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ジョンQ

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 「息子の命を救いたい」、ただそれだけを願っていた。 心臓の病をかかえた愛するわが子を救うために父親は決死の覚悟で戦いに挑む。 子供一人の命を救うのに障害は多く,治療するための背景、取り巻く環境にも問題が多い。 主人公ジョンの目の前には複雑にからまった医療システムがあった。 息子マイクの命を救いたいジョンは強硬手段をとるがその優しい人柄は変わることはなかった。
 一人息子と愛妻の三人家族のジョン。 彼らの住む環境は厳しく,生活にもほとんどゆとりがなく,毎日を過ごすのがやっと、そして共働きを強いられ、ジョンはまともな労働条件で働くことはできない。 それでもジョンと妻ジュリーの間にはマイク(息子)がいて,なんとか毎日を過ごしていた。 しかし,ある日 突如マイクは心臓の病に倒れてしまう。 重い病を治すのに一つ問題があった。 それはあまりに高額な治療費の支払いと理不尽な医療システム(穴)に直面せざるをえない現実だった。 生活をするのにmのやっとの日々。 しかし、息子の命がかかっている,そこで友人のつてを使ったり,あらゆる手段をとり, 力を尽くすがそれも水の泡に等しかった。
 そこでジョンがとった行動はお金のないジョンたちをあしらった病院に人質をとりたてこもることだった。
 凶悪犯であれば人質の命を軽く見ただろう。 だが,ジョンは違う。 人質は患者たち、息子の命を重んじるジョンは違う。 人質はその病院の患者や医者たち。 いろいろな問題や病をかかえる患者たち、息子の命を重んじるジョンは同じように苦しむ彼らを放っておくことができなかった。 息子が命の危機にさらされたとき、命の重さを悟ったからこそである。
 そうしたジョンの,他の患者たちへの思いやり、自らを捨ててでもマイクを救おうと警官たち,そして医療システムにたたきを挑んだ彼の熱意は人々の心を動かす、そして人質となった医療チームや患者たちはいつしか,そんなジョンに共感を覚える。 そこにこの話の魅力がある。
 自分の命よりも息子の命を思った父親。 彼の要求はお金ではなく息子を重い病から解き放つこと、ましてや人質の命を奪うことでもなかった。 欲もない。 たてこもっていても愛する一人息子がいる彼は人質たちと同じ目線でいて、いつしか犯人と人質という隔たりもなく打ちとけあるようになっていた。
 人質たちと絆のようなものが生まれ、医療システムやそれに付随する保険のシステムに,そして警察に断固として戦いを挑み,自分の息子の命を救いたい思いを主張してきたジョンは犯人である以前に英雄であり,父親なのだ。
 サスペンスとしえの張り詰めた空気も醸し出しつつも、人質たちだけでなく、外から見る人々や一人の警官、そして観客の心に共感を呼ぶ。 そんな感動ドラマの要素が大きいけれど、人,一人の命を救うのがどんなに大変でそこまでの距離が長く険しいものなのか、現実を思い知らされるのである。 このように現実的な問題を提起することで、この作品を観た人々の医療システムへの見方も変わるだろうし、どうすべきかとか関心を持ち,現実を学び,知るきっかけにもなることであろう。

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by jd69sparrow | 2007-07-31 23:59 | 映画タイトル さ行

ナチョリブレ 覆面の神様

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 幼い頃から強くなることを夢見ていた少年は当時から夢中だったレスリングへの思いを秘め、大人へと成長した。 彼の名はイグナシオ、修道士の中でも少し浮いた存在。 神の僕として働くものには,それをすることを禁じられているレスリング。 レスリングをする者たちは虚栄秦から戦っていると見られているからだ。 そうして禁じられていながらも彼はレスリングをあきらめることはできない。  そんな時,イグナシオが神に仕える修道院にシスターがやってきて一目で彼は恋に落ちてしまう。 そしてレスリングをし、その舞台に立つ夢はイグナシオの中で拍車がかかり、スティーブという相棒をつくり,彼と共に強いファイターを目指すのだ。
 ラテンの街が舞台。 そこではレスリングが普及し、強いものは街の人々から注目を浴び,敬られ,憧れの存在となる。 子供たち,孤児として修道院で暮らす子供たちはそういった者たちに憧れる 。 イグナシオのリング名は“ナチョ”、これは少年時代から心に決めていた名前だった。 
 水色と赤をモチーフにした覆面(衣装)とパツパツのパンツというスタイルでリングに立つイグナシオ(以下、ナチョ)は小さい頃からからの夢をパートナー(スティーブ)と共に少しずつ少しずつ実現させていく。 盗人だったスティーブといつの間にか友情が芽生え、そんな友情パワーとシスターへの思いがナチョを強くした。
 ナチョの少年時代を思い起こせるようで,分身のようでもある少年がいた。 少年もまた修道院で暮らす孤児の子供の一人である。 そこでナチョは少年のためにも,それまで誰かに憧れるだけの自分から,子供たちの憧れの対象となるようその道を目指す。
 ナチョは強くなることが最大の目標。 自分だけのためでなく大好きな子供たちのため,好きな人のため,タブーであることも恐れず,レスリングに没頭していく。 修道院発の修道士レスラーの誕生だ。
 メキシカンな色に染まり,ブラックお得意のユーモアも炸裂し、ほのぼのとしたコメディドラマという味を出している。 修道士を脱げば,とても修道士とはかけ離れた,レスラーをただ純粋に目指している,男なのである。 修道士仲間から中々受け入れらなくても修道院の子供たちに希望をあたえ、夢をかなえるヒーローであることは不変の事実である。
 ナチョは志の違うスティーブ(ちなみにリング名はヤセ)とやがては分かち合い、お互い助け合いながら友情を深めていくのはとても温かい。
 肌の色が違うことで同僚からは冷たく見られていても決してへこんだりはしない。 その姿こそがヒーローなのだ。 そんな前向きな性格なナチョ,それを演じるジャック・ブラックとが見事にマッチしているように思う。

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by jd69sparrow | 2007-07-30 11:40 | 映画タイトル な行

インサイドマン

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 意味深な冒頭の犯行予告ともとれる犯人のセリフから始まる映画のスタートはなんとなく「リバティーン」を連想させられた。 これから始まる彼の物語は果たしてどう展開していくのか。 ジョン・ウィルモットのように順風満帆に見えた自らの歩む道は足元から崩壊するという結末を辿るのか、そんな考えが一瞬頭によぎったのである。 しかし彼,いや、彼らは期待を裏切らない。 ダルトン・ラッセルと名乗る男は知的さに満ち溢れている印象を受ける、そして実際もそうである。 マンハッタンの信託銀行がダルトンら犯行グループにより占拠される。人質は50人。粘り強い刑事たちと頭脳明晰,冷静沈着な犯行グループたちの戦いの火蓋が斬って落とされた。 彼らの狙いは一体なんなのかそこが問題だ。
 マンハッタン信託銀行。 大勢の人たちの往来のする場所。 そんな場所にペンキ屋に化けた犯行グループによりのっとられてしまう。彼らは言うなれば銀行強盗だ。 しかしただの強盗ではなかった。 彼らはみなフードをかぶり,サングラスをかけ,顔の半分は覆いで隠されている。だから人質たちは顔のわからない犯人たちにおびえることとなる。 そして彼らの狙いは中々見えてこない。 そんな事件を担当することになったのがNY市警のフレイジャーとミッチェル,両刑事である。 楽天的にも見える彼らだったが事件に直面する時,“刑事の顔”に切り替わる。全く別人のように。 現場に既にかけつけていたダリウス警部とともにフレイジャーたちは犯人たちと頭脳戦を交える。
 犯人たちは用心深い。 それゆえに狙いも手段も透明。 彼らは人質も利用するなど警察にトラップをしかけてくる。 彼らがとる行動の原点はマンハッタン信託銀行を経営するケイスに隠された真実である。 人質に冷ややかであったが流血ざたは起こそうとしない。 ダルトンはある意味でケイスに制裁をくだしているようでもある。 それは全部が全部悪人には見えないからだ。それは人質の少年との会話にある。 さりげなく現実的な問題を提起しているのだ。 父親が子供に善悪を教え,諭すかのように見える。 
 フレイジャーとミッチェルの刑事コンビ、ケイス、犯行グループの間に立つは敏腕弁護士ホワイト。 物語的にはこの人物はある種,曲者。 フレイジャーたちにとって犯人たちと戦う頼りがいのある有能な弁護士にも見えるが,厄介な存在のようにも思えた。
 刑事としてのプロの力を持つフレイジャーを始めとする警察と犯人たちの頭脳戦だ。 透明な犯人たちとの戦いはどちらもひけをとらない。

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by jd69sparrow | 2007-07-29 02:25 | 映画タイトル あ行

十戒

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 神がモーゼとその民たちに託した律法、それが“十戒”なのだ。 十戒は現在における全ての国の法律の源と言われている。 そこに書かれているものにはそのまま今に生きているものもある。 例えば“人の命を奪ってはならない”というもの。 キリストが誕生する前の話で舞台はエジプトに始まる。 アブラハムはユダヤ教やキリスト教などのもとを辿り,“信仰の父”と呼ばれる。 その子孫に当たるヨゼフはエジプトへ渡り後に王に近い存在となるが、それから長い月日が経ち,ヨゼフを知らない世代が王となることでそれまでエジプトで暮らしていたヨゼフと同じアブラハムの子孫にあたる民たちは奴隷という身分にされエジプト国家の下で過酷な労働をさせられるようになる。 そんな時に生まれたのモーゼである。 神の預言者であるモーゼが同じ先祖を持つ民たちを奴隷という身分からの解放、そして自由へと導く話である。
 エジプトのファラオ・ラメシスの頃、その国に暮らしていたイスラエルの民たちは彼らに生まれた男子は生きる資格をあたえられなかった。 しかしモーゼの母親はわが子を葬ることはできず,人の目に触れぬところにモーゼを隠し,それをエジプトの王女が拾い,エジプトの貴族として育て上げられる。 大人になったモーゼはやがて己の正体を知ることとなる。 自分には貴族の血は流れておらず,エジプトの国家の下で働かせられている奴隷の子供であるということを。 やがて彼は地位を捨て,国を離れ,神の声を聞く預言者となってエジプトへと戻り,国に使われている民たちを救うための進路を定めるのだ。 この物語で強調されるは「自由」。 エジプトの地を離れ,神から授かりし”約束の地”へと彼らは長い長い旅に出る。 自由を求めて。
 約50年前に作られたこの大スペタクルは4時間という長さの中に収められている。2時間という長さが主流になっている今から考えるとその二倍というのはとても長いように思えるけれどこういう歴史スペクタクルでは逆に2時間の中に収めるというのは難しく,例え2時間に収めたにしても中身の深さに差が大きく出てくることだろう。 しかし全てのエピソードを一つ一つ映像化していくのは途方もないことかもしれない。 かつてはこの映画を越える長さで公開された映画があるという話をどこかで聞いたような気がする。 この映画が公開されたのは1950年代、映画やテレビにカラーが普及し始めて間もないころだろうか、VFXもどちらかというと手作り感があるように思う。 モーゼの十戒の話で有名な海のさける場面はVFXの効果なしには難しいところであるのは明らかである。 聞いた話だとこの一見,非現実的に思える現象は完全にないとは言えないらしい。そしてあるテレビ番組では“この世界こそがマジックである”と言う。

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by jd69sparrow | 2007-07-03 01:44 | 映画タイトル さ行

ダイ・ハード4.0

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 世界で最も運から見放された男・ジョン・マクレーン。 ニューヨークが脅威に陥れた事件から約10年、マクレーンは警部補となって帰ってきた。 彼のキャッチフレーズという表す言葉の一つとして“最もついていない男”というものがあるが逆に最も運(あるいは悪運)があるというふうにも考えられる。 なぜなら何度もついてない状況、また命の危機に直面しても彼らは危険をくぐりぬけ生き抜いたからだ。 強運と言うべきか。 またシリーズになることで"DIE HARD"から"DIE HARDER"に変わった。 ある本で知ったことだが,そもそも"DIE HARD"の意味は“中々死なない男”でこの続編で“HARDER”と比較級に変わるのはとてもアメリカではウケがよかったらしい。 確かにもっと“中々死なない男”とも取れるし、続編でこの少しの変化をつけるのはおもしろいと思う。 今回の第四作目もそうだがマジメなアクションようで実はところどころにジョークの聞いたユーモアを含んだ映画なのだ。 全体としてはシリアスそのものなのだが登場人物のセリフを聞いているとその登場人物はマジメに話しているのだがおもしろいネタがそこにある。 こういうシリアスな雰囲気でコメディではないもの中ではセリフの中におもしろさがあってよく聞いて見ていないと見逃してしまう。 それに過去の映画作品からネタを持ってきたり,セリフの中に引用入れられたりと映画を芯から楽しむためには気を緩めない。
 しかしそういう場合は一回目は普通に物語の世界観にまったりひたり,二回目はセリフやそれぞれの場面での登場人物の行動などを見て、さらに三回目では二回目で発見したことを頭に入れた上で楽しむ(もちろん、三回目以降に発見があればまた次のときにより楽しめるというものである)。 だから温泉のマークにある三本の湯気にこめられた意味,温泉は三度でつかる(だったかな?)とあるように映画も三度見て楽しむものなのかもしれない。
 レン・ワイズマン監督(「アンダーワールド」)によって「3」に続く続編であるけれど新しい切り口により生まれ変わった「4.0」。 アクションはさらに磨きがかかり数十年という月日がたってもマクレーン刑事の暴れっぷりは健在。 キャラクターも過去三作から変わることないアナログ人間、そして無謀に見えるが刑事としての勘や力量は確実に進歩している。 今度の敵は全米を標的として狙う。 サイバーテロリスト対アナログ人間。 マクレーンと言えば孤高に戦うヒーローとしてイメージが強い。 今回はアメリカ全土に矛先を向けた最強な敵に立ち向かうのにアナログ人間に相反する味方で相棒となるハッカーの青年マットがいる。 強力な助っ人である。 現代もののアクションには同じ体を張って戦う仲間やそれをサポートする人物が登場し、チームやグループで戦うというケースが多い中,「ダイ・ハード」のシリーズにはそれがなく、 今回が初めて共に支えあい,時に戦いながら敵に立ち向かう仲間らしい仲間の登場なのではないだろうか(とは言え、シリーズ第三作目にはサミュエル・L・ジャクソンがマクレーンの味方として登場しているけれど)。 現代の技術ならではアクションが満載である。
 ニューヨーク市警の刑事マクレーンは娘に会うのもつかの間、上司を通しFBIからまたもやお達しが来た。 それはブラックリストにものるハッカーの青年マットを保護しFBIへ連れて行くことだった。 ただそれだけのことだったはずなのだが・・・。 またもや事件に巻き込まれてしまう。 それは始めは小さいように見えたがやがて全米を揺るがすサイバーテロだったのだ。 マットはそのサイバーテロの犯人たちには厄介な存在、つまり彼は犯人たちの標的なのだ。 サイバーテロの主犯格はかつて国防庁の人間だったガブリエル。 コンピューターシステムを使いアメリカを標的にする知能犯である。 そんなガブリエルの一味を相手に戦うマクレーンは息をつく暇もなく攻撃をしかけてくる相手にマットとともに反撃をする。 そんな最中,マクレーンの娘ルーシーの背後にも影が忍びよっていた・・・。
 生活するために必要なものは何かと機械,つまりコンピューターにより管理され,それは尚も進行し続けている。 映画の中でマクレーンは何度も命を落としかねない状況に陥り,そのたびにまるで死から甦るように粘り強く立ち上がりその場その場で機転をきかし敵に対抗する、現実にはこれほどの男は存在するのかとか、マクレーンが味わうようなことが実際にありえるだろうかと思えるかもしれない。 けれどシステム化した社会の弱点をつきテロを起こすという内容は現代社会の問題をついているだけにとても恐ろしく,リアル。 もちろん映画をよりよく見せるための工夫はこらされているのだろうけど実に現実的なのである。 コンピューターは世界中で使える便利なものであるが便利すぎるものは危険であり脅威になりうる。 これはコンピューターに限ったことではないだろう。
 デジタル化した社会を利用した事件だからこそマクレーンのような刑事の存在は大きい。 コンピューターに依存した者ではないからこそ,サイバーテロ犯たちにとっては手ごわい相手であり、こういう世の中だからこそマクレーン刑事は際立ち,ある意味新鮮なのだと思う。 刑事として優れた目と頭脳を持ち,長年培ってきた労力により(少々無茶であるが)機転をきかした(マクレーンの)敵への攻撃や無茶苦茶さはこの物語を楽しむ醍醐味だ。 仕事に生きる仕事人間というくくりではなく、陽気な一面もあり,ユーモアを持つ。 そして刑事として,また父親としての貫禄もでてきたマクレーン。 そんな彼の危険を共にくぐりぬける相棒マットとのコミュニケーションを見ると父と息子に見えるところもあるし、マクレーンの言葉には説得力や深みがある。 スーパーマンというわけではなしにそれまでに様々なテロリストたちと戦うなどして,そこからえた経験から不利な状況下を逆転させてしまう、そして敵の度肝をぬかすような機転をきかした反撃をする。 テロリストたちとマクレーン刑事、両者は互いに最も厄介な敵どうし。 それだけに両者を一歩もひけをとらない攻撃を互いにしかける。 どっちにどう転ぶのか。 そんな期待を胸に楽しむことができることと思う。

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by jd69sparrow | 2007-07-02 04:18 | 映画タイトル た行