天使と悪魔

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<イントロダクション>
 歴史の裏にある真実を描く歴史ミステリーではない。 確かに史実はあるが、それは材料でしかない。 これは“エンターテインメント”というふうに表されるとおりなのである。 「陰謀」は結論としては,過去にあるものかもしれないが、ここでは現在のものとして存在する。 …というか、この物語の中で起こっていることなのだ。
 美術史に名を残す芸術家の作品の数々が全てを示し、事件の謎へと導いている。 そこにはメインである,科学と宗教とが関わり,つながっているのだ。 ラングドン教授はまたしても様々な,信仰者たちの思惑漂う 渦中へ足を踏み入れる。
 
<あらすじ>
 ヴァチカンからのSOS。 それはローマ教皇がこの世を去って間もない頃のことだった。 秘密結社イルミナティの復活に恐れをなした,カトリック教会はラングドン教授に助けを求めてきた。 といのも、次期教皇候補たちが誘拐されたことが,イルミナティの脅威を示しているからだ。 ガリレオ、イルミナティ、五つの焼印、そして現代・未来の科学の一つ,“反物質”という名の爆弾…これらが語る真実とは? これらがローマの行く末を示していて、この難題にラングドンがメスを入れる。

<感想>
 この話、ここで語られることのいくつかがフィクションでも、説得力があって 真実でないにしても,似たようなことがあったのではないだろうかと思わせるのは、ディテールの深さにあるのだろう。 犯人はとても頭のキレる人物でいて冷淡。 また、信仰心が強い。
 ラングドンは科学者ヴィットリアと共に暗号から芸術品へと、また,芸術から宗教の歴史を手がかりに真実を追っていく。 犯人も同じ経路を辿ったわけで 両者の学の深さがよくわかる。 頭のキレる者どうしの対決だ。
 つまづき、惑わされつつも着実に真実へ近づいていく二人。 時は刻一刻と流れ、真実を追うも 中々追いつくことが出来ず、“答え”は常に一歩も二歩も先にある。 追いかけっこが続く。 四人の教皇候補たちはそれぞれ時間がずらしてある時限爆弾につながれているに等しい。 ラングドンたちはそれを阻止すべく、追いかけるのだが 犯人が頭脳の優れた人物である以上、そう簡単には追いつかない。 苦戦するラングドンたちだが、追えば追うほど確実に真相へ迫っているのがカタチとなって表れてくる…この盛り上がりが楽しい。
 冒頭に触れたように芸術作品が謎の答えへと導いているのがいい。 神にまつわる天使・聖人、預言者といった存在が芸術で表現されていることじたいが素晴らしく、その上 シンボルやコンパスのような役割を果たしているのがすごい。 芸術作品に込められた作者の思いと作品が表すものが何であるか…このようなミステリーへの興味がわいてくる。
 前回に増し、よりエンターテインメント性が充実したクライマックスから結末への流れ・・・ラスト、さらなる“トリック”が明かされ クライマックスで感じたことが覆されてしまう驚きがある。

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by jd69sparrow | 2009-07-31 14:33 | 映画タイトル た行

ROOKIES 卒業

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<イントロダクション>
 熱血教師と言えば「金八先生」を始め、様々なドラマに登場する。 そして熱血教師 対 問題児集団といのも最近では珍しくない。  しかし、『ROOKIES』が違うのは 生徒対指導者が暮らすという媒体ではない…けれども、クラスと部活の青春の二つがあることである。
 熱血教師にようる生徒への言葉は心に響くのだけれど、現実的に考えるとそういう先生は中々いないし、中々受け入れがたいのではと個人的に思っていた。 でも、そんな考えは偏見であり、こういう人を今、必要とされていると信じたくなる。 それに多くの人が川藤とい男から教わりたいと思うことだろう。 指導者と生徒…人と人とを結びつけるのは「信頼関係」、「信じること」なのだということを教えてくれる,またポジティブに相手を支え 相手に気持ちになれること。 ニコガク野球部が甲子園を目指すというバックグラウンドがあって、対人間の物語があるのだ。

<あらすじ>
 甲子園を目指す最後のチャンスの年を迎えたニコガク野球部。 一度は学校を去った川藤がけじめをつけて、ニコガクへ帰って来た。 その日から野球部員たちは夢を叶えるため,本格的に動き始める。 そして春が来、新たなメンバー濱中と赤星が加わり、彼らが築き上げてきたものが試される。 越えるべき壁やアクシデントがニコガク野球部を襲う。 涙し、悔しさを噛み締める時もある。 それでも彼らの中には喝を入れる者がいる。 部員全員が野球と仲間を愛しているからこそ,すぐ立ち直り、ポジティブになれる。 そして、闘志の炎が強くなるのである。 

<感想>
 川藤という男は野球部唯一の補欠・平塚と同じくらいスーパーポジティブだ。 どんな状況にあっても部員達に決して「無理」と言わないのが心うたれる。 大きさに関係なく、夢を持つことじたいが大切なのだと教えてくれる。 どんなに難しくても、あきらめずに強く思い、信じ続ければ夢は叶うと。 「無理」だと言ってしまったら、そこで終わってしまうのだ。 夢は人それぞれだけど、「大きく持つことは決して恥ではない。 まわりはそれを信じて,温かく見守るべき」なのだと思う。 自分であきらめてしまうのも,もったいないし、他人が人の夢の可能性を決める権利はないのだ。 
 どうしても、人を疑ってしまったり、信じてあげられないことも多いけれど 「信じることは」は信頼関係につながり,誰かを支える力になる。 
 この物語には熱いメッセージがいっぱい詰まっている。 川藤はいつも前向きで、人を悪く言ったりしないし ポジティブなこと、チームのメンバーを思うことしか言わない。 先生であり、監督である以上にニコガクナインの兄貴的存在、川藤。  監督は知識よりも“ハート”なのだ。 いるだけでニコガクナインは気合が入り、監督の笑顔でチームの士気が上がる。
 川藤の力はニコガクナインたちの間にある絆を復活させ,さらに深める“きっかけ”を作った。 それがよくわかるのは新庄から若菜へ言葉をかける場面だ。 「お前一人が痛いんじゃない。 みんながイテェんだよ」というセリフはとても感動的。 チームの誰よりも先にチームメイトの異変に気づく新庄という人物の魅力で長所である。 静かなる闘志…新庄。
 平塚のポジティブさは気持ち良いくらい。 また、不利な状況で逆に闘志が燃え、一致団結してピンチを前向きに捉えられるニコガクナインは尊敬できる…というか尊敬すべきだ。 個人的には川藤に気合を入れられ、エンジンのかかる瞬間(チームにスイッチが入るとき)が気持ちが高まる。 まるで自分がチームの一員になったかのように。
 赤星が大事な戦力となった瞬間は心強い。誰かが怪我をしたとき、すぐ前に出て代わりを引き受ける。 また、全力になってくれる仲間がいるというのはなんとも羨ましく凄い。 “結束こそ力なり”。
 最も感動的だったのは、キャストたちが作り上げたラストのニコガクメンバーから川藤への感謝の言葉の場面。 本当の卒業式さながらで、役というよりキャスト地震音言葉と言ってもよいのではないかというくらい、心に響く。 卒業後、ニコガクメンバーがどんな道をを歩むのかも気になる。
 “ワン・フォー・オール”。 「一人は皆のために、皆は一人のために」。 これはこの物語のいキーワードであり、人生の教訓と言えるだろう。 彼らの甲子園の行方はわからないままだが、それがかえっていいのかもしれない。 想像はいくとおりかできるけど、おそらくはどんな結果だとしてもラストは変わらないだろう。

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by jd69sparrow | 2009-07-30 14:57 | 映画タイトル ら行

ターミネーター4

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<イントロダクション>
 1984年、シリーズが幕開けし、25年。 未来で怒る人間と機械との戦争があり、未来から過去へターミネーターや人が送られる。 戦争による人類滅亡を防ぐために。 敵からすればその目的を達成させないためである。 こうして戦争という背景があるのだが、これまでは人類の未来を左右する人物達と,未来から刺客として送り込まれたターミネーターとの戦いだった。 それに対し、四作目からはサラ・コナーが予言した未来がもう見えていて、あるいは見え始めていて,完全に人類対機械の戦争の話となった。 新シリーズが始まっている。 3までとは違う「ターミネーター」の始まりである。 3までいたアーノルド・シュワルツネッガーの出演はないけれど、意外なカタチで登場する。 もし、シュワちゃんの出演があったら、大きく話が変わっていたことだろう。
 ターミネーターたちは全て敵(スカイネットが作った)。 しかし、そんな機械軍の中に例外的存在がある。 だからこ、シリーズ全体を通して危機から救われるのだろう。 「T1」は別として、「T1」から「T3」は“T-800”と“T-850”で型は違うものの,「T1」に出てくる“T-800”と姿は変わらない。 そして、今回は「T3」までの“T-800”や“T-850”とは全く別物。 世界観は変わらない,“審判の日”のその後の未来の話だ。

<あらすじ>
 2003年、一人の死刑囚はサイバーダイン社、後にターミネーターという脅威を生む,また スカイネットという人類最大の敵を作った会社の実験の犠牲となる。 それから15年後の2018年。 既に機械との戦争は始まった。 世界中は機械の力で衰退し、わずかな人々たちが生き残っている。 その先頭に立っているのが救世主とも言われるジョン・コナーである。 ジョンは人類の危機を救うための重要人物で後に 自分の父親となる少年カイル・リースを探すこと、また スカイネットに捕らわれた人たちを救うために動いていた。 
 その頃、蘇ったのが15年前に死刑囚だった,マーカス・ライトである。 今がいつで、何が起こっているのか、また自分が何者かすら わからない彼が初めに出会ったのがカイル・リースその人だった。
 カイルもジョンと同様、スカイネットから追われる身。 カイルと一緒にいた少女スターと三人、行動を共にするマーカスはジョンを探し、抵抗軍へ協力すると申し出るが 脳と心臓以外が機械であることから、始めは敵とみなされる。 だが、マーカスには人と機械を分ける最大の鍵となるものを持っており、それがジョンの心を動かし,共に戦うことになる。
 
<感想>
 人々が思い描いた未来が現実になりつつある今、映画では機械との戦争が描いたものが目立つ。 描くと言うよりも予言しているのかもしれない。 『ターミネーター』が初めて公開されたのは20年以上前。 そう考えると20年も前から機械が自我に目覚め,人類を滅ぼす計画だという未来が来ると考えられていたと言うことになる。 果たして、そのきっかけなんなのか? 
 とにもかくにも、どんなカタチであれ,起こりうるだろう。 近未来が描かれているけれど、進化していくのは人々のの生活スタイルではなく、機械に多くを滅ぼされた人類は戦うために最低限必要なものしか持っていない。 そういう印象である。
 敵として登場するターミネーターはどこまでも追ってくるというイメージがある。 ある意味ホラー。 ガイコツが機械化したようなターミネーター軍団は、恐怖にしか思えない。 感情を持たない彼らにはたとえ,人の皮をかぶっていようとも、命令に忠実な殺人者なのだ。 ターミネーターは次第に進化していくけれど、決して派手に見せようというわけではない。 人が作り上げた産物が人に戦争をしかけるなど、なんと皮肉だろうか。
 スカイネットは社会のために作られたもの、進化したスカイネット,機会システムは作り手の意志を越える。人は進化せずに機械が進化していく。 私達がいかに機械に頼った生活をしていうかを考えたら、これ程恐ろしいことはない。
 ジョン・コナーは“人類を救う救世主”と呼ばれ、その責任を背負っている。 人の上に立つ存在となり、抵抗軍を動かすほどの指導力と信頼性の高さから審判の日を迎えるまでの日々から、別人のごとく,成長していて,ジョンがスカイネットの持つ工場への一斉攻撃の際、各地の抵抗軍にかける言葉から考えると、それが真実ではないかと考えられる。  母親サラ・コナーの予言とは違う未来の訪れを感じ、疑問を誰よりも感じていたに違いない。
 まだ、ジョンが“救世主”なのか、この戦争に終止符が打たれるまではわからない。 少なくとも言えるのがジョンの勇気と人の心動かす力、さらにはいつも信頼できる強力な味方、つまりここではマーカス・ライトという名の人と機械とのハイブリッドがいて初めて、自分に課せられた運命を切り抜けられるのだろう。 多少の犠牲を厭わない軍の上層部の非常さを訴え、捕虜になっている人々を救うために,攻撃に備える人たちへ訴える言葉はとても心に響く。
 “人類の平和のため”と言い,平気で大勢の人たちの命を犠牲にしようと考える軍の上層部とスカイネット・機械の間には違いはない…それでいいのか? 人は機械と違い“心”がある。 ならば、人々を救い,平和を取り戻す手段を皆で考えるべきだとジョンは人々に呼びかけているのだと思う。
 マーカスはジョンでさえ失いかけていた大切なものを持っている。 もともとは人であり、自分の犯した罪に悔いているからこそ,彼は人を信じ、抵抗軍と志し同じくして戦うのだろう。 無意識にセカンドチャンスへの道を切り開こうとしているという感じ。 半分機械だろうとも、また奇しくも,サイバーダイン社が狙ったとおりの結果を辿ろうとも、誰よりも人間らしい。 というか、人間らしくありたい¥というのがマーカスの願いだったと思う。マーカスの存在はジョンの忘れかけていた大切なことを思い出させ,ジョンの心を動かしたのだ。
 マーカスは人類が辿る最悪な未来を阻止するために、未来の自分が現在の自分へ送ったターミネーター,また キーパーソン。 果たして未来は変えられるのか。
 しかし、運命のサークルの上に人がいて、予め運命が定まっているとしたら、それを変えることができるのか。 未来を変えるべく、うった手段でさえ,そのサークルの中にあったとしたら…? それでも希望は持ちたい…と主人公自身感じているのかもしれない。
 「ターミネーター」には、様々な機械が出てくるけれど そこがメインではない。 あくまで人の辿る道を描いた話。 機械が人間社会を支配しつつあるという現実を目の前にして,どう戦うか。 でも、希望が生き続ける限り,人々が救われる道への可能性はゼロではないと、フィクションであり期待を感じる。
 どう道を切り開いていくか、ジョンが頼れるのはサラが残したメッセージと自分自身への信頼だ。 そして仲間達。 まだ残された希望と可能性、その一つとしてあるのが、自分を支えるケイトや抵抗軍の人々。 ケイトに宿る新たな命が今後、どんな影響を彼らに与えるのかも気になるところ。
 ここでどんなに絶望的い見えても、希望を信じる心を持ち続ければ、明るい未来が待っているに違いない。 わずかであっても可能性が残されている限り、そこへ向かって歩む意味がある。 そこへ向かうべきなのだと教えてくれているような気がする。
 戦いはまだまだ続く。 戦った末に何が待ちうけているのか。 ターミネーター誕生の秘話が明かされた第4作目。 まだ話は続きそうでそれが本当になったとしたら、きっとまた新たな事実がわかるであろう。 いずれにせよ、楽しみだ。

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by jd69sparrow | 2009-07-29 15:59 | 映画タイトル た行

ハリー・ポッターと謎のプリンス

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<イントロダクション>
 最終決戦への扉が開かれ、今 その道のりを歩みはじめている。 闇の魔法使いヴォルデモートを倒すためにハリーに何が必要なのか。 それは敵を知ることである。 敵を知ることが強力な武器になる。 いわば、最後の戦いの準備というのがこの,『ハリー・ポッター』シリーズ第六作目『謎のプリンス』なのである。 重要なつなぎ目だ。 シリアスな世界はさらに深みを増す。
 ハリーたちが動き,またハリーの知らぬところで、ヴォルデモートの計画が実行されている。 この二極化された物語が展開し、見る者に少しずつ真相を見せてくれる。 まさに“光と闇”の話なのだ。

<あらすじ>
 闇の帝王の脅威はますます強大とな、マグルの世界にもその影を落とし始めている。 そして 魔法使いの世界でもヴォルデモートの下につくデスイーターたちがあちらこちらでその脅威を振るっており、ハリーたちも油断できない状態になってきた。 ヴォルデモートを打ち破る唯一の希望がハリー・ポッター。 そう信じるダンブルドアはハリーに最後の頼みごと・試練を与え、ハリーに全てを託す。
 その一方で、ヴォルデモートに選ばれし,ドラコ・マルフォイが自らに与えられた任務・責任を果たすべく動いていた。

<感想>
 第六話『謎のプリンス』。 (謎のプリンスは、)映画ではあまり多くは出てこなかったが、ハリーが試練を乗り越えるために一役かっている。 試練をクリアするためのキーパーソンになるのが魔法薬学に復職したホラス・スラグボーン。 ヴォルデモート、かつてのトム・リドルの謎を紐解くのに重要な人物だ。 スラグボーンを動かすための鍵となるのが“謎のプリンス”の存在で彼の残した魔法薬学の教科書なのだ。
 ヴォルデモートにより残る額の傷。 これはヴォルデモートとハリーとをつなぐ絆である。 傷が刻まれた時,それがハリーとヴォルデモートが戦う,未来の宿命が下されたのだろう。 闇の魔法を受けてしても死することのなかった,ハリーだからこそヴォルデモートと戦える者に選ばれたのだと思う。 ヴォルデモートと幾度となく戦ってきたハリー。 偶然ではなく“定め”だったのではないだろうか。 そして額に傷というヴォルデモートとのつながりが出来たハリーは,ヴォルデモートと戦うべきも,戦えるのも自分だと自覚していただろうとストーリーを追うごとに伝わってくる。 ヴォルデモートと長きに渡り,戦い続けたこと、また,ダンブルドアから様々なことを教えられたことで次第にハリーは自分の辿るべき道を感じ取っただろう。 ダンブルドアから「最後の頼みじゃ」と言われたことで,ダンブルドアではなく 自分が決着をつけるべきだということに確信を得たと思う。
 『不死鳥の騎士団』から既に感じられたことだけれど、ハリーはほぼ大人の魔法使いと言っても過言ではないだろう。 デスイーターとの戦いぶりを見ても、仲間を守る姿からしても。 ヴォルデモートとのつながりに悩まされながらもたくましく,敵と向かい合う。 そのつながりは時に助けにもなる。 ヴォルデモートの失敗はハリーを死へ追いやることが出来なかったことだけでなく,自分への手がかりを残したことにも少なからずある。つまりは、“額の傷”はハリーにとっても,ヴォルデモートにとってもいいように悪いようにもある。 
 もう一人の主役をもし挙げるとするならば、ドラコ・マルフォイだろう。 ホグワーツ入学以来、ハリーとは犬猿の仲であるドラコは父親のような邪悪さはないが,純血ということにこだわり そうでないものを軽蔑する意地悪な一面を持つ。 “ちょっと嫌な奴”という感じである。 「謎のプリンス」ではそれまでのイメージと違うマルフォイが見れる。 認められたい一心でヴォルデモートからの任務を遂行するけれど、本心ではその内容は望んでいないし、闇の魔法を好ましく思っていない。 できることなら避けたいと願っている…そう読み取れる。 つまりはドラコ・マルフォイはヴォルデモートの支配下にあるとは言えない。 その証拠にドラコは苦しみ,己と葛藤している。 そんなドラコの人間らしさが一つの見所だと思う。
 魔法を抜きにした人間模様も描かれ、原作を読んでいて,とても想像がふくらむであろう場面の映像化という楽しみもある。 確信は持てないが映画オリジナルな部分もあるのでは…?と思う。 しかし全体的に見ると、シリアス度は増し,先へ進めば進むほど…つまりは対ヴォルデモートへ近づくにつれ、その代償がついてくる。 何かを失う、でも悲しんでいる暇はない。 ハリーの頭にはダンブルドアの意志がしっかりと受け継がれ、ハリーはダンブルドアの言葉とその言葉に込められた思い、そしてハリーに託した(ダンブルドアからの)期待を信じ 前へ突き進んでいくハリーに後の偉大なる魔法使いの姿が見える気がする。 二人の親友達との友情の絆も厚く、そこに感動。 ハリーは恵まれ、また強い。 それは彼を支えた頼もしい仲間達の力あってこそ。ハリーには本当の家族はいないけれど、ロンやハーマイオニーを始めとした人々がハリーにとっての家族なのだ。 ダンブルドア、シリウス、ルーピン…ハリーには父親的な存在がいた。 ロンの母親が母親同然。 彼らに囲まれた場所がハリーの“家”。
 ダンブルドアは過去に一度選択を誤ってしまうけれど ハリーを物置部屋から解放し魔法界へ誘ったのは正しかった。 それはハリーに何か魔法界の行く末に関わる何かを感じたのかもしれない。 こういう言い方はおかしいかもしれないが、過去の選択の過ちを挽回。 トム・リドルという恐ろしい力と未来を持った少年を選び,それが闇の帝王を生むという最悪な事態を起こしてしまった。 ヴォルデモートの魔の手から“生き残った少年”ならば…という期待があったかもしれない。 聞こえは悪いが、過去の過ちが生んだ悪への対抗手段。 話し外れるが、意外にもハリーとトムとではその過去や状況に共通する点があるのに驚きである。
 最終決戦へ道はそう遠くは無い。 原作は既読であるが、これがどう映像化されるのかが楽しみである。 最終章『死の秘宝』は二部作となり、2010年の秋と2011年の夏の公開となっていたかと思う。

過去の記事はこちら↓
ハリー・ポッターと賢者の石
ハリー・ポッターと秘密の部屋
ハリー・ポッターと炎のゴブレット


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by jd69sparrow | 2009-07-25 23:21 | 映画タイトル は行

ごくせん THE MOVIE

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<イントロダクション>
 普遍的テーマを描き、見る者を飽きさせない。 また、気が付くと夢中になって見ている。 そんな作品である。 教育者と学ぶ者たちがどう向き合うことが大切なのか教えてくれている温かい物語である。 主人公ヤンクミこと,山口久美子のキャラクターの良さから始まり、コメディタッチで描かれるストーリーに熱いメッセージと実にドラマティックな青春ドラマだ。 登場人物にも個性があり、物語を盛り上げている。 私達が生きるために何を大事にし,守るべきなのか…など大切なことが描かれているのだ。
 人はどんな人に出会い、いかなる人のもと成長していくかで人間性が生まれてくる。 つまり、どんな環境で育ったかがその人を決めるのだ。 ヤンクミは教え子たちにいつも心からの大事な言葉を贈っている、それは言葉と熱いメッセージが通じ合う温かさ。 人は常に影響という刺激を受けながら生きてくものであり、何と出会い,何を選ぶかで人間性が定まっていくのである。 この作品を見てそう、強く思うのである。

<これまでのあらすじ>
 山口久美子は生徒と心を通わせ,青春の日々を送ることを夢みている熱血教師。 高校の教壇に立っている,久美子は白金、黒銀、赤銅学園と三つの学校を転々とした。 生徒からはヤンクミという名で親しまれている。 
 今でこそ、卒業生から敬われているヤンクミだが、そこに行き着くまでには生徒達との多くの格闘があった。それは現在も変わらない。 受け持つクラスはいつも問題児ばかりが集まる不良たちのクラス。 それでも臆することなく、生徒に向き合えるのは彼女にとある秘密があるからだ。 小さい頃、良心を失ったヤンクミは身寄りである任侠グループの頭であり、家族である祖父に育てあげてこられたからだ。  鍛えられた精神力と体力で持って,教え子達に降りかかるいくつもの問題を解決し,助けてきたヤンクミと生徒達の青春と絆の物語がこの『ごくせん』なのである。

<映画のあらすじ>
 赤銅高校の三年D組を卒業させたヤンクミは新たな三Dを受け持っていた。 しかしまだ生徒達との関係はイマイチだった。 それでも生徒達と分かち合えると信じ前向きだ。 そんな時、赤銅に教育実習生がやってくる。 遅刻してきた実習生…なんと かつてヤンクミが黒銀高校で教えた小田切だったのだ! そこからヤンクミ、三D、小田切の“心の汗を流す日々”が始まる。
 新たな三Dでも問題は起こった。 生徒が暴走族とのケンカに巻き込まれた。 それを知ったヤンクミは誰よりも早く暴走族との決着をつけに飛び出した生徒を助けに行く。 安心したのもつかの間、今度は赤銅の卒業生が麻薬にまつわる事件に巻き込まれ、それは大きく発展し 意外な展開へと向かっていく。

<感想>
 『ごくせん』は青春コメディ。 個人的に、青春部分もさることながら,コメディ部分が最大の魅力だと思う。 まずはヤンクミのキャラクター。 生徒に対してツッコミな部分もあるけれど、全体的にはボケのポジションであるヤンクミの傍らには必ずツッコミ役がいる。 その多くはヤンクミが受け持つクラスのリーダー格にいる生徒が多い。 今回はかつての教え子で教育実習生の小田切であったり、教頭から念願の校長へ昇格した猿渡だったりする。 妙に熱かったり,ついつい極道としてのキャラクターに戻ってしまい,まわりはきょとんとし、そこを小田切や猿渡に制止される。 天然な部分が多いのがヤンクミの魅力の一つ。 
 猿渡と言えば、ヤンクミとのバトルが作品の名物である。言葉や暴力ではなく,顔と顔とのバトル。 変顔合戦といったところだろうか。 どちらかというと猿渡のよく動く表情にそのおもしろさがあり、それに毅然とした態度で喰らい付くヤンクミ…といった感じ。 猿渡はロボ、ヤンクミはマスコットキャラクター的なノリである。
 もちろん、青春面でも大きな魅力がある。 小田切だけでなく,赤銅の卒業生達や黒銀、白金でのヤンクミクラスの卒業生達も登場するのが映画ならでは。 一人のために皆が動く…赤銅OBの三Dのメンバー達はヤンクミと同様動き回る。 大和をはじめとする赤銅のOBたちやその他の生徒達がヤンクミの精神を受け継ぎ仲間のために全力を尽くす姿は感動だ。 教え子から決して目をそむけることなく,また己が背負うリスクよりも生徒を守ることをポリシーとして 常に教え子へ真正面からぶつかってきたヤンクミの力の凄さが感じられるからだ。 ヤンクミのような存在があって今の彼らがある。 相手にちゃんと向き合えば、相手はそれに答えを返してくるのである。 自分が危機に陥った時,助けられたりもする。 それは人としてあるべき姿であり、理想。 現在の赤銅3Dを同じ立場であった小田切がヤンクミの立場から見、振り返る。 そして、ヤンクミから多くを学んだ小田切が 以前の自分やそのクラスメイトたちの映すような彼らを当時の自分の気持ち…つまり、過去の自分とヤンクミと同じ目線にたった現在の自分の両方の視点で3Dたちにヤンクミから教わったことうあヤンクミという教え子全体として大切な存在であることなどを教えるというのも、とても新鮮でぐっとくる。
 自分の将来が見えず、ただなんとなくで教育実習としてヤンクミのもとに戻ってきた小田切。 視点が変わり、ヤンクミが現在の生徒達と,また赤銅のOBたちとぶつかる姿を見て教育者として,また人として成長していく様子もこの,劇場版での大切な物語である。
 事件に巻き込まれていくヤンクミや生徒達。 常に守る側に立っていたヤンクミだったが逆に卒業生達に守られるというのが ドラマ版にはない魅力である。 卒業生達は彼らにしかできない方法で事件解決を身を投げ出し、戦う。 最高に盛り上がる場面だ。 そしてヤンクミの心に響く熱き言葉で締めくくられる。 
 ヤンクミがすごいのは事件を起こした当事者に対しても生徒達と同様に向き合い,時に彼らにあるべき道へと導く…つまり、やり直し再出発するきっかけを与えるのである。 そのヤンクミの気持ちが相手に伝わった直後、そのチャンスが失われかけたとき,その相手を守るべく前に立ったところに改めてヤンクミの懐の深さを感じた。
 本当の友達・仲間というのは都合のいいときにだけ語るものべからず,仲間がピンチのときに助けたり 共に戦うのが真の友達・仲間である、ケンカというのは守るべきもののためにするためもの、卑怯なことはしない、自分の事から逃げてはいけない、自分を育ててくれた人への感謝を忘れてはならない…など数多くのヤンクミから生徒への教訓は作品としてのメッセージであり、シリーズ通してのテーマ。 ドラマ・映画とずっと語られてきたからこそ,伝わるものがある。
 現在の赤銅3Dというよりも、ヤンクミが関わってきた生徒たちとヤンクミの話というのが劇場版。 卒業生達のその後を見るのも楽しみの一つだ。  ここで物語が完結してしまうのはとても寂しいけれど、ヤンクミと生徒達との青春や格闘・葛藤はこの先も続くことだろう。

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by jd69sparrow | 2009-07-16 00:27 | 映画タイトル か行