ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝

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<イントロダクション>
 ミイラと言えば、全身に包帯を巻きつけているイメージを持っていたが,『ハムナプトラ』に出てくるのは違う。 生前のまま,何も施されることなく ミイラ化しており,復活したときは目だけが何千という年月変わらず,生き続けているという感じ。 前二作で登場したイムホテップも今回登場する皇帝も,悪行や野望を抱き、呪いをかけられ 怒りの中,封印される。 だから、復活したときの目も同じ。 
 実際の世の中にもミイラが存在し、古代エジプトの王族に関わる人々のミイラや,西洋の国でも生前の姿をほとんどそのまま状態で維持されているミイラが残されている。 ミイラ化された人が大切に残されているというのは、エジプトだけに限定されているわけではなく,世界各地にミイラ化される目的は違えど,存在するのかもしれない。

 舞台がエジプトから中国へと移り,前作から月日も流れている。 テイストの違う新しい『ハムナプトラ』が誕生。 冒険とスリルが根っから大好きなオコーネル一家の新たなるミイラとの戦いと冒険が今,戻ってくる!

<あらすじ>
 時は“万里の長城”が建てられた,数千年前に遡る。 野望に燃え,行く手を阻む者や自らの配下の力尽きた人々を容赦なく師へ追いやった皇帝がいた。 そして皇帝はさらなる野望を持った。 それは永遠の命,不老不死。 皇帝が望む道は,人の一生では,限界がある。 力を広め続けるためにそれが必要だったのだ。 そのために呼ばれたのが妖術師のツイ・ユアン。 不老不死の手がかりがある場所へと,彼女は皇帝の右腕ミン将軍を護衛に旅立つ。 その旅で二人は互いを思うようになり、それを知った皇帝は二人に残酷な仕打ちをする。 ツイ・ユアンの妖術で不老不死を手に入れたと満足げの皇帝だったが、自らに罰を下ったことを知らなかった。 ツイ・ユアンが皇帝に与えたのは不老不死ではなく“呪い”だった。 皇帝とその軍は陶器のミイラとなる…
 それから数千の時が過ぎ,リックとエヴリンのオコーネル夫妻は冒険のない日々に退屈していた。 一方、二人の息子で大人になったアレックスは大学を密かに辞め,中国で葉kkジュjつに燃えていた。 それを利用した者たちにより、ミイラと化し,長年の眠りについていた皇帝を目覚めさせてしまう。

<感想>  ※ネタバレ注意※
 リックとエヴリンは、ミイラをめぐる冒険から引退をする…。 リックは釣り,エヴリンは小説家という平穏な日々。 リックは引退をして銃だけは離せないし、少年のような精神がある。そんな光景を見ると,大人しくいるより、再び動き出したいとどこかで無意識に願望しているように思う。
 エヴリンは冒険から足を洗ったことを確認するところから、引退したと言うものの,本当は冒険したくてもたまらない夫に断固反対をしているように見える。 好奇心旺盛で、危険な目にあいかねない相手を心配し,彼女が必死で相手をとめようとするという構図はよく見るけどそうではない。 エヴリンはリックと同じくらい冒険が大好きで、彼らの旅が始まるというところで あっさりと
またもやミイラに関わる仕事の依頼にオーケーしてしまうところは、良い意味で裏切られたと同時におもしろい。
 そんな冒険好きの二人の子供であるアレックスは,もちろん二人の血をしっかりと受け継いでいる。 両親と同じように普通に毎日を過ごすのは退屈。 大学へ通い,マジメに学生生活を送るよりも、古代の遺跡や墓地から新しい発見する方が,自分の人生だと考えているのだろう。
 ミイラとの縁?が切れない,オコーネル一家(とエヴリンの兄ジョナサン)。今度は今までとは違う,ミイラに遭遇する。 動きも軽快で武術に長けている。そして、変身能力や自然を武器にし,自らも魔法を使える。 陶器に包まれた顔の下には,もう一つの顔がある。 それは前二作に出てきたイムホテップと同じで生身の体が長い年月を経て,朽ちたもの。 陶器の顔と入れ替えに出てくる。 攻撃を受けた時や怒りが頂点に達した時,“本当の顔”(朽ちた顔)があらわになるという感じである。 つまりは、陶器の顔がアーマー的役割を果たしているようである。 
 リック役のブレイダン・フレイザー、ジョナサン役のジョン・ハナを除く,登場人物たちを演じるのは新しい顔ぶれだ。 さらに舞台も大きく変わり、監督も変わったこともからだいぶテイストは変わったもの、前二作の特徴や良さは活かされている。
 オコーネル一家の誰かがミイラ復活のきっかけをつくってしまうところ、最強のミイラと彼らとの戦いを左右するアイテム(宝)、コメディセンスなどなど。 新しさの中に前作のよさがある。
 今回、ミイラ以下に出てくる強力な存在がある、イエティである。 頼もしい味方として。鋭く目を光らせ,敵を殴り飛ばすというパワーを持っているが,仲間に対しての情があって 可愛らしくもある。 イエティとジョナサンとの場面がちょっとおもしろい。 ジョナサンの行動から彼が(イエティから見て)敵の手下にも見えかねないという,どうなるかわからない絶妙な場面である。
 シリーズ第一作目だっただろうか。 イムホテップとその手下に対抗すべく,リックたちは彼らに立ち向かえる軍隊を復活させるというくだりがあった。 今度は。皇帝に無惨にも切り捨てられ,皇帝への恨みをもって無念の死をとげた,者たちの復讐というのが これまでと一味違うものを生み出した。 “復讐”と言うと、聞こえが悪いが彼らが皇帝から受けた仕打ちや、無念をはらすべく,戦うというのが良い。 だから、彼らが“今,立ち上がる”という始まりの場面は、これから始まる戦いに期待がわいてくる。
 ここで良い意味でお決まり?なのが、味方となる軍勢がまず,リックたちに刃を向けるというところ。 リックたちは英語だから彼らに対して言葉が通じないわけだが、“ツイ・ユアン”の一言で軍勢はまわれ右して、瞬時にリックたちの仲間となるのが不思議でおもしろい。 味方軍の中に今回は先頭に立つ者がいて、それがしかも,物語の鍵を握る人物であるというのがまたイイ。
 その一言ですぐ味方になるのかとか疑問に思わなくもないが、味方軍のリーダーとツイ・ユアンとの関係が“ツイ・ユアン”の一言(それとも気持ち・誠意も伝わったのか)で味方となることに対して観る側を納得させているのだろう。 
 でも、皇帝に立ち向かった反皇帝軍が歓喜の声をあげるというのは、爽快。 そして彼らの最期は美しい。 皇帝のように目だけが生きていて,それ以外の部分は朽ちているという見かけはグロテスクな彼ら(…と言うより,反皇帝軍の将軍)のその様は、不思議な感じもしたが,長い長い年月を経て、やっと(彼らが)報われ,見てるこちらも喜びの声をあげたくなる。 
 一番の見所は親子の絆を一つ,テーマとして描かれていているだけに,最後の戦いの場面、リックとアレックスが皇帝へ立ち向かうところこそ,そのテーマを決定付けているし、見ごたえあり、だ。
 『ハムナプトラ』第三作目である,『呪われた皇帝の秘宝』は、スリリングな冒険、迫力ある映像、そして敵のパワーもが魅力的である。

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by jd69sparrow | 2008-08-20 18:23 | 映画タイトル は行

THE DARK KNIGHT‏

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<イントロダクション>
 少年時代から長きに渡り、恐れてきたものと向き合う,恐怖を乗り越え,自らがその“恐怖”となり、悪にもそれを植え付け 戦うという,バットマン誕生のきっかけがまず深い。バットマンは超人ではない。もちろん、協力者はいるが 特殊なパワーなくして、己の拳で相手に立ち向かう,さらにこの『ダークナイト』は『ビギンズ』よりも内容が現実的だ。
 『バットマン』は、ヒーローものでない…と言うよりも一言にこうだとは言えない。ただ、一つそれらと共通するのは、“誕生”から始まり、街の平和と人々の安全を守るものとして、直面する,自分がどうあるべきか、ヒーローとは何かという問題である。 “平和”をもたらすたもに,様々な犠牲や苦悩の日々が強いられるのだ。
 “The Dark Knight(ダークナイト)”というタイトルにも深い意味がこめられている。それは、物語の中で問われることへの答えと結論と言えよう。
 人々の苦しみや混乱、そして彼らが破滅していくのを楽しみとし、他人の命を軽々となんのためらいもなく,葬る…さらには何に対しても恐怖を感じず,そもそも彼の中に“恐怖”というものが存在するかどうかもわからない。その顔からは、人を恐怖や悪に陥れる時の興奮や、何かと自分にとっておもしろい事を思いついた時などに見せる不気味な笑顔以外は表情や感情を読み取れない。狂気の塊でズル賢い…それは、裏を返せば、物凄い頭脳を持っていると言える。単なる愉快犯ではなく、知能犯でもある…それが史上最狂(強)の敵・“JOKER(ジョーカー)”だ。

<あらすじ>
 大企業のトップ,ブルース・ウェインはバットマンとして,影となり,悪にまみれ 暗い霧に覆われた街、ゴッサムを希望たる平和な世界にしようと心に誓った。しかし容易ではなかった。警察の中でさえも,悪の組織とつながる者がいたりと,“正義”に生き,犯罪者と戦う 信頼のおける人物は少ない。ブルースは、自分を育ててくれた執事・アルフレッド、かつての恋人で勇気ある検事補・レイチェル、ブルースの持つ会社の社長となり,バットマンを支援し,戦うためのものを提供してくれるフォックス、警察の中でも数少ない,善なる刑事・ゴードン、そして新しくゴッサムへ検事としてやってきた正義感あるハービー・デントと共にジョーカーを始めとする,悪と戦った。悪を裁き,街の平和を取り戻すために。

<感想>
 物語はダークな雰囲気を漂わせながら、激しく展開し 動く。ジョーカーという強敵を目の前に苦戦するバットマン。 ジョーカーは,悪党の中でもズバ抜けた頭脳の持ち主かつ残忍だ。孤高とも言えるが、ゴッサム・シティのマフィアのボスや裏世界のトップクラスにも屈することなく,むしろ彼等を簡単に動かし,さらに先の先、裏の裏をかいてくる。誰一人として彼の素性を知る者はおらず,過去の痕跡ん残さない完璧さ…
 ジョーカーを動かしているのは、混乱を起こすことの喜びだ。他の犯罪者たちとは、見ている先が違うのだ。だからこそ、弱点など一切ない。もしあるとしたら、不死身ではないということのみ。
 ルールをもたないジョーカーに法による罰は無意味。そして、簡単に捕まえることはできない。ジョーカーは、、犯罪を犯していくことをゲームとして楽しむ。神出鬼没。冒頭の言葉が甦ってくる…“こちらが何か行動を起こせば、倍にして返される”というような。
 バットマンやゴードンたちが彼を追いかけ、どんなに敵への攻撃や罠を仕掛けても,敵はその先をいっており、苦労の末導いた策も読まれている。むしろ、こちらの行動もジョーカーの計画内にあったりもする。ジョーカーは、バットマンを見抜いている…人を見抜き,それを利用するのだ。だから、ことの成り行きの真相が明かされたとき、驚かされる。バットマンが人の命を奪えないことも,正義でもって,世の中の悪に立ち向かっていることも知っている。ジョーカーはその正反対。死こそ恐れていないが、バットマンの手で自分が死ぬことはないこともわかっている。悪は悪でしか倒すことはできないのか。
 ジョーカーに先を読まれ、手玉にとるように動かされる。そして、ブルースは追い込まれるところまで追い込まれ、衝撃的すぎる現実を目の当たりにするはめとなる。もう一人の主人公こそジョーカーである。
 ジョーカーはまるで蛇のよう。パワーはない、だが頭脳はある。言葉においても,事の運びにも。狂気に満ちあふれていて、不気味でもあるが,それが彼の魅力と言えるだろう。ジョーカーは、自分に向けられた矛先ん違う方向へ変えることができる。
 先に述べたが、ここには現実的な面がいくつもある。ゴッサム程ではないかもしれないが、現実にも同じようなことが起こっているだろうし、人はどんなに善人であっても,憎しみにより,悪党になりさがってしまうし、復讐鬼と化してしまう,そして 人々に平和をもたらすには辛い現実に向き合わなければならないということなど。
  超人的ヒーローとは違い、バットマンには戦いの跡が目に見える。そんな姿を見て,これこそ英雄なのではと思う。バットマンは、あくまで平和をもたらすのが目的で、人々に愛されることが目的ではない。人から恨まれても,それで平和が街に戻るなら構わないと考える。ブルースとして,レイチェルへの思いがあっても、彼女の幸せのためならその気持ちをも封印する。
 そうして、自らを犠牲にしていくことも,人々にを守るために戦っても人々からはジョーカーの犯行をバットマンが引き金だと言われ、恨まれるというのはどんなに辛い事だろう。バットマンには過酷な仕打ちが多すぎる。これも守護者としての責任なのだろうか。バットマン…悲しく切ない運命を背負った騎士である。
 ジョーカーの強烈な印象が残される一方で、バージョンアップして、進化したバットマンスーツ、新たに活躍するバットマンの武器やマシーン、前回とは違う戦闘スタイルなど、“ダーク”な中にもエキサイティングな要素がたくさんある。本当のコウモリのごとく,空を駆け抜けるのだ。
 ジョーカーに対抗するための対抗策もクールで信頼関係あっての作戦もかっこいい。予想外の大胆な行動とそれがもたらした事を見ても,そうだが、ブルース・ウェインとしても とてもかっこいい主人公(スーツを身にまとい,長い銃を手に行動へ出るところなど)。普段は、お金や時間を持て余す,プレイボーイぶりだけど、そんなときでも目は優しさと悲しさがあって、その目でレイチェルを見ている(実際、そうかもしれない)。お互いが思いあっているのに、永遠につながりそうにない二人の運命が悲しい。
 この作品のタイトルの意味が語られるくだりは とても斬新。ジョーカーが次々と仕掛けてくるトラップとバットマンたちの反撃が見事に入り組んだ中身の濃さ、深さ、ダークさ、クールさなど色々な味が味わえる最高にドラマティックなエンターテインメントである。

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by jd69sparrow | 2008-08-16 00:00 | 映画タイトル た行

べオウルフ

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<あらすじ>
  6世紀のデンマーク。呪われた王国があった。長い年月、魔物に脅かされているのだ。呪いから解放されるには魔物に対抗できる英雄が必要だった。そんな時、異国からやって来たのがベオウルフ率いる部隊だった。ベオウルフは海の魔物を倒した武勇伝の持ち主で王の期待も大きかった。 敵は巨体で人間をいとも簡単に吹き飛ばしてしまうパワーの持ち主。その戦いの後、前王から王位を受け継ぐが、そこにいたるまでには裏があった。その鍵を握るのが、魔物の母親である。彼女は男を惑わす程の美貌に輝き、その魔力も絶大。ベオウルフは国を守ることができるだろうか…

<感想>
 実写に限りなく近いフルCG映像。CGだからこそ,なしえるキャラクターの柔軟性は、実写に近い映像だからこその迫力もある。魔物は数種類登場し、きめ細かい。
 魔物と言うと、人ではない 強力なパワーを持つ存在でもあるけれど、“魔物”は呼び名で一つのくくり。だから、人であっても“魔物”になりうる。 それは内面的なもの。 ある人物がベオウルフを“魔物”と呼ぶが、不自然ではなかった(前後の状況から考えて)。 魔力はどこにでもあるように思う。人が人を惑わせば、それも魔力。宝石など人を魅了する力もまたしかり。金色の魔物は確かに様々な方法で男を誘惑する。 その間にできた子供により、無責任な父親に災厄がもたらされる。人々の命を奪う魔物が悪とされがちだけど、実は100%そう言い切れるものではない。人々の死は、罪を犯した者によってもたらされても同じである。 そうして、王は自分のした罪の重さにようやく気付く。
 王国に呪いとして、魔物が襲ってくるのにも背景がある。それは、他の映画作品などでも語られる,人により滅ぼされた,人ではない生き物たちについて。自分たちと違うものを差別し、災いをもたらすと決め付ける,そして“その存在を”消滅させる。目の前の恐怖をぬぐいさる…。 人の偏ったものの見方が,後で困難として帰ってくる。英雄というものは簡単になれるものではない。前(『100BC』)にも触れたが、(全部に言えることではないが)主人公として登場する戦士は、始めは真の英雄ではない。数々の試練や失敗を経てこそだ。人は栄誉のために話を大きくしたり、事実を多少都合のいい形にしてしまうことがある。 人々から早く認められるために。『ベオウルフ』では、確かに前半での戦いで(主人公に)勇ましさがあるけれど、それ以上に最後の戦いに挑むさまが遥かにかっこよく、英雄の名にふさわしいものがある。
 過ちも犯すけれど、ベオウルフはもとより英雄の器を持っていたと思う。ただ、それが揺らぐことなく光り続けているが問題だったのだ。後半、ベオウルは過去の間違いを正し、罪を償うために命を捨てる覚悟で“過ち”と向き合い、戦う姿は英雄の器が真に輝いていたと言える。時には人と人との争い・戦いの意味を考え、人間らしい優しさを持っている。さらに印象的なのは前半での魔物との戦い。“相手とフェアに戦う”ということ。鎧や武器を持たない相手とフェアになるのにベオウルフは自分の身を守る道具を捨て、己の力だけで戦うという覚悟が心につよく残ったのである(ベオウルフの最期は、戦士としての名誉ある死と言える。)ラストは意味の深い、ちょっと謎の残る 濃い締めくくり。

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by jd69sparrow | 2008-08-15 22:03 | 映画タイトル は行

ドミノ

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<イントロダクション>
 ドミノ・ヘーウ゛ァー 、実在した賞金稼ぎである。人とは違う人生の刺激を生涯求め続けた。 平凡に おとなしく生きることや女性らしく生きることを嫌った。 お金持ちの家庭で育った彼女が選んだ危険な道。 そんなドミノの生涯の一部がここにある。

<あらすじ>
ドミノは両親共に有名で裕福な生活ん送っていたが、決して着飾ることなく幼い頃から反発的だった。 学校生活を送っても彼女に合う場所は中々なかった。
そんなある日、新聞の広告に目がとまる。それは賞金稼ぎの求人だった。その広告を見た瞬間、ドミノは動きだしていた、 広告主のセミナー会場へと。
そこでドミノはエドとチョコに出会う。彼らは二人で組んでる賞金稼ぎ。ドミノは二人の仲間に入る。ドミノが加わり、クールな賞金稼ぎとなった三人。その世界とは無縁だったドミノだが、天性の才能のごとく、仕事を(覚え)こなしていく。

<感想>
 ドミノはどこまでもタフで弱味など見せなかった。自分の弱さを出せば、それが命とりになると彼女は確信していたに違いない。 そして子供時代から賞金稼ぎとしての素質があったのかもしれない。何不自由なく暮らしてきたこと、自分が女であること、まだ子供であることを捨て そのレッテルをはらせまいとしている。現に彼女はそこを越えていたと思う。死への恐怖など感じさせない、立ちはだかる敵に挑むような目がクーリだ。賞金稼ぎ…犯罪者を逮捕するための協力をし、その報酬を得る人たち。ドミノのボスであるエドは、父親的存在で、チョコもまるで兄弟(兄)のよう。2人は彼女よりこの世界を長く歩んできた、しかしドミノはそんな2人に溶けけみ、彼らに劣らぬ実力をつけてゆき、足を引っ張ることなどなかった。
 2人は彼女よりこの世界を長く歩んできた、しかしドミノはそんな2人に溶けけみ、彼らに劣らぬ実力をつけてゆき、足を引っ張ることなどなかった。賞金稼ぎである彼らには雇い主がいる。確かな才能を発揮するドミノたちに次々に仕事が舞い込む。三人は雇い主からの情報をもとに動く。一見、単純にも見える構図だが複雑な状況がからみ合い、雇い主が仕事ん依頼するのにも裏(狙い)があると言っていいだろう。ドミノはそこに敏感で鋭かった。 エドやチョコもそういう事情を決して知らなかったわけではないだろうが、もしかしたら、ドミノはそれ以上かもしれない。映画の中でドミノはコインをトスして“表なら生、裏なら死”という運命だと信じており、それがポリシーだと語られている。それはドミノから見た世界が描かれる,この作品のテーマだと思う。 彼女はずっとそれを自分に問いかけ結論を出す。
 彼女はずっとそれを自分に問いかけ結論を出す。生死を分けるコイントスは、彼女の人生の中で、幾度となく投げられたコインは宙に毎続け、3(4)人で戦った日々が終わる頃、ドミノの手に戻り、落ちてきたのかもしれない。 しつこいようだが、こうも言える。生を受けた瞬間からコイントスは始まっていると。でも、結論的にコインがどちらを見せるかは、決まっていて(最終的に),コインが答えを出してくれるまでの時間が人それぞれ違うということなのだろう。 ドミノの生涯は、(そう簡単に)真似できるものではない、例えどんな形であれ、人生に強い刺激を求め,自分らしく生きた,その生きざまはかっこいい。窮地に立たされても一瞬も隙を見せず、自分を貫きとおす、また 自分の生き方や今までに悔いたりせずに、むしろ満足感を得ているというのがすごい。自分の生き方に自信を持つのは敬うべきことだろう。だから、普通に生きることはドミノにとって窮屈。自ら積極的に刺激も求めることの魅力がここにある。

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by jd69sparrow | 2008-08-13 14:11 | 映画タイトル た行

恋空

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<イントロダクション>
 人生の中にあるかけがえのない大切な時間、最高に幸せなひとときがある。 その先に残された時間の長さが人それぞれ違うけれど、でも,その“時”の価値や人にもたらす温かさは変わらない。 生きていれば,出会いがたくさんあり,時も流れていく。 とは言え、心の中にある引き出しの中にちゃんとおさめられている。
 思い出は形に残らなくても、生き続けるもの。 そして,それが癒しや元気を人々に送るのだ。

<あらすじ>
 主人公ミカの初恋は高校時代。 自身が気づかぬ間に恋が始まっていた。 一度なくした携帯電話、探しに探した挙句,図書室の本と本の間に“置かれていた”。 誰かが拾ってくれたのだ。 その誰かからなんと連絡が来た。 名前を名のならない相手を始めは不信に思っていたミカだったが、電話の向こう側にいる人が何度も話しているうちに優しい刺激を与えてくれる人だと感じるようになる。
 夏休みが終わる頃,ミカの誕生日の日、会う約束をした二人。 ミカの前に現れたのは彼女の想像とは離れた人物だった。 金髪の少し派手めなその人は とっつきくく見えた。 その人物はヒロだった。 ミカの友人が好きな人の友達である。 信じられずにいたミカだったが、ヒロの優しさを目にして,電話の相手だとわかる。 そして,そこから二人の恋が始まる。

<感想>
ある一人の嫉妬心からミカとヒロに辛い現実をつきつけられたり,苦難が強いられる。 それでも二人の絆は強かった。 恋愛には時に,高い壁が立ちはだかる。 そして試練が待ち受けている。 どんなに壁が高くてもヒロはミカを支え,自身も乗り越えていった。 ミカは柔らかな想いで、ヒロは熱く,どこまでもミカ思いだった。 時に不器用なヒロ、冷ややかに見えるときもあった、でもその裏には人を思う心がある。 一度はヒロからミカという存在が消えたように思えたが,実はその反対で,ミカがヒロという存在を消せず,彼を思う心を持ち続けたように、ヒロも本当はミカと同じ気持ちだったとわかる瞬間、どんなに温かいことだろう。
 ミカが歩くより速く,どんどん先へと突き進んだのには深い意味があったのだ。
 顔を知らなかった,電話を通しての出会い。 いつもヒロの言葉や行動はミカを笑顔にさせ、(ヒロのミカへの)相手の思いがまっすぐで(ミカがひどい目にあった時,)全力で、必死で“守り”,戦った。 また、一度距離をおいたときも毎年の約束を忘れず,ミカに対する気持ちも形に残していた。 そして、ヒロはミカのために涙する人間味の深いところがあった。 そのヒロの優しさと思いの強さはミカにとって大きかったのだろう。
 どんなに優しく,穏やかな人が現れても,ヒロのミカへの気持ちに勝るものはない。
 年月が過ぎ,障害を目の当たりにし,長い道のりを歩んで、ミカとヒロは互いの存在の大切さやありがたさが確かなものだとわかる。 だから、二人に待ち受けていた現実はあまりにも残酷だった。
 その悲しい運命が訪れようとしているとき、“離れていた時間を取り戻すかのように”と劇中にもあるように、(その)先には辛い現実が待っていたとしても,楽しい“今”を生き,ヒロに守られ,支えられてきたミカはヒロの支えとなって,時を過ごす。 とても温かい、そしてお互いが本当の意味で素直となり,素の自分を出す(ヒロが弱みを初めてミカに見せるとき,ぐっとくる)。
 ヒロは最後までミカを笑顔にさせ,ミカはそれに答え、思いを伝える。 そして,そのときがきて,時が過ぎる。 いろいろなことがあった二人…ヒロはミカに確かに,温かさをくれ,“空”となり,見守り続けているだろう。

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by jd69sparrow | 2008-08-11 23:46 | 映画タイトル か行

ショーシャンクの空に

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<イントロダクション>
 刑務所を舞台とする映画に穏やかさを感じるものは、そうそうないはずだ。 とは言え、厳しい現実もある。 物語はそこから始まる。 主人公は忍耐強く,冷静,そしてショーシャンク刑務所の誰よりも頭がよく,いろいろな才能に長けている。 そんな彼の刑務所での日々と“希望”がここでは描かれている。

<あらすじ>
 アンディは殺人の疑いで裁判にかけられる。 アンディは無実を訴えるが、彼にとってあまりにも好都合な状況が逆に彼うぃ不利に追いやった。 終身刑を言い渡される。 アンディはショーシャンク刑務所に入れられる。 はじめて牢獄へやって来た者には悪夢が待っている。 しかし、そんな中でもアンディは物静かで,落ち着いていた。 アンディは他の囚人にはない,特別なものがあった。 周りから見れば変わり者。 アンディは暗闇に包まれた牢獄を少しずつ変えようとしていたのだろうか。 その一方でアンディは希望も正気も失うことなく,前を見ていた。 
 
<感想>
 主人公は外から閉ざされた空間,全ての自由が看守たちの手中にある刑務所へその足を踏み入れる…他の囚人からの“洗礼”を受け,さらに苦痛を浴びせられても自分を見失ったり,屈することなく,心の芯が強い。
 終身刑となり、無限にある時間、頭がおかしくなりそうな自らの将来を救ったのは、彼の一つの才能だ。 アンディには元・銀行マンとしての経理の力がある。 また、知に長けている。 マジメで控えめ、しかし彼がショーシャンクに与える影響は大きかった。 昼間は労働、夜は狭く,暗い檻の張られた空間となれば、刺激も少なく,途方もない。 退屈で安らぎなど存在しない牢獄の環境のもとにいる人々に温かな風や希望を贈る…それはアンディ自身のためでもあるのだろう。 
 一度悪とみなされたことを覆すのは難しい。 また、真実が明らかにされることも,ときに時間を要する。 これはとても現実的である。 そう考えると、数十年たった後に真実が置き去りにされ(忘れられ),数十年たった後に濡れ衣だと知らされたとなると、なんて酷い運命だったのだろう。 十年以上にもわたる年月が無にされ,捨てられたことになる。 何故,こんなにも時間がかかったのか、どうして無実の人間がこのような仕打ち受けなければならなかったのだろうか。
 アンディは刑務所に入る前から、ずっと無実であると主張し続けてきた。 何があっても主張を曲げなかった。 ショーシャンクの囚人のほとんどが「無実の罪で捕まった」と口をそろえるが、アンディが言うのとは違うのは、確かで アンディの主張だけは真実味が感じられる。 観る側としては、彼の人間性などを見て,アンディは嘘を言ってないと信じたいし、そうだろうと考える。 だけど、それはカタチなきものだった。 そのうちにアンディが疑われた事件の真相が浮上する頃,水の泡となり、確信へと変わる。 でも、物語の焦点はそこではなかった。 もちろん、アンディが真実を知ったとき,自らが今まで受けてきたことに憤りを感じなかったわけではなかったが、アンディの中にあったのは希望を叶えることだった。
 だから、この話では事件の真相がどうだったかというのは、物語の空気で読み取るものなのだ。
 アンディが目指した希望への道は長く,彼は険しい道などいろいろな場所を潜り抜けていくが、真の髄では人を思う、善良的な人間である。 それは、彼の行動一つ一つが物語っている。どうして、見返りなど考えずに、そんな行動に出たのだろうか。 それは(劇中に語られるが)ある意味でアンディの妻を死なせた事への罪滅ぼしなのか…それとも彼の人間性なるものなのか。 それは、アンディの言葉にあるように、後者と言ってもいいかもしれない。
 アンディが希望へのプランに時間をかけたのは希望をつかむには、焦らず,地道に努力することが大切というメッセージが受け取れる。 もう一ついえるなら、レッドやブルックスといった獄中での友のように、獄中に自分の居場所を見つけたのかもしれない…。 いずれにせよ、ろうごくで日々を過ごしていく中で、目指す道が見えたのは確かだろう。
 そして、アンディに待ち受けているものは、広き青い海のごとしだ。

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by jd69sparrow | 2008-08-07 03:06 | 映画タイトル さ行

カンフーパンダ

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<イントロダクション>
 カンフーアクションが取り入れられた映画はたくさんある。 ブルース・リーやジャッキー・チェンが出演した名作から『カンフーハッスル』などなど。 アニメーションで本格的に取り入れられるのは、ないかもしれない(あったとしても、そう多くないはず)。 しかも、カンフーをするのは動物たち。
 アニメーションといえば、世代を問わず楽しめるもの。 こうして、CGアニメで(しかも愛らしいキャラクターたちがカンフーをする)取り入れられることにより、往年のカンフースターを知らない世代や子供に至るまでカンフーに親しみを持てることだろう。

<あらすじ>
 平和の谷で父親と二人でラーメン店を切り盛りするパンダのポー。 ポーはカンフー好きでマスター5(ファイブ)と呼ばれる,カンフーの達人たちに強い憧れを持っている。 彼らのようになりたいという夢はあるものの,カンフーを実際にはできなかった。
 平和の谷の目の前にそびえたつ翡翠城(ひすいじょう)には、ウーグウェイ導師、シーフー老師、そしてマスター5がいる。 マスター5の師はシーフー老師で、ウーグウェイ導師はシーフー老師の師。 その彼らでさえ,苦戦する存在がある。 それは監獄に服役中のタイ・ランである。 ある日、タイ・ランが平和の谷へやってくるというお告げがあり、平和の谷を守るため,タイ・ランに対抗できる“龍の戦士”を選ばなくてはならなくなった。 龍の戦士に選ばれたのはなんと、ポーだった。 ウーグウェイ導師を除く,誰もがその事実を疑った。 カンフーもできず,体だけが大きいパンダのポーに。 やがて、龍の戦士として、タイ・ランと戦えるほどの強さをつける,ポーの修行が始まった。

<感想>
 マスター5のトラ、サル、ヘビ、ツル、カマキリ,それぞれのアクションもかっこいいけれど、(偏見かもしれないが)カンフーだとか戦うことが中々想像しにくいパンダが龍の戦士を目指すべく,様々な修行を積んで成長していくのはのは見ごたえがある。 それ以前に、“パンダがカンフーの達人に”というのがおもしろいと思った、 
 まわりから信じてもらえず,自分さえも自分を信じられないとかいろんな困難に直面するけど,精神から少しずつ変わっていく、その様子がはっきりと映し出されている。 他の者たちとは違う方法でたくましく成長するポー。 ラストは始めでは想像できない,ポーの姿が見れる。 パンダというか、ポー自身が持つ愛らしさを見せつつ,かっこ良さもある。 
 ポーはその表情豊かさ、キャラクター性もさることながら、ポー独自の戦法もかっこ良さとユニークさがある。 ユーモアを多く持ちながらも,純粋な面もあって,悩むときもある。 そうして人間性を出すことで,ただおもしろいだけのキャラクターではなく,深みのあるキャラクターになるだろうと思う。
 様々なカンフーアクションを楽しみ、隅々までに施された演出のすごさに魅了され,ところどころにあるユーモア(コメディ)に笑い、そして最後にメッセージを受け取る…そんな作品だ。
 今回は過去の名作のパロディ…というよりも名作の数々の良さをくみとり,うまく応用して活かしているということを知り,一つのアニメーションを作るのにもこれほどのリサーチがあるんだなぁと思った(※プログラム参照)。 そういう過程があって、この深みのある作品があるというわけで…すごい!

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by jd69sparrow | 2008-08-06 00:17 | 映画タイトル か行

崖の上のポニョ

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<イントロダクション>
 明るくゆったりした世界は、私たちに元気を与えてくれる。 作り手たちの温かなメッセージがこの素敵な世界観を作り,優しく,やんわりと伝えるから心にしみる。 『となりのトトロ』のような穏やかさである。 また、主人公の歩ニョはメイを連想させた。 海にはない(陸の)モノに触れたときの目の輝き・楽しいことへの喜び、そして感情表現…。 純粋で明るい女の子(ポニョ)は、物語に活力を与えている。
 画面の隅々まで、CGに頼らず手書きという手作り感のこだわりは、すごい。 アニメーション(映画)はじっくり人の手で作るものなのだと思う。

<あらすじ>
 深い海で、妹たちや父・フジモトと暮らすポニョ。 父親により縛られた狭い空間…ポニョは家出を決意する。 クラゲに乗ってポニョが向かったのは、人間の住む陸の世界だった。 陸の見える場所にたどり着く頃,海中にあったビンにはまり,自力では抜け出せずにいるところをソウスケに助けられた。 “ポニョ”という名前はソウスケに名づけられる。 一人と一匹はすぐに互いを好きになる。 まもなくして、フジモトにポニョを連れ戻されるが、ソウスケが大好きなポニョは人間になりたいと願い,人の姿となり,陸の世界へと向かう。 その後に待ち受けているものも知らずに…。

<感想>
 生物でないものをまるで生きているように描く宮崎はやお監督作品では、過去の作品でも“それ”があるように思う。 色濃く,立体的に見える。 そして今回は海。 海は穏やかでもあるが恐ろしくもある。 その恐ろしさとは人をのみこむような荒々しさ。 そんな海がここではファンタスティックな要素が盛り込まれて描かれている。
 ソウスケは保育園に通う五歳。 思いやる心を持ち,しっかりした考えを持っていて,少し大人びている。 母親を思いやり、父親のこともちゃんと理解している…。 そしてポニョにした“(ポニョを)守ってあげる”という約束を忘れることなく,いつもそれが頭の中にある。さらに陸の世界を知らないポニョにいろいろな事を教えてあげたり,エスコートしたり…と,紳士的でもあり、お兄ちゃんのようでもあるからだ。
 海と言えば、ありとあらゆる海の生物がすむ,美しい世界。 冒頭にその様子が映し出されたとき,宮崎ワールドに訪れたのだという実感がわく。 一つ一つが丁寧に描かれていて、その綺麗さに圧倒され,物語への期待もふくらむ。 
 また、透明感ある海もリアルに描かれている。 水没した街。 現実に街が水没したら恐ろしいことだけれど、ここでの“それ”は海と同じように穏やかに見える。 それは色彩的にもいえるし、雰囲気的なものもあって、あと海の生物が自然と静かに,そこで暮らしているからだ。
 水没し、水かさの増した街は表面的にも綺麗だけど中から見ても美しい。 海をあらゆる角度から見ることができる。
 “母と子の物語”というテーマ。 ソウスケとリサ、ポニョとグランマンマーレという二組は生き物としては違うが、母と子が互いを大事に思っているという共通点があって温かい。
 ソウスケとポニョの恋の話だとも,どこかで触れられていたと思う。 幼い二人の恋はとても微笑ましく,ラストでそれを強く印象づけられた。 ちょっと大人っぽいソウスケと、そんなソウスケがただ純粋に大好きなポニョ…。 最後に一つのことを問われたときのソウスケの答えが,ソウスケの長所や大人っぽさなど人間としての魅力を決定付けていると思う。

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by jd69sparrow | 2008-08-05 23:15 | 映画タイトル か行