コンスタンティン(二回目)

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 (神とサタン、)天使と悪魔の関係は相反するものどうしであるといことがまず一つ言える。 同時に,様々な人たちにより,あるゆる解釈ができ,たくさんの場面・場所に登場する。 その多くが、“天使は神の使い,悪魔は地獄の王の使い”と 天使は善.悪魔は文字通り悪として描かれている。 (他のモノを)これらに例える事もある。 例えば、(天使はわからないが)悪魔は吸血鬼を連想するものとして耳にした事がある。 また,人の人格を表す一つとしても使われる。 それだけ天使と悪魔は深いテーマと言える。
 映画には、その二つは当然のこと,さらに、天国と地獄の両サイドの使者がそれぞれ存在する。 半分が人間,もう半分が天使か悪魔…ここではハーフブリードと言う(つまり、人間と人間ではない存在の血が流れている者)。 主人公を始めとする,人から見れば,彼らに敵と味方がいるということになる。ハーフブリードはある意味で中立的。
 主人公のコンスタンティンはエクソシスト。 彼が接触する相手に“天使ガブリエル”がいる。 ガブリエルは、他の作品でも時々出てくる名前。 例えば、『ヴァン・ヘルシング』では、ドラキュラ伯爵がヴァン・ヘルシングを“ガブリエル”と呼ぶ場面があったと思う。 宗教的に言えば、聖母マリアにキリストの誕生を告げた天使がガブリエルとある(『受胎告知』)。

 あらすじ。 ジョン・コンスタンティンに特別な“力”がある。 それは、普通の人間には見えないものが見え、人にとりついた悪魔を地獄へ返す能力である。 さらに、水(と椅子)を使い,この世と地獄とを行き来できる(水がこの世と地獄を結ぶ・・・そして時に人の命を奪う…しかし、人が生きるのに必要であるのも水。 救いとも刃ともある水は不思議である)。
 彼はこの力に悩まされ、日々煙草に頼っている。 そうして自らの身を削り,その先に見えるのは地獄への入り口。
 天も地獄も人間の世界に影響を与えられるが,直接手を下すことはない…そう思われていた。しかし、そんな世の調和が乱れる異変が起こり始めていた。 そんな時、事件が起こる。 それもこの異変に大きく関わるような。 イザベル・ドットソンの死、しかも自ら命を絶ったという…。 何故,“異変”に関わっているのか? それは彼女に双子の姉妹がいるからだ。アンジェラである。 悪魔たちはアンジェラの命を狙っている。
 イザベルの死の真相をつきとめたいと願うアンジェラはコンスタンティンに助けを求めにやってくる。 そして、彼らと悪魔の戦いと駆け引きが始まる。

 感想。 天使と悪魔の間にハーフブリードという新たな存在が加わり、人間世界がそのまま荒廃したような地獄の世界が映し出される。 今までの作品にない要素が含まれていると思う。
 個人的に地獄のイメージは、ごつごつした岩の大地に火の海(あるいは、血の海)があるという火山のようなものなのだが ここでは人間世界に地獄があって,人間世界が荒廃したうえに炎の色が色づけされ,とても人が暮らせるような場所ではない。 さらに,そこには人の代わりに悪魔がいて地獄に迷い込んだ人間を餌食としている感じ。 迷い込んだ人間,地獄に落とされた人間(罪人)…いずれ,その悪魔たちのような醜い姿となり,我も忘れてしまうのだろうと思った。 そうして、悪魔と化した人間はこの世の人をうらめしく思い,とりつく…日本で言うところの悪霊だろうか。
 『コンスタンティン』の物語にはまだ続きがあるような気がする。 自身の未来に地獄しか見えないコンスタンティンが過去に犯した過ち(罪)が報われ,天へと導かれる日が来るのだろうか。 ダークな作品だけど、エクソシストと悪魔たちとの戦いはエキサイティングで ビジュアル的にも繊細に描かれていると思う。 

前回の記事

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by jd69sparrow | 2008-05-31 00:33 | 映画タイトル か行

ナルニア国物語 第二章 カスピアン王子の角笛

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 第一章の公開から三年という月日が経った。 “ナルニア国物語”の新たな歴史の一ページを私達は目の当たりにする。 しかも、全くその姿が変わり,同じ世界であることを一瞬,目を疑ってしまうくらい。 物言うケモノたちが暮らし,豊かな自然に恵まれた素晴らしい国“ナルニア”。 とは言え、前回に負けず劣らずのVFX、壮大なアクション、それぞれ成長しているぺベンシー兄弟…そしてディズニー映画の中で今までにないと言う,男性主人公など,おもしろさが一味違う『ナルニア国物語』がここにある。

<第一章のあらすじ> 
 一年前 ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーの四兄弟は疎開して訪れた(つれてこられた)カーク教授の家の,衣装ダンスを通じて魔法の国・ナルニアにやってきた。 ナルニア国はアスランという偉大な王によって建国された国。 魔女の呪いで冬の国に変えられたナルニアを、“ナルニアの伝説の王・王女”であることを初めて知らされた四人の兄弟たちはアスランたち,ナルニアの民たちと力を合わせ救った。

<第二章のあらすじ>
 その後、自分たちのが暮らす,元の世界と戻った四人。 それから一年。 彼らは再びナルニアへと呼び寄せられる。
 ぺベンシー兄弟が暮らす世界とナルニアとの時の流れは大きく異なっている。 兄弟たちの一年は、ナルニアでは1300年なのである。 一年前、ナルニアに訪れた彼らは、魔女との戦いの後(すぐには元の世界には戻らず)、大人になるまでナルニアをおさめ続けたが、元の世界に戻るとナルニアに初めて訪れたときと同じ子どもの姿に戻っていた、つまり,衣装ダンス入ってから,わずかの時間しか(元の世界では)経っていなかったのだ。
 1300年経ったナルニアはかつての輝きは失われ、魔法の力さえほとんど感じられない。テルマール(戦いの民)という人間たちの国の圧力により,大きな打撃を受け、わずかに生き残ったナルニアの民も希望を失いかけている。 しかし、完全に希望が絶たれたわけではない。 希望の光をナルニアに呼んだのは敵国の王子・カスピアンだった。
 ぺベンシー兄弟とカスピアン王子…彼らの勇気を信じたナルニアの民たちがナルニアを守るため,立ち上がる。

<感想・コメント>
 1300年という長い年月が過ぎ,ルーシーがナルニアで初めて出会った 半神半獣のタムナスさんやぺベンシー兄弟を支えてくれたビーバー夫妻もいない。 兄弟たちはその現実に驚き・ショックを隠せない。 千年以上経っている事がわかっていても寂しいものがある。 しかし、今回も小さな勇者・リーピチープや、ナルニアに再び平和が戻ることを疑わないトリュフハンターなど愛らしい,物言うケモノたちがいる。
 昔は敵どうしであったナルニアの民たちも互いに手を組んで戦い,アスラン不在の中でも全力を尽くすという見所満載だ。 作り手たちが前作とは違うビジュアルを見せるという工夫は、時を経てナルニアの文化が変化していったというふうにも考えられる。
 ピーターなど,主要人物の四人の(前回の旅からの)成長がしっかり,彼らの中に刻まれているのがよく描かれている。 つまりは、前回の旅のあとが彼らの中に残り,留まっているということ。 特にそれが鮮明なのがルーシーとエドマンド。 ルーシーは誰よりも落ち着きがあって,聡明さが増しているし,思慮深さや冷静な判断能力が備わっている。 エドマンドは“正義王”とされるように、まさに,その言葉どおりである。 エドマンドもまた,冷静さが宿り,最初の冒険のときは悪の誘惑に屈したけれど,そんな過去を感じさせないほど大人へと成長している。 常にそういった経験から得た力を失わず,ピーターよりも大人(で冷静)にさえ見える。
 テルマール人の中で数少ない,ナルニアへの思いを持つ,カスピアン。 叔父で欲深き王。ミラースのもとから,逃れナルニアへとやってくる。 ナルニアへ平和をもたらしたいという気持ちを持ちながらも,最初はどこか頼りないように見えるが、その思いは強い。 彼がナル二アの民や伝説の王たちとの出会いを果たし、王としての器を養っていく過程も見所の一つ。
 話は変わるが、今更ながら知ったことがある。 この“ナル二ア国”がある意味で“ネバーランド”のような感じであることと、物語が辿り着く場所・展開である。 いずれにせよ、物語の続きが楽しみだ。

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by jd69sparrow | 2008-05-30 21:47 | 映画タイトル な行

相棒 -劇場版- 絶体絶命!東京ビックシティマラソン 42.195km

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 2000年、今から8年前からスタートした,ドラマ『相棒』。 シーズンにして6回に渡る。 ドラマの中に出てくる,主人公二人が働く警察署内の特命係は、組織内で不必要な人物が送られる部署(※パンフレット参照)。 その狙いは組織がその対象者が辞職すること。 既に書面で触れられていることだが、特命係・杉下右京のもとに送られた亀山薫も,組織の狙い通りになるだろうと きっと組織の人間の誰もが思ったことだろうが、そのジンクスを見事に破り,8年も経ったということになる。 どこかで似たものどうしより正反対のタイプどうしの方がパートナーとして、上手くやっていけるという話を聞いたが その通りである。 
 右京の頭脳と亀山の行動力の良さが,抜群のコンビネーションを生み,上層部の人間の圧力に負けない力を発揮している。
 あらすじ。 顔の知れた男性キャスターの死。 それは始まりに過ぎなかった。 次々と著名人の命が狙われる。 その謎を追い,たどり着いたのが,あるソーシャルネットサービスである。 そのサイトには捜査から外れていた,二人だったが これを見逃さずにはいられない。 事件を追っていく中で大勢の人々の命を危険が迫っていると ふんだ右京と亀山は動き出す。
 犯人も相当の頭のきれる人物であるが、右京の推理もするどい。 警察署内では変わり者的存在で,卓越している。 それゆえに,謎の答えへの真の髄に迫り,事件のみならず,組織内の奥まで見通しかねないからこそ,“窓際”へと追いやられたのは明らか。
 どうして人は悪事や失態を隠すのか。 それも誰かを犠牲にしてまで。 そもそもの発端はそこにあり,死ななくていい人間が命を落とす。 モラルが汚されている。 そして,現実に関連づけられることが起こっているのdから,恐ろしい。
 どこかで聞いた事だけど、“ニュースで流されている事件の何かかがある”のだから,視聴者である我々がメディアで見聞きしていることが 必ずしも正しいとは言えない。 何かの策略で偽りが隠れているかも…しれない。 だから、マスコミで知った情報をそのまま鵜呑みにすることは100%良いとは言えないのだ。
 “人は忘れる生物と劇中に言葉が出てくる、それは犯人にとって酷な言葉であるし、現実的に考えてもむごいものだと思う。 衝撃的な,また,悲しい残酷な事件が起こっても,それに携わっていない人間は,最初のうちはその事件の目新しさや珍しさに興味惹かれたり,同情・共感しても,時が経てば、記憶のかなたである。 世間から忘れられ、しかも間違った認識のまま,流されてしまうほど事件の被害者(の遺族)たちにとって残酷なことはないだろう。
 そういう世間の現実、とある映画の名台詞“事件は会議室で起きているんじゃない~”という言葉から,くみとれる。 現場から遠い人々の疎さ(もちろん、全てがそういうわけじゃないだろうけど)という現実がここでも描かれている。 物語じたいはフィクションだが、テーマやそこで取り上げられている組織の姿などの事柄はノンフィクションだ。
 行動派と頭脳派。 後者は現場から離れた場所で前者をサポートするというイメージを個人的に持っている。 しかし、 ここではそんな二つの局面の関係性は皆無で 捜査に挑み,全力であり,現場を知っているということが魅力的だ。 その現場での緊迫したシーンはハラハラドキドキな印象である。
 右京の推理力と薫の(現場をよく知る者としての)勘の良さが発揮され、次々と謎が解けていく爽快さもあり、壁にぶちあたり,行き詰まることもある。 最後まで気が抜けないストーリー展開が内容の濃さや尾をつかませてくれることもなく,最後まで目が離せない。 仕掛けるトリックも、(どちらにしても)すごい。 ほとんど同等の力で善と悪とが渡り合う,エキサイティングな映画だ。

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by jd69sparrow | 2008-05-29 21:39 | 映画タイトル あ行

名探偵コナン 戦慄の楽譜

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 『名探偵コナン』と言えば、コナンや少年探偵団たちの推理と冒険の物語であり,工藤新一(コナン)と幼馴染の毛利蘭との話であるが、もう一つ(特に劇場版で)印象に残る,魅力なのが“音楽”である。 作品の後ろで流れる音楽は物語を演出するもので、第二の主役的な役割を担っていると思う。 その“音楽”が今回のテーマ。 
 今度は後ろで流れる音楽があって,物語に影響を与える,登場人物的なポジションにある。 そうした,スポットライトがあてられた曲には意味がある。 いつ,どんな場所・状況で…というふうに思考をめぐらすと,きっとそれがわかってくるのだろう。
 映像マジック(最新技術)がふんだんに使われ,アニメーションと言えど,とても迫力のある,スリリングなストーリー展開だ。 
 あらすじ。 音楽の名門,堂本アカデミー、そこで今度 コンサートが開催されることになった。 コナンや蘭たちは園子のつてでコンサートのリハーサルから本番までを見学させてもうらうことになった。 美しいヴァイオリンの音色が響き渡るステージ…この楽しいひと時の一方で、事件は起こっていた。 死傷者が出た事件から始まり,連続殺人へと続く。 共通するのは被害者たちが皆,堂本アカデミーの関係者であるということ。また,コンサートでソロを歌うソプラノ歌手・秋庭怜子も堂本アカデミーの卒業生である事から、見えない殺人者の標的となる。 コナンは標的となった人たちを守るために,事件の真相を追う。
 コナンの映画の中には推理やアクションがメインとしてあり、ストーリーが進んでいく。 アニメーションならではのアクションもあるけれど (前述したとおり)実写映画に劣らない、あるいは実写映画なみ。 アニメーション技術が発展していく中で『コナン』もまた、進化をしていくわけで,平面的にしか見えなかったものが,実写で映し出された映像のように立体的に映し出される部分があり,描かれる。
 『戦慄の楽譜(フルスコア)』では、コナンが持つ推理力などの探偵としての力以外の,意外な能力が明らかにされたり,新一と蘭との過去がクローズアップされる。 そして、その二人の過去がある事とつながりをもたらしているという…。 無関係だと思われた物事が,思いもよらぬところでつながっていたり、つながったりもする。 世間は広いようで狭いということもある。 今回のこの“つながり”はとても素敵なものであり、現実にもあったらと思う。
 アニメーションつぃての技術、シリーズの話ごとに異なる,各々の作品の特色、毎回大胆なアクションなど、いろいろな魅力がある中で、にさん気づいたことがある。 毎度お馴染みのオープニングである。 第一作からだとか,シリーズをかかさず連続で見ている人には見慣れているが、とても親切だと思う。
 実写のシリーズもの、あるいはドラマからの映画化では中々見られない光景だ。 前作を見なければ,あるいはドラマ版を最後まで見ていなければわからにあ部分がある作品は それはそれで良いと思うが。 そのとは言え、今夏も目だって変化がない(オープンニングが)と思いきや…。 長い間似たようなパターンを見た後の変化は新鮮で,なおかつ面白い。 良い意味でふいをつかれたサプライズ?がいい(『コナン』の場合、劇場版での一つ一つの話が独立した話だから前の話を知らない上での混乱もないに等しい)。
 今回の話の終わりはしんみりした…また,綺麗で今までの中で一番良いかもしれない。

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by jd69sparrow | 2008-05-28 00:16 | 映画タイトル ま行

10,000 B.C.

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日本はもちろん,世界に今ある国々がまだ存在もしなかった、と言うより世界が国によって分けられていない,遥か昔。 人類こそ誕生はしているが人々は皆,外の世界に無知である。 “紀元前一万年”、原始時代。 個人的なイメージでは漫画(アニメ)『はじめ人間』で描かれているような,無限に広がり,草が生い茂る大地で人々は暮らしている。 そして石で作られたハンマーを持っていて お金は石、マンモスの毛皮で出来たテントが言えである…さらに彼らの家の後ろには火山が噴火している…というもの。 確信できる,明確なイメージはない。 『10,000 B.C.』は、原始の時代に新たな解釈と作り手たち,独自の(想像の)世界で彩られたダイナミックかつ,人間ドラマも大きい映画である¥。
 あらすじ。 ヤガル族のデレーは山の頂でマンモスを生きる糧にして暮らしている。 彼の少年時代。 村に青い目をした少女エバレットがやってきた。 エバレットは悪党たちに両親の命を奪われ,身寄りがなく ヤガル族の村へと流れ着いたのだった。
 デレーとエバレットはその時から,次第に互いを思うようになり,大人へと成長していく。 デレーにはカレンというライバルがいる。 デレーは幼いときに村を離れた父親のしえで自分は“裏切り者の子”というレッテルをはられたと思い,カレンを始めとした(エバレットを除いて)村の仲間たちもまた,そういう目で,デレーを見ていた。 だからデレーにはエバレットへの思いがある一方,孤独感も心に抱いていた。 デレーはエバレットへの愛のため,その力と勇気が試される。 
 ヤガルの人々が暮らす世界は、地球という惑星の世界の一部,自分達の場所から外へ出ると目の前には,無限に広がる未知の世界。 外の世界を知らない人々の多くは一つの空間(自分たちのいる)が全てで、中から出ずに一生を過ごす者もいれば、外へと冒険に出る者もいる。 だから外へ出た瞬間,自らのちっぽけさを知る。 それは,かつての日本でも今もその理念は同じで、今後も変わることはないだろう。 母国から出て,海外へと降り立つとき,“この世界にはこんなに素晴らしい場所があるのだ”と感動を覚え,驚く。
 デレーの旅は危険なものだとは言え,少なからず 驚きの連続だったに違いない。 愛のための道のりは険しく,それでも諦めずに,その長旅で愛する人の大切さを持ち続けていられるかが主人公に試練としてのしかかる。 また、信頼のできる仲間たちやデレーたちの行く手を阻む者たちなど彼は人間間でる困難とも闘う。
 そのとき、共に旅をする仲間たちと助け合い,エバレットへの思いが彼を動かしていたのだろうと思うと、パンフレットにも書かれていたが,これは“愛の物語”、“愛のための未知の世界への旅”なのである。
 映像で映し出される雄大な大地…自分たちの住む場所より遥かに文明の栄えた(帝国のような)、また,自らを神とする者が支配する世界…。 つまり、ダイナミックに表現された大地や自分たちが知る世界とは全く違う世界に来たというギャップが(映像を中心に)映画全体で表されている。 
 主人公は死と隣合わせの事態という苦難や悲しみなど様々な経験や刺激を(旅の道中で)受けていき,大切な人を救うという自らの使命を果たすことへ向かう最中、次第に真の勇気と愛、新しい時代を担う力、そして人々をそこへと誘う,先頭に立つ力を養い、成長し その顔立ちも“戦士”の顔へと変わっていくところが見所だ。

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by jd69sparrow | 2008-05-27 23:40 | 映画タイトル か行