ナイトミュージアム

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 普段は動くはずがないものが動き出す。 例えばもしも子どもの頃から大事にしていた人形がまるで生きているかのように自由にその意志でもって動き出したらどうだろう。 主人公ラリーが勤務することになった博物館の展示物には夜になると動き出す! 聞いただけでもわくわくするファンタジーである。 「ジュマンジ」をふと思い浮かべた。 設定こそ違うけれど普段,人々の生活の中で動かないはずものが人の間近にせまりあばれまわる、それらは時に人とふれあい,時に襲い掛かる。その“動き出すもの”もそれそれ違うという共通点がある。 
 仕事が長続きせず、仕事についてはまた次の仕事を探すという日々を繰り返していたラリー。ラリーには一人の息子ニッキーがいるバツイチであり一児の父親なのだ。 仕事を帰るたびに引っ越しをするという生活を送っていた日々、ニッキーもそんな生活をよくは思っていなかった。
  「んでパパは仕事が続かないの?」。 ラリーはそんな息子の言葉の中にニッキーの寂しさを感じていた。 夢ばかり追いかけていたラリーに現実に引き戻される。 ニッキーのためにもなんとか引越しをせずに今いる場所で仕事を探すことを決意。 そして見つかったのが博物館の警備の仕事だった。 ラリーが働くのは夜。 一見、簡単な仕事のようだったが、その博物館にはある秘密があった。 それを知らないラリーはその秘密をまのあたりする。 その秘密とは夜になると博物館の展示物に命がふきこまれ、自由に動き出すことだった。 動物の剥製や蝋人形など様々な展示物がいっせいに動き出す。 展示物たちと奮闘し、その大変さにそこから逃げ出そうとさまよいながらも夢ばかりを追いかけていて何もできなかった自分がそこで働き、多くを学ぶことで自身が変わっていき,成長する。
 博物館の住人たちには原始人から歴史上で偉業をなしとげた人物などさまざま人物の人形がいた。 そして小さな小人よりも小さい人形たちなどがいるが、やっかいで手に負えない動物の剥製もいるゆえに命の危険さえある警備の仕事に自己の判断でこなし立ち向かうという命がけの仕事なのである。 

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by jd69sparrow | 2007-08-27 01:59 | 映画タイトル な行

オーシャンズ13

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 アメリカ・ラスベガスと言えば“カジノ”、“オーシャンズ”はまさにそこから始まったのである。11の「カジノ」からスタートし,「12」のフランスを経て、原点「カジノ」へと戻ってくる。 シリーズはそれぞれ物語の意図が違う、共通することがあるとすれば“仲間の絆”。 各方面のフェイクのプロが集結し、大仕事を成し遂げるというもの。
 これは「オーシャンと十一人の仲間」のリメイクであるが、最高のキャスティングが勢ぞろいという他,内容が充実している。 オリジナル版はまだ知らないけれどリメイクと言われなければそうだと気づかない。
 アメリカには日本の「釣りバカ」のように長編シリーズは「007」や「SW」がある。 「オーシャンズ」はどこまで続くのか。オーシャンズのメンバーの生活の変化や成長はあってもストーリーの意図がそれぞれ独立しているし、もしかしたらこれから先も続くのではないかと期待が寄せられる。 キャストのコメントにもあったような気がするのだが「オーシャンズの子どもたちが登場するところまで話は進むかもしれない」という話題もあった。 シリーズが続き、歳月がどんどん流れるとキャストの入れ替えがあったりして完全に同じメンバーでというのは中々難しい。 けれど全く同じ主要キャストが全員顔を揃えることが実現するたびに嬉しく思う。 「オーシャンズ」のシリーズの条件はそこなのだ。
 カジノでの大稼ぎがあってから6年。 オーシャンズが再びカジノであることを成し遂げようと決意した。 それは仲間の一人ためにオーシャンズが立ち上がり復讐すると同時にその相手をこらしめるということ。 オーシャンズが一仕事するときその資金の支えをしてくれる仲間,ルーベンは信じていた仲間に裏切られ,ルーベンが手にするはずのホテルカジノはその相手,ホテル王ウィリー・バンクによって奪われることに。 それにショックを受けたルーベンは病にふしてしまう。 “みんなは一人のために、一人はみんなのために”という言葉がそこにある。 ダニー・オーシャンやラスティをはじめとするオーシャンズ・メンバーは全員でバンクに立ち向かうのだ。 
 2001年に始まったジョージ・クルーニーとスティーブン・ソダーバーグを筆頭に始まった「オーシャンズ」。 音楽から物語の雰囲気、オープニングなどの全体の背景が今現在のものでありつつ、その中には“レトロ”な色がある。 キャストもストーリーも全部現代だけど、今であって今ではないという感じ。 古きよき時代から伝わる娯楽映画の王道を貫いてると言うのが今回の第一印象。 ジャンルでいうなら娯楽+コメディ。 あちこちに笑いが含まれている。 アメリカンならではのジョークや小ネタを知っていればいるほどさらにおもしろくなる映画だと思う (しかも男ばかりで、その中に一人女性がいるという。 まるで砂漠に咲く一輪の花のごとし)。
 オーシャンズたちにはいつも明確な目的がある。それを成し遂げるためにいろいろな手段を念入りに計画し、実行するという,それもひとつの見所。 そして毎回出てくる強敵相手に戦いを挑み,見事にその相手にフェイクをしかけ仕事を成し遂げるというのがさらにまたおもしろい。
 敵もゴージャスなホテルの経営者だったり,警戒心や守りも強い。 そして個性という色ももちろん濃い。一筋縄ではいかない。 毎度そうして個性の強い敵が出るだけに毎回の敵にも期待がかかるのだ。 
 そして恒例のようにある変装。 今回はみんなが変装をし、それぞれが重要なポジションにつき,役割を果たす。 その連携プレーもまた見所である。 誰かがピンチかと思いきや,その窮地を救い,逆転に持ち込む者がいる。 それぞれの道のプロがいるだけに,またそこに“友情”があるからこその“技”なのだ。
 決してコマーシャル・予告は裏切らない。 予告からわくわくさせるのがこの作品の長所だ。そこから見れる雰囲気と変わらない、あるいはそれ以上のものが待ち受けている。  今回で第三作目。 まだ「最後」とは告げられていない。

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by jd69sparrow | 2007-08-22 02:20 | 映画タイトル あ行

プラダを着た悪魔

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 “ランウェイ”はファッション誌のトップクラス。 女性社員はみな,高級ブランドをを身にまとい,メイクもまたぬかりない。 悪い言い方だが言うなれば“働くブランド品”。 映画の中に次のような言葉がある、“内なる美”。 これは入社してまもない主人公が教えられた言葉であり,“欄ウェイ”を表す言葉。 これはブランドを知らない,ジャーナリスト希望の主人公が“ランウェイ”の鬼編集長のもとで働き,“内なる美”を手にするまでのサクセス・ストーリーである。
 主人公アンディは誰もが憧れる場所(仕事)へ面接を受けため,“ランウェイ”を訪れた。 見渡す限り自分とはかけ離れた人ばかり。 場違いであるように思えた。 そこへ鬼編集長こと,ミランダが現れると一気に空気が変わる。 仕事がいきがいとするキャリアウーマン,人から恐れられるほどの威厳を持った人物である。 アンディも,“ランウェイ”にいるとファッションセンス・ゼロ、希望もはかなく消えたかに思えた。 しかし意外にもアンディは仕事を手にすることに。 ミランダの補佐というポジションにたったアンディ、もう一人の補佐役,ナイジェルに絞られ,さらにミランダから息をつく暇なく無理難題な仕事を課せられる。 しかしミランダのもとで働くことこそが未来を切り開く手段だったのだ。 悪魔のようなミランダ、彼女は決して容赦はしないし妥協もしない。 アンディとミランダのバトルだ。 
 ミランダのもとで働くということは茨の道を歩むようなものであり、試練である。 ミランダは自分を,自分の持つ物やプライベートを大切に思い,また犠牲にしている。 また、アンディも仕事の力をつけるたびに恋人や友達との間に亀裂が入るという逃れようのない現実にぶつかる。 全ての働く女性に言えることかもしれないが、アンディは仕事と私生活のどちらをとるかという問題につきあたる。 仕事にオンとオフがつきにくく、プライベートな時間でさえミランダからの声がかかり仕事が入る、ミランダたちにしぼられ,たくましく成長する一方で恋人との関係も危うくなり,知らず知らずに二人の間に違いが生じ、距離ができる。 全く同じだった価値観も次第に変わり、共通点も失われてゆき,アンディは呪文のように“仕方なかった”という言葉を並べ,相手にも自分にも言い聞かせる。 仕事で成功をおさめること、何か物事には必ず犠牲を払わなければならないのか。 アンディは自分に一番必要なもの、大事なことを見失いかける、人は自分の知らないうちに良い方にも悪い方にも変わってゆく。
 仕事をとるか恋人や友人たちをとるか。 言いわけばかり考えてきた、アンディ。 ミランダと向き合うことで自分自身とも向き合う。 その時、アンディは大切にすべきものに初めて気付く。 自分が何を選び,何を望むか。 その瞬間が見所であり、“内なる美”にもつながる。 それを手にしたアンディは,たとえブランドを身につけていなくても ,ミランダの目にさえ美しく映った。 ブランドを身につけ,メイクを施すことだけが人を美しく見せるのではなく内からくる美こそが人をよりいっそう美しくさせるのである。 次々と登場するブランドの服よりもそこが一番の魅力だと思う。 仕事をするうえでは中々打ち解けられる人がいなかったアンディが自分に厳しかった人とさえ絆のようなものができ,自ら自分の道を切り開いていくのがおもしろい。

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by jd69sparrow | 2007-08-18 01:37 | 映画タイトル は行

ブラック・ダリア

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 1947年にアメリカで起こった殺人事件。 それは実際に起こったあまりにも残酷で酷いものであった。「ブラック・ダリア事件」である。 被害者は女優志望の女性。 実際の事件ではこの真相はわからず迷宮入りしたそうだ。 犯人と名乗る者は出てくるが、それは結局偽の犯人であり真実にはつながらなかった。 映画に「自首マニア」という人々がいると出ているようにこの事件では偽の犯人が相次いだとか。 この作品はジェームズ・エルロイ原作の,ブラックダリア事件になぞられた物語。 
 主人公バッキーは元ボクサー選手の警察官。 こつこつと手柄を立てていた、ある日同僚リーと市警のもとでボクシングの試合をする。 そのことから彼ら二人は特捜課に昇進する。 しかしその喜びもつかの間,事件は起こった。 何物かに命を奪われ,変わり果てた姿の女性が発見されたのだ。 彼女の名はエリザベス・ショート,女優志望の女性である。 体が二つに切断され,口は耳まで引き裂かれていた。 バッキーとリーはその事件の担当に抜擢され,殺人課へ異動。 そしてその背後には銀行強盗で捕まったボビー・デイウィットの黒い影があった。 バッキーは相棒となったが共に暮らし,そのデイウィットの事件にも関わるケイに支えられながら二人は事件の真相を追うことに。 
 バッキーはエリザベス・ショート,ベティと関わる人間を調査をし、一人の女性にたどり着く。ベティと似ていると言われる父親が富を築き上げたマデリン・リンスコットである。 彼女もまたベティを知る人物。 リーの同棲相手のケイに思いをよせながらもリーに遠慮をするバッキーは気持ちはケイとマデリンの間で揺れ動く。 
 この映画は深い。 複雑にからむ人間関係、恐ろしい真実などなど。 事件となんらつながりを持たないであろう部分が実は何かの理由でつながっていてそれが事件を解く手がかりになっていたりと物語の細部まで見逃すことができない。 時として真実は恐ろしい。 それに人間というものも恐ろしい何かを持っている。 真実は知るべきなのだろうか。 バッキーは真実を一つ一つ自身の中で明らかにしていくがそのたびに死の危険と隣り合わせになる。 「謎のままにしておくのがよい」とも言う。 それでも知りたくなるのが人間の性である。 命がけの捜査だ。 主人公が真実に近づくと何か恐ろしいものがその後ろにあるというハラハラするようなサスペンスが印象に残る。 謎を一つ解き明かした時,あるいは全ての謎の答えが一つにつながった時,影が忍び寄るような気配が感じさせる。 そんなスリルも味わえる。 あるいは恐ろしい真実。
 人はこんなにも恐ろしいことができるものなのだろうと思った。 心の醜さがどこかから生まれ,人を変えていくのだろうか。 あることに何らかの形で関わっている以上(この場合は事件)、そのことに何かの影響をあたえ作用する。 物語はどう転ぶかわからない。 一人の人間の命が奪われ,その真実を探り,解決に導くところまでが事件であると私は思う。 そして事件であるからにはその先に続く道に何が待ち構え,何が隠され,潜んでいるかは一つ一つ解き明かさねばわからない。 そこで起こる,起こったことの裏には何かがあるのだ。 

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by jd69sparrow | 2007-08-10 03:07 | 映画タイトル は行

キサラギ

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 五人の男たちによるワン・シチュエーション映画。 物語はどこかにある一室で始まり終わる。しかし決して飽きさせないストーリー展開である。 なぜなら一つの狭い空間でありながら登場人物たちには常に動きがあり、次々と展開が変わっていくからである。 これはコメディでありサスペンスなのだ。 一人一人に物語を魅力的に演出するそれぞれの役割がある。 互いが見ず知らずで、物語が進むにつれ,新たな意外な真実が積み重なっていく。 その事実の数々が彼らの目の前にある問題を解く鍵となっている。 物語は彼らの愛するアイドルの事件を軸に動いている。
 一年前、一人のアイドルが自らの命をたったという事件が報じられた。 彼女の名前は「如月みき」。 それから一年がたった現在,彼女の一周忌迎え,その思いを語るために五人のファンが一堂に会した。 インターネットのファンサイトを通じて知り合った五人の人物。 家元、スネーク、オダ・ユージ、安男、いちご娘である。 主催者は家元。 彼の呼びかけで集まったのだ。 如月みきへの思いを語り,盛り上がる五人であったがやがて一つの疑問にたどり着く。 それは如月みきの死。 彼女の死には不可解な点が多かった。 そして彼らの推理が始まった。 何故,彼女は命をたたなければならなかったのか。 五人の持つそれぞれの情報源をもとに事件の真相をあばいていく。
 如月みきの事件にも謎は多かったが,五人にも謎が多かった。 それはそもそもインターネットの書き込みでしかお互いを知らず,ましてや素性だって知らない。 事実が一つ明らかになるたびに驚きがある。 この映画は製作者たちが語るように「人は未知である」ということが一つのテーマなので何があっても,何がどこでどうつながっているかなんて驚くに値しないなのだ。
 人は第一印象でイメージを固めてしまいがちだがそれは100%その人につながるとは限らないし、ある一人の役者の映画やドラマを見尽くしてその人について知り尽くしているつもりでもそれはその人の一部分でしかない。 人が発揮する能力というのがその人の一部分であり自身ですら知らない自分があるというように人が自分自身を知り尽くすことも、他人対して知り尽くすことも中々できることではないし、もし仮にそのようなことがあるとすればそれは奇跡としか言いようがない。 
 しかし、全てが明らかではなく五人が五人とも謎があるからこそおもしろいのであり、その謎がひとつ明らかになると見方が変わるし,この映画の見方も変わる。 ここに出てくる登場人物たちだけでなくこの映画じたいが一言で言い表すことはできないし、イメージや印象は一つではない。 だからここで記す作品の魅力も映画「キサラギ」の魅力の一つでしかない。 よってジャンルがなんであるとか,枠にくくるということも皆無である。 ドラマあり、笑いあり、サスペンスあり… そして一言で語りつくせないおもしろさ・・・。
 今まで映画は全体,つまりストーリーや画面を全部をあわせて見ていて,映画を作る要素を個々で見たことはなかったがこの作品を通し,脚本のおもしろさを知り,そこで初めて個々で作品のおもしろさを実感できた。 よく出演者のインタビューで「なぜその作品に出演しようと思ったか」という質問があり、その答えの多くが「脚本がよかったから」というように脚本は作品のおもしろさを左右するといっても過言ではないくらい重要なものであるのに今、ようやっと実感できたというのは映画ファンとしては恥ずかしい。 
 セリフの中にはいろいろなネタがぎっしりつまっていて,そのネタを知っているとなおおもしろい。 だから登場人物の行動はさることながらその言葉にも笑いを誘うものがある。

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by jd69sparrow | 2007-08-09 17:29 | 映画タイトル か行

香川照之

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 日本の映画は数多くあるけれど、ふと映画館でチラシを見るとこの名前がある、「香川照之」と。 よく映画館に行くとそこにあるチラシのコーナーにどうしても目がいってしまう。 一時期はあるもの全てもらって帰ったこともある、「ご自由におとりください」というふうにおいてあるものにはめっぽう弱いのだ。 パンフレットもさることながらチラシもまた記念。 パンフレットが雑誌ならチラシは付録。 チラシとは言え,作品によっては何通りもバージョンがある。 公開が明らかになり始めた時期と公開間近と迫ってきたときとはまずデザインが違うことが多い。 例えば「ロード・オブ・ザ・リング」。 日本映画であれば「踊る大捜査線 THE MOVIE2」、主要キャラクターがそれぞれが別々のチラシで存在するのだ。
 話は脱線したが、そうしてチラシを見たり、日本映画を見ていたりするとかなりの確率でどこかに香川さんの名前があると思う。 「ここにも!」の連続だ。 主役格で見かけることは中々ないし、たいていは脇役とか主人公を支える人物だったり悪役だったり…というのが個人的なイメージである。 確実に言えることがその存在感。 その演じる役柄は個性的な役が目立ち,中々忘れられない。 映画やドラマが終わった後もそのキャラクターが頭lに甦ったりもする。 後味を残す実力派俳優だ。 
 意地の悪い役、力強い熱血感のある役など様々だ。 そしてクセのある役どころが多いし、役者としても(良い意味で)クセモノの部類に入るのではないだろうか。 あまり香川さんの出演された作品を観たことはないけれど今でも思い出すのが、大河ドラマ「利家とまつ」の豊臣秀吉役。 悪役的でずる賢い秀吉がそこにいた。 とても強烈な印象を残す役どころである。 悪役ならとことん悪役の色に,また主人公を支えるような主人公に近い人物の役ならとことん頼りがいのある味方色に。
 しかし、全体で見れば「キサラギ」での役どころはかなり珍しく,貴重である。 今まででは想像のつかない役と言っておこう。 そもそもこのジャンルに出演されることに驚き,またその役どころが今までを覆す。 力強く個性が強いのは変わらず。 おもしろいキャラクターを持っている役だ。 出演する個々の作品で役の性格や印象が偏ることが多いと思う。 その進路が変わったときほど新鮮なものはない。 そうやって世間でのその俳優の演じる役のイメージを崩すというのもさらなる魅力がうまれ、良いものである。 ただし、それには当たりはずれがあると思う。
「キサラギ」では今までのイメージや物差しではかってはいけない。 
 「日本のヒット作にこの人あり」と言っても過言ではないだろう。
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by jd69sparrow | 2007-08-08 23:53 | 日本の役者

西遊記

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 孫悟空といえば世界で有名なキャラクターの一人である。 もともと中国発進の物語が日本、アメリカへと広がった。 アニメや漫画、人形劇など子供の間で親しまれている「西遊記」であるが、過去にもドラマ化をされており,京劇の演目としても有名である。 京劇では隈取のようなメイクを施された孫悟空が登場し、アクロバティックなアクションが見所である。 そしてに21世紀、再び映像化されたのが香取慎吾主演の全く新しい「西遊記」である。 ドラマでスタートしたこの作品。 私事であるが映画で見たのが初めてである。 孫悟空を含む,三蔵法師ご一行が天竺へ向かうという話の設定のもと,暴れん坊だが、笑顔の映える孫悟空がここに誕生!! 今回の映画では彼ら,ご一行が天竺にたどり着く過程,つまり旅の途中のエピソードである。 豪華なゲスト、意外なゲストを向かえ,コメディアクション「西遊記」が映画として再び始動。
 三蔵法師ご一行は旅の途中。 見渡す限り砂漠の山、そんな最中を果てしない旅を続けていた。 そんな中、見つけた遺跡、そこで彼らは家来たちをつれたどこかの国の姫らしき人物を見かける。 しかしそれでも旅は続く。 孫 悟空、猪 八戒、沙 悟浄の三人がばて始めた頃、砂漠の向こうに街が見えてきた。 その国の名は“虎誠(フーチェン)”、虎の民の住まう場所だ。
 三蔵ご一行はそこで再び、砂漠で見た少女を見る。 なんと少女はフーチェンの国を治める王の娘なのである。 彼女の名は玲美。 玲美は言う,「フーチェンは突如現れた大妖怪・金角大王,銀角大王により荒れ果て,さらには国王と妃が亀の姿に変えられてしまった。両親,国を守り,救う手助けをして欲しい」と。 お師匠さん(三蔵法師)は一つ返事でその依頼を引き受けた。そして当然,悟空たちもそれに加わることに。
 アクション,コメディ,ドラマと三つのジャンルからなる「西遊記」。 それぞれのキャラクターたちが生き生きとしている。 (個人的な意見になるが)“忍者ハットリくん”を見事にこなした,香取慎吾、お笑い界の大御所の域に来ているウッチャン、ドラマ「電車男」も記憶に新しい伊藤淳史、おしとやかな味を出している深津絵里、それぞれの持ち味がそのまま約に反映されているのではないかと思う。 敵役には岸谷吾朗がいて,「バッテリー」のようにy指し意役柄もあう一方で「リターナー」のようおに卑劣な悪役もこなしている。 だから今回の銀角大王もクセのあるキャラクターとしてよい味を醸し出している。
 この映画、物語の最大のキーワードは「なまか(仲間)」。 「なまか」とは信じ,助け合い,一度結んだ約束は必ず守る、そういうものなのだ。 悟空の「なまか」に対する思いは誰よりも強い。 それはお師匠さんに長い封印から解かれ、悟浄や八戒という三人の「なまか」ができたことに根源があるのだろう。 そうした悟空の熱いまっすぐな精神が,言葉が心に響く。 教訓となること、(悟空から)教えられることは少なくない。  「なまか」を持とうとしない者、大切に思わない者は本当の意味での「なまか」はできないし、知ることもできなければ,その温かさを知ることもできない。 どんななに「なまか」の存在が意味のあるものなのか今一度考えてみるべきだろう。

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by jd69sparrow | 2007-08-03 00:50 | 映画タイトル さ行

ハリーポッターと不死鳥の騎士団

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 (※「炎のゴブレット」をまだご覧になっていない方、あるいは今回から鑑賞される方、また原作を「不死鳥の騎士団」まで読破していない方など、それらの原作あるいは映画をご鑑賞の後、読まれることをお薦めします↓↓)

 ついにヴォルデモート卿の影、復活は確実なのもになろうとしている。 ハリーに課せられた試練、いや 宿命の闘いが今,幕を開けた。 形なき“例のあの人”は魔法学校対校試合が開催され終盤にかかったとき、ついに一人の魔法使いという形をなし復活をとげるのだ。 ホグワーツにも,またマグルの世界ですら危険が迫っている。 ヴォルデモートたち闇の魔法使いとそれに対抗して立ち向かうハリーやまさに対ヴォルデモートのために結成し、活動をしている秘密結社「不死鳥の騎士団」の戦いが始まる。 「ハリーポッター」シリーズの映画化も今回で5作目,物語はさらにダークなクライマックスに突入している。 
 ヴォルデモートが復活をとげたその瞬間からハリーの苦痛が始まる。 それはヴォルデモートとハリーの関係に秘密が隠されていた。 だがその真実をハリーは知る由もない。 そんな苦痛が続く中、マグルの世界で事件が起こる。 ここにも密かにヴォルデモートの影がせまっているのだ。 もはや、絶対安全と呼べる場所はない。 ヴォルデモート卿の復活を疑う余地もない、だが魔法省はそんな危険が迫っているのも関わらず,現実を見ようとせず、“例のあの人”の復活を目にしたハリーは魔法省からも,世間からも嘘つき呼ばわりされる羽目になる。 ハリーの苦痛は続き、深刻化し,さらに世間は,(親友たちを除く)クラスメートですら疑いの目で自分を見るという状況にのまれ、ハリーは孤独とかしていく。
 しかしハリーを信じるものとて少なくない。 それが,ロン、ハーマイオニーはもちろんのことだが,「不死鳥の騎士団」である。 そこにはロンの両親やハリーの名付け親シリウスを始めとする力強い面々がいた。
 学校ではアンブリッジなる魔法省からやってきた教師が就任し、魔法省の干渉、さらには規則を次々と作り,対ヴォルデモートのために立ち上がろうものがないかと目を光らせ,ハリーたちはまともに闇の魔術に対抗する術を学ぶことができず、ハリーは「ダンブルドア軍団」という闇の魔術に対抗することを学ぶ機会を設け,同士を募る。 いまや、大人だけが戦う“時”ではないのだ。 闇の魔術に異を唱えるものたち,魔法使いたちが揃って戦わねばならないのである。
 ハリーがホグワーツに入学して魔術学校、魔法の世界をハリーが初めて体験するように見る者もまた初めてその目で見るわけである。 第一章からヴォルデモートの影があったものの,前半はその素晴らしい世界にただひたすら目を輝かせて見ていたのが、シリーズが進み,物語の真髄に近づけば近づくほど話はシリアスでダークに変化をとげていく。 例えばパトローナス(守護霊)があったりとかハリーたちが使う魔法に魅力を感じ,純粋に楽しむというものがあり、そういうどちらかというと大人向けな雰囲気が前回にも増し,にじみ出てくる。 戦いのドラマが始まる。
 楽しませてくれる部分、盛り上がりのある部分はその合間,合間に少しずつ組み込まれているのだ。 あのクールなスネイプさえなんだかおもしろい場面がある。 そして原作にあるあるおもしろいエピソードもちゃんと入っていたりと満足度は高いはず。 一人一人のセリフにすごく重みがある。 終盤、ある人物のあるセリフがすごく心に残った。 それはなんとなく希望のある言葉であると私は勝手に解釈している。 映画の終盤やクライマックス、主人公,あるいは主人公と深く関わっている人物、あるいは意外な人物がその先の何かを予告・予言するようなセリフをこぼしていることがよくある。 そのセリフが物語全体の理解にもつながれば、(シリーズであれば)次の展開、あるいはこの先のどこかで起こる話につながっていたり表していることもあるだろう。
 クセモノコンビ,ジョージ&フレッドの見せ場ももちろんのこと、今回エキサイティングなのはやっぱりクライマックス、光と闇の対決。 光も闇もほぼ互角な戦いを繰り広げ、戦う姿勢やその魔法の威力は凄まじく,たとえヴォルデモート側であっても,その威力や迫力がすごいと思う。今回、初めて魔法省が登場し、戦いの舞台としても最高に映える場所である。 もう一つのホグワーツにある新たなる場所もさることながら、魔法省のクライマックスシーンの建物内部の美術も原作から見てもとてもリアルで美しいものだと思う。  そしてハリーの成長だけではなく彼の仲間達,ハリーを慕うものたちみんなが魔法使いとしての成長していくのがうかがえる。
 映画全体から見てコンパクトにまとめられているという印象を受けた。 映画も物語が進行し、ダークになればなるほどおもしろみが増すように思う。ハリーも大人になってきて,まだ魔術学校に通う生徒だけれど,それでも一人の立派な魔法使い。 大人とほとんど変わらぬ力を兼ね備えているといっても過言ではない。 そんなハリーであってもやっぱり弱いところはある。そこが人間らしくであり、そこがヴォルデモーとの違いの一つで強みとも言えるのではないだろうか。 大人を頼るばかりではなく,自ら立ち向かうこと、それがハリーたちの使命なのだ。
 次の「謎のプリンス」の製作もそう遠くないようである。

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by jd69sparrow | 2007-08-02 11:41 | 映画タイトル は行