ウォッチメン

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<イントロダクション>
 個性豊かなヒーロー達が一度に集結する話が好きだ。 なぜなら一つの作品に一人の基本がたくさん味わえるからだ。 『ファンタスティック4フォー』や『リーグ・オブ・レジェンド』もそうだ。 『ウォッチメン』はどちらかというと後者に近いと思う。 違うのは他の作品の人物たちの集合ではないこと。 ほとんどのヒーローが戦闘能力意外(素手とか)、普通の人間と同じであり、とてもシリアスな内容なところ。
 “ウォッチメン”とは“見張り”という訳語になっている。 ヒーロー達は顔を隠して人々の平和を“見守る”。 『Mr.インクレディブル』のようにヒーローの全盛期から落ちていき、再び動き始める(復活)ところまで描かれていたけれど、とえもシリアスな作品である。

<あらすじ>
 かつてヒーローの一人として戦っていたコメディアンが何物かの手により,殺される。 その裏に陰謀があると睨んだロールシャッハはこの事件の謎を解明すべく,一人捜査を始める。 ヒーロー達が消されていく、そんな恐怖が漂っていた。 そして、ロールシャッハはヒーロー仲間達に警告を発し、戦いが始まる。 そこには驚くべき、衝撃的な真実が隠されていて、それは彼らを苦しめることになる。

<感想>
 時代は二十世紀後半にさしかかった頃。 レトロな雰囲気、時代背景は徹底されている。 そこに映像的な最新技術が使われていてもそれは変わらない。 ヒーローたちがそれを物語っている。 エンディングテーマに至るまで,まるでその時代にタイムスリップして見ているような感覚。 映像、しかも斬新なものを得意とする作り手だけにもちろん視覚的にこだわりがすごい。 CGという以前に映し方。 何よりオープニングが印象的だ。 実際に人が演じているはずなのに、静止画のよう。 と言うより、ゆっくり時が過ぎていくという感じ。 そのふんわり感がすごい。
 そんな映像的な部分よりも内容の複雑さの方がもっと心に残る。 ヒーローものなのに、始まりは一人のヒーローの死から始まり、彼らは追い詰められた立場となり、何者かに命を奪われる恐怖に怯えていて、最後の方,少し悲しさが残る。 正義とは何なのか、平和とはどうあるべきで、どう手にするべきなのか、そこが一番問われるところ。 頭を抱えるポイントだ。
 ロシアとアメリカの間に、戦争が起きかねない状況にあり、それは世界に打撃を与えることになる。 この状況にあり、どう変えるべきか。 もちろん避けたいけれど、慎重になるか,つまり、現実に向き合うか、罪なき人々の犠牲をはらい、まやかしとも言うべき幸せを手にするか。
 確かに後者でも平和はくるかもしれないか個人的には前者に共感をえる。 この二極化した考えはロールシャッハとオジマンディアスの考えと信念である。
 たくさんの人たちの死という犠牲がありながら、世界は平和ボケしたように 垢抜けている。 現実的な正誤を貫いた者が滅されるなんて、なんとも皮肉で悲しい。 ロールシャッハは独自の考えをこめ,聖書のごとく歴史を語る。 事件らしい事件、というよりも 伝えるべきニュースがないほど,平和すぎる世、編集社に届いたロールシャッハの日記…。 平和の裏にある真実が語られようとする頃、幕を閉じる。 とても斬新な話。 “歴史は繰り返される”というように,まさに戦いが再び始まることを告げているかのようだ。
 恐れはさらなる恐怖を生むだけ。 未知なるもの(ここではアメリカがロシアに対して抱くもの)を恐れ,疑う。その結果、悲劇へもつながる。 失うべきものではない。 大切な何かを失うことも起こりうるのだ。
 “正義”にも人それぞれ違うように、いろんなものがある。 誰がどう見ても間違ったことが目の前にあろうとも 太刀打ちできない力が立ちはだかれば、それを指摘などできない。 間違っていることを間違っているといえないのだ。 
 だから、正義を貫くことは難しく、勇気がいること。 それは時に身を危険にさらすことにもなりかねない。 物語の中と限らず、現実にしても同じだと思う。 その勇気を出した者が何故(命を落とさなければならないのか)悲劇に見舞われなければいけないのか。 近からず遠からず、未来を示しているようで不気味で恐ろしい。
 果たして、残されたウォッチメンはどんな道を辿るのか。 彼らの幸せは続くのか。 余波と予兆を残しつつ,物語は静かに幕を閉じる。 フィクションだけど、現実の間とウォッチメンとが戦っているという感じ。
 ヴィジュアル重視と思いきや、サスペンスもあり,その世界観もさることながら、濃厚かつ深い作品だ。

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by jd69sparrow | 2009-04-30 21:37 | 映画タイトル あ行

トワイライト

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<イントロダクション>
 長く持たれていたイメージを変えるのはチャレンジである。 吉と凶,どちらか極端に分けられるだろう。 しかし、これは“吉”と出ている。 ヴァンパイア映画はいろいろなものがあるけれど、個人的に『ヴァンパイア・レスタト』(つまりは、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』)以上のものはないと思っていたが、これまでのイメージや例に頼らない,ニューフェイスも中々である。 いや、タイプが違うものだけに,比較するものではなく、新しいジャンルとしてとても楽しく,魅力的なのだ。 ヴァンパイア映画というよりも,恋愛よりな感じで,物静か、そして意外性も見れる作品である。

<あらすじ>
 アリゾナから父親と二人,フォークスという人口わずか、数千人の町へやって来たべラ。 雨嫌いなべラには心地が良いとは言えない。 まわりとも中々馴染めない。 ようやく、打ち解けられる友達に恵まれた頃,エドワードに出会う。 ミステリアスな雰囲気と美しさはべラをひきつけた。 逆にエドワードもべラに魅せられる。 しかし、彼らの間には大きな壁がある。 次第に惹かれあう二人(ヴァンパイアと人との)の恋は許されざるもの。 欲に忠実な吸血鬼の脅威が忍び寄る中、二人は障害を越え,また、おきてを破るも絆を深めていく。

<感想>
 原作者は自らのイマジネーションのもと,この物語を作ったという。 ホラーの苦手な人とあってか、そういう色は少ない。 ここではヴァンパイアは二極化していて、それは例えるなら,草食派と肉食派の二つである。前者がエドワードたちで、後者は彼の敵であり,これまでのヴァンパイアのイメージを映すもの。 “太陽の光が弱点”だとか“棺の中で眠る”などという概念がなく,珍しい。 エドワードや彼の一族が“動物の血”で生を永らえるからとあってか“ヴァンパイア”と感じさせる部分がとても控えめなのがイイ。
 個人的に“吸血鬼は美しく”という,こだわりを持っている。 これはヴァンパイア映画ファンの多くがきっと思っていることだろう。 ホラー色を強くしたり、やたらと吸血鬼の特殊能力を見せびらかすなどがなく、どこをとっても,控えめで美さえ感じる。
 今回,怪物的な吸血鬼がいる一方でカレン家のように人には手を出さず、普通の人の生活に溶け込んでいる,また、インドア派イメージを覆す,吸血鬼がいるというが魅力である。 超人的な能力を己の欲よりも人のために使ったり,力を生かしてスポーツに使うあたりが、怪物である以前に 人間的だ(雨空の下での草野球)。
 敵の中には吸血鬼らしい欲情的な者もいれば、理解のある者もいる。 悪しき者が消えぬ限り、カレン家の戦いは終わらないだろう。 ラストは新たなる戦いの始まりがさり気なく,期待がぐっと高まる運びになっている。エドワードとべラがどんな道を辿っていくのか。 最後を見て,エドワードはは人間的、べラはヴァンパイア的に思えた。 
 ヴァンパイアの物語でロマンティックなのはとても素敵でほろ苦いチョコレートに等しい。 この物語を大きく占めるのは人間的なもので、ヴァンパイアの話というのはスパイスなようなもの。 一部でしかない。 あるいはその二つがうまく化学反応し バランスをい取り合っている。 また、互いが互いに対してよい味を出しているという感じである。

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by jd69sparrow | 2009-04-24 21:32 | 映画タイトル た行

名探偵コナン 漆黒の追跡者

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<イントロダクション>
 色あせない魅力、進化し続ける面白さ…この二つあってこその長編シリーズなのだと思う。 そしていついかなる時もかかせないのが主人公・江戸川コナンこと,工藤新一とその幼馴染の毛利蘭の恋である。 どれくらい描かれるのかというのはその時その時であり、どう描かれるかも変わってくる。 これはシリーズを通して観る視聴者・観客の楽しみであることは間違いないだろう。
 個人的には少年探偵団が活躍する話も,もちろん盛り上がって楽しいのだが、黒の組織との対決や新一と蘭のエピソードが強く描かれているものが好きである。 後者のことを言うと、二人のやりとりというのはお決まりな部分もあるけれど、それは彼らの距離が変わらず保たれてるということだから,とても和やかでほっとする場所なのだ。 黒の組織が出るということは、蘭にも当然危険が迫るわけで コナンは守るべき人、仲間達のために命がけの戦いをすることになる。 つまり、「名探偵コナン」の第一話に描かれた,物語の本筋が出てくる…コナンは常にこんな危険にさらされているということを思い出されるのだ。 つまりは、黒の組織との対決と新一と蘭の恋は二分されているようで実はつながってるということになる。
 少年探偵団や毛利小五郎による明るい場面もあるものの,シリアスなつくりである。 アクションとサスペンスが派手に炸裂した,危機迫るエンターテインメントだ。

<あらすじ>
 全てはコナンの見た悪夢から始まる。 それはあまりにもリアルで,不吉な兆しのようだった。 広範囲に広がる連続殺人事件が発生。 そこに必ず残されていたのは麻雀牌のピース。被害者からは所持品が奪われていて,殺害方法も一人を除き 共通していた。 六人目の被害者が巻き込まれた事件が県境だったことから警察の捜査会議にはあらゆる捜査官が集うことに。 小五郎も特別に参加したことから、コナンも密かに事件の謎を追い始める。 捜査会議が終わった頃、山村警部の鼻歌から黒の組織のメンバーが捜査会議にまぎれこんでいたことを掴んだコナン。 連続殺人事件と黒の組織とが関係しているということで,コナンは彼らの影を恐れながら、謎解きを強いられる。
 事件の謎を解くたび,コナンに関わった人たち全てに危険が迫るという高いリスクのもと,コナンは事件の真犯人と黒の組織と対決する…

<感想>
 コナンの悪夢、蘭が落としたコナンの茶碗…まさに不吉な予感から始まり それは物語全体の雰囲気と方向性を物語っていた。 コナンの悪夢はいつしか起こるかもしれないものであるがゆえに,コナンにとって最も避けたい事態である。 「名探偵コナン」はちょくちょく黒の組織の影を見せつつ、少年探偵団の活躍の物語があったり,ただ単純におもしろい推理ドラマがある。 その中にはコメディの色もあり、そこが子供から大人までを楽しませる大事な要素と言える。 平行線にあるようで,ゆっくり着実と黒の組織に迫り、ある時突然とてつもない恐怖にさらされることになる。 黒の組織との接触も幾度となくあり、それはスリリングで楽しい。 銃を忍ばせている相手に対等に渡り合うコナンの強さにぐっと惹かれる。 黒の組織とコナンは敵どうしでありながらも,ベルモットや今回の映画に出てくるアイリッシュのような特別なパターンもある。 それはまるで良きライバルどうしを見ているようだ。 ベルモットとアイリッシュの二人に共通した真意が一体何なのか、この謎がとても気になる。
 物語とは常に変化があるもの。 黒の組織の存在はコナンの身近な人では,阿笠博士や灰原哀などごく一握り。 黒の組織だとまでは行き着かないものの,連続殺人の後ろに別の“何か”に察知した人物がいる。 組織との関わりのない人がこの影を察知するというのがこれまでと違う雰囲気を出していて新鮮だった(映画版でしかあまり詳しくは知らないのでこれが初めてなのかはわからないが)。
 また、謎を解くほどコナンに与えられるリスクが高くなるというのもシリアス度が増し,物語が盛り上がるポイント。 そしてそれはクライマックスにおいて最高潮に達する。 フェイクに気づかされた直後の蘭とアイリッシュとの拳を使ってのアクション。 ほぼ対等に渡り合っていて,ダークな雰囲気がさらに戦いを盛り上げ,演出する。 実写アクション並の興奮が感じられた。 そして畳み掛けるように次へ次へとバトルが展開していくのがエキサイティングで、コナンはどんどん追い込まれていく…絶体絶命ではないかというところまで。形勢逆転が続く(入れ替わり立ち代り),そして最後スカッとした感じで締めくくられるのが,爽快で劇場版ならではの清々しさを残す。 近づいたと思った瞬間,遠ざかる、「追う」というコナンの使命はまだ続き,そしてさらなる期待がかかる。

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by jd69sparrow | 2009-04-21 17:09 | 映画タイトル ま行