注目映画。

1.「スウィーニートッド」
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 「チャーリーとチョコレート工場」以来のジョニー・デップとティム・バートンのコンビによる新作。 ミュージカルからの映画化でスリラーもののようだ。 部分的に白髪なヘアースタイルで色白なジョニー。 ルックスとしてはなんとなくブラック・ジャックを連想させる(「ブラック・ジャック」をハリウッド版でリメイクしたら合いそうな気がする)。 系統としては「スリーピーホロウ」的になるのではという話がある。 なんとなく恐そうな感じがするのだが、個人的にはバートン風味でどちらかというとダークな雰囲気でどこかおとぎ話チックなイメージである。公開は08年。

→ 関連情報は こちら (※海外サイト)

2.「ラッシュアワー3」
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 ついに待望のシリーズ第三弾! 久々のジャッキー・チェーンらしいコメディアクションだろうか。 今回は日本から真田広之も参戦しているらしい。 ジャッキーのアクションと言えばその場にあるものを巧みに使い敵に立ち向かい,そのアクションシーンも自らが挑戦することが多い。 かっこいいアクションの合間にコメディもはさみながら観る者を楽しませてくれる。 クリス・タッカーとのコンビも漫才のようでもあり最高だ。 ジャッキーとクリス・タッカーとのコンビは「ラッシュ・アワー」以前に「ジャッキー・チェン -ドラゴンへの道-」で実現しているとか。 監督は「X-MENファイナルデシジョン」が記憶に新しく,前二作に引き続きブレット・ラトナー。 公開は秋。

→ 関連情報は こちら

3.「西遊記」
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 ドラマから映画へ。 香取慎吾主演で「NIN×NIN」に続く漫画的キャラクターが魅力の一つの「西遊記」。 孫悟空の目の前に新しい強敵金閣・銀閣が登場。 (これまでもそうだったかもしれないけれど)一度四人が揃うと漫才が始まりそうなにぎやかでおもしろい主要人物たち、三蔵法師、猪八戒、沙悟浄、そして孫悟空。 
公開は7月14日。

→ 公式サイトは こちら

4.「ミス・ポター」
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 ピーターラビットの生みの親,ビクトリアス・ポターにまつわる物語。 レ二ー・ゼルウィガー、ユアン・マグレガー共演。 作家の半生を描くものといえば「ネバーランド」を思い出す。 色鉛筆の淡い色で彩られたような世界観が味わえるのではないかと思う。 ピーター・ラビットのシリーズと言えば他にはベンジャミン・バニーの物語などがある。 子どもの頃に読まれた方というのも多いはず。 イギリス生まれのピーター・ラビット。 日本でも愛され続けている「ピーター・ラビット」の物語を書いた人というのはどんな人生を歩んできたのか。 9月に公開である。

→ 関連情報は こちら

5.「スキヤキ・ウエスタンジャンゴ」
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 源氏と平家の物語だがその名のとおりウエスタン風にしかも全編英語と和と洋の融合・調和である。 伊藤英明や伊勢谷友介、佐藤浩市、そして桃井かおりなど豪華なキャスティングだ。 映画の作り手の中でも曲者なクエンティン・タランティーノの出演も気になるところだし、クセのある俳優としては香川照之がいる。日本の風景をバックに西部劇な物語、日本映画で日本の俳優たち,でも話すのは英語。 この異色で奇抜な構成でできた映画、これも期待大である。 予告編に既に登場。 桃井かおりのクセのある英語のイントネーションが印象的。 公開は9月。

→ 公式サイトは こちら

6.「GOAL!2」
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 シリーズ三部作のうち第二作目。 ロスからやってきたサンティアゴが再びピッチを駆け抜ける。 サッカーの歴史は古くは古代ギリシャまでさかのぼるとか。 もともと闘志に燃える人々による死傷者がでるほどの熱い戦いだったようだ。 それだけに熱き男たちの戦いが繰り広げられることだろう。 ベッカム選手をはじめとするサッカー界の貴公子たちの出演も楽しみだ。 今回は彼らが主人公のチームメイトとして登場。 公開は5月26日である。

→ 公式サイトは こちら


7.「スピンオフ“L”(仮題)
 2006年 公開した「デスノート前編・後編」。 そのスピンオフとなるのが主人公夜神月のライバル“L”を主人公にした物語である。 Lは松山ケンイチ、監督は「リング」シリーズの中田秀夫監督。 撮影が夏に控えており,公開されるのが2008年になるとか。 詳しい内容はまだわからないがこれからどんな作品に大いに楽しみである。 アクションがまた見所になるもよう。

→ 公式サイトは こちら


※映画冊子参考。
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by jd69sparrow | 2007-05-22 23:22 | インフォメーション

スパイダーマン3

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 アメリカン・コミック,マーベルのヒーローたちには様々な能力を持ったヒーローがいる。 「スーパーマン」や「超人ハルク」、「X-MEN」,そして「ブレイド」など多くのマーベルキャラクターが映像化されている。 その中でも「スパイダーマン」はシンプルなデザインで印象に残るヒーローだろう。 「スパイダーマン」が登場したのは40年も前のことであり,原作のイメージから変わることなくイラストから飛び出したかのようである。 そして他のヒーローたちと違うのが正体を隠すヒーローであること(パンフレット参照)である。 ヒーロー全体として見ると、素顔をそのまま出すというものが多く,素顔とヒーローとしての顔,精神面でそのオンとオフとが切り替えられているのかもしれないけれど,やはり外面的に分けられているのがスパイダーマン(以下、スパイディ)なのだ。 日本にもヒーローは数多くいて,その中であげるとするならば漫画ではないけれど今もなお続く戦隊ものであったり,仮面ライダーなどなど。 オンとオフのカタチは違うけれど素顔を隠すという点からすれば共通するヒーロー像である。
 最近では素顔の一部分を仮面などで覆うなど素顔を見えないようにするものであっても素顔がわかるかわからないかくらいにするものであったり、コスチュームで身を包む以外はほとんど変わらないヒーローは日米の両方に見られるヒーローの姿の傾向だ。 
 そしてもう一つ、スパイダーマンの物語の特徴なのが未完成であってヒーローとしての確立や成長の課程を描いていくところ、そして原作で言うでなればスパイダーマンの糸は手作りだということでアクションである以前に主人公たちの青春を描く物語であり,身近なヒーローだということである。 最初から特別な力を持っていたのではない、今が特別であるわけでもない。 それが“スパイディ”,つまりピーター・パーカー。 映画でも漫画でも言えることだ。 映画で言うならば、ごく普通の青年がある日偶然な出来事が身にふりそそいだことで突然力を手に入れ,その力と力を手にすることで自らにに課せられる運命に悩む,ごく普通の青年というわけなのだ。 主人公は“力をなんのために使うのか”や“どう自らの目の前に立ちはだかった運命を受け入れるのか”など突然力を手にしたものがぶつかる壁に向き合うのだ。 そんなピーター・パーカーの人として、ヒーローとしての成長をシリーズを通し,描かれる。

(▼!ネタバレ注意!▼)

 「1」を振り返ってみる。 高校生のピーター・パーカーは大学の研究室に見学に来る。 そこには親友のハリー、幼い頃から憧れていた女性メリー・ジェーン(以下、MJ)がいた。 研究室には様々な蜘蛛がいる。 見学をする一行、ピーターは蜘蛛用ケースの外にいた遺伝子が組み替えられた特殊の蜘蛛に手をかまれてしまう。 するとピーターに蜘蛛の持つ力が備わり,壁をつたい、さらには糸を出して自由自在に飛びまわれる力を手にしたのだ。 彼は“スパイダーマン”と名乗り、人々を救うために自分の力を使う道を選ぶ。 敵はグリーンゴブリン、その正体は親友ハリーの父ノーマンだった。
 「2」を振り返ってみる。 大学生になったピーター、MJとの恋が動き始めようとしていた。 しかしヒーローとしてこれからを生きる運命を背負ったピーターはMJを思う気持ちがあるものの彼女に思いをつげることもできず、MJの気持ちに応えることもできずにいた。 ピーターが尊敬する科学者オクタヴィアスが彼の発明した人口アームに取りつかれ、ドクター・オクトパスとしてスパイディの前に立ちはだかる。 さらに、グリーンゴブリンこと父・ノーマンに死をもたらしたのがスパイダーマンであると思い込んでいるハリーとの仲に亀裂ができはじめていた。
 そして迎えたシリーズ第三作目。 スパイディの力は人々に認められ、“親愛なる隣人、スパイダーマン”はすっかり町の人気者となっていた。 ピーターはそれにちょっぴり有頂天になっていた。 自分の運命を明かし,MJとの恋も順調だったピーターは幸せそのもの。 彼女とのことに決心もつきかけていた。 スパイディ=ピーターはますますと成功をおさめる、けれどMJはそれとは逆であった。 MJを思いながらも自分のことで前が見えないピーター、やがて二人の関係はぎくしゃくし始めた。 ある日、ピーターの叔父,ベン・パーカーの命を奪った犯人の脱獄の知らせがピーターの元に届く。 ピーターは復讐心に取りつかれてしまう。 それでもピーターは自分と戦う。 そして彼の目の前には三人の敵,父親の復讐を誓いニューゴブリンになったハリー、サンドマンこと脱獄囚のフリント・マルコ、そしてスパイディにひけをとらない強さを持つヴェノムと化したピーターの仕事のライバル・エディ。 これまでにない数の敵である。 ピーターは正義の名のもとに戦うことをあきらめず前に進む。
 それぞれ違う力を持った敵、自分さえも敵となる。 親友とも戦わなければならない、かつてない厄介な敵、最強の敵もがスパイディに襲い掛かり 戦いに次ぐ戦いが繰り広げられる。 敵たちはタイプも違ければ出方も違う。 その中でももっとも最強最悪な敵が他でもない復讐で悪にそまったもう一人の自分、ヴェノムはスパイディの能力を吸収し,他人に取りつくことで完成したもう一人の暗黒にそまったスパイダーマンと言っても過言ではない。
 迫力あふれるアクションシーンの数々の中でもスパイディ=ピーターの自分と戦う姿は力強さがあり、さらに親友同士の戦いは印象に残る場面である。 スピード感にあふれ,どちらもほぼ互角な戦いを互いに挑み、二人ともが追い詰められては立ち上がるという感じ。 さらにピーターの復讐心から生まれた(今までのスパイディからさらにパワーアップした,)ブラック・スパイダーマンの動きやパワーのどれもが柔軟性にとんでいる。
 シリーズ通しての敵たちはピーターの知り合いで追い詰められ,心の隙間に悪に取りつかれてしまった復讐や欲望に見も心も蝕まれてしまった者ばかり。それだけにピーターは辛い戦いを強いられるのだ。 なんとも皮肉な運命だろうか。
 大いなる力をえること、それにより伴う犠牲。 ヒーローは屈することなく歩んできた道を受け止めることが必要だ。 それを一つ一つ受け止めなくてはならない。 友の存在、親友ハリーはピーターの何よりもの力。 その優しさがまぶしかった。 真相にせまる一作、感動の一作品である。
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by jd69sparrow | 2007-05-19 01:20 | 映画タイトル さ行

ハチミツとクローバー

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 誰かが誰かに恋をしている、けれど矢印は一つの方向に向き、一方通行。 片思い。 それぞれが自分の向けた矢印の先の人がこちらへ矢印を向けてくれる、つまり好きになってもらいたいと,切ない思いを抱いている。いつかその矢印が向き合う日は来るのだろうか。 恋する男女の恋の物語。
 舞台は美術大学。 それぞれが筆をにぎりキャンバスに想いを描く。 あるいはその手で何かを築き上げる,誰もが心に芸術を持ち,生み出す。 大学の教師・花本のもとには集うは竹本や真山、あゆみなど目指すものは違えど美術という芸術を愛する者たちである。 そこには学年など関係なく花本をしたうそれぞれの学年の学生が集まる。 ある日、竹本たちが通う浜美大に一人の才能あふれる“ハグ”という女の子が入学してくる。 ハグは花本とは親戚関係にある。 彼女は大きなキャンバスに自らの感覚を持ち芸術を描く。 そんなハグを見た竹本、そして“人が恋に落ちる瞬間を見た真山。 そこへさらに浜美大8年目の森田が海外から日本へ帰国し,花本たちのもとへ帰ってきて,恋は新たな展開を示していく。
 竹本たちはそれぞれ好きな人がいていつかその恋が実ることを願っている。 けれど好きな人に自分を好きになってもらうこと、恋が成就することは難しい。 簡単なこと、単純なことに思えるかもしれない、逆に簡単に思えることが、見えることほど難しいことはないのかもしれない。 誰かの恋が進行していて、誰かの恋が始まる。 みんながみんな恋に不器用。 相手に思いを中々伝えられずにいる、けどそんな状態から脱し,思いを告げることができたらどうだろう。 それだけで何か温かいものが胸にこみあげてくるのではないだろうか。 どんな答えが待っていても前を踏み出せたことに後悔は残らないだろう。 自分の心に抱く恋を貫くか,あきらめるか,あるいはただ思うだけにとどめるか、その選択肢は自らで切り開き 決めるもの。 恋を始める勇気、思いをつげる勇気。 その勇気を持てた時が恋の,また未来への一歩なのである。
 恋が実るのか。 選択しだいで可能性を開いていける、そんなふうに思った。 主要人物の誰もが恋をしていること、それらは終着地点につくのではなく,あくまでも未来へ続く道、可能性を彼らは見つめているというところがとてもほんわか,温かで素敵な物語である。
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by jd69sparrow | 2007-05-18 03:33 | 映画タイトル は行

スペーストラベラーズ

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 「スペーストラベラーズ」というアニメがある。 これは9人からなるチームで寄せ集めで集結した戦士の宇宙を舞台にしたSF物語で9人はそれぞれの個性と技を持っている(映画参考)。 楽園を行くことを夢見た三人の男たち、彼らは幼い頃からの友。 そんな彼らがその資金をえるために銀行強盗を起こし、やがて人質を仲間にし,警察と戦う物語である。
 保、誠、功の三人は白い砂浜に青い海の広がる楽園のような島に行くのが子どもの頃の夢だた。 しかしそのためには資金が必要だった。 そこで銀行におしいり強盗をおこす。 銀行の職員、その場に居合わせた客たちを人質に彼らは立てこもる。 「5分だ」。 それで全てが片付くはずだったが銀行職員の抵抗により警察との長期戦となる。 保たちを含め,その場にいたのは全部で9人。 その中にはプロのテロリストがいた。 そして警察を欺くために保たちは居合わせたその9人で手を組むことに。 アニメ「スペーストラベラーズ」のキャラクターたちの特徴に偶然にもあてはまる9人にコードネームをつけた。 リーダーの保を“ハヤブサジェッター”、その友を“ブラックキャット”、もう一人の(無口な)友を“ドラゴンアタック”、銀行の女性職員をアイリーンベア”、テロリストの男を“クラッシュボンバー”、仲の悪い夫婦のうちの男を“ホイ”、女を“ゴールド・パピオン”、銀行の男性職員を“カールヘンドリックス”、電気屋を“エレクトリック・サニー”とした。 寄せ集めでできた彼らはそれぞれのコードネームをとったアニメから“スペーストラベラーズ”と名乗り,戦う。
 人質だった6人が強盗たちの作戦に加わり,仲間となる。 強盗と人質という相反した立場であった両者は手を組み、語り合い,そんな中で絆が生まれる。 人質をとる事件で犯人に共感した人質は (言い方は悪いが)犯人側に寝返る場合があるという話をどこかで聞いたことがある。この映画の場合は寝返るという言葉はふさわしくないし、共感とも違うかもしれないけれど共感に近い何かを保たちの作戦の過程の中で芽生えたのかもしれない。 みなで共同して何かを成し遂げていくというのはみなの心を一つにし,絆が生まれる。 成長もできるし人として変わることもできるだろう。 どんな状況であれ、チームで汗を流して協力をすることは人を良き方向へと導く。 人生には何が起こるかわからないし、未来の自分が何をしているかだってわからない。いつどこで何を得られるかだって未知である。 
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by jd69sparrow | 2007-05-17 00:43 | 映画タイトル さ行

ファンタスティポ

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 トラジとハイジは“ファンタスティポ”という歌を作っていた。 それは彼らが今に至るまでを語るものである。 ミネラルウォーター会社“アルマジロ社”の社長は彼らの父親・鯉之堀金太郎であり、“ミスターパーフェクト”の名を欲しいままにするビジネスマン。 トラジとハイジもアルマジロ社で働いてるいるがハイジはそんな父親とは折り合いも悪く 金太郎もまた「次男」であるハイジになすすべがなかった。 業績もあがり波に乗ってきたアルマジロ社、しかし金太郎のいきなりの引退宣言で二人の兄弟は会社をつぐことになった。 兄・トラジは社長に,弟・トラジは専務の任を任されることに。 さらにそこへ金太郎の旧友の娘・マシュウコが宣伝・広報として加わる。 金太郎から会社を任されたトラジとハイジは急速に変化する環境にそれぞれの悩みをかかえ生きていく。 物語の中心となるのは現在から一年半前になる。
 アルマジロ社のトップとしての人生を歩み始めることはスタート地点、“ファンタスティポ”とは彼らが行き着く場所である意味でのゴール地点。 いや、むしろ新たな道へのスタート地点なのかもしれない。 その過程はまだ大人になりきれていなかったトラジとハイジの大人への道でもあった。 大人になってもまだ大人になりきれていなくて心にはまだ子どもな自分がいる。 それはまだ未来が明確に見えていないおらず、スタート地点でまだ地に足をつけ悩んでいるということなのだろう。
 印象的だったのは子どもであることを状況が許さなくなったと瞬間の場面である。 トラジに大きな試練がたちはだかったのである(自分がそこに立たされ,無知であることにコンプレックスようなものがその背中にずっしりとのしかかる)。 ハイジもそれは同じである。 自分が歩むべき道がなんであるかがわからずにいて,まるで先へと続く道を霧が覆っているかのようだった。 よりかかれるところもなく人生をさまよっている。 
 どんなに道にまよい悩んだとしても決して一人ではない。 自分を見ていてくれる人たちがいる。 それを実感したとき、人は孤独ではなくなり必ずその先の未来も見えてくる。 全てはトラジとハイジの場所,アルマジロ社を軸にして物語は展開されていく。 そしてちょっと浮世離れな雰囲気があり,それは映画としても言えると思うのだが、大人として生きていくということ,どんなに前が見えなくても大切な人の存在意義や大きさを知ったとき 歩み始める勇気をえられる。 そして目の前にある霧も晴れていくということを感じ取ることができた。
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by jd69sparrow | 2007-05-16 18:37 | 映画タイトル は行

ジェームズ・フランコ

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 5月1日に世界最速で公開された「スパイダーマン3」の際に来日したトビー・マグワイヤと,シリーズで主人公ピーターともに中心にいたハリーを演じるジェームズ・フランコ。 ちなみにこの間、とあるテレビ番組ではMJ役のキルスティン・ダンストも加わり、三人の主要俳優たちの顔が揃った。 インタビューを受ける三人。 そこでは良い意味でちょっぴりのけ者にされるトビーの姿があり、微笑ましい(?)場面を垣間見れた。 
 映画の中と外とでほとんど変わらない人もいるし、だいぶ違う印象がある人もいる。 それは映画界と限らず、社会において仕事とオフとで違うのと同じかもしれないが。 たいていは演じるキャラクターの強烈さがギャップをうむのである。 今回の強烈とまではいかないがそんな違いを感じさせたのがフランコなのだ。 正直なところ、今回で最後とも言われる「スパイダーマン3」の公開に便乗された。 まず最初にはそのギャップから来るものだが、映画を見てその役どころからくるものもある。 
 映画(「スパイダーマン3」)では復讐に闘志を燃やす、攻撃的な面からくるクールさというかかっこよさがあって、それとは打って変わりフランコのインタビュー時を思い出させるような優しさのただようのと2つの面で魅力があると言えよう。 笑顔がかわかっこいい(可愛くてかっこいい)というのがツボだった。 俳優としても全体像としてもクールである。 「スパイダーマン」シリーズ三作全てに出演を果たしているけれど他の作品で中々見ることができない(見逃しているだけかもしれないが)。 しかし俳優としての実力はレギュラーな主演級と言っても過言ではないはず。 記憶が確かならば最近ではとある最新映画にカメオ出演(?)をしていた。 ふと目を離したら見逃してしまいそうなくらいの時間であったと思うが。
 かくうえ、「スパイダーマン」シリーズも一区切りされたというわけで 今後の出演作に注目していきたいと思う。 ちなみに本名はJames Edward Franco(ジェームズ・エドワード・フランコ)。 ミドルネームもあっていて、それでいてかっこいい。
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by jd69sparrow | 2007-05-14 23:56 | ハリウッドスター

ホテルビーナス

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 “ホテルビーナス”、人生に迷った者たちは“ビーナスカフェ”を探し求める。 彼らは「ビーナスの背中を見せてください」と言う。 それは長期滞在をしたい、つまりそこで暮らしたいという意思を意味していた。 そうしてあちらこちらから人々が集まり、住まうようになったことから“ホテルビーナス”という言葉が来るのだろう。 訳ありな人々の物語、その舞台はハングルが飛び交うどこかの町にある“ホテルビーナス”。 “ビーナス”とは“ビーナスカフェ”のオーナー(店長?)であり、“ホテルビーナス”の支配人、というかむしろ大家さんと言った方が正しいだろうか。 
 主人公の名はチョナン、彼も道をさまよい そこにたどり着いたもののうちの一人である。 彼も訳ありな過去・事情を抱えつつも住人たちの世話をしていた。 昼間はカフェの従業員として働いている。 そこでは誰もが皆、本当の名で呼び合わない。 名前というものは親から与えられしありがたいものであり、代々家で受け継がれてきたものであったりと大切なものであるが、時としてやっかいなこともあるらしい。 実際、そうなのかもしれない。 ドクター、ワイフ、ボウイ、ソーダ、そして新たにやって来た住人ガイとサイ。 それぞれが全く違う人生を歩んでいるわけだけれど “ビーナス”のもとでは同じ場所で暮らす隣人であったり、ご近所さん。 互いに顔をあわせれば声をかけあい、まるで一つのコミュニティのようである。 ガイとサイ、彼らの関係はいかなものなのか。 父親と思われる男とその幼き娘と住人たちの目に映った。 
 悩みなど何かを抱える者たちが集まり、だからこそ彼らはお互いを理解することができる。 毎日が同じ日課の繰り返しで退屈したりもする。 けれど生きると決めたものは毎日を生きる。 隣人どうしで交流を深めるのに積極的なもの、人と一線をおいているものなど様々だ。 小さな、あるいは大きな何かが起こってもその場所へ行く。
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by jd69sparrow | 2007-05-13 02:06 | 映画タイトル は行

MOON CHILD

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 固く結ばれていた友情はずっとカタチを変えず続くものだと思っていた、時代と環境の変化と共に輝きが失われていく。 四人の男女をつないだ友情という絆。 ますます厳しくなる環境下、それでも彼らは笑って楽しいひと時を過ごしていた。 しかし、生きていくのにも必死になった頃彼らの人生も大きく変わっていった。 
 2014年、多くの日本人は日本を離れていった。 それは日本の経済の崩壊を意味していた。日本人はアジアのどこかの国にあるマレッパという移民地区へと移り住んでいったのであった。しかし決して誰もが裕福な生活ができたわけではなく、むしろ貧しい生活を強いられている。 人々は生きるの必死だった。 それは大人と限らず子どもにもあたえられた現実である。 子どもは知恵をふりしぼり生きる手段をえていた。 ショウもその一人だった。 少年だったショウはある日、まるで死んでいるかのようにじっとその場に座り込んでいる男に出会う。 ケイである。ショウはほうっておくことができず、ケイを仲間達のもとへ連れ出す。 それがショウとケイの友情のはじまりだったのだ。 ショウはケイの正体が“永遠を生きる者”だと知ってもつながりを絶つこともなく,月日が流れ、ショウがケイの年頃に追いつく。 ショウと長い付き合いを持つ、トシ、ショウとケイが戦いに挑む中,仲間となった孫、そして孫の妹イーチェの五人の友情の輪がつながる。 時としてショウやケイたちは命の危機に関わるのところへも行き、次第に友情のカタチも変わっていくのだった。
 物語はショウの少年時代の一場面に始まり、主人公たちが生きた時代と五人の間で、あるいは彼らを取り巻く環境下での変化、互いに友として笑い、仲間のために命を張った彼らの軌跡を時代を追い,描いている。 時代が彼らを変えていったのだ。
 生き抜くため、人は様々な手段を探す。 愛する者のため、避けつづけていた道も選ばざるをえない。 全ては愛する者のため、自分のため。 ただそれだけなのだ。 その道を選ぶの仕方のないことなのかもしれない、それに命に代えられるものはない。 しかしその道を選んでいいものなのかと思う。 自分たちの平和を守るためと言って人の命を犠牲にしてもいいものなのだろうか。 これは誰もが思うことであろう。 とは言え、いつか(それが近い未来であれ、遠い未来であれ)そういう現実が身の回りで起こってもおかしくはないのかもしれない。 日本人が移民となるというストーリー設定も100%ないとも言い切れないのではないだろうか。 「映画は未来を予言する」という話をどこかで耳にしたことがある。 
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by jd69sparrow | 2007-05-12 14:07 | 映画タイトル ま行

ゲゲゲの鬼太郎

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 「ゲゲゲの鬼太郎」は十年に一度のペースでテレビアニメ化がされ、実写版も過去に数回既に実現されているらしい。 2007年、新たに「鬼太郎」に命がふきこまれる。 五度目のテレビアニメ化になり、実写による劇場版が実現された。 CGが駆使され、妖怪の世界はリアルに再現されており、本当に人間社会のすぐそこには妖怪の住む世界があるかのようである。 古風な世界観を残しつつもビジュアル的に優れた現代がここに表れている。 まず,それは主人公の鬼太郎によく表れている。 ちょっとビジュアル系な感じのただよう鬼太郎。不思議なオーラをかもし出しつつも人間界と妖怪の世界との架け橋のような役目を担い,優しさと純粋さを持つ鬼太郎のイメージは変わらない。 恐ろしくもあるけれど どこか憎めない妖怪たちが勢ぞろいである。 その愛らしささえ感じることのできる妖怪たちは水木ワールドならではの特徴と言うべきだろうか。 どれだけのどんな妖怪たちが登場するのか。 もちろん、お馴染みのキャラクターも登場。 アニメや漫画とイラストでしか見たことのなかったキャラクターたちがどのように動くかというのは楽しみの一つ。 鬼太郎のまわりにいる目玉のオヤジやねずみ男、猫娘などメインとして出てくる妖怪たちのほかにも鬼太郎たちに関わりを持つ妖怪たち、また名前が紹介されずとも妖怪の不思議な世界を作り出している。 様々な個性と力を持った妖怪たちも一匹一匹見てみたいところである。 役を実際に演じる人、声で演じる人といるけれど目に映るところ、そして目、あるいは耳をよくこらすことでやっとわかるような各界からの出演者たちも注目すべきならば 作品の世界観や物語じだいも見るべきである。 妖怪には古くから伝えられるものが多くいる。 鬼太郎や目玉のオヤジは別として、その仲間である子なき爺は遠い昔から伝わる妖怪。
今回は妖狐たちが守る災いや強大な力を持つ「妖怪石」をめぐる物語である。
 時は現代、鬼太郎の暮らす世界へつなぐポストに一通の手紙が届く。 その手紙を見ると差出人には「三浦健太」と書かれていた。 差出人は小学生の少年である。 その内容は健太の暮らす団地に妙な事件が立て続けに起こり、その事件解決を鬼太郎に頼みたいというものであった。 人間の世界と妖怪の世界とを行き来するのは鬼太郎だけではない、“びびびのねずみ男”もその一人である。 ねずみ男は人間相手に悪徳な商売をする、金の関わる美味しい話には目が無いのだ。 ねずみ男は金欲しさに白く輝く宝石のようなものを見つけ,それをすぐさま金に変えてしまう。 「妖怪石」という古くから妖狐たちが守っていた邪悪な妖怪たちの怨念のつまった石であるとも知らずに。 封印されし場所から妖怪石が紛失したことで災いの影が忍びよる。 石は人の手に渡り、それを狙う妖怪たちが人間世界にやってくる。 その恐ろしい事件を聞いた鬼太郎はその一件に巻き込まれた健太や実花(健太の姉)のため、妖怪石のもたらす災いをふせぐため、立ち上がる。
 髪の毛針、霊毛ちゃんちゃんこ、リモコン下駄など鬼太郎ならではの必殺技が見られるほか、その仲間たちの技の数々も見ることができる。 しかし鬼太郎の持つ力や技はまだまだこんなものではなく、驚くような必殺技を多く持っているのだ。 目玉のオヤジのエピソード、バラエティに富んだ妖怪たち、細かな設定など「鬼太郎」の世界は奥深い。 話だけで聞くと人間からの以来を受けた鬼太郎がただ悪い妖怪たちをこらしめるヒーローアクションものにも思えるけれど 人間世界の家族の絆であったり、人間よりもはるかに長い時を生きる妖怪たちのつながりや付き合いであったりと妖怪関係(人間関係)が描かれていたりと物語じたいも「単純」であるとは言えない。 妖怪たちの愛らしさくる魅力やその世界のおもしろさもあるけれど、そうしたドラマがあるからこそ親しみ深く付き合える物語なのだろう。
 鬼太郎だけでなく、砂かけ婆や猫娘などが披露する戦いぶりや技を一つ見るのにも見ごたえがある。 それに一反木綿やぬりかべなどといった脇役たちも忘れてはならなない。 一反木綿は空を飛び、鬼太郎たちをいろいろな場所へといざない、ぬりかべもまた鬼太郎をサポートする頼りになる仲間である。 様々な妖怪たちを見ることも鬼太郎の世界へと入っていくのも楽しみなことなのだ。
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by jd69sparrow | 2007-05-06 23:57 | 映画タイトル か行

ハンニバル・ライジング

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 ハンニバル・レクターの過去が解き明かされる時が来た。 いかにして死の芸術家 ハンニバル・レクターが誕生したのか。 そしてどんな道を歩んできたのか、私たちはその誕生の瞬間を目撃する。 ハンニバルに関して無情な殺人者という印象があった。 しかし彼の心の中には大切な人がいた。 かけがえのない存在。 その存在に対する思いがハンニバルを動かしていたのだ。 しかし時が経つにつれ過去の記憶に心を蝕まれていき、人間らしい感情も失われていく。 彼を殺人者に仕立てた記憶には恐ろしく,そして衝撃的な真実が隠されていた。ハンニバルの目覚めと記憶の真実をたどる復讐の物語。
 1952年、リトアニア。 ナチスによる影響の名残が残されている時代。  戦争の真っ只中,まだ少年だったハンニバルは突如として巻き起こった敵国どうしの争いにより両親を失い,妹ミーシャと二人取り残される。 そんな彼らのもとにやってきた兵士たちにより愛する妹の命まで奪われてしまう。 月日が経ち青年となったハンニバルの目には光は消えていたも同然だった。しかし生きることを捨てたわけではない。 彼の中にはいつもミーシャがいる。 
 親戚の居場所を追ったハンニバルは日本人女性レディ・ムラサキと出会い、日本の武士やそれにまつわる史実を知る。 その2つの出会いは彼の“出発点”となる。 そして妹を失ったことについての真実を追い,自分たちが生き延びるため 幼きミーシャの命を奪った男たちにハンニバルは復讐を誓う。 全ては妹のために。
 両親を失うという悲しい現実の上にさらに欲に目がくらんだ男たちによって心にうえつけられたおそましい、さらなる悲劇がハンニバルに精神に宿る命を奪った。 そして復讐が彼をさらに悪魔へと変貌させ,彼を創り上げていくのだ。 たびかさなる悲劇は人を変えてしまう。 ハンニバルの記憶の中には妹のこと、そして獣の目をした男たち。 その強すぎる記憶はハンニバル自身の一部となって刻まれる。 その強すぎる記憶はさらに奥にある記憶の扉の鍵を開け,この上なく鮮明に事実と光景を蘇させ、その正確さには天才としか言いようがないくらいである。 しかし実際、強く残った記憶というのは簡単に忘れ去ることも泣く正確に残されているものなのだろう。 追い求めてきた真実にあるもう一つの真実が一撃となり彼を完全に変えてしまう。
 恐ろしいと思ったのは追い詰められても動揺の色,ひとつ見せないハンニバル、彼の容赦のなさ、そしてハンニバルの刃が向けられる者たちの死へのカウントダウン,まさに死が彼らを襲う瞬間に迫ろうという時だと思う。
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by jd69sparrow | 2007-05-05 23:51 | 映画タイトル は行