさを後味として残すものなのだ。 恐怖の連続のあとの安堵、沈黙、そしてその後何かが起こるのではないかと連想される締めくくりはじわじわとまるで影が背後から忍び寄るかのような恐怖を残す、あるいは人々の心に植えつける。
 クラリスはFBI捜査官で彼女はある事件の指揮をとっていた。 まさに任務遂行している最中彼女の指示に聞く耳を持たなかった仲間の一人のフライングにより任務は失敗に終わってしまう。 その不祥事により責任をとるはめとなったクラリスだったがそんな彼女の元にハンニバル博士の情報が飛び込んできた。 頭のきれる、しかし異常な殺人鬼、その人である。 情報を持ち掛けたいとしたのは彼の刃にかかった者たちの中での唯一の生存者で富豪のメイソンだった。 そこからクラリスとハンニバルとの駆け引きが始まる。
 ハンニバル・レクター博士。 彼は殺人者であり、その世界における情報に通じた人物でもある。 相手の心がまるで手に取るかのように見える洞察力、常人の動きを先の先まで見通す力は相手に恐怖さえあたえる。 普段は紳士の顔を持つが標的をさだめたときの豹変振りはまるで違う人物かのよう。 獣のようにも見える。野生の獣と知に優れた才人との二つの人格がハンニバルの中に生きている。 芸術に通ったところがあり優れた頭脳をかねそなえ、表情をぴくりとも動かさず人の命を奪い,その命が失われていくのを氷のような目で標的を見据えるという冷酷さも持っている。 あるときは冷酷でまたあるときは獣と化す。 けれどクラリスを抱きあげるあの姿は不思議と殺人者には見えなかったのは気のせいだろうか。 
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by jd69sparrow | 2007-04-27 17:36 | 映画タイトル は行

名探偵コナン 紺碧の棺

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 毎年恒例のアニメーション映画。 2006年、10周年という節目の年を迎えてから第一作目となる「紺碧の棺」。 “棺”と書いて“ジョリー・ロジャー”と読む。 作品のタイトルには物語のテーマに密接に関係している。 主人公の名前がそのまま使われているもの、「マトリックス」のように物語の世界を指すような作品全体を表すものもある。 シリーズものであればサブタイトル。主として言えるのが物語を解く鍵となることが主題であれ,副題であれ使われるのだ。 「コナン」のような推理ものというのは特にそうであろう。 作品のタイトルはそれぞれの作品を認識するための文字であり記号、だからそこに込めれている意味を考えるというのは見落とがちかもしれない。 推理ものの場合はどこにその物語で起こる事件の謎を解く鍵はどこに隠されているかわからない。 もちろんその他のジャンルの作品であっても物語をより理解するためのヒントはちりばめられていてわかりやすいところ、目に付きにくいところにあると思う。
 今回,11作目はいつもの「コナン」と違う。 それは事件よりも謎解き冒険ロマンという色が強かったというところ。 事件の謎をあばくことだけが推理物語なのではない、トレジャーハントにも謎解きはつきものであるということを改めて実感した。 海を舞台に繰り広げられ,次々に謎がまいこんでくる。
 およそ300年前に実在したアン・ボリーとメアリ・リードは同じ女海賊であり,パートナー。 二人がそれぞれが愛用していたとされる刀とピストルが海の底の宮殿から発見された。 それらが発見されたのは神海島という島から少し離れた場所にある頼親島の海底。 たまたま神海島へ訪れてきていたコナンたち一行。 コナンや少年探偵団(コナンになった主人公・新一の同級生たち)は島の観光課が行っている謎解きクイズラリーに参加。 全ての謎を解きあかしたときに手の中にいれることのできるお宝を目指して。 しかしまた事件に遭遇し、二人の女海賊にまつわる宝の場所を突き止めていく。
 互いが自分の後ろを任すことのできる信頼の絆で結ばれるアンとメアリのように蘭(新一の幼馴染)と園子(蘭の親友)の友情は強く結ばれていて互いが互いの力となり敵たちに勇敢に立ち向かっていく。 まるで伝説に残された女海賊さながらに蘭とそ園子は敵たちに戦いを挑む。
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by jd69sparrow | 2007-04-23 03:13 | 映画タイトル ま行

蟲師

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 かつて日本の中で自然に恵まれた静かでのどかな場所では人と蟲とが同じ場所に住んでいたという。 蟲とはあるべきところにあるようにあるというもの。 人が暮らす民家などといった場所に蟲はいる。 時として人のからだにつくこともあり、人に何らかの影響をあたえる。 それによりもたらされた身体への障害を取り除き,癒す、また蟲をあるべきところにかえす者たちがいた。 そのような力を持つ者のことを人は「蟲師」と呼んだ。
 この物語は蟲を退治するというものではない。 だから激しい戦いというものも望まれることもない。 不思議な世界観が広がり,それこそがこの物語の魅力である。 ふわっとした空気と不思議な空間と言ってもいいだろう。 そういった雰囲気を味わうことができるのが特徴のように思う。
 時代は今から百年ほど前に遡る。 蟲と関わった人々を癒すため,旅をするギンコという蟲師がいた。 彼は若くしてその髪は白髪。 その謎もある日を境にした自身の過去もギンコにさえわからない。 ギンコの蟲師としての旅路と彼の過去に隠されたものが明らかにされていく。
蟲と一言に言っても様々なタイプを持ち,その分だけ人々にもたらす影響のカタチも様々なのである。 それがどんなものなのか、蟲とはなんなのか、そもそも「蟲師」という物語の世界とはいかなるものなのかを観る者に語りかけているというものと私は思う。 
 たいていの物語には場面場面、描写ごとに強弱がある。 それはクライマックスであったりストリーをどんどんと新たな方向へと展開していくというものであったりする。 言い換えれば盛り上がりと平坦な部分との二つが相互に出てくるという構成。 「蟲師」というのは物語やそのコンセプトを見るといったおもしろさもあるけれど,どちらかというと世界観を堪能するというもの。 まるで不思議で,それでいて貴重な経験をしてきたかのような感覚である。 この映画の作り手の言葉にあったと思うけれど本当にここで描かれるような世界がどこかに存在したのではないかと思える。 それが史実であれ言い伝えや“物語”であったとしても。 
 監督のこだわりはすごい。 そのこだわりがあるからこそ映画「蟲師」の壮大な世界を見ることができるのだから。 日本の風景のよさは日本の風景でこそ表現できるのであり,伝わるのだなと思った。 これからもここで見ることのできるような景色が残されていて欲しいものである。 それは歴史を肌で感じることのできる日本の財産であると思うからである。
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by jd69sparrow | 2007-04-10 01:03 | 映画タイトル ま行

タイヨウのうた

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 太陽の光を浴びることができない少女がいた。 カオリという少女は太陽の光を浴びることなどあろうものなら命の危険にさらされてしまうという長きに渡りかかえてきた,また戦い続けてきた。 そうして病と闘ってきたカオリは日が沈み,夜明け前までの時間しか外に出ることができない、ゆえに何の問題もなく生きている人々とは昼夜逆転した生活を送りざるをえない。 しかしそんな彼女にも一つ夢中になるものがあった。 それは“音楽”。 ギターを一本持ち毎晩のようにいつもの時間にいつもの場所でストリートライブするのがカオリの楽しみであった。 光のない世界で生きてきたカオリにも恋の相手がいた。 しかしその相手とはちゃんと会ったこともなく名前さえも知らなかった。 丘の上にある家の窓からいつも同じ場所にやってくるその相手をただ遠くから見つめるだけということしかできない。
 まわりとの接点を持つことができずに生きてきたカオリにとっての光がカオリが恋をする相手,コウジだった。 彼のバカみたいに仲間と騒いだり明るい笑顔がカオリを支える力そのものと言ってもよかった。 やがて二人は出会い、カオリはギターを弾き,歌を歌い、コウジは希望をあたえるために,また力となれるために精一杯のことをしようと考え行動にうつした。 そして二人は途中壁にぶつかりながらも恋に落ちていく。
 カオリの歌う歌はまるで太陽のように輝いている。 夜の暗さを彼女の歌が明るく照らす。 一曲一曲カオリの作る曲には“思い”がこめられている。 太陽の光のない世界でしか生きられずとも自分はここにいて,ここで生きているということを証明し,歌で呼びかけることで主張しているかのようにカオリは歌い続けた。 そこにカオリの生きる力の強さがある、そう思えた。 彼女の歌う曲が夜の闇を照らし,人々にも光を与えるようにカオリ自身もまたまわりで彼女を支える人々の太陽と言ってもよいだろう。 そんな彼女は病と戦い,命がけずられようとも“生”への思いを捨てたりあきらめたりせずに彼女の時間を一生懸命生き,その証を残していった。 形として、人々の心の中に生き続けるものとして。 人の強さにはいろいろとあるけれどカオリの強さとは歌であると思う。
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by jd69sparrow | 2007-04-09 01:12 | 映画タイトル た行

ロッカーズ

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 80年代、ロックに燃えた男たちがいた。 彼らの名は“The Rockers"。 アマチュアからスタートし、熱きロックで最高のステージを沸かせることを夢見た5人のバンドマンたちである。 ロック・バカな5人はメジャー・デビューへの道へまっしぐら。 彼らのロック魂はロックという音楽への愛によりいっそう燃える。この物語は役者・陣内孝則がかつて在籍したロックバンドをもとに作られた映画なのだ。 彼は自らメガホンをとりこの作品を作り上げた。 陣内が青春を過ごしバンドマンとして輝いたその時を描いている。 そして陣内と共にロッカーズとして活躍した谷信雄氏へのオマージュの意がこめらていて,ロッカーズの青春と谷氏へ捧げるためのものと言うべきだろう。 
 はじめはロッカーズのメンバーは4人だった。ギタリストから歌を歌うボーカルへと目覚めた主人公・ジン。 ジンは各々の理由からどこか脱力したような自らが率いるバンドのメンバーを見、刺激を求めていた。 みなの夢の一歩を踏みしめるにはバンドの仲間達を奮い立たせ,また引き締めさせる存在が必要だった。  そしてやってきたのがギタリストの谷だった。 申し分ないバンドマンとしての実力にロッカーズに活気がつく。 まもなくしてようやくプロへの道のスタートラインにつき夢の実現に向かい舵をとった。 ロッカーズは新メンバーが仲間に加わり, 新たな出発点でゼロから前進し,強力なライバルの出現によりロッカーズはヒートアップし勢いにのっていく。 そして困難を乗り越えプロへと近づき,そしてロックバンドとしても成長をとげていく。
 最近ではロックバンドであっても歌って飛び跳ねてというロッカーズの時代のようなバンドはそうそうないのではないかと思う。 しかも登場人物の率直な気持ちがそのまま詞の中に盛り込まれているようなのが尚更素敵。 だからこそ、というべきだろうか舞台となる80年代を過ぎて時が流れた物語の中で刻まれる時が今も(ロッカーズが)素直にかっこいいと思えるし見れる。
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by jd69sparrow | 2007-04-08 02:06 | 映画タイトル ら行

花田少年史

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 花田少年(以下、一路)が暮らしているのは漁業が行われている小さな町、海や緑と自然に囲まれた綺麗な町並みである。 一度は命を失った一路がこの世に呼びもどされたとき、今まで見えなかったものが見えるようになっていた。 やんちゃでありあまるほど元気な少年・一路の摩訶不思議な冒険を描いている。 笑いと感動、ちょっぴりホラーチックな物語。
 全てのはじまりはトンネル前で起きた交通事故だった。 一路は友達の壮太を連れてサイクリング、坂道を思い切りスピードを飛ばし駆け抜けていった、そしてトンネルにさしかかろうというその時だった、一路が自転車で飛び出すとトンネルから出てきたトラックにはねられてしまった。 一路は事故にあってしまったのだ。 少年はそんな自分を見つめ天へ上ろうとした、その時聖子と名乗る少女に現世へと押し戻された。 魂は一路へと戻り,再びこの世を見つめたとき一路には自分の頭が坊主になったこと以外何も変わらないように思えた…しかし、それだけではなかった。 一路には幽霊が見えるようになっていたのだ! 他の人には決して見えない、自分だけが見ることができるのである。 そして命の恩人でもある少女の霊,聖子に再会する。 それを機に一路のもとに別の幽霊が現れ、そして一路の摩訶不思議な冒険が始まる。
 幽霊が見えるようになった一路、いうなれば成仏できずこの世をさまよう幽霊たちとこの世の人々をつなぐ架け橋。 幽霊たちを助け、この世の人たちをも助けるのだ。 そうして幽霊たちとコミュニケイトする一方で父・大路郎に関する疑問が浮かぶ、それは一路にとって遠い過去に遡りその謎の真相へと迫っていく。 それは家族と友に関わるものであった。 家族とその温かみを知るドラマな映画でもある。
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by jd69sparrow | 2007-04-07 00:48 | 映画タイトル は行

この胸いっぱいの愛を

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 人はみな何度も後悔をしながら生きている。 あの時ああしていればよかった、こうするべきだったなんて考えてしまうことはよくあることだろう。 それがもしやり直せることができたらなんて思う。 訳もわからずただただ後悔をして悲しんで時に身を委ねてしまう。 そういったことで納得がいく答えを見つけ出したとしたらどんなに気持ちが良いことだろうか。 時を越え、過去を振り返る。 未来から過去へ、やってきた者たちは今まで心に抱えてきた疑問の答えを求め,また過去に遣り残してきたことを果たすため彼らは時を隔てて答えのある同じ世界,同じ場所にたどり着く。 彼らに共通すること、それはそういった後悔の念であったり疑問の答えであったりと何かしら心のどこかにひっかるる部分を持ち合わせしていることだ。
 2006年、主人公・比呂志は飛行機を使って出張にいく最中であった。 そこはかつて比呂志が幼い頃育った場所であった。 少年時代と何一つ変わらないその場所に懐かしむが自分の目の前を通り過ぎていった少年に見覚えがあった。 「オレだ!」、彼の目の前にいたのは20年前の自分だったのだ。 そこで比呂志は自分のいる場所が過去の世界であることを悟る、1986年であると。 飛行機にゆられていたはずの彼はふと気づくと時を越え,少年時代へとやってきたのである。 しかし過去へやってきたのは自分以外にもいるということを知る。 偶然同じ飛行機でしかも席も近くに居合わせた。 布川という少年、名前のとおり影の薄い臼井、そして目が不自由な老婦人・朋恵の三人である。 比呂志は20年前の世界で大好きだった人と再会する。 そして四人はそれぞれが望む人々・場所にタイムスリップしたのである。そして彼らは自分たちがそれぞれ過去へやってきたのかを知る。
 騒がしさのがありふれた未来から過去へとやってくる,言葉で表すとするならば“時を越える旅”、“時間旅行”といったところだろうか。 これもまた世にも不思議な世界観がある。 
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by jd69sparrow | 2007-04-06 00:18 | 映画タイトル か行