Gガール

d0058606_005270.jpg
 スーパーウーマン,ジェニー。 人々からは“Gガール”という名で親しまれている。 空を自由に飛びまわり、破壊的なパワーを持つ彼女は人々からの期待を背負い、人々を危機から救う。
しかし、普段は地味で人をあまりよせつけない(スーパーヒーローの宿命である)、まさに女性版“スーパーマン”である。

<あらすじ>
 マットは設計会社で働いている。 ある日電車の中で綺麗な女性,ジェニーに出会った。 控えめで清楚という第一印象。 やがてマットはジェニーと付き合うようになる…しかしジェニーには秘密があった、なんと彼女の正体は“Gガール”!! 行動、内面、全てがスーパー級(G級)なのである。 彼女を怒らせようものなら死ぬ気の覚悟が必要だ。 “破壊的な彼女”に限界を感じたマットはジェニーと別れる決意をする。 しかしその後に襲いかかる彼の災難の引き金となってしまう…。 ある意味マットとGガールとの戦いである。 

<感想> 
 スーパーヒーローの物語をラブコメディのテイストにしている、というよりもその逆であろう。 作品がかもし出す色は恋愛モノそのものでシックである。 そこにスーパーヒロインという要素が盛り込まれている(あるいはのっかっている)という感じ。 
 アクションとラブコメディとの組み合わせは異色といえばそうであるが、最近では特にアメコミ映画でよく見受けられるが,ヒーローものには恋愛がつきものであり、それは物語の中で重要な要である。 ようするに、この作品が他と違うのは二種類のジャンル(厳密に言えば三種類),それぞれが作品をしめる割合なのだ。 細かく分けるならばアクション、恋愛、そしてコメディ。 恋愛とコメディとでは物語に影響するのは前者。 アクションと恋愛という組み合わせで考えたら、この二つの組み合わせに当てはまる本作はありえないとは言えない。
 
 原題は「My Super EX-Girlfriend」。“Ex-girlfriend”とあるように別れた恋人の復讐劇と言えるだろう。 それをコメディ風味に仕上げているといったところだろうか。 マットがジェニーと距離を置く、あるいは他の人に目を向けようものなら彼に“平安”という二文字は消えてなくなる。
 ジェニーにとって彼女を傷つける者は“悪”であり、本物の悪同然のように相手は雷を落とされる、その復讐の数々はすごい。 これでもかといわんばかりで度肝をつかれる。恐ろしい悪夢としか言いようがない。 しかしそれは、恋愛(相手)への一途さ・純粋さの裏返しなのである。 好きな人への愛に献身的であるとも言えるし、女性としての魅力がそこにあり、ただ人よりパワフルなのだ。
  
d0058606_09416.gif
←あなたのクリックに感謝します。
[PR]

by jd69sparrow | 2007-11-25 00:09 | 映画タイトル さ行

レミーのおいしいレストラン

d0058606_02598.jpg
 “誰にも美味しい料理がつくれる”という言葉は、“誰にでも夢がかなえられる”という言葉に置き換えられるのではないだろうか。 もちろんその夢の実現は本人次第。 そして何よりも大事であり、必要不可欠なのが夢をかなえるために努力をするということ。 どんなな状況下にあっても決してあきらめてはいけないのだ。 「レミーのおいしいレストラン」、それは観る者に希望をあたえてくれる物語である。
 主人公レミー、レミーの夢は花の都パリでシェフになること。 ただ、一つ問題があった、それは彼がネズミであるということ。 レミーは仲間のネズミの誰よりも鼻がきき、美味しい食材を見分けられる才能を持っていた。 それはいずれ証明されることになる…  嵐の夜、レミーは家族や仲間達と離れ離れになってしまう。 一人暗い道に取り残されたレミー。 しかしそこに一つの希望が舞い降りる。 “グストー”。彼はパリの中でも最高な腕を持つシェフで、彼のレストランは五つ星という名誉をあたえられた高級レストラン。 しかし、この世にはおらず,その魂がレミーの前に現れたのだ! グストーに導かれやってきたのは、彼のレストラン。 レミーにとってそこは夢のような世界で、憧れの場所。 そこでレミーはグストーのレストランと見習いでやってきたが、料理がまるでダメな一人の青年に出会う、リングイニだ。 それに見るに見かねたレミーがこっそり作ったスープ。 それがきっかけにレミーはリングイニの腕となり、料理を作る。
 レミーはシェフとネズミとの間を行き来する、リングイニは上司のシェフにあまりよく思われず、難題をつきつけられるというそれぞれ困難に向き合う、けれどその中でだんだんと心通わせていく。 そこには友情とよきパートナーとしての絆がうまれ、互いに一人では料理ができないことを知る。 生き物としての種類は違えど、支えあっているのだ。 人間の言葉を理解するレミーの力が幸いして,レミーとリングイニにコミュニケーションする手段ができ、格別料理場でのコミュニケーションはおもしろい。 レミーは,いいや レミーとリングイニは奇跡を起こす。 
 ネズミは人からは嫌がられる存在。 その運命は悲しいものでそこからは抜け出すことのできないというもので、実際,運の悪いネズミはその道を辿る。 一つしかないネズミの行き着く先、さだめをレミーの奇跡が変える。 
 そしてレミーとリングイニの友情はシェフやネズミたちに良き影響をあたえる。 そしてリングイニ自身と同じ“グストーのレストラン”で働くコレットにも。 二人は人間とネズミという関係というよりもむしろ同じ生き物としての友達同士という感じ。 なぜなら友情パワーが発揮されるところもあれば人と人がケンカをするようにすれ違うこともある。 人間のやりとりのようなことが一人と一匹の間で起こっている。 レミーは料理を作る夢のこと、リングイニのことが気がかりで仕方がなく、リングイニはレミーの支え・レミーの才能、そしてその心強さを求めている。 そういうドラマもあって、(CGだとは言え、)美味しそうな料理と言うアートを作り出すリトルシェフがいて…ぽかぽかとし,温まる映画だ。

d0058606_032915.gif
←あなたのクリックに感謝します♪
[PR]

by jd69sparrow | 2007-11-24 00:29 | 映画タイトル ら行

ナンバー23

d0058606_23175973.jpg
 数字には人を虜にする力がある。 それを証明し、リアルに感じさせ,気付かせたのが「ナンバー23」。 作り手が言うように私たちの生活の中には数字があふれており、また,それにこだわりを持って生きている。 占いにはラッキーナンバーがあるし、学校の授業からスポーツ競技などに至るまで順位がつけられている。 1位と10位とでは見方が違うし、数字が上であればあるほど好評価をえるし、自分自身こだわるところもあったりする。 数字が己の価値を上げるとでも言うように。 数は幸や不幸にもなれば競うためのものや結果にもなったりとあらゆる存在になるのだ。 数なくしてはいことが成り立たないと言っても過言ではないくらい。 この物語は「23」という数字にとりつかれれ,狂わされる男(人たちと言えるかもしれない)の物語である。
 2月3日、それが全ての始まりの日。主人公ウォルター・スパロウはその日,妻のアガサと待ち合わせをしていたが、動物管理局員としての彼の仕事が長引いたことにより、待ち合わせに遅れてしまう。そのきっかけはネッドという犬。 アガサと会ったウォルターは近くにあった古書店に置かれていた「ナンバー23」という本を薦められた。 早速、手に取ると 物語の主人公フィンガリングと自分との共通点とたびたびその中に出てくる数字に興味をひかれ、その本の謎を追いかける。 ウォルターは“23の呪い”にかかっていく。
 人は一度疑問に思ったことは答えという目標を達成するまでとことん追及したくなるもの。 時にそれは気が狂わんばかりに人を動かす。それが主人公によって体現されている。 確かに同じ数字が身の回りで重なることはよくあるし、そうして何度も目にすればどんな数字であり、意味があるように思えてくる。 それは数字を出来事や事実に置き換えても同じことが言えるだろう。自分自身がそういう状況であるときに特にそれが(人の目に)どう映るのなんかなんて意識しないと思う。 だから主人公が狂っているようにも見えるのではないだろうか。 物語じたいはフィクションであtっても、現実的な感覚で物語を観れる。 人間の深層心理にせまるサスペンススリラーである。ここで描かれるようなミステリーは現実世界にも多く潜んでいる、そう物語は伝えたかったのではないかと思う。 最後に明かされる真実、これは誰もが予想しえぬことであろう。 衝撃が観る者を待ち受けている。
 語らずにはいあられない魅力であるのが、ビジュアル重視の映像マジック。 吸い込まれるように物語の奥へ奥へと私たちを導いていく。 そこで観客の心をがっしりとつかみ,観客は映画にのめりんでいくのだ。 主人公がそるそうするように謎の答え・その先にあることを、観る者も一緒に追うという感覚。 


d0058606_23212112.gif
←あなたのクリックに感謝します☆

※パンフレットに基づく。
[PR]

by jd69sparrow | 2007-11-23 23:23 | 映画タイトル な行

TRICK 劇場版2

d0058606_0515833.jpg
 売れないマジシャン、しかしその推理力は抜群である山田奈緒子と「ベストをつくせ」をモットーしてかかげる科学研究者の上田のデコボコ・コンビの,ミステリー。 “ミステリー・コメディ”と言ってもいいかもしれない。 堤幸彦が描くどこか不思議な世界観が魅力的な作品である。 主人公の山田と上田は,と言うよりも出てくる人物がみな,真面目なようでどこか抜けている,ツッコミどころ満載、そこがおもしろいところなのだ。 毎回、自らを特別な存在と称する人物が現れたり、怪事件が起こる。 人々はそのまやかしに欺かれ従う、山田と上田はその謎を解いていく。これが「TRICK」である。 山田と上田との関係性など設定はそのままに,物語は一つ一つ独立した作品になっている。 上田は「どんと来い」の本シリーズを書き記し、それを聞きつけたのか,事件の解決などの以来が舞い込んでくる。 その話を上田が山田に持ちかけることで話が始まる。 
 ドラマのシリーズ二作に続き、劇場版もまた帰ってきた。 シリーズ系映画のおもしろさの一つとも言えるのが“お約束”。 例えば、刑事矢部とその相方のやりとりである。 必ずと言ってもいいくらい触れられる矢部の髪のネタである。 その相方も毎回のように代わり、その個性も様々。ヤンキーのように見えてその口から発せられる方言が印象的な人、秀才でわが道行くキャラ、そしてオタクキャラ・・・。 お笑いコンビのようである。 この二人の場面というのは一息のつける(安心感をあたえる)場所である。

<あらすじ>
 山田はいつものようにマジシャンとしての仕事をし、アパートの大家の家賃請求に追われていた。 そこに音もなく上田が登場。 事件の依頼である。 依頼主は“富毛村”の青年、依頼内容は“十年前に富毛村より離れた島へ連れて行かれた少女を連れ戻して欲しいということだった。

d0058606_0524123.gif
←あなたのクリックに感謝します☆
[PR]

by jd69sparrow | 2007-11-22 01:11 | 映画タイトル た行

バイオハザードⅢ

d0058606_23241994.jpg
 ふつうの一般的なホラーと言えば、恐怖が少しずつじわじわと忍び寄り、ビジュアル的にも精神的にもぞっとする,そして見終わった後も恐怖や衝撃が残る。 ホラーならではのスリルを存分に出しつつ 恐怖,つまりアンデッドたちと戦うサバイバルアクションというエキサイティングに彩られたのが「バイオハザード」である。 ホラーとアクションという二つの組み合わせが最高な臨場感とスリルを生み出しているのだ。
 
<前回までの話>
 アンブレラ社は製薬会社の中でも大きな存在である。 その裏では“T-ウィルス”という恐ろしいウィルスが開発されていた。 ある日、そのウィルスがアンブレラ社の研究所ハイブ内に漏出してしまった。 研究所内の人々はみな,たちまちT-ウィルスに感染し、ウィルスが己を蝕み,食欲のみが残され、人としての機能を失った“アンデッド”になってしまう。
 アンデッドたちの脅威をおさえるべく主人公アリスをはじめとする一行は研究所へ入るが、“感染” の力はアリスたちの想像をこえ,都市へ大きく広まっていった。 生き残りをかけた戦い、アリスはアンデッドや仲間を失う恐怖を目の前にしながらも生き抜いていく。

<今回の話>
 アンデッド、さらにはそのバックにいる者たちを相手に戦うアリスは仲間を失い、再び仲間をえるも,彼らと離れ、一人砂漠の中を歩いていた。 彼女のまわりはおろか、いまやT-ウィルスの脅威は世界中へ広まっていた。 世界は腐敗し、アンデッドがあふれるばかり。砂に覆われた大地が無限に広がり,大地を埋め尽くしている。 生存者は日に日に減り、ごく一握りの人間のみとなっていた。 人々はウィルスの感染と死に追われ,逃げることと戦うことの連鎖の中,日々を過ごすことを余儀なくされている。
 アリスはアンブレラ社から自分が利用されていることを知りつつ,生存者たちを守るという使命を果たすため,アリスも知らない彼女自身に起こる変化・はかりしれないパワーを武器に戦う。再会した仲間カルロスやクレアとともにアンデッドとアンブレラ社へと立ち向かう。

<感想>
 アリスには戦いの日々の中、確実に進化し続ける力があった。 それはアンブレラ社の策略なのか。 それは超人以外なにものでもない。 彼女はそれを敵と戦う力であり、人々を災いをもたらすものであると考えている。 アンデッドでもなく、人と一言で言えるわけでもない。 主人公がパワーアップすれば、敵も力をつける。 暗闇を舞台に恐怖と戦うという領域はとう越えている。 アリスには多くの謎と力が秘められている。
 日本の剣を持ち,アンデッドや新たな敵スーパーアンデッドたちと戦う戦士アリス。純粋にのかっこよさからくるおもしろさもあり、もちろんホラーとしての恐怖も随所に待ち構えている。 いつなんどき,どこであっても恐怖は恐怖。 それに変わりはない。 静けさの中の音ですら恐怖であり驚き。 たとえ次の展開が予想できたとしても,想像以上のものが起こる。 どこかに必ず何かがいるという感覚、そして何よりしだいに高く,小刻みになる音楽。 その瞬間、まるで人が後ろから近づくかのように“何か”が近づいてくる。 音楽の音色はストーリー展開をつくり、人の心境や感情を表す。 なにか恐怖がくるときは音楽そのものが、見る者の背筋を立たせる。 映画を盛り上げる重要なポイントだと思う。
 主人公の強さ、すかっとし謎と期待を残すストーリー展開におもしろさがある。 主人公は迷いも無く、次々と敵を倒し、そのまわりや正体が語られるのだがアリスについて明らかにされるごとに逆にミステリアスさを増すことや主要人物たちの感情もよく描かれている。 それぞれの思いが交差する場面、進化をするアリスの力が大きく示される場所がとても印象的であり、前作までとは違う世界観をかもしだす。 
 物語は謎を残しつつも希望や期待の持てるように幕が閉じられる。 人が作り出したもので人類が危機にさらされ,人が人を追い込む、アリスや他の生存者たちはアンデッドと戦うが,真の敵はやはり人間。 全ての元凶を作ったアンブレラ社なのだ。 最後,展開としては、ファイナルステージもクライマックスを向かえ、最後の決着へと主人公が持ち込み,突入するというふうである。 映像的な美しさやストーリー展開のスケールアップと映画じたいのおもしろさがより進化したシリーズ三作目。 さらに作品全体が見ごたえあるホラーアクションとして再びスクリーンに戻ってくることを期待し、願いたいと思う。

d0058606_23245286.gif
←あなたのクリックに感謝します☆
[PR]

by jd69sparrow | 2007-11-20 23:18 | 映画タイトル は行

ボーン・アルティメイタム

d0058606_11535121.jpg
 「~アイデンティティ」、「~スプレマシー」に続き,シリーズ完結編。他の方の意見にもあるのだが、サスペンス風な(スパイ?)アクション,しかも笑いとか一切なしの本格派である本作が三部作ものシリーズものであるのには意外だった。話がとてもシリアスだし、一話完結というふうにも思えるのだ。
よくシリーズものにはおもしろさなどの質に差があり、こっち方が良かった…なんてこともある。続編が作られるまでにある程度のブランクがあると,その時その時の作り手のモチベーションが違うのかもしれない。よく耳にするのは作り手が変わることである。ずっと同じ役者(主要人物)・作り手であれば理想であるが、監督などがチェンジする場合もあれば、メインキャストが少し変わることもある(007は別として)。それはいい方にも悪い方にも転がる。
と言うのも、パンフレットなどに掲載される映画人たちの言葉にあるように,映画(作品)がヒットするかどうかというのも、どんな反応が返ってくるかも観客の目に触れるまではわからないわけで賭けとも言えるからだろう。
しかし、ボーンの物語はシリーズを追うごとにおもしろさがパワーアップしていくけど、ムラもないし,おもしろさの波もないバランスの取れた映画だと思う。
スタントのほとんどを本人がこなしているとなると役に取り組む真剣さが伝わってくる。それを知らずに見ているときは,見せ場となるアクションは特に,「すごい!もし別の人がやっているにしてもそういうすご技ができる人がいるんだからすごいよな」って思いながら見ている。やっぱりアクションに出るなら少しでも多く本人がやって欲しいものだ。

<前回までのあらすじ>
 CIAが作り出した“暗殺者”がいた。 男は言われるがままに任務をこなし,何人ものアメリカ国民たちの命を奪っていた。 確かな腕を持っていた男、完璧な“暗殺者”かと思われていたが,ある任務に失敗し記憶が失われてしまう。 男は自分がなんなのか、名前すら思い出せない。 記憶を失う前に持っていたものから“ジェイソン・ボーン”であることを知った。 彼はボーンの生存を知った組織から追われるようになる。 そして何故,自分は追われる身であるのか、自分が何者であるのか,己に残されたものを頼りに,失われた記憶を探る旅へと出る。 
 そんな中、初めて出会ったのがマリーだった。 ボーンの囲む事件にまきこまれるカタチでマリーはボーンと行動を共にする。 しかし、そんな二人は愛し合うようになっていった。
 共に生活を送っていたボーンとマリー、幸せは長く続かなかった。 追っ手の魔の手が迫ってきたのだ。 危険を感じたボーンはマリーを守るため,戦うけれどその最中,最愛の人失ってしまう。 再びボーンの孤独な戦いが始まる。 記憶を失えども,“その力”は残っていた。 CIAが差し向けた刺客と互角に渡り合う身体能力や洞察力、頭の回転・情報収集力。 体がその力を覚えていて,本能がそれを呼び起こす。 ボーンは確実に記憶を取り戻していく。

<最終章・あらすじ>
 記憶がもどるたびにくる苦痛に悩まされ続けたボーン。 世界各地にある自分を知るための謎のヒントをつかむため,ボーンは次々と目の前にたちはだかる危険と対峙し、情報を追っていく。どこへ行っても安息の時はなく,自分と同じくCIAと,CIAに作り出された暗殺者たちと戦わなければならなかった。 ボーンを追う,CIAのチームを取り仕切るのはCIA対テロ極秘調査士局長 ノア・ヴォーゼン、そしてそれをサポートする立場にあるのがCIA内部調査局長 パメラ・ランディである。 ヴォーゼンはボーンを捕まえ,罰するためには手段を選ばない。 ボーンのみならず、危険はそのまわりへと広がる。 そしてボーンのすべての記憶やこの事件を仕組んだ黒幕も次第に明らかになっていく。

<感想>
 「~アルティメタム」では過去と現在とが描かれる。「スプレマシー」では現在から一つ飛んで未来まで語られており,その未来と過去となる「スプレマシー」の最後を結ぶ“結び”が「~アルティメイタム」のメインであり、未来の先へと続く。
 アクションもすごい、またそれを追うカメラマンもすごい。 迫力のあるアクションが多い本作のカメラマンはカメラテクニックと身体能力があり,役者と同様、スタントの訓練をしたのだろう。 追っ手が圧倒的の力の差が見せ付けれるとこもあれば同格な力がぶつかりあうところもある。記憶を失ってから、様々な敵にぶつかりあってきたボーンがより追い詰められている感が出ている。 


 
d0058606_11552190.gif
←あなたのクリックに感謝します!
[PR]

by jd69sparrow | 2007-11-11 11:56 | 映画タイトル は行

ALWAYS 続・三丁目の夕日

d0058606_17595391.jpg
 時代は昭和34年。当時、青春時代を過ごした人にとって懐かしく思える作品、この時代を知らない世代でも懐かしく思えるのはなぜだろう。町並みが変わっても、変わらないものがあるからだと思う。「三丁目の人々」は人情味にあふれ、他の人のことでも興味を持ち,大変な時は助け合う。誰かが助けを必要とするなら惜しまず手を差し伸べる、それぞれの家族が各々の力だけで生きていくのではなく、町の人々がみんなが家族であって,互いにないものを補いながら助け合ってと共に生きている。 そして、家族は皆,一緒に食卓を囲むのが当たり前、子供は愛情たっぷりに育てられ、母親は子供のためにいろいろと工夫をこらし、それをこしらえたりと形にする(そんな母親の思いやりに照れながらも,密かに感謝の念を抱く)。 父親は自分の仕事に誇りを持ち,一家を支えるために日々,汗をかいて働く。
 まるで理想郷のようだけど、子供から大人になるまでの経験や思い出にリンクすることは決して少なくない。だから今にいたるまでに感じてきた温もりをと重ね、懐かしく覆うのかもしれない。
 前回までの話。夕日三丁目、そこは町の人々が皆,温かく人情味あふれていた。 その住人である,売れない小説家で駄菓子屋を営む茶川のもとに身寄りのない少年,淳之介が、また,茶川の向いで暮らす鈴木家(鈴木オート)へ集団就職で青森から東京へ出てきた六子がやってきた。 六子は鈴木家が営む鈴木オートでで車の修理の手伝いの仕事を始める。淳之介は茶川の小説が連載されている「冒険少年」の,茶川の小説の愛読者である。
 二人は三丁目の人々の温かさに触れながら新しい環境で,新しい家族と本当の家族に等しい関係を築きあげ、“夕日町三丁目”の家族の一員となっていく。
 今回の話。 淳之介と六子が夕日町三丁目にやってきて それぞれその場所の家族となってから四ヶ月がたった。 三丁目は変わらず活気があった。 鈴木家には新しい家族がやって来た。一家の主,則文の親戚の娘・美加である。その親戚の都合で鈴木家に預けられたのだ。 一方、茶川家。茶川は淳之介との生活を続けている。 そんな茶川は淳之介を養う者として、淳之介への思いが試されることになり、そして失いかけていた夢を呼び覚まし、再びペンをとる。芥川賞に向けて。
 家族の絆があって、夢を実現させるための挑戦があって、今度はさらに三つの恋模様がある。不器用な大人たちの恋、目に見えにくくても温かな恋、そして小さな恋。三つがそれぞれ違う色・形をしている、だけどどれも応援したくなる素敵なものである。
 町の人々の関係性、特にそれぞれが,それぞれを思う気持ちが描かれている場面は心に光が照らされるかのよう。 そういう思いがあるからこそ互いの絆はお金よりも大切なもので強く結ばれているのだ。
 子供たちがみんな、「えーっ」と言いながらも真面目に,習慣的に家事を手伝う姿やトモエ(則文やその子供・一平、鈴木オートで働く六子を陰で支えている)のような母親の姿、現代では中々見受けれないような気がする。 子供の頃、当時は恥ずかしかったり,照れくさいと思ってた母親の親切(心遣い)は愛情の大きさなのだと改めて確信した。
 この物語も、変化しつつある日本が丁寧に描かれているけど、時代が変わっても昔からのこういったもの(人情や愛)は受け継ぎ、この昭和の温もりを時代に甦らせて欲しいし、できることなら甦らせたい。
 時代はどんどん便利になっていく。この映画の作り手たちの言葉にもあるけど、テレビや携帯電話などの便利な道具があって当たり前と考えてはいけない。そこに至るまでの人々の苦労は次世代へと伝え、また,便利になっていくもの・ことに依存してはいけないと思う。 便利さに頼りすぎるのではなく,世の中を暮らしをよくするために努力した人たちへ感謝の気持ちを持つべきであろう。 そういう気持ちが大切なのだと実感した。

d0058606_1802149.gif
←あなたのクリックに感謝しますv
[PR]

by jd69sparrow | 2007-11-07 18:00 | 映画タイトル あ行

エヴァンゲリヲン新劇場版:序

d0058606_23505978.jpg
 遠い未来の世界とどこか懐かしい日本の風景とが一つに集約されてそこにある。だけど、一件二つの次元が不自然ではなく,自然にそこにある。人類と使徒との戦いを描くこの物語を、人間の理解を超えたものへ人類の最終兵器(エヴァンゲリヲン)で立ち向かうもの。人間の理解は万物の一部に過ぎず、理解の域を超えたものというのは人が考えるより遙かに多くあるはずだ。それない私たちの知らない場所で何かが作られていないとも限らない。それがプラスなものであれ,なんであれ。
 静かな町、それはまるで嵐の前の静けさを見るようだ。 そこには未来とも現在とも、ましてや過去でもない,そういう世界が広がっているような気がした。 静かな場所にとどろく重い音の響き、それは人類を,地球を脅かす巨大なモンスター。それを人は“使徒”と呼ぶ。人々は追いやられ、まるで爆撃から身を守るため,防空壕へと避難することを余儀なくされた戦争の時代のようである。 人の理解を超えた“それ”は当然,人の作り出したものでは中々たちうちできない。そこで起死回生のために出された切り札が“エヴァゲリオン”。主人公シンジは父親のいる組織へ呼ばれ、いきなりエヴァの機体に乗り,地球を脅かす使徒と戦い,地球を守るという使命をさずかる。突然,シンジの運命が大きく,思わぬ方向へ動き出し、彼はその運命に戸惑い、翻弄され自分の歩む道を見つめ,己との戦いに挑む。
 エヴァはシンジを運命の分かれ道へと導く。急に強いられた試練に葛藤しながら,自分を信じ始める。 そして、シンジは「嫌なことから逃げてしまう自分」を変えることを決意する。 そんな思いは彼を危険に走らせもするが、敵や己と戦う強さを与えた。
 父親の愛情を受けたい、ただそれだけを願って父親のもとを訪れたはずなのに、突如として地球を守るという重大な責任を負う。 過酷すぎる使命、受け入れがたくもあるが同じ運命を歩むレイと出会い、守るべきモノを知り、自分を支えるものを知り、シンジはエヴァのパイロットとして,一人の人間として成長していくのだ。
 エヴァンゲリオン、まるでそれ自体に命があるように思えた。シンジが成長していくと共にエヴァの力が証明され、その成長があるからこそ,エヴァに命が宿っているように私たちの目に映るのかもしれない。純粋に“エヴァ”のかっこよさもこの物語の魅力であるが、主人公が己の運命を受け入れ、成長していくという人間ドラマでさらに魅力をましている。今はまだ主人公が覚悟を決めたにすぎない。これから主人公や地球の運命がどう動いていくのか期待がかかる。そういう“はじまり”である。

d0058606_23444160.gif
←あなたのクリックに感謝します♪
[PR]

by jd69sparrow | 2007-11-06 00:00 | 映画タイトル あ行

クローズZERO

d0058606_22314811.jpg
 男たちは己の力を試すため、強くなるために強いものに立ち向かっていく。何度パンチを受けてもその目から炎が消えることはないのだ。ボロボロになっても真っ直ぐ前を見ている。 それは男の意地やプライドからくるものなのだろうか。 確かなのは、頂点に立つことに一心で,熱き魂を持っていることである。 青春時代を目一杯生き,男として、人として成長していく。 実際、主人公がそれを体現している。この映画のもう一つの良さと言えるのが、仲間同士の絆の強さ。そこに集うは突っ張った不良たち、だけど仲間を思う気持ちがあり,互いに信頼しあい,仲間意識が強い“人間”だ。 だから彼らが互いに向き合い,大切な仲間として見ているところに熱いものを感じさせられるのだ。
 作り手たちの言葉にもあったと思うが、「何のために人は強くなろうと思うのか」ということが最大のキーワードであり,そういう物語である。
 内容。鈴蘭高校、それはその場所のトップに立とうという志を持つ男たちが集う,不良たち(crowsクローズ)の学校である。 トップに立つ者はいまだにいない。 しかし、“百獣の王”と呼ばれる男,芹沢多摩雄がいた。派閥争いの絶えない鈴蘭で頂点に最も近い男である。 そこに滝谷源治が転入し、その争いに拍車がかかる。
 物語は二大勢力による争いを軸として動く。鈴蘭にやってきた源治には目的は一つしかない。鈴蘭の男たち同様,その頂点を目指し,さらに自らの父親を越えることだ。
「男たちが強いものに挑む」理由として付け加えたいのが、自身の力を証明するためであるということ。それを成し遂げることに対する強き思いを原動力に人は強くなっていく、それが源治。“仲間”を知らない源治が仲間というものを学んでいく話でもある。同時に、鈴蘭高校という“場所・姿”が映し出されている。
 大切なものを守るため,志や思いを貫くため、相手が誰であろうと立ちはだかる者と戦う。 拳を握り締め、全力で相手に挑む。 拳やけりの重みが低く,鈍い音で伝わってくる。戦国や江戸のサムライたちが命を惜しまず,各々の軍がぶつかりあったように、大将がいて,大将を信じる兵がいて二つの勢力がぶつかりあう。そして戦っている様子、それを遠くで見ている者たちの会話、それらはまるで戦を語るようである。
 臆病な者などいない。二つの勢力の戦い、その大将たちは互いに敵対しつつも、心のどこかで理解しあっていて,後にわかりあえるときがくるように思えた。 

d0058606_22335124.gif
←あなたのクリックに感謝しますw
[PR]

by jd69sparrow | 2007-11-05 22:41 | 映画タイトル か行