ナインスゲート

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<イントロダクション>
 本には読む人を虜にする不思議な魔力がある。 特に何かの答えが隠され、謎に包まれた書物は。 本は記録であり,物語の世界に誘ってくれるものであったり,謎を解くヒントをであったりする。 表紙は入口であり,門(ゲート)である、また,裏表紙は現実へ戻る出口専用の門(ゲート)。 つまり、表紙をめくることは門を開け,その中の領域へと入るということだ。
 “ナインスゲート”。 それは“影の王国”へ続く九つのゲートのうち、九番目のゲートには他とは違う何かが眠っていて,また,それぞれのゲート何かを暗示させるものが描かれている。 九つのゲートをくぐり抜けた先に待っているものはなんなのか。 これは悪魔の秘密が隠された,悪魔の本をめぐる,命がけの謎解きゲームである。


<あらすじ>
 悪名高く、お金で動く鑑定士 ディーン・コルソ。 彼は本に対しての異常なまで執念を持ている。 コルソは、出版社を持ち,古き書物の収集家であるバルカンから、ある以来を受けた。 それは世界に わずか三冊現存している,悪魔の秘密の書のうち、本物一冊を見つけて欲しいというものだった。 コルソは、多額の報酬を条件に依頼を引き受ける、これから起こる危険を知らずに…。

<感想>
 一つ謎が解けると、人はその先の謎の答えを王。 それも続けば、取りつかれてしまう。 狂気なまでに。 “人は知りたがる生き物”である。 (そして本は人を引き寄せる。) 本に取りつかれてしまえば、正気を失いかけないし,命に関わる危険すら襲ってくる。 本に書き記されたものの価値が高ければ,謎の答えを探すのは一人とは限らないし、本をめぐる戦いすらある。 人の欲と欲のぶつかりあう戦い。 時折、笑いや滑稽さを入れながら、物語は進む。
 主人公は、普段から様々な書を鑑定し、観察力が優れている。 その鋭い目から依頼を全うすべく,コルソは“本の探偵”となり、世界を渡る。 その旅は恐ろしくもあるが,謎が解かれていく楽しさもある。 そして、新品とほとんど変わらないほどの保存状態の本(悪魔の秘密の書)は、コルソの身に起こることをどことなく表しているようである。そして,さらに旅の途中,幾度となく現れる謎の女性。 彼女もまた何かの暗示のようであり、主人公とのつながりを目立たせない。 その瞳は妖しく光り、相手を引き寄せる。 でも、美しさや目、さらにその存在は人間離れをしていて、天使の顔を持つ,悪魔のよう。 “悪魔の書”の話だけにこの本をめぐり,人々が争うことで呼び出された,悪魔のようにも思える。
 本に描かれている版画が謎を解く最大のヒントで、三つの本の細々とした箇所にまで,コルソは目を光らせる。 こういった,何かを示す本を読みたくなる気持ちに駆り立たせる。
 主人公を演じる,ジョニー・デップが語るとおり、“コルソは途中,善人に見え(謎を解くのに熱心な人に見える),最後に裏切ってくれる”。
 物語の最初と最後で主人公で主人公の人柄が変わるというのはよくあるけど、ここでは違う。確かに綺麗にセットされた髪が,旅の中で崩れていくに連れ、人間味が強くなってくるように見えるけど、原点が,というか、全般的に主人公が変わらずにいるということを思い起こされる。 ある意味で期待を裏切らないと言えるかもしれない。 
 衝撃と謎に包まれたラスト。 これは謎が残され,見る人の解釈に託されるが、すっきりとした締めくくりのようにも思える。

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by jd69sparrow | 2008-03-31 00:00 | 映画タイトル な行

魔法にかけられて

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<イントロダクション>
 なんと言っても特徴的なのが、アニメから実写へ移るというコンセプトである。 一つの映画に二つの全く異なる世界が存在しているのだ。 ドリーミーな世界と広い世界だけど、リアルな世界(現実世界)である。 おとぎ話の住人と現実にいる人、どちらも相手に自分の世界に通用しないこと,共通することとある。 この2つの世界観がミックスされ、新しいジャンルをつくったのがDisneyの『魔法にかけられて』である。

<あらすじ>
 ジゼルはいつものように小鳥やリスといった,森の動物たちと会話をし、素敵な王子様とめぐり会えること、そして真実の愛のキスをすることを夢見ていた。 そんなある日、ジゼルはトロールに襲われ,そこをエドワード王子に救われる。 二人は一瞬で恋に落ち,翌日には結婚をする約束まで交わした。 それを良しとしない人がいた。 エドワードの継母で女王のナリッサである。彼らの結婚で、ジゼルに自分の地位を奪われるのではないかと恐れた女王は結婚式の前にジゼルを騙し,城にある井戸へ突き落としてしまう。 女王の正体は邪悪な魔女だったのだ。
 井戸の奥へ奥へと落ちたジゼルがたどり着いたのは、なんと現実世界,現代のニューヨークだった! そこで彼女はバツイチで弁護士のロバートに出会い、異世界に来て,初めて 人の優しさに触れる。 ジゼルが異世界に(おとぎの世界から)追放されたことを知った,ジゼルの友達,リスのピップと、エドワードはジゼルを追って ニューヨークにやってきた。 しかし、その背後では魔女の目が光っていた…。 果たして、ジゼルは王子と再会し、彼女の国,アンダレージアに戻れるのだろうか。

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<感想>
 おとぎの世界からやってきた,その住人たちは、まさにおとぎの世界から飛び出てきたというくらい,そのままで形を崩さない。 滑稽にも見えるが、純粋で素直、そして夢を大きく持つ,ジゼルの心は現実の世界を和らげる力を持っている。 ジゼルとロバートはそれぞれ、理想主義と現実主義という正反対な性格の持ち主。 ロバートが夢見心地なお姫様にあっけにとられる以上に、ジゼルは現実世界の広さや、人々の様子、そして,自分とは全く反対の考えの持ち主にカルチャーショックを受けたことだろう。
 ロバートとジゼル,お互いはお互いに影響を与え,心も変化し始める。 全然気が合わないように思われた二人にも一つ共通することがあり、それは真実の愛を知らず,互いに恋人がいるということである。 そんな状況にあった二人は,はじめは互いの価値観の違いに驚くばかりであったが、次第にそれぞれが持つ良さを見出し、そこから多くを学んでいく中で二人は変わっていくのだ。
 特にジゼルの変化は大きい。 後半になるにつれ、シンプルで控えめなスタイルになるけれど、同時に女性らしく,また美しく成長していくのである。 それは外面的なものだけではない。 変化していくジゼルにもなお,好感が持てるのは、やはり彼女の根本的な部分が変わらず残っているからだ。
 様々なディズニーの(過去の)作品をまとめた感じであるというのが映画を見た直後の感想であるが、実際,いろいろなディズニーアニメのパロディやオマージュということがわかった。 あらゆる面でディズニーファンを喜ばせるものであwり、とにかく(この作品について)知れば知るほど,すごいところに気づくと思う。
 そういった細部にいたるまで,施されたこだわりを発見することや媒体が変わって登場する,これまでのディズニーを見て楽しむなど、ストーリーの他にも見所はたくさんある。 このパロディはとても楽しく,見ごたえがある。
 ジゼルの変化、ディズニー作品による,ディズニー作品のパロディやオマージュ、リスのピップ…笑いあり、ロマンティックありの物語である。 そして、ジゼルの可愛らしいキャラクターが魅力的だ。

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by jd69sparrow | 2008-03-30 23:00 | 映画タイトル ま行

L change the World

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<Death Note(前回)までのあらすじ> 
 “Death Note”、そこに名前が書かれた者には死が待っている。 死神が落とした“Death Note”を拾った,頭脳明晰な青年・夜神月は、犯罪のない平和な世界を築きあげるため,“キラ”となり、人の生命を操るようになる。 しかし、その歯車を狂わす,もう一人の天才が現れた、Lである。 本名もその素顔、生い立ち、全てにおける彼の情報は謎に包まれている。 警察と交わり、次々と事件を解決しているということがLという人の唯一知られている手がかりなのだ。 そして、夜神月とL、人の生と死をかけた,二人の頭脳戦が始まる。

<イントロダクション>
 “月=キラ”との戦いの末、自らの命を犠牲にすることで、キラとの勝負に勝ち,“Death Note”による“死の連鎖(意図的な)”を食い止めたL. 彼は自分の名を“Death Note”に書いたのだった(つまり、Death Noteに名前を書くことで自らの命を犠牲にしたことになる)。“Death Note”により,操れる命の帰還は“23日間”。 キラとの戦いの終わりから,Lno最期までが23日間で、その空白の時間の出来事が『L change the World』である。

<今回のあらすじ>
 死神がもたらす死がなくなりし後、人為的な“死神”が密かに作り出されていた。 “増えすぎた人口”を減らすのが“それ”の目的である。 人の手によって生み出された“死神”。 それは今日的な進化能力を持ち,破壊的なパワーを兼ね備えた死のウィルス。
 そのウィルスの鍵を握るアジア感染症センターの研究員kらのSOS、仲間からのメッセージと贈り物を受け取ったLは、研究員の娘、真希、そして仲間からの贈り物,死のウィルスを利用することを企むブルーシップにより消滅させられた,タイの小さな村の唯一の生き残りである子ども・BOYを守り,頭脳を使い,また,体を張ってブルシーップと死のウィルスに戦いを挑む。

<感想と解釈>
 (これは推測に過ぎないのだが、)Lは「家族」が記憶に残らぬほど,幼い頃に良きパートナーであるワタリの持つ施設に連れてこられ、ゆえに「家族」の温かさを知らず、目の前にある難解なクイズを解くことを楽しみとし、人と直接関わるのも,ワタリ意外にはあまりなく、彼はまるで(有能な)ロボットのようである。 そんなLの変化をここでは描いている。
 Lは頭で解決できないことに不器用だ。 ゆえに、直接人との関わりや体を動かすことには慣れていない。 愛情や友情を知らないLは、初めて守るべき存在ができたとき、なんとなくぎこちない。 そのぎこちなさと不器用さ、そして 人と交わっていくことで、そんな彼の中にに知りえなかった,自らの内面が表に出てきているのかもしれない。
 感情が見えない、あるいは見えずらい。 そんなLにも命に対する思いがある。 それは、彼にとって何物にも変えられない,大切なパートナーを失い,命の重みや大切さをそこで初めて知ったからと言えるだろう。
 それまで,価値を見出すことのできなかった,現実世界に壁に囲まれた空間から出て“世界”に触れて,現実の意味を理解し始めるL、真っ黒だった彼の目の光が宿ったようだ。
 今回の話は、世界をまたに駆けてのバイオテロ。 “Death Note”から路線が離れているようでもあるが、根本的なところや目的はほとんど変わらない。

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by jd69sparrow | 2008-03-29 13:03 | 映画タイトル あ行

Sweet Rain 死神の精度

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<イントロダクション>
 人はこの世に生を受けたら、いつかはその命が朽ちる日がやってくる。 その普遍的で人類永遠のテーマをこの瑛おがは優しく語りかける。 死はいつ訪れるかわからない、人は死と隣り合わせの毎日を何気なく,過ごしている。 そんな日常で、突然自分の下に死神が訪れたら? ましてや、思わぬ死がやってきたら?ということを考えながら、物語は進んでいく。 映画の中で“死はいつきたって、その人にとっては突然なもの”ということが語られるところがあるが、まぎれもない事実である。 でも、ただ生死について考えるのではなくて、三つの時代のいろいろな人々の不思議なつながりを楽しむものでもある。

<あらすじ>
 黒い犬を連れた死神,千葉。 彼の仕事は不慮の死に,近い人々を七日間 彼らの周辺で観察したり、接触をして、対象者が生きるべきか死ぬべきかを判定することである。
 今度千葉が受け持つのは、藤木一恵という,しこし影のあるOLである。 千葉が下す審判はいつも決まって“実行”、つまり対象者に対して “死”と判断を下すということである。 しかし、一恵とふれあい、そして彼女の仲の才能や可能性を見たとき、心を動かされる。
 千葉は 1985年、2007年、2028年という三つの時代を駆け巡り,OL、ヤクザ、70歳の美容師の七日間を見ていく。

<コメント・感想>
 “生と死”というシリアスなテーマに、優しい雨がふりそそぎ、とても穏やかな色調で演出がされている。 死神が人間界にやってくるのは、人の死が近いときだけ。 彼らが人について知っているのは、対象者たちの最期の七日間だけ。 彼らは死について いろいろ知っているけれど人にとって死がどういうものななおかも,生も知らない。
 だから、大きく感情が表れるということは中々考えられるものではないけれど、彼らの感情が少しでも見えたときというのは、おもしろい。
 三つの時代にそれぞれ違う雰囲気で登場する千葉は、どれもほんやわかした人柄や犬のような,ちょっと好奇心に満ちた目が変わらないのもおもしろいところであり、魅力的だ。 時々、ちょっとずれていて,死神ゆえの心無い言葉を口にする、でも明るくて穏やか。
 死神が他にも登場するのがいい。 一人一人個性が違くて、仕事のスタイルも様々。さらに、意外なところに出てきたり。 この映画はロマンティックでもあり,(ほとんど雨のシーンだけど)春風のような温かさのある物語であり、おもしろくもある。 その絶妙なバランスが良い。 あと、死神みんながミュージック(音楽)が好きであること、千葉があるミュージックを聞く,あるいはとある特別なミュージック聞こうとするときも楽しい(何かしら邪魔が入るけど)。 死神どうしが鉢合わせるときは、いくつかパターンがあって、良い意味でゆるい。
 いろんな対象者がいるけど、みんな死を受け入れていて穏やか、だけど どこか寂しさが伺える。
 人の生死という,シリアスなテーマだけど、優しい雨が映画を穏やかにし、その雨が晴れるとき 清々しくなる。 劇中の雨とは逆に、(春の)澄み切った青空のような物語である。 心が洗われる、また,温まるものであり、そういう気持ちになりたいときに(この作品を見るのが)最適と言えるだろう。

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by jd69sparrow | 2008-03-28 21:04 | 映画タイトル さ行

クイーン

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<あらすじ>
 1997年、英国王妃だった,ダイアナ妃がこの世を去った。 ダイアナ妃はエイズ感染者や恵まれない子どもたちへの救済活動を行った,英国のみならず、世界中の人々の愛された人である。 
 チャールズ王大使とかつては共に過ごしていたが、別れてしまう。 ダイアナ妃は交通事故で命を落とす。 大勢の国民たちが悲しむ中、王室は沈黙を通す。 そのとき、王室では何が起こっていたのか、エリザベス女王の視点で描かれている。 女王としての姿、心の変赤、彼女の知らぬ間に変わり行く時代がそこにある。

<コメント・感想>
 この話の要は、国民から絶大な支持を受けていたダイアナ妃の死をどう弔うか。 はるか昔から続いてきた,王室のしきたり、エリザベス女王はそれを信じ,従ってきた。 今もなお,しきたりに忠実な王室、国民もまた、王室のやり方に理解を示すと女王も考えていた。 しかし、時代は変化し、国民たちが求めるものも王室の理解するところとは違っていたのだ。 “国のトップにいる人は、冷たく,感情をおさえるのではなく、その声を届けること”を人々は求めているのだろう。国のトップの声を聞くことで、国民に対する“思い”があるということ、また,直接声を聞けば 説得力が出るということが考えられる。
 ちょうどその頃、新たなイギリスの首相が選ばれた。 トニー・ブレア氏である。 エリザベス女王は日に日に,国民からの反感を買うかたちとなり、追いつめらえていく。 そんな状況を変えようと変わらず常に女王に手をさしのべていたブレア氏。 ただ、助けようというのではなく、ブレア氏は女王の中に国民に見せる冷たさとは違う感情があると信じ(あるいは見抜いていたのかもしれない)、女王にと言うよりも 一人の母親の本心に呼びかけていたのではないかと思う。
 この話は、時代が変わる境目にある。 この時の王室と国民との間には、2つの違う“時”が存在している。 新と旧。 新しい“時”が流れる中に、たえだ一つ“時”が止まった場所がある、それが当時の英国の王室で悪く言えば、時代に取り残されている。 あるいは、王室だけが孤立している感じ。 そういった国・時代の変化をエリザベス女王は強く痛感したのだろう。
 国を治める者として強くなくてはならない、また,その務めに励まなくてはならないという責任感と女王は戦う。 もちろん、それは国のトップとして守らなければならないことだろう。 しかし、務めを果たすというのが、どういうことなのかというのは時代が変われば、それも変わるということが言えると思う。
 話が進むにつれて、エリザベス女王の感情が出てきて、強く冷静な姿kら、弱さや脆さが見える。 感情が出るとということは女王の本当の顔が表されるということで、何かが静かにくずれ、どっと感情があらわになるところは、印象的だった。

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by jd69sparrow | 2008-03-27 19:46 | 映画タイトル か行

スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師

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<あらすじ>
 19世紀頃のロンドン。 ここに復讐に染められた悲劇ありけり。 かつて平凡で幸せな人生を歩んでいた一人の理髪師がいた。 彼の幸せは、その街の判事によって奪われた。 ベンジャミン・パーカーは妻子と引き離され、無実の罪を着せられれ、牢獄へ。 それから15年後。 彼は脱出した。 そして、スウィーニー・トッドと名を変えてロンドンに戻ってきたのだ。 そこで出会ったパイ屋を営む女主人,ラベット夫人である。 スウィーニーは、彼女の提案で猟奇的な殺人鬼となった。 “悪魔の理髪師”の誕生だ。 スウィーニーは自分と愛する妻子を不幸に追いやった,ターピン判事への復讐のときを待っていた。

<コメント・感想>
 ほとんど色がないモノクロに近いロンドンはまるで感情がなく,冷たい街のようだ。当時の貧富の差の激しく,厳しい社会を反映されているからか、一切の温かみはない。 怪談話や残酷な殺人事件が珍しくないといおったような雰囲気だ。 あまり色のない世界だからこそ、おびただしい血は、鮮やかに映し出されている。 そんな世界で悪行をする二人(スウィーニーとラベット夫人)、作品全体の色合いは『コープスブライド』を連想させた。 スウィーニーは恐ろしく,復讐にとりつかれている。、街の人々もどこか冷ややかである。 唯一、温かさがあるのがアンソニーとジョアナ(アンソニーはスウィーニーの牢獄脱出時の命の恩人、ジョアナはスウィーニーの実の娘)。 物語の案内人と言ってもいいだろう。
 “ホラー映画であっても、完全にその色に統一するのではなく、どこかユーモラスな部分がある”という評があるように、コメディチックなところがある。 それは予告編の時からあり、本編では直接のつながりのない場面を絶妙な組み合わせで、予告編としてまとめられているのだ。 スウィーニーは恐ろしい殺人鬼なのに、どこかおもしろい。 また,憎めないという印象である。 
 ラベット夫人が一人歌うとき、スウィーニーは無表情にそこにいる。夫人の夢想シーンもやはりおもしろい。 次々とスウィーニーの狂気は続く。 彼のお客は血しぶきをあげ、息絶えていくのに、恐怖が残像として留まらない。 
 ここでの恐ろしさというのは、ビジュアル的ななものではない、かと言って.精神的なものと一言でおさめられるものでもない。 どちらかと聞かれたら、後者の方にあてはめられるかもしれない。 それとも、あとからじわじわとくる,恐ろしさと言うべきだろうか。
 映画を見ている際は、物語の流れを追っていくから,場面場面を振り返ったりというのは、見終わってから考えることが多いだろう。あとで考えてみると、恐ろしいと思うことがある。 もし仮に人物に対し、“恐ろしさ”を考えるとしたら、スウィーニーより、むしろラベット夫人だろう。 彼女の提案がスウィーニーをより,恐ろしい殺人鬼にさせるからだ。
 最後に思ったことは、スウィーニーにどうして、ここまでの不幸が重ならなければならなかったのかということ。 これは、この上なく悲劇的で、運命のいたずらというか、残酷さを物語っている。

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by jd69sparrow | 2008-03-26 22:29 | 映画タイトル さ行

クロサギ

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<イントロダクション>
 クロサギ。 クロサギとは、詐欺師をつぶす詐欺師のことである。 よって、そのターゲットは詐欺師以外になることはない
 主人公黒崎はシロサギと呼ばれる者たちに家族を奪われた。 彼はシロサギへの復讐を誓う。そのために黒崎が選んだ道は詐欺師になることだった、それもタダの詐欺師ではなく、“クロサギ”だ。 自分と同じようにシロサギたちに騙され、被害にあった人を助けようというのだった。 黒崎はそれについての情報をえるため、本来なら憎むべき相手,つまり彼から大切な人たちを奪った張本人で詐欺師の世界のドンである桂木のもとへ通うようになった。

<ストーリー>
 今度の依頼人は桶川レイコという,会社を経営をしていた人で、彼女を欺いた相手,言い換えれば黒崎がくらう敵は、石垣という男。 石垣は一筋縄ではいかない,手ごわいシロサギ。 かつて、日本経済をゆるがした人物であり,(黒崎にとって)強敵である。 それでも黒崎は決してあきらめない、彼は桂木や桂木とも石垣とも関わりを持つ,さくらの力を借りて、また,ターゲットに巧妙なトラップを次々と仕掛け、苦境に負けることなく依頼人,困っている人を助けるため,そしてシロサギたち、他の卑劣な詐欺師たちをくらいつくすために果敢に敵へと立ち向かっていく。

<感想・コメント>
 作品の中にはいくかの鍵がある。 それは話の内容を示すものだったり、謎を解くヒントだたりと鍵が物語にもたらす効果はそれぞれ違う。
 その中で二つ言えるのが、シェイクスピアの言葉と,オセロ(ゲームの)である。 前者はkの映画やドラマだけでなく、現実をも表すものであり、私たちにより,近いものだと思う。 後者は私たちに直接つながるものではないにせよ、リアルな人間の心理が含まれている。 実際、この物語のような“クロサギ”が存在するかどうかはさておき、映画フィクションでも現実味のある話だ。
 よく海外などで命に関わる事件とか、数多くのニュースを聞くけれど。日本もまた,そういったことについて全くの無関係ではなく、私たちが生活していく中でも、これほどまでの危険が潜んでいるということがよくわかり、フィクションの物語に,恐ろしさが見受けられた。 決して、物語の中で語られていることが、そこだけの話ではないからだ。 そういった事柄が数百年も前の人の言葉で表されているのがすごい。 どんなに時が流れ,世界が変わっても人の根本的な部分は変わらないということなのだろう。
 悪に対して、その悪と同様の立場から罠をかけて、その悪に気づかれることなく,最終的には敵に一泡吹かせる。 その結果、弱い立場にある人たちなど,善なる人たちが報われるという『クロサギ』という作品のコンセプトがとてもおもしろい。
 “クロサギ”は人を救う救済で、ターゲットで敵でもあるシロサギたちとの駆け引きという心理戦でもある。 
 映画全体で言えば、ストーリーを楽しみ,多くを知り、考えさせられるものであると思う。

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by jd69sparrow | 2008-03-25 19:26 | 映画タイトル か行

ジャンパー

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 ジャンパー。 それは思い描ける場所,あらゆるところに自由に瞬間移動のできる能力を持った人々である。 これは長きに渡り,受け継がれし力。 生を受けてから五年でその力が開花し始めるという。 大人になるにつれ,その力のコントロールは正確となっていく。 自由気ままにジャンプ(瞬間移動)するジャンバー、しかしこれをよく思わない人々がいた。 パラディンという組織だ。 ジャンプの力はないが、ジャンパーを追跡する力はジャンパーを恐れさせるほど。 しかも、彼らもまた、はるか昔より受け継がれている存在。 追うものと追われるものとの壮絶な戦いを描いた,SFアクションアドベンチャー、それが『ジャンパー』である。

<あらすじ>
 ディヴィットは少年時代から目立つ存在ではなく、人付き合いに関して奥手だった。 そんな彼が思いをよせる,ミリーへ贈り物を渡そうとしたとき、その贈り物をいじめっ子の手により,凍った湖へと捨てられてしまう。 それを取り戻そうとしたディヴィットは足元から氷が崩れ,湖へ落ちてしまい、息が苦しくなった次の瞬間、彼は全く別の場所に倒れこんでいた。
 それからジャンパーとしての自分の能力を知ったディヴィットは、“力”を使い 贅沢な人生を歩み始める。
 大人になったディヴィットはミリーへの思いは変わらない。 相変わらず能力を好き放題使い続ける,彼の背後にはパラディンの影が忍び寄り,ディヴィットと彼のまわりの人たちに危険が迫っていた。

<コメント・感想>
 アメリカから始まり、イギリス(ロンドン)、ローマ、エジプト、東京と、ジャンパーの行き先は世界中,無限に広がっている。 よく映画ではロケをするために,実際の設定の場所とは違う場所を代用することが多いようだが、この映画の中に出てくる場所のほとんどが、CGでも,代用の国でもなく、本物だという点は物語にリアリティを与えるという面で,とても大きい。 コロッセオもスクリーンを通してだが、見れたことに少し感動をしたくらいだ。
 東京など日本が外国映画の中で使われていることもあるが、外国から見た日本を見ることもできるし、その場面が短くてもスリリングなアクションが楽しめる。
 瞬間移動もただ,画面からふわっと消え、別の場所からふわっと現れるのでは、うそっぽくて、迫力にかけるけど ここでは違う。 瞬間移動そのものが斬新。 ジャンプは一瞬だけど、その一瞬が細かくて力強い。 作り手の言葉にもあるけれど、ジャンプするとき、(瞬間)移動されるのはジャンパーだけではないのだが、その斬新さを裏付けている。 ワンパターンに留まらず、ジャンパーはその力を様々な方法で駆使しているところがかっこいい。
 これも引用するようだが、ジャンパーを追うパラディンは、敵であって悪ではにことが、アクションとしてはあまり見かけない、むしろ新境地ではないだろうか。 ジャンパーにとっては厄介な相手、だけど彼らは彼らの正義を貫いているし,彼らの言うことには説得力もあり正論と言えることも多いと私は思う。 だから、勧善懲悪ではないだろう。
 さらに、ジャンプすることがジャンパー自身の過去や現在(・未来)であり、彼らのジャンプする意味やその人間性にもつながる。
 ジャンパーとパラディンの関係など、まだ多くを知らない主人公ディヴィット。 これから,もし話が続いていくのならば、(愛のために)ただの能力者としてだけでなく、大切な存在のために戦う者としてのディヴィットに期待したい。

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by jd69sparrow | 2008-03-24 16:43 | 映画タイトル さ行

イタリア旅行

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約一週間ほどイタリアに行って参りました。
初のヨーロッパで初の海外旅行。
イタリアと言えば、世界遺産の多い国。
建物とかもキレイだし、教会や聖堂もあちらこちらにある。
そんな魅力に惹かれたんです。

ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、そしてローマ。
オプション入れればナポリとピサも入る。
一言で感想述べるなら『大満足』。
スケジュールが詰まっているとは言え、この短期間でこれほど
まわれたのだから文句なし。

何を見たかというとバチカンのサン・ピエトロ教会やピサの斜塔、
ドゥモと呼ばれる大聖堂をいくつかなど、歴史的建物を中心としたものです。

印象に残ったこと。
イタリアの街というのは、日本の東京のように公共施設や道路が続くところもあるけど正直,すごいです。
今まで日本から出たというのはないに等しい自分にとっては
感動の連続でした。
聖堂やお城とかじゃなくてもあちらこちらに歴史のあると思われる建物群が並んでるのだから。 右を見ても左を見ても深みのある建物というのが多いです。
さすがヨーロッパ!と言うかイタリア!!
歴史的建物好きには刺激のある国です。

そんなイタリアがもともとは別々の国が集まってできた国だって
今回初めて知った。
ローマ出身なら“ローマ人です”って言うし,フィレンツェ出身なら“フィレンツェ人です”と答えるのだそうです。
ちなみに聞いた話をそのまま引用すれば、
イタリア人は陽気だってよく紹介されるけど
昔,イタリアの地で起こった戦争の関係でイタリア人は
人見知りなんだそうです。

ここでも『建物リサイクル』はあるし、
祖国の財産を守ることに力をかけているようである。
何より崩れてその残骸となった建物をその当時の形を残しながら
新しく建物としての生をあたえているってのが尊敬。

やっぱ日本も新しい建物を作ることより本気で
祖国の財産を守るべきだし、一人一人がそれを大切に思う心を持つべき。たまにそんな財産が汚されるというニュースを聞くと
胸が痛くなる。

街を歩き、歴史を見て、食事や買い物を楽しんで…
イタリアの魅力に満たされる卒業旅行でした。
とても一度ではその魅力を全て見渡すことはできない。
もしチャンスがあるのなら,礼儀としてみなされるくらい、イタリア語を覚えて少しでも自力でイタリアを見てまわりたい。

歴史を体感できる国、イタリア。
機会があったら、ぜひ行ってみてください。
観光、ショッピング、食事の三拍子で楽しめ,
心に残ります☆
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by jd69sparrow | 2008-03-06 23:14 | ドラマ・その他