ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌

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<イントロダクション>
 前作では、悪を退治するという,軸のもと鬼太郎のヒーロー像や“ゲゲゲの鬼太郎”の世界観が描かれた。 邪悪な敵もいた。 しかし、主として自由気ままに日々を送る陽気な妖怪たちの姿が印象的だったと思う。 “締め”を見てわかるとおり。 二作目となる本作は多種多様な妖怪たちが登場することに変わりはないが、色やテイストが違う。 影で覆われているのだ。 キャラクターじたいも少しずつ変化している者もいる。 鬼太郎、猫娘…それとネズミ男といったところだろうか。 前回とは一味違う,また,今まで見れなかった『鬼太郎』がある。 そこではある真実が語られる。 ただ、人間のために戦うのではない。 人間らしさもうかがえる,エモーショナルな鬼太郎に注目だ。

<あらすじ>
 “かごめ女の歌を聞いた者は、魂を奪われる”という都市伝説がある。 それを知った楓は半信半疑。 しかし、学校から帰る楓の背後から“あの歌”が聞こえてくる…命を奪われた時、ネズミ男と鬼太郎に遭遇した楓は一命を取り留めるが、手の甲には鱗が生えていた。 それは濡れ女の呪いの証だった。そしてその印は楓の死が近づいていることを示していた。
 人を助けても感謝されるわけでもなく,報われることもない現実に迷いと疑問を鬼太郎だったが、楓の言葉でそんな深刻な思いを断ち切った鬼太郎は自然と体が動き,気付くと楓に手をさしのべている。 
 ダークさは物語全体にもある。 ある一つの悲劇が背景となり、物語は進む。 それは古来より続く,人と妖怪との諍いに始まる。 諍いにそれとは無関係なものたち,つまり濡れ女たちが巻き込まれ,諍いや悪とは無縁だった濡れ女には無念がつのり,やがて恨みとなる。 恨みは千年もの間消えることなく生き続け,それを利用することを考えたのがぬらりひょんである。

<感想>
 ぬらりひょんと言えば、腹黒いイメージがあり、邪悪さそのものと思っていた。 しかし,それここで描かれるぬらりひょんは違う。 それはキャラクターから、また,ぬらりひょんに命をふきこんだ役者の二つにある。 ぬらりひょんの語る人間像には偽りがない。 人を良しと思わないゆえの思いもその中にはあり、多少の偏見はあるかもしれないが。 彼の語ることからは彼が妖怪であることに誇りを持っていること、妖怪の世界を守りたいと思う心があるように思う。ただ、ぬらりひょんは人の愚かな部分しか見えないために人を恨む。 逆にそれは一部の人々にも言えることで、人々が妖怪と人の恋を見て,自分たちにに災いをもたらすと思い込み,自分たちとは違う存在(妖怪)を悪としか見ていないということからの行動に出る。
 中々、分かち合うことの出来ない人と妖怪。無論、全ての人や妖怪たちに当てはまるわけではない。 “両者が互いへの恨みや偏見を捨て,理解しあえば変わる”、それが今回の話での大きなテーマ。 だからぬらりひょんも人を理解しさえすれば、悪から離れるように思われる。 おすでなくても善であり、悪であるように見える。
 大河ドラマ『風林火山』で上杉謙信の家臣にして右腕的存在、また良き理解者・宇佐美に扮した俳優・緒方拳。 ここでも主人公の敵だが悪というわけではなく,戦乱の世を見据え,また主人公(敵)と主君の両者を理解しているという感じの良き宇佐美像を体現していて、そこでも見られるように,ぬらりひょんもの言葉もより説得力を出し,完全なる悪ではないこと体現しているようである。
 『鬼太郎』はこれまで何度もアニメ化され、そのうちの一つのを見た。 そこで『鬼太郎』を知っているつもりだったけれど,実写化され、第一作,二作と見るたびにいろいろな,知らなかった部分が次々と見えてくる。 その一つと言えるのが鬼太郎である。 鬼太郎の出生から彼の戦法・パワーや鬼太郎を取り巻くものなど。 鬼太郎が今,存在する その背景には何があるのかが語られ、そして 前回では見れなかった,戦闘能力である。 かっこよさが増している。  最大の敵が戦う先にいるdかえに壮絶な闘いがあって、鬼太郎一行はこれまでになく,ハードな命がけの戦いが強いられる。
 シリアスな物語だけど、コメディがないわけではなく、ところどころに笑いが盛り込まれている。
鬼太郎一行,それぞえに見所があって、バラエティに富んだ妖怪たちが登場。 ダークな雰囲気で悲劇も描かれる…だけど、斬新で綺麗な締めくくり。 だから,今回は“美しい”という印象が残るだと思う。 
 ドラマティックな部分、パワーアップした鬼太郎のアクション、手ごわい敵の登場が内容を充実させ、見事に妖怪になりきっているためにエンディングでようやくそれが誰であるかに気付くこともあった。 また、パンフレットの解説などを読み,改めて物語を振り返り,気付くこともあった。 そういった意味でも,また作品の完成度からしても,もう一度見たくなる『鬼太郎』の実写映画 第二弾『千年呪い歌』である。

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by jd69sparrow | 2008-07-21 00:00 | 映画タイトル か行

花より男子 ファイナル

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<イントロダクション>
 牧野つくしはギリギリの貧乏生活を送りながらも,温かい家族に囲まれて幸せな日々を送る,女子高生。 しかし、通うのはお金持ちばかりが行く,英徳学園である。 学園を支えていて,人気者でもある…また彼らにの美貌や内から出る魅力はFlower 4の名にふさわしい。 その反面、リーダー・道明寺司を筆頭に学園内の(彼らが)気に食わない生徒に赤札を貼り,集団的ないじめをあびせたり,制服も着ず,授業にすらまともに出ないという自由奔放な四人組でもある。
 「なるべく目立たず,平凡な学園生活を送り,普通に学校を卒業し 平凡な幸せを手にしたい」と願っているつくしだったが、Flower 4こと,F4に関わることに。 つくしは彼らに対して,あまり良くは思っていなかった。 あるとき、友人が道明寺の怒りに触れたところを救い,その結果 赤札を貼られ、全校生徒からいじめられても必死で耐えていた…
 ある日。 つくしが一番大切にしているものが踏みにじられることが起こった。 その原因は何者でもない道明寺だった。 大事なものを傷つけられたことで、つくしはついに道明寺をノックアウトした。 そして,それは二人の恋の始まりでもあった。 その後も数々のッ苦難をが二人を襲うがそんな中で二人は互いに惹かれあっていく。
 ここまでが前回までの流れである。 今回は前作で互いを思いあうようになった二人の愛が真実かを試される。

<あらすじ>
 つくしと道明寺との結婚が決まり、それは世界中の注目を浴びた。 大富豪との結婚に強いプレッシャーを感じるつくし。 結納の席、つくしは道明寺の母・楓から道明寺家に嫁いだ者に代々受け継がれてきたというティアラを授かる。 それには四つの宝石が埋め込まれ,かなりの値打ちものだと言う…
 結婚式を間近に控えた頃、何者かによって結婚の証である“ティアラ”が奪われてしまう。 ティアラがなければつくしと道明寺との結婚も危うい。 早速、取り返しに行くことに…そんな二人の危機を察した,残ったF4たちは彼らに手を差し伸べる。 世界をまたにかけ,つくしと道明寺二人の試練と困難が次から次へと二人に与えられる。 二人の運命はいかに。

<感想>
 つくしと道明寺のそれぞれの思いが一つになってから4年という月日が流れた。 人間性としての変化はパート1からだいぶある。 だけど二人の関係性…というか、やりとりの様子は変わらない。 相変わらず,日本語が少々おかしい道明寺、そんな道明寺につっこんだりするなど,雑草魂の強さを健在のつくし。 道明寺に見せる笑顔からは、道明寺を思っていることをうかがわせ,見ていてこちらも気持ちがほんのり温かくなる。
 価値観の違いすぎる二人、さらに道明寺財閥に関わることで数々のプレッシャーが押しよせてくること、今まで自分がいた場所とは全然違う環境の下に行くことを,いざ目の前にして、道明寺への思いはあるものの,不安を募らせるつくしの気持ちにとても共感できる。 そんなつくしとは正反対に、不安を一切抱かず、前に突き進む道明寺はすごい。 でも何か大事なことを忘れている、そう感じさせた。 特に(個人的には)つくしについて。 その“大事なこと”こそが、今回の映画での鍵で二人を大きく動かすもの、また,ある方向へと導いてくれ,つくしと道明寺が経験することになる困難や旅はそれを探し(目指し),行き着くための話だと言っていいだろう。 でもそれを、二人だけは知らない…というか,気付かない。 気付かないとところで無意識の中で動いている。
 そんなドラマティックな物語を楽しめる同時に,ドラマから続くお約束を楽しむものである。 つくしと道明寺が中心の話と言えど、F4メンバーの結束力の強さ再確認でき.花沢類、美作あきら、西門総二郎の魅力など,一言では作品の魅力を語ることはできない。 見るところがたくさんあるのだ。 だkら一度にこちそうを一気にほうばるがごとしだ。 だから二度見たって決して損はしない。迫力あるアクションシーンもあるし、あF4やつくし…みんなが輝いている。 つくしとの愛という“夢”をかなえるために必死になる姿も感動的だし、ぐっとくるし、(怒鳴りあうことなく)つくしと道明寺が互いに対して素直になった時(笑顔になった時)もフィクションだとは言え,心から祝福したいという思いや嬉しさ・喜びなど素敵だなと思う(それを見て,誰もが恋をしたくなるだろう)。
 しかし、個人的に印象に残ったというか、好きな場面は美作が登場する…見せ場の場面である。 インパクトが強いからだ。 さらにもう一つあげるなら(これが一番の理由)、私が映画に対してアクションという刺激やかっこよさを求めていて,それが好きだからだ。 ハリウッド映画なみの凄みがあって(道明寺のアクションもすごいが)、特に大胆と思えた。 ラストの(美作の)場面も然りである。
 思わず、「おぉっ」と声をもらしそうになるくらい驚かされる(インパクトの大きさに)。
 “今回が完結編でつくしとF4の物語それぞれに終止符が打たれるわけだけど、まだまだその先が気になったりもする。 でも、その反面,素晴らしい,すっきりした締めくくりだとも思う。
 類、美作、西門の三人,それぞれの物語もなんとなく見たいけれど、『花より男子』としてここで終わるのもいいかもしれないと思う(その方がいいとさえも思う)。
 この映画の物語がオリジナルで、それでいて方向性が変わったりだとか、ドラマからの良さがそのまま受け継がれ,ドラマから映画へと進むことのギャップがないのが最高。 映画と分離されていないことがいいのだ。
 そして、ドラマに登場した,あらゆる人物たちが勢ぞろいであるのがいいなぁと思う。 パート1から主要人物を含め,みんなが良い意味で変わって,かつてはつくしに敵意を向けていた人たちもそういう過去を感じさせない笑顔でスクリーンに映るのが(“二人”を祝福するのが)なんとも素敵、というか物語の目的ドラマティックなストーリー展開を動かすものじたいがいい。 つくしと道明寺はかけがえのない,温かい人々の中にいるという感じ。 物語に向かっている所、意図が見えてきたとき、(何度も言うが)素敵この上ないとしか言いようがない。

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by jd69sparrow | 2008-07-20 00:00 | 映画タイトル は行

ハイスクールミュージカル2

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<イントロダクション>
 「学生時代に楽しみにしていたものは?」と聞かれたら,必ずその一つにあげるだろう、“夏休み”と。 特に中学や高校では一番の長期の休暇だし、何よりのイベントが多い。 だから、終わり(授業の)を告げるチャイムは夏休みの始まりを伝えるの合図(音)なのだ。 だから、その瞬間が待ち遠しくて仕方がなくて、チャイムが一気に解き放たれ,自由という解放感をえるのである。 この楽しいひと時の始まりのとき、何かいい事が起こる、そう予感させるのだ。 待ち焦がれたものがやって来る!

<あらすじ>
 夏休みが始まる。 トロイたちを待っていたのは楽しみだけではなく,進路に対する決断だった。自分が何を目指すかを考える時がやってきたのだ。 トロイは自分の将来に自信が持てず,悩みの中にいた。 そんな時、始めたのがカントリークラブでのアルバイトだ。 それは自分の未来へつなげる橋づくりである。 トロイやガブリエラ、チャド、そしてワイルドキャッツ(トロイやチャドのいるバスケットチーム)の仲間達とともに,そこで働く日々が始まる。 トロイにとっての気がかりは、カントリークラブのオーナーがマドンナ気取りのシャーペイの両親が所有する場所であり,当然シャーペイもそこで夏を過ごすことである。 シャーペイは思いのままにならないと気が済まず,ガブリエラの相手・トロイに思いを寄せている。 だkら、あの手この手でトロイとガブリエラの間に割って入り,どうにかしてトロイを自分のものとしようと考えている。
 人は一生の中で何度か決断が迫られることがある。 その一歩・最初が自分の将来についてである。 大学からは自分が好きな研究・学問を選ばなくてはならない。 この二つに限られるわけではないにしろ、自分がなりたいものについてや夢について真剣に考える四年間で、自分と向き合う期間でもある。 こういして選択の決断を迫られた時,ほぼ必ずぶちあたるのが“悩み”。 自分が何ををしたいのかが見えないこと、また,何かと何かの間あでさまよっている。 そして、自分がなりたいものがわかっていても,自信が持てないということなど,悩みは少なくとも三つに分けられる。 ここ(この作品)ではこれら三つ共が少しずつ言える。 
 だから 将来について悩んでいる時に自分が望む,未来に光が灯されるtyナン素が訪れたなら,間違いなく心踊り,チャンスをつかもうとするだろう。 夢をつかむチャンスがくることはこの上なく,幸せなことだ。 だけど、間違っても自分を見失ってはいけない、とは言え,誰だって目の前にチャンスがやってきたなら,つかみたくなるだろう。 だからトロイが胸高鳴るのも理解できる。 
 チャンスをものにし、才能を伸ばしていけることも素晴らしいこと、それは一体どういうことなのかを考えなくてはいけないことがある。 シンプルのようで難しい選択である。 何かをえるために他の何かを犠牲にしなくてはならないとしても,慎重に選ばなくてはならない。 ここでの場合、自分の未来への切符か友情かである。 今あるチャンスは友情を犠牲にしてまでつかむべきなのか、でも一番大切なのは両立ではないだろうか。 難しいことだけど友情をおろそかにすることなく、夢を追うことが理想である。
 そして、もう一つ、物語の鍵となるのが、“約束”である。 口で約束と言うのはたやすいことだ。 だけど、自分で約束をするときに安易な気持ちでいてはいけないわけで,責任ある重みのあるkとなのだということを頭に入れておく必要がある。 固い言い方だが,ここでは“約束”とはなんなのかを言っていると思う。 約束を破ってしまったら,どういうことになってしまうのか。
 自分の将来は慎重に考え、約束は守るべきものだということが、この作品のメッセージなのだろう。

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by jd69sparrow | 2008-07-19 00:00 | 映画タイトル は行

トレーニングデイ

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<イントロダクション>
 表面的に見るとバディ・ムービーだけど、実はそうではない。 一言で言うならば、“理想と現実とのギャップ”がここにある。 先輩でベテランの刑事アロンゾと新しく刑事となったジェイク。二人は正反対な人物。ここで語られているが、アロンゾはかつてはジェイクと同じ“時”があったが、今では名残りすらない。 ジェイクは真っ白なキャンバス、彼の持ち味は正義である。 ジェイクはアロンゾから多くを吸収し,キャンバスに(ジェイクとは)違う色でそれを染めようとしている。 ジェイクは善悪の中でもがき,悩む。 
 
<あらすじ>
 一日が始まる、それはジェイクにとって“最初の日”だった。 刑事となり,一歩を踏み出す… 早速現場を見つつ,刑事の仕事を学ぶことになる、その訓練のための共感で先輩がアロンゾである。 アロンゾはこの道13年のベテランで、ジェイクにはかっこよく,自分が目指す姿をアロンゾの中に見た。
 しかし、いろいろな事を教えられる中、ジェイクは疑問を抱くようになった。 アロンゾの仕事ぶりに。 それでも立派な刑事にになりたいジェイくはアロンゾから学ぼうと、そしてついて行こうと考えた。 すると、疑問は確信となり,アロンゾのやり方のおかしさが見え,それは時間を追うごとにエスカレートし,ジェイクは自らが目指していたものとの相違に悩み,葛藤する。

<感想>
 この映画を見ようと思ったきっかけはデンゼル・ワシントンである。 ここでの彼は見事な悪役で、過去の作品などを意識させることなく,この作品の一つの役柄として見ることが出来る。 アロンゾは悪党だけど、かっこよく,セクシーな魅力をはなっているのもワシントンの実力なのだろう。 すぐに動じることはない、そして底抜けな自信を持ち,強い。 顔も広く,守備範囲も広い。 仕事のやり方はどうあれ,実力は確か…というのがアロンゾである。 映画の後半で(迷いをふりきった)ジェイクとの対決の始まりを告げるとき、個人的には最高だと思った。
 一方、ジェイクに扮するイーサン・ホーク。 弱くもろいようで、強い人物を演じている。 アロンゾは自分と同じ色にジェイクを染めようともくろむ。 刑事としての明るい未来を約束することを口実に悪で汚れたところへとジェイクを導こうとする。 “相手(敵)を欺くにはまず味方から”よいう言葉があるが、ここでは(アロンゾのするところでは)、“相手を信用させるためには、うまく欺く”であって、それは全てに適用される(ジェイクにさえもこの理論が適用される)。
 共に仕事をする仲間でさえも簡単に見捨てるアロンゾ。 彼は警察であることを,また刑事(悪徳)として培ってきた経験・知識を大いに利用する。 この作品が良いのは皮肉にも他人へ向けて考えた最悪なシナリオが自らにふりかかるところである。 かつてはジェイクと同じ志を持って,刑事となったアロンゾ…ジェイクとアロンゾの違うところは違法なことを目の前にして,それに屈するかどうか、また,それを一つの手段と考えるか 間違っていることだと見るかである。  道を少しでも踏み外せば、それはどんどんエスカレートし、後戻りができなくなる。 後戻りということ,後悔の意識すら消えることだってある。
 ジェイクの正義への思いは強い。 ヘタすれば屈してしまいそうな瞬間は幾度となくあった。 それでも彼は崩れやしない。 最初はアロンゾのやり方も,ひとつの方法なのだと考えたが,違うと思うようになる。 彼がアロンゾの自分にした,“最悪こと”に気付いた時,彼は一人の刑事の顔となり,強くなる。 ジェイクのかっこ良さは“形勢逆転”である。 一見、アロンゾのの方が何枚も上手に見えるが,劣らずなのである。 刑事としての思いの強さだ。 アロンゾの数々の誘惑が自分の身にふりそそでも,彼(ジェイク)を黒に染めることはできないし、ジェイクの中の正義感がそれをさせなかった。
 一度犯し過ちはいつか自分(の身を滅ぼす)に跳ね返ってくる。 そいて、心に誓ったこと,志は強く持つことが大切だ(善も悪もかっこ良く見える)。

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by jd69sparrow | 2008-07-18 00:00 | 映画タイトル た行

花より男子(1995)

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<イントロダクション>
 ドラマ二作や映画(『花より男子F』)と旋風を巻き起こした,『花より男子』。 その10年くらい前、もう一つの『花男』があった。 1997年に公開された『花男』では新しいものとは違ったテイスト,キャストで物語が展開する。
 
<あらすじ>
 牧野つくしは英徳学園大学に新しく一年生としてやって来た。 英徳学園はお金持ちの家の生徒ばかりが通う,超がつく程のエリート校。 両親の希望で学園へ入学したつくしは,つつましい生活を送っている。 育った環境の違う人ばkらいであっても,つくしは臆することはない。 そして、“F4”の存在を知る。 F4(Flower 4)、学園をしきる,また学園中の注目の的の四人組である。 そんなF4になんの魅力を感じないつくしは、それを口にしたことでF4のリーダー道明寺司に目を付けられ、赤札を張られ,全校生徒から集団の嫌がらせを受けるようになる。
 しかし、それでもつくしは弱音一つはかない、そんなつくしに対しての道明寺の思いは変わり、また,道明寺のまっすぐさにつくしも惹かれていく。 

<感想>
 新しいドラマシリーズなどと違うのは、つくしが大学生であるということ。 80分の時間の中にドラマシリーズの一作目から二作目がまとめられている、そのためか話の流れこそ同じだが、話の一つにまとまっていることでドラマシリーズを振り返りつつ,違いを楽しめる。 
 よく、原作と映像化(特にドラマ)とでは設定やストーリー展開が変わることがあるが,そういったオリジナル・テイストも楽しい。 
 出演している役者の方々の中には今ではベテランの域に入っている人がいて,その中でも藤木直人がここでは,花沢類として出演し、『花より男子ファイナル』でも役こそ違うが再出演を果たしているのがすごいと思った(他にもつくしに内田有紀、道明寺に谷原章介、いじめっ子三人組の一人に藤原紀香という面々がいる)。
 ドラマシリーズにしてもこの作品にしても、登場人物の魅力は変わらない。 つくしの強さと道明寺の好きな相手に一筋のまっすぐな心…ただ,西門と美作の存在感や個性が見たかったという心残りはある。
 そして、あともう一つ,これに関連して言えるのがつくし、道明寺、類との三角関係。 つくしの道明寺と類へのそれぞれの思いには共感できる。 思いの種類はそれぞれ違うわけだが、中々それがうまく伝わらず,つくしの複雑な心境がこちらにもよく伝わってくる。 誤解を解く,難しさ、“本当に大切なもの”を気付かせること、また,自身もそれを見つけることの大切さ…そして何より自分の気持ちに正直になること。 ドラマと通じるところおに安心感とおもしらさを感じ、違うところにを楽しむことができる。
 これもまた観る側に託す感じの話。 痛快なラブコメディである。

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by jd69sparrow | 2008-07-17 00:00 | 映画タイトル は行

奇跡のシンフォニー

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<イントロダクション>
 この映画の作り手たちが言うように、これはおとぎ話だけど ここでの奇跡を現実に起こることを信じたくなる…そんな気持ちにさせる素敵な映画である。 しかも、その奇跡は音楽によって導かれるのだから,“音楽は神からの贈り物”という言葉の美しさが身にしみる。
 一度は失った希望を取り戻す、また 希望の光を信じ 追い求めるというのがこの作品における主軸と言っていいだろう。 離れ離れになった家族が音楽を通じて引き寄せられ,一つになっていく。

<あらすじ>
 11年間、エヴァンは一人ぼっちの生活を送っていた。 孤独にさいなまれても,施設の他の子供たちにいじめられても,彼は決してくじけることはなかった。 エヴァンには両親から授かりし,宝物である “音楽”があること,また まだ見ぬ両親との再会を強く信じ、望む心がある。 そして彼は決心する、自ら両親を探すことを。
 (一方、)11年前,ハーモニカの音色に導かれ,ルイスとライラはワシントン門が眺められる絶景,満月の夜空の下で運命的な出会いを果たす。 二人には自然の中に音楽を聴く,才能があって,音楽に長けているという共通点があった。 さらに音楽を愛する価値観も通じるものがあり,二人はお互いに恋に落ちる。 しかし、すぐに二人の仲は引き裂かれてしまう…そして、ライラの中に一つの命が宿っていて,新たな命の生を受け入れると決心するが…

<感想>
 人は自分とは違う何かを中々認められないところがある。 とは言っても、人が皆,そうであるとは100%言い切れないが。 これについては、物語の世界でも現実でも,よく取り上げられるテーマである。 現実にこういうことがあるからこそ,映画などでも取り上げれるのだろう。
 エヴァンにとって自然の音は音楽で、それは彼自身にとって特別なもので、才能だ。 彼の育った場所ではそれが認められず,変人あつかいをされる。 いじめっ子たちは表面でしか見ていないから,エヴァンの奥に光るものが何たるかを知らない。 知らないがゆえにただ変わり者としか見ることができないし、見ようとは思わない。 施設という閉ざされた空間がそうさせているというのも一部あるだろう。 しかし、差別をしていた“人(モノ)”が,実は賞賛すべき,素敵な存在だということを(カタチとして)目にしたとき,どう(何を)思うのだろうか。 変わり者ではなく,ある才能に長けた人物だと知ったとしたら…
 変わっているといって頭ごなしに変人と言ってあしらうのではなく,まずその人を知ろうという理解が必要だ。 どうしても,特別目に付くところでその人の全てを判断しがちなのである。 とは言っても、(差別をしてしまう人ばかりではないけど)ちゃんと人を見ようというのは難しいことなのかもしれない。
 自然の中に感じるのは両親から受けつぎし,エヴァンの力。 大自然の真ん中にたたずみ,耳で また,肌で音楽を感じているエヴァンの姿・映像が美しい。 エヴァンは
N.Y.という都会に来てからも,まわりの音に耳をすませる。 すると、人工的な音でさえも(音楽の)音色そのもので、いろんな音であふれる街中にいると,オーケストラ(合奏)を聴いているように感じるのだった。 この“音楽”を聴ける者とそうでない者がいるとある。二つに分けられているようだが,後者は聞こうという意識がないかもしれないし、前者は無意識に…というか自然と聞こえてくるのかもしれない。 それでも耳をすませば,音楽が(自分にも)聞こえてくるかもしれないと思わせて(信じさせて)くれる。 この物語はいろんな面で信じることを教えてくれ,信じたい気持ちにさせてくれる。
 物語の締めくくり、エヴァンたちが辿りつく“場所”は、とっても綺麗。 カタチとして「こうなりました」として見せるのではなく,最高の奇跡が今,この瞬間に起こったのだなと観る側の心の中で、物語が幕を閉じるものなのだと思った。 その先,この後を知りたいと思う、だけどはっきりと説明されずとも,わかるような気がする。 実際、そういうものであって、作り手たちが観る側に託したのだろう。 こんな素敵な奇跡が人生に一度あったらと思う。

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by jd69sparrow | 2008-07-16 18:53 | 映画タイトル か行

インディー・ジョーンズ クリスタルスカルの王国

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<イントロダクション>
 古代の遺跡物は、財産。 というのも、現代に生きる人たちが過去に文化を築き上げた証を目で見れるからだ。 そして、そこから学べることはたくさんある。 インディー・ジョーンズの冒険は遺跡に眠る財宝を巡り,争いがあって,そして遺跡に足を踏み入れることで危険と対峙するという冒険活劇。
 遺跡にもいろいろあるが、からくりがいつもどこかに潜んでいる。 インディは毎回それに巻き込まれる…それはインディの宿命と言っても過言ではない(実際、映画化の中での作り手たちのこだわりとして、彼の冒険の数々の記録を示すものがある)。
 お決まりではあるが、それがまた期待を裏切らない,おもしろさを生む。 そして、このシリーズ四作目では新たな方向に物語が向けられている。

<あらすじ>
 1950年代。無限に広がる大地を車が走っている。 インディー・ジョーンズ博士は思いもよらぬ所から…しかし、これから始まる痛快な大冒険を予感させる始まりである。
 遺跡から歴史的な意味を持つものなど,文明の数々を発掘することが,半ば生きがいなインディーは時々,学校の教授である。 彼が関わってきたことにFBIが目をつけられており、学校をしばらく離れることになった。 そして、慣れ親しんだ地を後にしようとした,その時マットという青年に呼び止められ,彼の母親がさらわれたこと、インディーの学者仲間・オックスが命を狙われていることを知らされる。 それは“クリスタルスカル”という財宝にまつわるものだった。 仲間と共に“クリスタルスカル”の持つパワーを狙うものたちと戦い,他の仲間たち(大切な人たち)を救い、さらに敵の陰謀を阻止する,インディーの冒険が始まる。

<感想>
 インディの冒険ストーリーは現在から少し離れたところにある。 だから、冒険の場面や登場人物、それに(最初のほうは)レトロな雰囲気のある映像が演出されているのだろう。 登場人物、つまりはマットなのだが,映画「ヘアスプレー」に出てくる人物たちを想像させた。
 (プレーリードックが大地から出てくる)物語の始まりは個人的に好きな場面の一つで、その後もその“始まり”を思い出させてくれる場面があっていいなぁと思う。
 前作から19年もの月日が過ぎ、ストーリーとしても時が過ぎている。 それでもインディは私たちに大胆なアクションの数々を見せてくれる。 無鉄砲…というか、出たとこ勝負(※作中参考)な彼の冒険心(好奇心)が魅力的な映画を作っていると言っても良いだろう。 考えることはあるが(謎を解く時に)行動に出るとき,つまり 敵との戦いのときや、危険から脱するときは考えるより早く前に動く。 それが吉と出るか凶と出るかインディの気にするところではなく,まず やってみるという感じ。 とはいっても、何か底知れぬ自信があるに違いない。 体を張ったアクションがあって、さらにそれは、見ていて爽快であり,どこかコメディを感じさせるものがあっておもしろい(コメディばかりでなく,はらはらドキドキな戦闘場面もあるが)。
 マットがさらに大胆なアクションを見せる。 かっこよくもあり,おもしろくもある。 インディとマット…後に二人の意外なつながりが明かされるが、その前後でのインディの態度のギャップがおもしろい。
 今度の敵は、イリーナ・スパルコ大佐という初の女性の黒幕。 冷酷でポーカーフェイスなその裏には欲深さがある。 知への欲求。 方向性が違うが,あるところまではインディと共通するものがあると思う。 そして、簡単には倒れることはなく,執着心も強いし 戦闘能力も高く,で妖麗かっこよくもある。
 ストーリー、演出、音楽、そして登場人物とあらゆる角度から楽しめる。 そして、全四作のsリーズはつながっていて,それは今回のコンセプトや映像に映る,細々とした“モノ”にもあるが、過去のシリーズに登場したマリオンの再登場(同じ役者さんで!)もその一つだ。
現在、東京ディズニーシーにある「インディ・ジョーンズ」アトラクションは今までのシリーズを凝縮したような感じである。 「クリスタルスカルの王国」もまた,そういうアトラクション的で魅力的なところが満載。 アトラクションとしてあれば最高だ。
 いかなる時も冷静で,その冷静さが面白いこともある。 力に衰えなど皆無に等しく、目の奥で光るものは実際ずっと若い。 それがインディであり,ハリソン・フォードという俳優の魅力である。

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by jd69sparrow | 2008-07-11 17:11 | 映画タイトル あ行

アフタースクール

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<イントロダクション>
 探偵が出てきて,探偵に依頼する依頼人がいて,協力者、ターゲットがいる。 探偵が出てくる以上、“謎”が存在するわけであるが、その謎の種明かしがされるのは後半…ここまでだとごく普通の構成。 物語を見せながら見る側も、答えを予測・推測していく。 その答えがわかりかけた,そのとき“トリック”にかかっていることに気づくのである。 もちろん、よっぽど注意深く見るとか,何度か見ていく中でわかるかもしれないし、各場面に謎を解くヒントが隠されていることだおる。 素直にそのままとはいかない。 後半,随所に説明(種明かし)が入ることで,やっと“物語”が見えてくる。 「あぁ、なるほど。 そうだったのか」となることがおもしろいのだ。 オープニングからエンディングを予測するのは相当の難問で、どうしたらこのような結末を考えられただろうか。

<あらすじ>
 木村は美紀と共に夫婦生活を歩んでいた。 ある日、木村が仕事へ出かけるとすぐに,美紀が産気づいた。 木村の親友・神野は木村に代わり,美紀の出産に付き添うことに。
 一方、お金がらみで悩む北沢はある人物から,人探しの依頼を受ける。 内容は失踪した木村の行方を追うことだった。 手がかりを追う北沢は、木村と親しく,また 母校(中学)の教師をする,神野だった。 北沢は神野を巻き込み,木村の捜索を始めるが…。

<コメント>
 映画を見終わる頃、振り返ってみると不思議な点があちらこちらにあったことに気づく。 そういった点の数々を自然にみえるようにする…。それがすごい。 人というのは状況から見えた事で自己判断する。 説明なくても何たるかを飲み込む。 それは“空気が読める”というふうに良い方にも働くけど,“思い込み”なことも少なからずあると思う。 いつも自分が読んだとおりとは限らない。 
 少し話は違うが、見た目だけでその人を判断してしまうことや、一つの例を見て 全体がそうであると考えてしまうこともある。 だから、いかに自分の頭の中だけで物事を処理してしまっているのかがわかる。 この作品もしかりで、“見たまんま”ではない。
 主人公は神野のようで北沢であると言っても間違えではないのではないだろうか。 一人の女性が主軸として展開する,この作品…北沢も観客(こちら)も何も知らないところから始まり,信じて疑わなかったことが覆され、裏切られる。 北沢が受けたものと似た何かが伝わってくる。 つまり、彼が思ったこであろうことが、観る側にもあるということ。 北沢という男は他人へ不信感を持ち,ひねくれているふしがあるが、彼のような人間像は、私達からして,赤の他人とは言い切れない。
 北沢が心の奥で抱くものの延長、それがエスカレートし,自己を失った者が(法を破るような)過ちを犯しているのではないだろうか。 そうでないにしても、何かに不満を覚えることも,それを誰か・何かのせいにしてしまい、自分が見えていないことは少なくないだろう。  
 簡単には解けない謎、物事のつながりなどひねりにひねられて,無理なく工夫がされたシナリオ、ユーモアだっぷりで,(ちゃんと伝えるべき)メッセージも明確にされている。 また、ストレートに伝えている。 「なるほど」の連続…物語が充実この上ない。
 北沢の依頼人、ならびにギャングを悪だとして、神野たちを善とする。 こう一言に表しても、ふたを開けると(幾重にも布が重なり,)いろんな糸が絡み合い,トリックが重なりあっている(特に“善”側)。
 この映画を表すものとして,パズルはぴったりだろう。 物語を見ているとき、全てのつじつまを合わせようものなら、細かな点を思い返す必要があり,それがパズルのピースをはめこんでいくことに等しい。
 とにもかくにも すっきりした,また おもしろい締めくくりだと思う。

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by jd69sparrow | 2008-07-09 00:50 | 映画タイトル あ行

ザ・マジックアワー

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<イントロダクション>
 映画の冒頭で語られるように“マジックアワー”とは、日が沈み,わずかの間しか見ることのできない一日のうちで最も美しいと言われる空が現れる時間を指す。 青や紫、ピンクといった色がまるで水彩画のように柔らかくて、空という無限に広がるキャンパスに色を重ねたようだ。 “自然”の芸術…。 幻想的で綺麗なその空は毎日見えるものではだろう。 日中が青空でなくてはならないのが大前提だが,それにしてもタイミングよく見れるというのは頻繁なわけではなく,ふとした瞬間 空を見上げたらそこにあるという感じ。 だから、“マジックアワー”を味わえたときというのは心癒されるというか運がいいと思う。
 なぜ、この映画の題名がついたのかと考えてみた。 それは主人公が人生初めて身を持って“マジックアワー”を味わったということなのだろう。 役者として大きな志を持ち,いつか自分の功績を自身で目にすることを夢みる無名な役者がいる。 そんな主人公が今まで歩んできた役者人生になかった夢のような“時(世界)”の中に自分がいて、それが確信へと変わる…。 こう分析してみると作品全体の雰囲気からは見えにくいかもしれないが深い。

<あらすじ> 
 守加護の街はどこか映画の世界を感じさせる不思議な場所。 街のギャングのボスの“相手”・マリに手を出してしまったクラブのオーナーである備後は助かるために,とっさにデラ富樫という殺し屋をボスに会わせるという約束をする。
 しかし 備後はデラ富樫を知らない。 そこで無名で殺し屋っぽく見える役者にデラを演じさせることで、逃げ道を確保しようと考える。 備後が呼んだのは熱血的精神を持つ役者・村田大樹。 ギャング(殺し屋)役で映画に主演できると聞き,心躍る村田はパワー全開で,嬉々としてデラを演じる。 それは、備後の思惑とは違う方向へと進んでいった。

<コメント>
 個人的に二人の人間がそれぞれ全く違う内容の話をしているのに二人の話がかみあっている状況を“アンジャッシュ”と考えている。 それはお笑いコンビ・アンジャッシュのやるコントにそういうネタがあるからだ。 現実にもあることだし、『ザ・マジックアワー』の中にもある。 そこが魅力の一つ。
 やる気満々でデラになりきる村田、それをきょとんと見つめるギャングたち。 映画の撮影にのめりこむ村田…村田自身もギャングたちも互いのことを気づかないし,村田のはりきりが意外な方向へと転がっていく。オーバーにも見える村田の行動一つ一つがギャング側と備後側とでは見え方が違う。 役者とギャングという全く世界の違う部類の者どうしの会話が“アンジャッシュ”なのが、コメディ度を上げているようにも思う。 そして、すっかり映画の撮影だと思い込んでいて、こだわりを持った熱い演技を見せ付ける村田のペースにギャングたちが乗せられているのがおもしろい。
 さらに、自分と愛するマリのために、村田を映画の撮影だと騙していて,ボスの目さえも欺こうという備後だったが,やはり限界はある。 ボスには“ビジネス”、村田には映画の撮影…その二つが少々ごっちゃになってしまい,それがまた笑いを誘う。
 とっても贅沢だと思うのが,メインキャストからカメオ出演的に作品に顔を出す人たちに至るまで,そうそうたるメンバーばかりで、中にはかかさず三谷作品へ出演をしている常連もいる。 一瞬とかほんの数分程度の出演時間なのによくぞ ここまで揃ったなというくらいすごい。 そして、さりげなく(三谷作品の)過去の作品を思い返させてくれたりもするのが嬉しい。
 この作品に限ったことではないけど、カメラには映らない場所へも決して手を抜かないとか,とにかく監督のこだわりがぎっしりという感じ。 いろんな人たちが出ていてカメラの内外に映る問わず,そこにあるものに細かな施しがなされていて,一度では隅々まで見るのは難しいだろう。 これだけの人たちが集まるのは監督が成し遂げてきた成果があるからなのだろう。 しかも、三谷監督のもとに今回集められた人たちは新境地を踏み出すこととなる(※パンフレット参照)。 だからこそ,おもしろい。
 今までの(それぞれの)役者さんのイメージを見ても驚きがあって良いし、まっさらな気持ちで見てもまたおもしろい。 映画の中で映画をとる…ライブ感あふれるノリの良いストーリーとキャラクターたち。 でも、コメディー一食ではなく,伝えることは伝えているのがいい。
 笑いに笑って、豪華に彩られた作品をじっくり味わう、そんな中に心温まるものがあるエンターテインメントである。

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by jd69sparrow | 2008-07-08 23:53 | 映画タイトル さ行

ラスベガスをぶっつぶせ

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<イントロダクション>
 アメリカ、ネバダ州に位置するギャンブルの都・ラスベガス。 砂漠になるとは とても想像できないネオンの光で宝石のように輝く場所。 エンターテインメントの街だ。 ラスベガスを舞台にした作品として(個人的に)思い浮かべられるのは「オーシャンズ」シリーズである。 ここではカジノから“宝”あらゆる道のプロ達が手を組み,手に入れようというもので ある意味で“ラスベガスをぶっつぶせ”だと思う。 「オーシャンズ」とは趣旨が違うがこの作品はまさにタイトルどおりである。 原題は「21」。ブラックジャックにちなんだ,うまいタイトルだ。 
 「ラスベガスをぶっつぶせ」には挑戦と主人公も観る側も学ぶことのできる展開となっている。前者は主人公が持つ才能の分野の限界と挑戦、後者は人を変えてしまう(恐ろしい)ものとその先に待ち受けているものについてだ。

<あらすじ>
 MITの大学に通うベンは数学においてズバ抜けた頭脳を持っている。 彼の夢はハーバードなどレベルの高い学校で自らの能力にさらに磨きをかけ、親孝行をすることである。 しかし、そのための学費がないことが彼を悩ませた。 そんな時、ミッキー・ローザ教授に目をつけられる。 ミッキーはベンが受講しているクラス(の一つ)を受け持っている。 ベンはミッキーにラスベガスへ行き,(ベンの)頭脳を活かし,ブラックジャックで富を得ようと持ちかけたのだ。 一度は拒んだベンだったが,ミッキー率いるブラックジャックのチームの一人で憧れの存在であるジルからの誘いでその一員となる。

<感想>
 信じられないほど巧に次から次へと物事が進み、チームワークによるテクニックが光る。 話だけ聞いたらこれほど出来すぎた話はないと疑いたくなるかもしれない。 だけどこの話にはもととなった事実があるのだ! そう考えると 人の想像を超えることが世の中には数多くあるのだと改めて思い知らされる。 どこかのカジノでこうした目には見えないもの(テクニック)動いているのだろう。
 (個人的には)雲の上の領域だが、主人公の感情はダイレクトに伝わってくる。 例えば、(主人公の感じる緊迫感はまるで見ているこちらの身に起こっているかのよう。“人は痛い目にあって初めて自らの失敗や過ちに気付く”、また 人は自分自身の変化に対して鈍感である。
 物語は様々なカタチで人を楽しませてくれる。 ストーリーの濃さ,(全体の)内容の充実さ、ビジュアル面…などなどいろいろある魅力の中でもクセ者的なのが,あっと驚かせ,ある意味で観る側を欺くようなラスト(結末)へのくだり。 「ラスベガス~」はそれである。 最初から最後まで隅々まで,目を光らせ 話を把握できて始めてわかるものもあるだろうし、それでもわからないものもあるかもしれない。 いずれにせよ、おもしろいことには変わりはない。 結末を目にした上で,ストーリーをフラッシュバックするとまた,おもしろいし次に見たとき、違うおもしろさが味わえる…かもしれない。 すっきりおさまっていて,めでたしめでたしという感じ。
 映画の始めから終わりに至るまできっと各章ごとに主人公の顔が違う。 少なくとも四段階に分けられると思う(マジメで意志が強いだけに見えたのが、そのことへのふんべつを心得た上で余裕の笑顔へと変わる)。 そして、それが画面いっぱいに大胆かつ目まぐるしく,繰り広げられる“ブラックジャック”(というプレーヤーとディーラーとの駆け引き)に次ぐ,見所の一つと言えるだろう。

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by jd69sparrow | 2008-07-04 12:28 | 映画タイトル ら行