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ヘアスプレー

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 ミュージカル映画の利点は360度で人物を見ることができることだ。 出演者は自由に動き回り,物語はリアルに映し出される。 その良さに偏っていないという評価があるように,歌はもちろんであるが、これは主人公たちのパワフルなダンスに注目したい。 彼らの心の底から歌うことが体全体で表現され、中から外へ,二つの世界が同時に繰り広げられるといったミュージカルの魅力が映画によって演出され,また 引き出されてるからである。
 ポジティブな物語である。 現実を見つめながらもそこに焦点をおくわけでもなくそれを自然に流していく。 現実とはアメリカに起こる人種問題。 この物語の時代は60年代で40年経った今も尚,この問題が続いているからこそ私たちにメッセージとしてストレートに伝わってくる。 とは言え、あくまで前向きに進むことが大事で、自分と違うものを受け入れないこと,他人と違うことに萎縮してしまうことを考える必要もなく,その意味もないことなのだと言っている。 それは映画の背景に過ぎない。「人と違うことを恥ずべきではない、むしろ堂々と胸を張るべきである」」という言葉が作り手が言わんとしていることなのではないだろうか。
 1950年代から60年代へと移り、時代は動こうとしていた。 ボルティモアで暮らすティーンエージャーたちの楽しみは“ヘアスプレー”で(髪を)きめた,ティーンたちが集い,歌って踊る“コーニー・コリンズ・ショー”を見ることだった。 トレイシーもそれに夢中な若者の一人である。 テレビ画面の中でかっこよく,また可愛く踊る者たちに憧れる。 トレイシーはそのステージで歌って踊ることを夢見ていた。 歌も踊りも得意なトレイシー、そんな彼女の前に立ちはだかるは(自らが)Bigであること。 彼女が向かう先には人種について,また自分とは違うものについて厳しく,トレイシーが目指す“コリンズ・ショー”に対して力を握るベルマ・フォンタッスルは自らの娘のために人からの注目を集めつつあるトレイシーに嫉妬し、あらゆる手段を使ってくるが、それでもトレイシーは負けない。 (彼女は)夢を実現させるために前進し着実に歩を進めていく。
 彼女には境界線、人種による差別と言う言葉はなく、“皆,同じ人間なのだから肌の色の違いなどそれぞれが姿かたちが違うことのような小さなことは問題ではない。人それぞれの個性が違うようにそれぞれの一人が他人と違って当たり前”ということが彼女の信念であり,長所である。 そしてトレイシーのポジティブさが物語を明るさを演出する。
 主人公の前向きな精神、また物語の前向きな雰囲気が全てを照らす。 何事もポジティブに考えるトレイシーは気持ちいいくらい明るい。 人に元気をあたえ、人の心を動かす。 不思議と彼女の周りに人々が集まる。 
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by jd69sparrow | 2007-10-23 01:04 | 映画タイトル は行

バットマンビギンズ

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 暗闇に覆われた街,ゴッサム。 日の光はあたらず,夜が明けない街、現実にある世界の闇の部分が一つの街に集約された,そんな空気が漂っている。 いわば腐敗した街と言っても過言ではなく,こうした風景は実際にどこかにあるような気がする。 力を握るものが権力をふるい,人々の自由や幸せを奪い,縛り上げる。 そんな邪な者に誰も口を出すことはできず,彼を戒めることすらできない。 力を持つものが街を支配しているからである。 悪党たちが堂々と街を歩けるという中から「平和」や「共存」という言葉の存在が消えていく。 街の隅々に恐怖は広がりを見せている。 その中には貧しいものもいれば富を手中におさめているというものもいる。 
 悪人を罰することのできない社会は腐っているも同然なのかもしれない。 愛する人たちを失った主人公ブルースの物語。 彼が強く望むは誰もがおいしい空気を吸える街にゴッサムを変えること。 そしてそんな街に光をと照らし,ともすのだ。 
 億万長者で人々に広く知られていうのが主人公ブルース・ウェインである。 恐怖が渦巻くその町を変えるべくして立ち上がる。 夜の街に昼を取り戻すために。 そして人々が自由で幸せに暮らせる世の中にすることがバットマンに課せられた使命である。 しかし、そんな街にも光はある。 それが街のど真ん中にそびえたつ,かつて人々の暮らしを豊かにすることを強く望んだブルースの父親が築きあげた“ウェインタワー”や交通機関なのだ。 ゴッサムという街とブルースの屋敷がそびえたつ場所とでは昼と夜の差。 同じ空の下のはずなのに,空の麓には陰が広がっていた。 
 “恐怖をえさとするもの達に本当の恐怖を味わせたい”という,それがまぎれもなくブルースの言葉であり。 現在社会の裏の部分に最も必要であると思う。 恐れの感覚が麻痺し、街の人々の恐怖を買い,意のままに操るものもいる。 
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by jd69sparrow | 2007-10-06 02:10 | 映画タイトル は行

Closed Note

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 一冊の“閉ざされたノート”。 主人公・堀井香恵はそのノートを通じて二人の人物に出会う。 その出会いは彼女自身の心を大きく動かす。 ノートは思わぬ真実へと続いていた。 ノートは香恵に優しく語り,そして彼女は多くを学んだ。 ノートには持ち主の思いか書き綴られていて,語り手が側にいるかのよう。 日記は自分が自分でいられる場所、その中には間違いなく“真野伊吹”という人がいて,文面が書き手の温かさを物語っていた。
 大学に通う香恵は一人暮らしをするためにアパートへと引っ越してきた。 そこはどこかぬくもりを感じさせる場所だった。 大きな窓から温かい太陽の光が差し込んでいる。
 親友のハナの力を借り,荷物を広げ,部屋作りをしていると鏡に目が留まった。 鏡をあけると中には背表紙が赤く彩られたノートが残されていた。 その持ち主は前の住人のものであるのは間違いなかった。 閉ざされたノート、開けてはいけないとわかりつつも興味をそそられてしまうのが人の性。 どこか引き寄せられるノート。 香恵は人の心をのぞいてしまう。そのノートが導く先を知らずに。
 引越しを済ませ一息をついたとき窓の下を眺めると上を見上げる男がいた。 香恵のアルバイト先,万年筆のお店へやってきたその男は石飛リュウ。 アーティストである。 香恵はリュウのアーティストとしての一面やクールでポーカーフェイスの下にある優しさにいつしか惹かれていった。 
 香恵の将来の夢は小学校の先生になること。 そんな夢と恋が“ノート”に書かれた“伊吹”へとリンクしていく。
 日記に描かれた伊吹は小学校の先生。 十人十色の生徒たちへ前向きな彼女は同じ道を目指す香恵にとっての先輩であり指南役,また姉のよう存在。 彼女が伊吹から得たものは「心の力」である。 伊吹が歩んできた道が羅針盤の針のように香恵に道を指し示す。 香恵の中で伊吹の言葉は恋のキューピッドだったのかもしれない。 
 理想の教師、そして理想の生徒たち。 とは言え,伊吹も一人の人間。 壁にだってぶつかり,ひたむきに努力を重ねていくし、恋だってする。 いつだって目の前に真剣で逃げ出したりはしない。 彼女には明るさと生徒を思う心、そして彼女が思い寄せる大切な人の優しさがあったからだ。 それらは希望へとつながっていて 仕事と恋と2つの幸せがあった。
 そんな伊吹の物語が香恵を成長させていくというのがこの作品の概要。 堀井香恵、真野伊吹、そして石飛リュウの三人の中に恋がある,恋の物語は切なくもある。 “切なさ”というのはこの,「クローズド・ノート」という一つの物語に霧のようであって,それは消えたり いつの間にか広がっていたりする。 つまり、霧は突然たちこめることもあれば、晴れることもあるように日記の中の出来事と現実で起こる出来事には切なさ一つではなく,香恵と伊吹のそれぞれの幸せな時間がそこにあったのだ。
 しかし、個人的には伊吹と“彼女の思う相手”,隆との最終的なくだりに重点を起きたい。 そこが一番心に響く場面だったからであり、“Closed Note”こそが恋のキューピッドだと思うからだ。 一方通行にのびていた矢印が交わり,一つにつながった瞬間がとても感動的なのだ。 感動的でもあるのだけれど、(何度も言うようだが)同時に切なくもある。 、“Closed Note”はそれを手にするものたちに思いを届け,勇気、そして未来という希望をあたえ,そこに意義があるのだ。
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by jd69sparrow | 2007-10-04 00:21 | 映画タイトル か行