ファンタスティック4 銀河の危機

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 「スパイダーマン」を世に送り出したスタン・リー原作のアメリカンコミック,彼の生み出したスーパーヒーローたちのホーム,マーベルコミックのキャラクターたち。 彼らを支えていた,いわばマーベルコミックの“縁の下の力持ち”と言えるのが「ファンタスティック4」(以下、「f4」)である。 「スパイダーマン」や「X-MEN」と次々とヒット作が続き,マーベルコミックのヒーローたちも様々な分野の役者たちにより命が吹き込まれ,スクリーンに続々と登場している。 アメコミ・ラッシュが続く近年ではそれぞれが一つのレースの中にいるかのように競っているようにも見える。 しかし、スパイディをはじめとするヒーローたちをバックアップし,自身もまた大きな旋風を巻き起こしたのが「f4」である。 マーベルコミックでは珍しくないであろう話題であるが「f4」の原作者スタン・リーが今,世に出ている映画化にもなったアメコミ・ヒーローたちは原作の中で何度も共演を果たしている。 そういう環境化だからこそ成しえたものだろう、しかもマーベルファミリーとは別の世界のヒーローとの共演,そしてマーベルコミックで数多くあるヒーローたちの物語がリンクされているいたりとか日本では中々見ることのできない光景がそこにある(※プログラム参照)。 一人の作家による物語が次々と映像化され,しかも実写映画になるということや、火一つのジャンルにあらゆる角度から切り込むという漫画雑誌じたい非常に珍しいだろう。 テレビアニメや漫画を見ては「もしこの話のこの登場人物とあの話の登場人物とがもし手を組んだらどうなるのか、この人物があの話の主人公で戦うとしたらどんな戦いが繰り広げられ,どう手ごわい敵に立ち向かっていくかと昔、よく想像したものである(マーベル・ファミリーを知れば知るほど本場アメリカの原作への興味もつきることはない)。
 日本でも出版社を超えた共演が実現ができるのであれば人は何を望むのか。 日本という国にももちろんヒーローたちもいるし、観る者を虜にするキャラクターたちはあふれんばかりいるはずで、アニメや原作、あわよくば共演し和を広げつながっていけばいいのにっと思う。残念ながら,ヒーローたちの共演は原作で留まっている。 作者は違えど,「リーグ・オブ・レジェンド」では様々な作家たちによる小説の主人公たちとは言え、一つの物語でそれぞれの個性を発揮し,同じ一つの目標にむけて動き出すチームを組むというものがあるが既に実写として登場し、人気を集めるキャラクターたちの共演というのは見受けられない。日本ではここ数年で漫画の実写化というのは年々増え,映画化されたものだって少なくない。 これからもっと上昇していくことだろう。
 さて、ただ見せることにこだわり中身がスカスカになってしまうケースもあるが主人公たちが持つ個性の他に、彼らが自分たちが特別な能力を持つ自らの運命と向き合うという人間ドラマがあるのがマーベル・ヒーローの特徴だと思われる。 チームの絆という力でもって戦うといえば、「X-MEN」であるが、しかしそれ以前に「f4」がそのジャンルの先駆けであったことを忘れてはならない。 数多く映画化される中で,抜きん出るのは中々難しいかもわからない。 だが、f4という固く家族のような絆で結ばれたチームにとても魅力を感じるのだ。
 宇宙放射線を全身にあび,特別な能力を手にしたf4たちはDr.ドームとの戦いに勝利し、彼の陰謀を打ち砕いた。 それから彼らは時の人となり,人々に顔が知られるようになった。 アメリカでは“Mr.ファンタスティック”こと,リード・リチャーズと“インビジブル・ウーマン”ことスー・ストームの結婚の話題で持ちきりだった。 すっかり平和ボケと化していた。 そんな中,普通の生活を望むスーはヒーローの宿命,人の目がすぐ側にあるということに悩んでいた。
 すっかりセレブな生活を送っていたf4。 しかし、新たな脅威が地球に近づいていた。 それは世界中にじわじわと広がり始めていた、宇宙からの宣告。そしてそれは形となって表れた。 地球一つをいとも簡単に破壊してしまう力を持つ,宇宙から使者がやってきたのだ。サーフボードに乗った銀色の謎の生命体、その姿から“シルバー・サーファー”。f4ですら中々歯が立たない未知の力を持っていた。 一方,人知れず悪の息が吹き返した。Dr.ドーム。 彼は宇宙からの脅威を防ぐ味方としてf4の目の前に現れるが,何か狙いがあるのは明らかだった。
 かつてもそれぞれの力を活かし,脅威と戦ってきたf4だが,アメリカという国一つではなく,世界を守るべく,戦わなければならなくなったとき チームが一つとなって初めて守るべきものを守れるということを学び,f4の絆を深め,さらに彼らに課せられた運命を受け入れる。その過程を描いたのが「銀河の危機」である。
 今回の見所は“シルバーサーファー”とそのシルバーサーファーによりスーの弟,ジョニーに備わった能力である。 その能力こそが脅威に立ち向かう最強の武器となる。 “シルバーサーファー”は原作でも多く登場するキャラクター。 その秘密はシルバー・サーファーが“宇宙の脅威”の僕である以前に彼の本心にある。 言うなれば守りたい者を守るために彼には選択の余地はなく,その過酷な現実を受け入れざるをえないと自らに責任をあたえたという,悲しき運命を背負った孤独の中で生きる善といったところだろう。 ある意味で「SW」のアナキン・スカイウォーカーの辿る道に通じるものがある。 違う惑星の住人ではあるものの,そこに人間味・感情があり、そこが“シルバー・サーファー”の魅力と言えよう。
 個人的にはf4での今回の主役はジョニー(ちなみにその能力は全身を炎で包み,空を猛スピードで駆け巡ることのできるというもの)。 リード、スー、ベン(“ザ・シング”と呼ばれ,岩のような体を持ち,強力なパワーを持つ)と仲間意識の高いf4メンバーの中で一匹狼的な存在である,ジョニーは“力を合わせて一つを成し遂げる”という意識はなく自由気ままに人々から期待されていることにただ至福を感じている。 しかし、世界中にさらされた脅威という現実を目の前に,その大きな困難を乗り越え,自分が何をすべきかを学んでいくという物語であると思うからである。 しかも、そうした結果が大きな成功へと導き,チームの一員としての力を大いに発揮するという結果へつながるのだ。 
 そうしてリードを含め,“f4”は真実なる“チーム”として結ばれ,改めてf4がここに結成された。

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by jd69sparrow | 2007-09-23 01:35 | 映画タイトル は行

ミス・ポター

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 1900年代初期。 世界的に有名なウサギが産声をあげた。 その生みの親はビアトリクス・ポター、「ピーター・ラビット」をはじめとする数々の動物を主人公にした絵本を世に送り出した人物である。 舞台はイギリス。 この頃はまだ女性が自由に世の中を動きまわれなかった時代で、それ以前の文化の名残りがまだ強く残っていたのである。 少し前に映画化された「プライドと偏見」とそう変わらない時代背景なのである。 月日で換算すれば間は長いのだが、「プライドと偏見」で主人公エリザベスが生きてきた世界とほぼ同じなのである、しかし時は20世紀。 時代が変わろうとしていた頃で、物語が進むにつれ時代の姿は少しずつ変化していくが、女性の生き方はビアトリクスが生きた時代も長く続いたようだ。 女性はほとんどまともに働くことが叶わず、母親の決めた,自分の身分に合う相手と結婚しなければならないという現状は「プライドと偏見」の時代とまるで変わらない、つまり女性は窮屈で限られた空間の中で暮らしていたということになる。 そんな時代の中で、現代的な考えを持つビアトリクスは“行動”に出た、それは当時では考えられないことだろう。 身分違いの相手と恋愛をするだけでなく、仕事を手にしたのだから。 長い間、“一人”の生活を送り続けてきた彼女に訪れた一つの“運命的な出会い”。それがこの物語の重要なキーワード。 女性にとって厳しい社会を強く生きた女性、それがビアトリクス・ポターである。
 当時のイギリスでは女性が職を持つということは中々困難なものだった。 それゆえ、早くから絵を描くことに興味をいだいていたビアトリクスは簡単には彼女の“友達”を理解してもらうことはできなかった。 しかし、そんな彼女にチャンスがやってきた。 原稿を手に訪れた出版社,ウォーン社を経営する兄弟の末の弟を通して,ビアトリクスはようやく仕事を手にするのだ。 彼女についた編集者はノーマン・ウォーン、彼はビアトリクスとの仕事が彼にとって編集者としての初めて仕事だった。 この出会いがビアトリクスの未来を切り開くこととなった。 彼女は様々な出会いを重ね、彼女自身の持つ想像力(インスピレーション)で次々と愛らしい動物たちが生まれ、子供たちに届けられるようになる。 彼女を成功に導いたのは、(くどいようだが)“出会い”なのだ。 彼女が経験した“出会い”が一つでも欠けたら今とは違っていたことだろう。 この物語は「ピーター・ラビット」ではなく,ビアトリクス・ポターの半生をつづった物語である。
 人生をつづるというとドキュメンタリーとか固いイメージができるかもしれない、実際はファンタジーやラブストーリー、そしてドラマがそれぞれ入り混じったものなのである。 ビアトリクスが描く動物たち、それはみな,彼女の友達。 彼らはまるで生きているかのように絵の世界の中で生き,動き回る。 その世界がとてもファンタジー。動き・表情、どれも生き生きしている。 
 ビアトリクスは動物たちと彼らを取り巻く自然を愛した。 その愛情は深く、愛情は形へと変わったのである。 それはイギリスで大変美しいとされる自然である。 彼女はたとえ,目の前に大きな成功があっても決して欲におぼれることなく,それらを自分のためにではなく人・自然のために使ったのだ。 今でも彼女の描いた物語のインスピレーションが得られた思われる場所や、彼女自身に直接つながる緑豊かな場所は残されているとか。
 話で聞くと、彼女の描く物語は子ども向けであるのだが物語の随所には機転の利いた場所があり、それはきっと大人でも十分に楽しめる仕掛けであると思う。
 イギリスから発進したビアトリクス・ポターが生み出したキャラクターたち、世界的にそれらが広まり,日本でも絵本が出版されたり大きな反響が起こる。 私事であるが、幼い頃はこの「ピーター・ラビットのものがたり」の世界などビアトリクスの描く物語をよく聞かされ,また読み返したりととても身近な存在だったのだ。 まさにこの物語で育ったと言っても過言ではない。 ウサギたちがかわいい服を身にまとう、けれどそれは不自然ではなくて,むしろ愛らしい。
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by jd69sparrow | 2007-09-16 23:52 | 映画タイトル ま行

ゴスペル

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  映画の出演者の言葉にもあるけれど、“ゴスペル”とはもともと“伝達手段”だったそうだ。 アフリカ系アメリカ人の最初と言われる人々,つまり彼らがアフリカからアメリカへと奴隷として連れてこられた頃、ゴスペルは生まれたということになるだろう。 教会で歌われる音楽だとは言え,とてもパワフルでソウルフルであるのは冒頭にもあげた彼らの伝達手段だったからだと思う。 彼らの思いがつまっているもの、神への信仰が熱くそこで語られている,だからこそである。 “時代に適した音楽”であることにも頷けるはずだ。 
 音楽にも歴史がある。 ベートーベンやモーツァルトといった偉大な音楽たちが作ったクラシック音楽,歌詞のあるもの、メロディのみのものなど様々だ。 ロックンロールが生まれ、ポップス、R&Bなど時代を追うにつれ音楽は進化を続けるけれどそんな時代の流れの中でもずっと親しまれ,愛され続けている音楽の一つがゴスペル。 主として教会で歌われるこの音楽は人々が神への信仰を忘れない限り、永遠にいき続けるのだと思う。 
 この物語は歩むべき道から踏み外し、道を誤った主人公の青年が心のよりどころを求め、彼の帰るべき場所,“家”へと帰る物語である。 人々の人生には選択肢があり、“選択”によって人生を歩んでいくものであると私は思う。 人生の分かれ道、二つに分かれた道のうちどちらを選ぶか、それはそこに立った者が決めるもの。 けれど、その選択しだいでその人の人生は良き方にも悪い方にも傾くわけで人生における最も難題な選択なのである。 それは子供から大人になるとき、そして大人として社会に出るときである。 まさに物語は主人公ディヴィットが、人として第二の出発地点に立ったところから始まるのだ。
  聖職者になるための課程を終えた二人の若者がいた。 人々は皆,彼らの先にある有望な未来に絶大な期待を寄せていた。 彼らのうちの一人,ディヴィットの父親は教会の主任、多くの信仰者から大きな信頼を受けていた人物だ。 二人の若者,ディヴィットとフランクは幼き頃からの友、誰もが彼ら二人ともが聖職者として立派な人生を始めると信じていたことだろう。
 しかし、ディヴィットの母親の死により事態は一変した。 母親の死の間際に居合わせなかった父親に怒りを覚えたディヴィットは道を誤ってしまうのだった。 彼は教会を離れ、歌手としての栄光をつかむために毎日を過ごしていたのだ。 ディヴィットは今よりビッグになることしか頭になかった。
そんなあるとき、父親が倒れたという知らせを聞き、彼は気付かされるのだ。 彼のいるべき場所、やるべきことを。 ディヴィットは父親と向き合うことで少しずつ人生をやり直すことを決意し、自らのあるべき姿について考え始めるのだった。
 人々の信仰に応えるために説教をし、人々に,また神につくす父親を理解できなかった少年時代、それから15年という月日を経て,自分の過ちに気付き父親の姿を見、聖職者としての人生を選び,日々 人々からの信頼を集めるフランクを見て聖職者として生きた父親への理解がようやく生まれ、深まっていく。 “信仰”、それがキーワード。 信じ続ければ願いは届く、そして人生だって良き方向へと変わるし,いくらでもやり直せることができるのだとここでは語っているような気がする。
 (主人公の)築き上げた教会は道に迷った者を温かく迎え入れ,誰もに“おかえり”や“ようこそ”を言って受け入れてくれる。 人を区別したり、差別することに受け入れてくれる場所、それが教会であり、神に仕える者のつとめ。

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by jd69sparrow | 2007-09-15 00:00 | 映画タイトル か行

プリティ・プリンセス

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 15年の人生の間、ごく普通な生活を送ってきた主人公がジェノヴィアという名の国の女王の孫娘,つまりはプリンセスであることが主人公自身に明かされる。 彼女の名はミア。 ちょっと地味で目立たない女の子。 突如知らされたもう一人の自分、彼女は王位継承をするかの選択を迫られ、心にプリンセスとして器を発掘し、それに磨きあげ,真のプリンセスとして精神から成長していく物語。
 高校生のミアはあがり症で何をしてもドジばかり踏んでしまう。 そんな彼女はみんなから,からかわれるなど 時に笑い者にされるような毎日を送っていた。 それでもミアは日々を一生懸命過ごし、心の美を大切に学校生活を送っていた。 ある日、長年音沙汰のなかったミアの父親の母親、ミアの祖母クラリスがミアの住むサンフランシスコの町へやってくるという話が流れてきた。
 ミアはその祖母と対面することになった、そこで彼女は彼女の人生を変える,思いもよらぬ真実を耳にする。 なんとミアの祖母クラリスはジェノヴィアの国の女王だったのだ! 彼女がプリンセスであるという事実が明らかになった。 クラリスの目的は唯一の王室の血を受け継いでいるミアに王位を受け継いで欲しいということを孫娘に知らせるためだった。 今まで目立たず人生を送ってきたミアはプリンセスになるか、今までどおりの人生を続けていくかを選ばなければない、しかし突然突きつけられた事実にとまどう彼女はプリンセスというものがいかなるものなのかを見定め、触れることでプリンセスになる以前に貴婦人として,女性として自分を磨き上げ、同時に普通の女の子として道を歩みながら二人の自分を知り,見つめていく。
  プリンセスとしては程遠い状態にあったミア。 それが公の目に触れることで彼女の目の前には多くの試練が立ちはだかるのだ。 当然、今までのような陰に隠れるようなことはできない。 周りの目も変わり、この事実に便乗して迫ってくる人々や同級生たちもいる。 クラリスによってプリンセスのためのレッスンを受け,さらにこうしたトラブルに遭遇し、さらには友や家族の支えによりミアはタフで優しいプリンセスの姿に変わっていく。 人の目に触れられるところを着飾るだけがプリンセスではないという物語のワンシーンはとても印象深かった。 プリンセスとして必要なもの、それは優しく,人々の気持ちを理解し、それを国に,世界に代弁するような国の代表であることだと思う。
 (前に言ったかもしれないが、)高い身分を持つと人はそれ以前の自分と同じ高さにいる人々のことを見失うこともあるけれど、あくまで民と同じ目線に立てることが大切なのだ。

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by jd69sparrow | 2007-09-14 00:08 | 映画タイトル は行

マザー・テレサ

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  生涯を貧しい人々を愛を注ぐことで救うために捧げた一人の女性、マザー・テレサ。彼女は神に使え,そして神を信じ行動した。 彼女はインドのカルガッタで貧しく飢えや病に苦しむ人々や子供や老人のために無償の愛を注いだのだ。 孤児の子供たちを始めとし、見捨てられた人々は山のようにいる。 一人の命を救うのも決して楽なことではない、しかしマザーは大勢の人々のためにそれをやり遂げた。 人々を救うことがどんなに大変なことなのか、宗教でぶつかり合うその場所で、自らの力で自分のためではなく人々のために何かをやることは難しいことなのかが思い知らされる。 誰に見守られることなく、静かに死へ向かわざるを得ない人々をマザーは決して見捨てたりはしない、しかし そこに暮らす人々もその日を過ごすことが精一杯に違いないと私は思う。 助けたくても助けることができない、他人の苦しみを見ても目をつむり自分の目の前の困難に立ち向かうしかない。 だからその苦しむ人々に対して思う気持ちがあっても中々行動にうつすことはできないのだろう。
 マザーの行動には決して偽りはなく、一人でも多く人々の命が虚しく消えることのないよう,救うことが彼女にとって全て。 自分の下に集まってくる孤児の子供たちを“自分の子供”だと言い、貧しい人々を“いつでも救う”と言うという彼女の言葉はまぎれもなく彼女の心の底からの言葉なのである。 マザーの言葉一つ一つに愛があり、雨の雫のように心にしたたり,しみる。 
 マザー・テレサはインドにある修道院で修道女として神に祈りを捧げていた。 インドという国ではヒンズー教とイスラム教とがぶつかりあうという内紛が起こっていた。 マザーには宗教に対する差別という文字なかった。 誰か傷つくことがあれば例え誰であれ救う。 しかしその彼女の行動はこの国にとっては大問題。 その行動に賛同する者もいれば、異を唱える者もいる。 だから彼女の行動は小さいようでインドの国にとっては大きなものだったのだ。
 マザーは貧困に苦しむ人々の中で彼らと同じように暮らした。 彼女の信じるもの神の慈悲であり、自分のためではない。ただひたすら神による救いにより人々が少しでも豊かな生活を送り,笑顔でいられることが彼女の願いなのだ。 強い機関に頼ったり、利益を考えるよりあくまで“人の手”に直接触れ合うことで,自分たちの力で人を救うことに重きをおいた。 決してそれらの行動を大きくしようとはしない。自分のためであってはならない、そこに彼女の強い意志がある。
 彼女は新しい修道院を作り、また“平和の村”を築き上げることを熱心に考え、行動した。小さくこつこつと少しずつ。 “神はせっかちではないのだから”。 彼女の決意の象徴と言うべきだろうか、着飾ることのない衣を身にまとう。 それは清らかな白に聖母マリアをさす青、そして足元には自由をあらわすサンダルを。 裕福なものではないのその衣こそがその後に起こす彼女の行動の真実の印。
 マザーは“祈り”が人々を救う手段であると言った、つまり誰もができる他人に対してできること(これはこの役を熱望していたオリビア・ハッセーの言葉でもある)。 “一人が誰かのために何か一つでも良いことすれば、また祈ることをすれば世界は変わる”という言葉はシンプルで心に響く言葉である。 シンプルであることが大切、シンプルだからこそ伝わりやすいからだ。
 世界には資本主義や社会主義とあるけれど、世界全体で見れば資本主義国に等しいのではないだろうか。 社会主義は人々に貧富の差はない、資本主義(言い換えれば実力主義)は良く言えば努力した者が救われる素晴らしい世界。 逆に悪く言えば貧富の差が激しいということになるだろう。 その資本主義の短所がつまるところ、世界を表すとも考えられないだろうか。
 聖書にはいろいろな偉業を成し遂げた人物がいる、まさにマザー・テレサは聖書に刻まれるべき女性だと思う。 “聖母マリア”という言葉が出てくるが、マザーもまた聖母という言葉がふさわしい人物である。

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by jd69sparrow | 2007-09-13 23:28 | 映画タイトル ま行

HERO

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 事件の犯人を追い,捕まえるのが警察、裁判の際に依頼人の弁護をするのが弁護士、そして被疑者が逮捕された後、その真実にせまるのが“検事”である。 よくある事件ものの多くは刑事ものドラマや探偵が出てくるような推理モノ、そして弁護士の話。中でも多いのが刑事モノであろう。 警察、弁護士、検事。 この三者がそれぞれ軸になるとき、例えば弁護士を描いたものなら法廷で戦う相手,検事が悪役という言い方は大げさかもしれないが、厄介な相手となる。逆に検事が主役になれば弁護士が争うべきライバルなのだ。 警察というのはたいていの場合悪役とか嫌な役回りは見られないが、時々悪役的なポジションにたたされる、あるいは悪役ではないにしろ厄介な相手だったり、非協力的な立場になることもある。 誰が主役になるか主軸になるか、つまり誰の側で物語が描かれるかによって相手の見え方というのが変わるのである。
 「HERO」の主役は検事、舞台は主として法廷。 事件を追うことから始まり、その行き先・目的地、ゴール地点が法廷なのだ。 事件の犯人が捕まり、裁判にかけられる。 被害者や被疑者の関係者が見守る中で事件の白黒が決まる。 有罪か無罪か。 ここで語られる検事、それは被害者が求める真実を追求すること(実際も同じかもしれないが)。 
 ドラマから発進し、実に六年の歳月を経てスクリーンに登場。 型破りの男がやってきて様々な偉業をなしとげる。 その男には今ある自身とはまるで異なる過去を持つというもので、“型破りな人物がすごいことをやりとげ、まわりを,その人物がいる世界を替えるというストーリーの大まかな設定ではあまり珍しくはないけれど、それでも人を楽しませる力がある、それが「HERO」だ。 娯楽映画さながらの豪華な役者陣、物語、主人公が被害者の思いを晴らすため,真実を知るために全力で決してあきらめることなく事件を追い,被害者の声となって法廷で強く主張する、そして主人公や検事仲間たちによるチームワーク、それらが物語を盛り上げている。
 ほんの小さな事件のはずだった、ゆえに簡単なやまだと思われた一つの事件はやはて大きな事件へと発展していく。 というよりも、簡単のように見えてかなりの難題なやまであったという方が正しいかもしれない。 いや、そもそも事件の規模などないのだ。 言い換えて,「事件に大きいも小さいもない」というセリフがある。 
 結婚をまじかに控えたカップルがいた、しかし彼らの幸せは花開く前に散ってしまったのだった。 被害者は花婿になるはずだった男性、そしてその花嫁になるはずだった女性。 その男性は些細なことから命を奪われてしまう。 彼は命を落とさなくてもよい命を失ったのだ。 なぜなら犯人の男とは面識もなく,殺されるにあたいすることは何一つしていなからだ。 犯人は罪を認め、そこで一件落着だと思われたその事件は思わぬ方向へと動き出す。 一度罪を認めたはずの犯人の男は法廷に立ったとき罪を否認したのだ! その陰には代議士の影があり、男の弁護をするのは検事の経歴も持つ腕利きの弁護士,蒲生であった。 誰もが彼との勝負はさける、しかし久利生はその目の前に立ちはだかる壁を乗り越えることを楽しんだ。 “すぐに勝負をつけてしまうのではおもしろくない”と。 それは被害者が受けた仕打ちを簡単に済ませてはならない、その真実を知りたいと強く願う人のためにとことん真実を追究し,答えを求める人により確かな真実を伝えたいという久利生の強い信念を表している。 日本各地を転々とし,東京へと戻ってきた久利生はさらなる難関に立ち向かう。 彼の辞書に“あきらめ”はない。
 もっとも心打たれたのは裁判での“里山さんという命の重さを知る裁判なんだ”という言葉、その言葉を裏付けるのが久利生の信念にある。 それは“犯人は、自分の犯した罪の重さや遺族の悲しみを知るべき”というもの。 その言葉が強く胸に突き刺さったのは今ある現実が思い浮かべられたからである。 日々、事件は起こり,その事件の犯人たちは罪を認識する人もいれば、罪悪感など微塵も感じさせない人もいるように思えるのだ。 テレビからは伝わりにくいこともたくさんあるはずだ。 そうは言っても自分の罪を認識していると少しでも感じさせるという犯人の姿を見ないのは気のせいだろうか。 こういう実際の問題をついていることがその言葉に深みを持たせている。
 
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by jd69sparrow | 2007-09-12 15:45 | 映画タイトル は行

名犬ラッシー

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 にわかに恐慌の風の吹くイギリス。 ヨークにある街。 そこには狩りをたしなむ富豪もいれば毎日を地道に働き,暮らしをたてて生きる貧しい人々も多くいた。 少年ジョーは両親と,家族同然の利口な犬・ラッシー。 ジョーにはいつも自分の帰りを待ってくれている友がいて、それが“ラッシー”である。 ジョーたち家族はラッシーを貧しくても愛し,また家族の一員だと言う。
 これはジョーたちが大好きな飼い犬でジョーの何よりの友であるラッシーの奇跡の物語である。
 戦争がまだある世の中、ジョーの父親は毎日山に出かけ,家族のためにお金を稼ぐがその生活も長くは続かなかった。三人と一匹が暮らしていくための生活費は底をつきかけつつあった。 そんなギリギリの生活でも,ジョーにはラッシーがいた。 父親を含め,炭鉱掘りたちは山野炭鉱がつきたことで職を失った。すると,ラッシーを求める富豪が出てきた。 家族同然のラッシーを手放し、富豪に売る他,三人の家族の生活していくのにつなげる手立ては残されていなかった。 少年がラッシーを恋しく思うように、ラッシーもまた,彼女の主人で家族であるジョーたちへの思いが強かった。ラッシーはその我が家にただ帰りたかったのである。
 ジョーはラッシーを手鼻避ければならなく,愛する父親ですら戦争のために訓練を受けに遠く離れてしまうという,まだ小さく幼い彼にとってはつらい思いを強いられる。 
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by jd69sparrow | 2007-09-07 13:22 | 映画タイトル ま行

シャーロットのおくりもの

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 農場の広がる平凡な村。 そこには動物たちの世話をし、人々の生活に役立てられている動物たちがいる。 少女,ファーンの家で生まれた子豚たち。 その中でも最も小さいブタがいた。 ブタのたどる運命は他の家畜たちから見るととても耐えうるものではない。 子豚たちの歩む道は二通り。 体が小さければ人の手によって命をたたなければならない、そしてもう一つは大人になり,体も十分に大きくなった頃,食用としてさばかれることとなる。 家畜の中でも特に悲惨な運命なのである。
 これは奇跡の物語。 ウィルバー、シャーロット、ファーンの,一人と二匹が起こした奇跡なのだ。
 ある日、ファーンの家でたくさんの子ブタが生まれた。 その中にただ一匹だけ体の小さい子ブタがいた。 小さな子ブタは命を絶たなければならないことを知ったファーンは子ブタの命を思い,知り合いの農場に預ける。 ファーンはその子ブタを“ウィルバー”と名づけた。 
 農場の小屋でのクモのシャーロットとの出会いでウィルバーの運命が変わる。 ブタとクモという不釣合いと思われた二匹。 ウィルバーの優しさをうけたシャーロットは独自の方法でウィルバーの魅力を人間たちに伝え,自分を受け入れてくれたウィルバーへの恩返しをする。
 人間の世界は人間の世界、動物の世界は動物の世界で別れていた。 その別々の二つの世界につながりができる。 人が人間以外の生き物,動物の思いを知るという(人と動物との)接点ができるのだ。 シャーロットが人に訴える言葉の数々。 それは特別な能力ではなく、動物など他の生き物が自らの持てる力でもって人間に語り,コミュニケーションをとるのである。 動物たちの世界オでも一匹では目的を達成すること、夢を実現させることはできない。 動物たちの力をあわせて、一つを成し遂げるのだ。
 “贈り物”、それは二つあると思う。 一つはクモの巣の言葉の数々、そしてもう一つは“愛”。 どちらかと行ったら後者であると私は考えている。 ブタがtどうる運命のレールを歩んでいたら決してえることのできないものである。 シャーロット、そして人と人以外の生き物たちとの間につながりができたきっかけをつくったのがファーン。 ウィルバーは自らの運命だけでなく、 人々を同じ小屋のもとで暮らす動物(仲間(たちをも替えた。 ウィルバーには人や動物の心を動かす力がある。 “特別であって、特別ではない”。
 何かとび抜けてできる得意技を持っていたり,血統書がついているわけでもなく、ただ純粋なのだ。 まさに(物語の冒頭にあるように)平凡なものどうしが出会うことで、素晴らしい奇跡が起きる。

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by jd69sparrow | 2007-09-06 23:51 | 映画タイトル さ行

TAXi4

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 フランス・マルセイユの刑事とスピード狂のタクシー運転手のコンビが毎度まいこんでくる事件解決に挑む,タッグ(バディ)・ムービー。 タッグ・ムービーの場合、刑事どうし,たとえば警官として順風満帆にキャリアを積んできたエリート刑事と勢いがよく,無鉄砲なはみ出し者の経緯というふうに、静と動という正反対の者どうしがコンビを組むというのが一般的だと思う。
 「TAXi」シリーズの場合。 その静と動というコンビの組み合わせは刑事どうしの映画(物語)と共通であるが,努力がいつも失敗につながってしまう刑事,エミリアインとそんな彼の頼もしい相棒でタクシー運転手のダニエルというそれぞれ環境下の違う二人が手を組むという点ではあまり例をみない。 突っ走るエミリアンをサポートするダニエル。 エミリアンが動で,ダニエルが静ともとれるし、時と場合によっては変わる。 タクシーを飛ばすときのダニエルは動、恋愛や私生活の面のエミリアンはどちらかというと静である。
 努力が成功につながらず、ドジばかりふむ,だけど警官としての意欲は上々なエミリアンをやれやれと手助けするダニエル。 ある意味で兄と弟のようである。 そんな二人を見、この物語の主人公で毎回 パワー全開で疾走する,ダニエルの愛車,プジョー、そしてエミリアンの上司,ジベール署長のおりなす,コメディセンス抜群の映画だ。
 ストーリー。舞台はフランス・マルセイユからモナコへ。 大物サッカー選手,ジブリル・シセをスタジアムへ“タクシー”で全速力で送り届けるところが映画の幕開けとなる。 ある日、エミリアンたちのもとに重大な仕事が飛び込んでくる。 それは,稀に見る犯罪暦を持つ凶悪犯,“ベルギーの怪物”と呼ばれる男を護送するというものだった。 しかし、毎回おなじみなエミリアンの失態で凶悪犯を逃がしてしまう。 窮地に追いやられたエミリアン,なんとかして挽回をはかるため,事件解決を試みることに。 ダニエルの力を借りて。
 “プジョー407”。 これが今回の“タクシー”である。 時速300キロ以上を越える,プジョー。走り出すその時 レースカー並の“最速タクシー”へと変わる(まるで“トランスフォーム”するかのように)。 そんな最高な“タクシー”にダニエルのドライバー・テクが加わり、どんな急ぎの依頼もなんなくこなす。 このスピード感あふれる要素(場面)が物語の華であろう。
 プジョーが駆け抜けるバックを飾り、演出する「TAXi」シリーズのテーマ曲はエキセントリック。これなくしては物語りは始まらない。
 「TAXi」の名物と言えば、やっぱり迷署長・ジベール。 「出動!」とい勢いのよいセリフが印象的である。 このセリフの場面はもちろんだが、彼のリアクションや行動は刑事である以前にコメディアン。 迷捜査ぶり、あらゆる言動がおもしろく,笑いを誘う。 四六時中コメディアンなのだ。 いわゆる憎めない愛されキャラである。 捜査にはりきる署長、今回はイカれ具合が最高。 エミリアンならドジについて、ジベールの場合は笑いというネタで辞書がつくれるだろう(本編・パンフレット参照)。 
 シリーズ四作目ではダニエルとエミリアン,それぞれの息子たちが登場。 ダニエルの息子は父親の遺伝をしっかりと受け継いでいるし、エミリアンの息子は父親とは似つかず(?),しっかり者。 この二人少年の場面にも注目である。
 観る者を笑いの渦の巻き込むだけでなく,刑事モノならではの緊迫感を味あわせるわけでもない,シリーズ四作目でのダニエルとエミリアンの変化,子供ができ,成長したとい彼ら自身の問題,ドラマ的要素も盛り込まれている充実した内容である。
 
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by jd69sparrow | 2007-09-04 00:57 | 映画タイトル た行

ラッシュアワー3

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 ジャッキー・チェンという俳優といえばアジアを代表するアクション・スター。 アクション・コメディアンでもある。 “笑い”を取り入れたアクション映画を世に送り出し、築きあげてきたと言っても過言ではない。 コメディ・アクションの名作にはジャッキー映画がまず入るだろう。
 21世紀、このジャンルの王道とも言うべくは,「ラッシュアワー」シリーズではないだろうか。 中国とアメリカ、そしてこの第三作目では日本が加わり 世界三カ国にわたり「ラッシュアワー3」があるのだ。 シリーズ第三作目となるが、(今回も良い意味)で笑いが止まらない。
 リーとカーターのデコボコ・コンビが“ラッシュアワー(大混乱)”に巻き込まれる。 はじめは、互いが文化の全く違い,毎度バディを組むことがなるが(“両者の文化のギャップの違いがこの物語のおもしろさのポイントである”と言われているように)中々つりあわないところから始まるけれど、しだいに舞かに彼らの言動ややりとりがコントのようになってくる,けれどコンビネーションが抜群(?)! 
 刑事から交通課の交通整理に格下げされたカーター,その一方 リーは大使の護衛という重要な任務につき,捜査官として動いていた。 
 事件はハン大使の演説の最中に起きた。 何者かよりハン大使が撃たれたのだ。 急ぎ犯人を追うリー、彼が犯人を追い詰め,その先にあたのはなんと兄弟同然に育ち,弟のような存在である“ケンジ”の姿だった。 リーは衝撃を受けたのだった。 偶然にもそこに乱入したカーター、そして二人は三度(再び)手を組み,この事件の捜査にあたる。 犯人たちのターゲット“シャイシェン”(中国の裏世界の頭のリスト)につながらうフランスのムーランルージュのトップスター,ジャンビエーフ,そして事件に巻き込まれてしまったハン大使の娘スーヤンを守るために。
 コメディアクションでありながらそこに留まらない。 今度の敵がリーと深く関わる人物であることをはじめ,カーターでさえその問題に真正面から向き合い、その深さを実感する。 ストーリー設定からもシリアスな映画でもあるのだ。
 アメリカからパリへと舞台はうつり、話が展開していく。 ここでもリーとカーターは“ラッシュアワー”の渦中に立つ。 そしてあらゆる敵に囲まれる。 武術においてリーとひけをとらないケンジのほかにその部下で刺客のジャスミンという手ごわい敵とも対決することになる。 前回で言うならチャン・ツィーのポジションと言ったところだろうか。 武術、剣を使い、リーに戦いをしかける。 そのリーはその場にあるものを武器や盾に変え,立ち向かう。 中々の見所である。 リーが敵と真っ向勝負をしている最中、基本的にお笑い担当のカーターがその雰囲気をコメディに変える(時として真剣に立ち向かうけれど、コメディ(笑い)センスを発揮するリーがいる。
 リーとカーターがパリで最初に会った,タクシー運転手のジョージ。 アメリカに対する不満を持ち、アメリカ人であるカーターに嫌悪感を持つ,彼もまた“ラッシュアワー”に巻きこまれ,リーとカーターにようるコメディアクションの中に仲間入り。カーターに対し、険悪ムードだったはず(のジョージ)がいつの間にかカーターたちをしたっている。 二人を敬いさえする,実のところバカ亭主。 これもまたおもしろいところである。
 シリアスでしんみりもした場面もある,彼らが行く先々で“笑い”が起こる。 先も述べたように国の文化の違いにより,うまれる“笑いのネタ”がところどころにそうして“笑い”があり、“笑い”が絶えず 常に観る者を楽しませて(飽きさせず)くれる。 カーター節もジャッキー節もシリーズを通して活かされ、まだまだ“その先”がありそうな気がする。 そんな気チアを持たせてくれる今回もエキサイティングである。

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by jd69sparrow | 2007-09-03 23:58 | 映画タイトル ら行