のだめカンタービレ 最終楽章 前編

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<イントロダクション>
 音楽があってアクションもあり、そしてコメディなど様々な要素がミックスしたのが『のだめカンタービレ』である。 漫画を映像化する際に漫画的なノリも活用されているというのは実に面白く、コメディ色を引き立たせている感じがある。 音楽は感動を生むもの…完成されたハーモニーを聞くと心に響き,感動してしまう。一つの音楽が出来るまでの課程には様々な出来事がある。
 オーケストラの美しさや感動が実感できる作品で、クラシックで眠くなる…なんて概念を吹き飛ばす。 むしろ楽しくなる。 音楽を奏でる楽しさ、また 音楽の音色を聞く楽しさが実感・伝わってくる。音楽というものは、楽しむものである。 恋愛コメディというツールを使い,私達にそれを教えてくれているような気がする。 最高の音楽を引き出すことが出来たとき,また演奏できた時の主人公たちの顔はとても活き活きしていて,観ている側も同じような気分にさせる。 まさにエンタテインメントな作品。

<ドラマシリーズまでのあらすじ>
“のだめ”こと,野田恵美は音楽の大学へ通う三年生。 偶然にも部屋が隣の千秋真一は指揮者としての才能だけでなく 楽器や頭脳においても優れた実力を発揮する。“俺様”キャラの千秋に,ゆるいイメージだけど、皆から愛されるのが“のだめ”。 のだめは保育園の先生を目指している。 一方、千秋はプロの指揮者を志している…が、幼少時代の事故で飛行機への恐怖心を抱いており、目標への距離はとても遠い。 正反対な二人だが、お互いの才能に惹かれ始める。認め合うようになり,やがてパリへ目指す。千秋はSオケこと,名指揮者シュトレーゼマンに選ばれし実力者が集まる大学のオーケストラをまとめる指揮者に抜擢され,オケのメンバーと絆を深めつつ,オケを改造し、進化させる。 千秋は我流だけではオケからの信頼も力もつかないことを学び,成長していく。 のだめも負けじとピアニストの道を極め,千秋を追いかける。
 のだめの力で飛行機恐怖症が治った千秋は、のだめと共にフランスへ。そこで千秋は指揮者としての実力が試され、のだめは音楽の名門校で学ぶ日々が始まる。二人はそれぞれ成功をおさめ,幸先の良いスタートを切る。

<映画のあらすじ>
 フランスでの生活が慣れ始めた,のだめと千秋。 千秋は見事,指揮者コンクールで優勝をおさめた実力がかわれ,長い歴史を持つ音楽楽団“ルー・マルレ・オーケストラ”の常任指揮者に抜擢される。のだめの通うコンセルヴァトワール(音楽院)の同級生フランクの誘いで指揮者として招かれる前にマルオケの下見に行くことに。すると人手が足りないというマルオケのエキストラとして強引にオケに参加することに。やがて常任指揮者としてマルオケへ訪れる時がきた。由緒ある場所と聞いていた千秋だったが、実態に驚く。それは楽団員のほとんどが辞めてしまい,資金不足に苦しむゆえに残った楽団員は他の仕事で生活をまかなっている人が多い。人手も講演する際はほとんどエキストラでまかなっており,さらに音楽のまとまり悪ければ、実力が楽団の名にともなっていないという,まさに最悪な状況下にあることを思い知らされる。当然、千秋が来て初めての講演も失敗に終わる。
しかし、ここであきらめないのが千秋である。数年前のSオケの姿を今のマルオケに見て,俄然やる気に火がつく。 そしてスパルタレッスンが始まる。今後のマルオケの未来が決まるコンサートに向けて…

<感想>
 音楽とアクションコメディ、その間にラブストーリーあり…という感じ。 主に前者の2つのキーワードで作品を見ることが出来る。 この2つの観点から映画を振り返ってみたいと思う。 
 まず、音楽。 オーケストラをメインとするけれど、そこで使われる楽器全てとは言わないけれど、様々な楽器の音色の美しさがまず楽しめるのがいい。 ピアノやヴァイオリン…だけでなく、解説付きで他の弦楽器も見ることが出来たのが良かった。 映画でのストーリー進行上というのもあるけれど。 オーケストラにどんな個性が折り重なっているのがよくわかるだろう。 さらに、曲の解説。 普段何気なく聞いている音楽だけど、その音楽を演奏者の側から見ると違う見方が見えてきたり、曲によっては演奏者の実力がわかってしまう恐ろしい要素も持っている音楽あるなど知識を得られるのも良いなぁと思う。 
 指揮者の表情から、またその腕と手先の動きから見える躍動感でそれに従う演奏者もそれに連動して音楽を奏でる… 前編では千秋がメインとなるわけだが、この躍動感に辿り着くまでの軌跡が見所だ。 千秋の鬼指揮者っぷりも本番での指揮もすごかった。 力など微塵も抜く間はないのだ。 指揮者とコンサートマスターの二人の絆の強さがオーケストラの未来の要というのがよくわかった。
 一方、のだめも負けてはいない。 試験の場面だっただろうか。 楽しそうにピアノを弾く姿が印象的だ。その指が鍵盤で音色を出すたびに何か美しい魔法のようなものが出てくる。 それはつまり、音が形となって出てくるような感じである。 音が集まると音楽となり、そして天に舞うようだ。 映像の中にはなくても、なんだかそんな光景が見える気がする。 
 次にコメディ部分。 漫画の世界からそのまま飛び出てきたようなキャラクターもいる。 しかもそれをホンモノのコメディアンが演じているからさらに面白くなる。 また、普段コメディをやらない人が全力でコメディを演じるのもまた面白い。 そこまでやっても大丈夫か?というくらいの良いノリで漫画のようなテンションを見せてくれるがとてもサービス精神があるように思う。 印象が強いのはアクション映画さながらのコメディ場面。 ドラマシリーズでもお馴染みである,のだめが千秋に吹っ飛ばされる場面。 宙に舞う,のだめは人形には見えない。 漫画ノリがわざとらしく見えないのもすごい。 
 千秋とのだめの恋愛部分でとても印象的なのがある。 それはフランスという美しい街並みが並ぶ国でのロケだったからこそだと思う。 夜景の広がる街のベンチに座り会話する場面はとても綺麗だ。 あくまで主役は千秋とのだめなのだが、風景がとても綺麗。 映画ではこのような海外ロケは多いはずなのにこれが格別に美しく見えた。 やはりバックに映る風景はドラマを演出するんだなぁとしみじみ思う。
 バラバラで問題ばかりの仲間達を一つにまとめ、まとめる人間もまた,信頼を得ていくというのは学園ドラマなどでも定番なのだが、やはり見所として大きい。千秋はコンマスと始め、ぶつかり合うけど実は音楽的センスでとても気が合うというのがベストパートナーと感じさせるし、第一印象から見ると意外であるが楽しい。 団員の個性も見所だ。
 後編では千秋とのだめの恋愛模様も色濃くなりつつ、のだめがメインとなるのではないかと思う。とても楽しみである。
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by jd69sparrow | 2009-12-27 06:00 | 映画タイトル な行

ティンカーベルと月の石

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<イントロダクション>
 ティンカーベルの性格は,とても頑張りやで気が強いけれど 頑固で怒りっぽくもある。 怒れば顔を真っ赤にしてかんかんに怒る,その姿はピーター・パンをウェンディにとられたと思い,やきもちを焼く様子を思い浮かべられる。 これは変わることはないのだなと思った。 また、負けん気の強いところもフック船長を目の前にした時に現れている。 そんなティンクの見て比べるのも面白い。 
 人が過ちを犯すように、妖精だって,ティンクだって多くの失敗を重ねていく上で成長を遂げていく。 ピクシーホロウに生を受けたティンクが初めて知るのは“自分らしさ”、今回彼女が学ぶのが“友情”だ。 どんなに才能ある人間だって一人では生きていけないということだ。 当たり前の事だけど、忘れてしまいがちな大切な事を教えてくれるのがディズニーの物語であり、映画の魔法なのだと思う。

<あらすじ>
 ピクシーホロウの秋の祭典が開催される事になった。 それは代々受け継がれてきた伝統で、ピクシーホロウに住む妖精たちの未来を守るための大切な祭典なのだ。 “月の石”。それは滅多に手に入る事のない魔法の石。 月の石と、月の力を借りて 妖精たちは聖なる杖を通し,青い妖精の粉を得る。 “聖なる杖”作りは毎回異なる分野の妖精が任される。 今回は“もの作り”の妖精の出番。 そして、その重大任務に選ばれたのがティンクだった! 妖精の番人で親友のテレンスの知識を助けに杖を作り始めるティンクだったが、祭典の日が迫ったある日、ちょっとしたことでテレンスと喧嘩になり 杖を壊し. 即座にティンクはテレンスのせいと決め付けて,彼を追い払ってしまう。 すると追い討ちをかけるようにまたと手に入らない貴重な“月の石”までも粉々にしてしまう。 しかし。まだティクには道が残されていた。 ネバーランドに沈む,海賊の難破船に眠る,叶えられる願い事を一つだけ残した鏡がどこかに眠っているという事だ。 故郷から遠く離れたネバーランドへのティンクの冒険が始まる。

<感想>
 映画はバイブルである。 親が子に物事の善悪を教えてくれるように,いろんなことを教えてくれる。前回の話ではティンクが自分の才能を自覚して、自分らしさを知るというものだった。今回は身近で支えてくれる人の有難さや人は一人では生きていけないということ,また許しあうことの大切さをティンクの冒険を通して語られる。 これは子供から大人へと成長する課程におけるキーワードである。しかし、大人が見ても改めて学ぶべきところがあると思う。 最も心に響いたのがフェアリー・メアリーが秋の大臣に語る一言だ。
 それは、聖なる杖作りに任命されたティンクに不安をもらす大臣に,ティンクをホロウする言葉である。「モノ作りの妖精は失敗から学ぶ」というセリフ。これは、人間にそのまま置き換えられることだからこそ、一番印象に残るだろう。 失敗を恐れがちだけど、「失敗は成功のもと」と言うように失敗は恐れるべきものではないのだ。そうとわかっていても 中々難しいことも確かだが。 ティンクは怒りっぽくて,ちょっぴり我慢が足りない。 その結果、様々なトラブルを起こしてしまうのだが、そうして失敗するたびに大切なことに気付かされ,前に進む。私たちの人生を表すかのように。
 ディズニーの魔法の素晴らしさはいくつもある。 常に,永続的にあるのは“冒険することの楽しさ”だと思う。 数々の作品にはいつも,様々なカタチに変えた“冒険”が描かれている。ティンカーベルは自分の羽では遠すぎるネバーランドへと旅立つ。過酷さな試練を潜り抜け,大切なことを学ぶために。 妖精の粉ばかりに頼らず,自分の体とアイディアを頼りに,妖精というよりも人間的に旅をするのが面白い。
 もう一つの魔法、それはキャラクター一人一人に愛着がわくというところ。個人的に虫が苦手だがディズニーに登場する虫たちはとても愛らしい。それを証明するのがブライズである。ブライズはティンクが旅の途中で出会った蛍。最初の登場場面はまるでプライドランドに誕生したばかりのシンバのように見えた。つまり、赤ん坊のような愛らしさだ。仲間達とはぐれてしまった、ブライズが一生懸命,ティンクと友達になるべく,いろんなことをしてティンクの力になろうとしている姿がとても微笑ましく,温かい。 ブライズはお腹を空かせた,ティンクのために他の昆虫たちを呼び寄せて,ティンクを救う。言葉は使わずに行動で優しく癒そうとするブライズに心打たれる。 ブライズが呼び寄せた昆虫たちもまた,可愛らしい。 実際はダメでも,ディズニーの世界は違う。人間を癒す犬や猫のようだ。 
 たった一人で旅を始めたティンクにとって,ブライズは心強い旅の友。蛍のブライズはティンクの成長に光を当てる。テレンスと杖作りをしているときがそうであったように,支えられていてもその有難さというものは中々気付くことができない。だから、うまくいかないときにツイツイ当たってしまうのだ。ブライズとのやり取りの中で、テレンスとの間に起こった出来事を見た,ティンクはようやく“許す心”と“支えてくれる存在の有難さ”を知るのである。なんとも人間的なのだろう。
 そして窮地に追いやられた時ほど本当に大切な人のことを思い浮かべる。 もしこの人がいてくれたらならば、と。 そんな時にその人が目の前に現れて自分を救ってくれたとしたら、一気に闇を光に包むのだ。
 次回、ティンクがどんな成長を遂げるのかが楽しみだ。そこでは、ピーター・パンとの出会いは描かれるのか…気になるところである。
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by jd69sparrow | 2009-12-24 23:13 | 映画タイトル た行

パブリック・エネミーズ

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<イントロダクション>
 大恐慌時代。アメリカの人々が貧困に苦しんだ時代であり、貧富の差が激しい世の中でもあった。満足のいく生活が出来ていたのはごく一握りの人間だけで大半の人々が明日の見えない日々を送っていた。多くの人々が混沌の中にあり、苦しんでいたこの時期が銀行強盗にとっては“黄金時代”ということにまず驚かされた。その中の一人であるジョン・デリンジャーは“活躍した人物”とされている。世の中には平和と混沌の二つの時代に分けられるだろう。 それぞれの時代にその真逆の状況の人たちがいるということになる。 苦しい時代でも、この状況をうまく利用・活用できる人たちがいるのだと思う。 しかし、一度は苦しい思いをする日が来るだろう。
 アンチヒーローと謳われたデリンジャーは全てとは言わないにしても,大衆と仲間たちに慕われたカリスマで、唯一の敵は汚れた金を欲しいままにする金持ちたちだ。そんな伝説的な人物の活躍から最期までを追った“真実の物語”、それが『パブリック・エネミーズ』だ。

<あらすじ>
 1930年代、アメリカが苦しんだ時代の只中,人々に希望を与えた犯罪者がいた。ジョン・デリンジャー、世紀の銀行強盗だ。彼は汚れたお金を奪い、一般人からは一銭も奪わない強盗で 仲間思いで大切な人のために危険を顧みない,“社会の敵”と呼ばれても大衆からは愛されていたアンチヒーローである。
 脱獄を繰り返し、そして何度も銀行強盗を成し遂げたデリンジャーはある日、一人の女性に惹かれる。 彼女の名はビリー・フレシェットだ。 デリンジャーはビリーに“イエス”を言わせるまで引き下がらず、彼女を自分のものにした。 これはお互いにとって運命的な出会いだった。 銀行強盗を繰り返す日々。 順調かに見えたが、既に名が広く知られていたデリンジャーを捜査局が放っておくはずがなかった。 シカゴへ新たに送られてきた腕利きの捜査官メルヴィン・パーヴィスがデリンジャー逮捕の計画に加わったのである。追いつ追われつの濃密な物語である。

<感想>
 ジョン・デリンジャーの生き方は波乱に満ちつつも,幸せだったかもしれないし 学ぶべきものがある。 ジョンには暗い過去もあるけれどそれを引きずってはいない。だが、現状につながるものが過去にはある。彼の人生は他人の手によって閉じられることになるけれど、銀行強盗として活躍し、人生の終盤には“運命の人”に出会い、その愛する人のために生きることができたわけだかがら たと激動であっても幸せだったと思う。 後ろを振り返らず、常に自分に自信を持ってわが道を貫き,歩くというのは中々難しいだろう。 だけど、ジョンはやってのけた。 自分に関わってきた人たちに裏切られることはあっても 自身は決して見捨てたりはせず、また愛する人を裏切らないところに人間的な魅力がある。また、一般人には決して手を出したりしないところも。 ジョンの美学は人を魅了する。 それは当時の人々も現代の人々に対しても同じこと。 
 ジョンは1分40秒あれば、仕事をやってのけられると断言し,それは事実だと思う。 これ程まで昔にこんな怪盗がいただなんて… ましてや 当時を知らない人たちにまで愛されるとは 偉人のようだ。しかし、何度か捕まってしまうのは何故だろう。やはり そこは人間だということか。鮮やかかつ速やかにお金を奪い、危険を察知したら,どうあろうと即撤収という潔さがすごい。脱獄手段も然り。 ジョンの頭のキレの良さは銀行強盗にしておくのはもったいない…というのは納得できる。表社会で成功をしていてもおかしくない。 
 捜査官であるメルヴィンはジョンを逮捕に執念を燃やし、彼もまた優秀な頭脳の持ち主で、ジョンとの頭脳対決という駆け引きが見物である。 
 ジョン・デリンジャーはいかなる時もカッコいい。 “仕事”をするきはもちろん、人柄や大切な人への気持ちである。 初対面の人をすぐさま信用のおける人物だと見ぬく力はズバ抜けている。 自分の職業というのはジョンの場合は普通は明かさないけれど、ためらにもなくビリーに打ち明けるということがそれを証明している。 自分の信念に絶対的な自信を持っているところが,すごい。 “ノーをイエスに変える”ことができるのはその自信が確たるものだという裏づけとなる。 決して恵まれた人生ではないけれど、見ず知らずのビリーに自分の人生をごく,わずかな言葉でまとめた上で 最後にビリーへの思いで締めるという…これは“イエス”と言わざるをえないだろう。
 ジョンには慕っていた人物がいて、彼はその人から「欲の強い人間とは組むな」という言葉を受けている。 これを自らのビジョンに取り入れ、実行している。 ジョンの言葉の数々には格言のようなものがある。 欲が弱い人間は相手への配慮を持っていて,協調性が強い。 よって良きパートナーとなるのだと思う。 これはあくまで推測だが、欲の強い人の中には自分のことばかりが大切で 何か道を阻まれたとき感情的かつ衝動的な行動に出てしまう。 チームの足を引っ張る結果となってしまうのだ。 だからジョンはそういう人間とは極力組まないし、いれば切り捨てるのだと考えられる。 
 ジョンの最期ははかないけれど綺麗だ。 甘い言葉に屈してしまった,大切な人の一人の働きにより追い込まれることとなってしまった。 だけど、それはきっとジョンは気づいてたかもしれない。 ジョンの見た映画が彼の気持ちを代弁していたようだ。 そして自分の運命を悟っていたに違いないというのも納得。 だからこそ、あれ程無防備にできたのだろう。 始めからそのつもりだったと言わんばかりに。 その潔さがまたカッコいい。 
 最も大切な人への気持ちは揺らぐ事はなく、最後まで思い続け…そして、守り抜いた。 ジョン・デリンジャーは“社会の敵”とされていたが果たして。 社会とは、大衆を含めた,全ての人たちへ対して向けられるはず。
“敵”と考えたのは、ジョンを良しとしない政府だと思う。 本当の“社会の敵”は他にいると見て思ったのは私だけだろうか。  
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by jd69sparrow | 2009-12-15 22:06 | 映画タイトル は行

カールじいさんの空飛ぶ家

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<イントロダクション>
 動物達など人間以外のキャラクターが主役が多いピクサー作品の中で稀である『カールじいさんの空飛ぶ家』。 おじいさんが主役という新たな試みである。 頑固なおじいさんだけれど、憎めなくて可愛らしい、だからピクサーの可愛い,愛らしい主人公たちの定義が守られているわけだ。 家に引きこもりのおじいさんが、とてもおしゃべりな少年と旅に出るという,いまだかつてないストーリー設定に、“空飛ぶ家”という,その言葉だけで人に夢を与えるような、ほのぼのとしていて温かい話なのだと伝わってくる。
 色とりどりの風船の力で空を飛ぶカールとエリーの夢と希望、努力の結晶の“家”。 少年カールが今に至るまで妻エリーとともに大事してきた家には温もりと魂とが宿る。 そして空飛ぶ家は今は亡き,エリーが家を通して大切な事を教えてくれているのではないだろうか。 カールに新たな夢と未来を与え、そしてさらに視聴者へ同じ贈り物をしてくれる,毛布のようにぽかぽかした作品である。

<あらすじ>
 希望に満ちた冒険に憧れる少年がいた。 少年の名はカール。 カールは映画館の帰り道でとある家の前で足をとめる。 中から何かが聞こえるのだ。 恐る恐る中へ入ると男の子のような格好をした女の子がいた。エリーである。 大人しくてシャイなカールとは正反対で、とても明るく活発なエリーには共通で好きなものがあった。 空を飛んで冒険する事。 やがて二人は成長とともに付き合い始め、一つ屋根の下で暮らすようになる。 そう、初めて会った場所で。 とても幸せな日々を過ごす二人の夢はいつか家を飛行機のように飛ばして、夢の地へ行く事だった。 しかし、その夢も実現できぬまま年を重ねてしまう。 人生の後半に入った頃、悲劇が二人を襲う。 エリーは病気に倒れ、間もなくして天国へと旅立った。 一人取り残されたカールはエリーを思い続けながら、頑固なじいさんになった。 
 街の開発が進み、カールとエリーの家は孤立している。 老人ホームへ行く事も思い出の詰まった家を離れる事も頑なに断るカールじいさん。 その状況から脱するべく、あることを思い出す。 エリーと叶えようと誓った夢だった。 それを今、実現することを思い立った,カールじいさんは家を改造して翼をつけた。 そして、計画は実行に移され、空を飛ぶ。 夢の地へと冒険に出るカールじいさん、なんとそこには意外な珍客が紛れ込んでいた。 カッセル少年だ。 どうしてもお年寄りを助けたいとせがんできた少年はあきらめずに付いてきたのだった。 そして二人の冒険は数々の障害を乗り越えながら進んでいく。

<感想>
 心から望む夢というのは中々実現が難しい。 その障害は様々だけど、でも実現しようと努力する事じだいが楽しくもある。 風のように流れていく、時の中でカールとエリーの夢の実現への道のりが描かれ、それは春風のように暖かく優しい。 少年のようだった、エリーが清楚な女性に成長するところもまた印象的だ。 悲しい事にエリーが生きている間には実現できないけれど、人生の終盤にかかったときにその夢をあきらめずに実現させることのできたカールじいさんはすごい。 いつ叶うかはわからないけれど、あきらめなければ,また大事な人を強く思えば夢は実現できるのだと語っている。 若いときに冒険するのとはまた、別の世界がきっと広がっているのだろう。 それはその時にしかわからない。 でも、再び希望を取り戻したときのカールじいさんは頑固で意地っ張りな印象から,夢に満ちたカール少年に戻ったかのよう。 表情を取り戻し、笑顔まで戻ってきた。 その姿は年よりもはるかに若く見える。
 カールじいさんにとって、ラッセルはとても厄介に思えたけれど、彼が後に語るように,本当に,エリーが施してくれたのかもしれない。 孤独なカールを解放するために。 カールじいさんをラッセルがぐいぐいと導いているというふうにも見えた。 
 二人の冒険の前に立ちはだかる障害。 そのきっかけとなったのがある犬との出会い。 人間の言葉を話すその犬の名はダグ。 好奇心旺盛な犬そのもので人懐っこい。 カールじいさんが憧れていた冒険かチャールズ・マンツの飼い犬の一匹。 マンツはその昔、空へ旅立ったきり行方不明になっていた。 そのマンツは今も怪鳥を捕まえる夢をあきらめず、まず空の上にいたのである。 だけど、彼の夢は欲へと変わり,いつしかその欲に取りつかれたマンツは悪魔も同然となっていたようである。 その飼い犬たちはみな、翻訳機能の付いた機械を首輪につけられて、マンツの欲望の赴くままに飼い慣らされていた。 その犬たちの一員であるダグだが、彼だけは他の犬たちと違った。 主に命を実行しようとはするけれど、本当に心の温かい人間をかぎわける力を持つ,利口な一面がある。 カールになんとか認められようと,ないしは助けようとする様子はとても愛らしい。 犬が人の言葉を話したら…というのは多くの人が一度は考えた事だろう。 犬と会話できれば、孤独をまぎらわすこともできれば、楽しい生活もできれば、小さい子どもにとっては良き遊び相手となることだろう。 また、犬自身も言いたい事が言える。機械的ではなく、人と同じように犬が話せたらいいのにな…なんて思う。
 ラッセルが怪鳥のケヴィンを守るように、カールじいさんも自分の夢を追いかけるだけだったのが,冒険を重ねるうちにラッセルという大切な冒険仲間を思うようになる。 家に固執する事さえも忘れ、ただ一直線に冒険とラッセルとの絆を深める事を大事にする。 この変化が見所の一つと言えよう。 
 後半だっただろうか。 実はラッセル自身も孤独を味わっていたことがわかる。 父親に中々会ってもらえないという寂しさを抱えていたのだった。 旅の末、もうカールじいさんとラッセルは他人ではなく、家族同然だった。 私には本物の家族のように見えた。 壮大な旅の終わりにカールはエリーを思い、また,新しい幸せの一歩も踏み出す。 こんな光景がとても感動的だ。 表彰の場で、ラッセルの後ろに立つ,カールじいさんはラッセルの父親のようだった。 エリーとの子どもを持つ事の無かったカールにとってラッセルは実の息子に思えたのではないだろうか。 そう思うとまた心が温まる。 カールじいさんにラッセル、ダグの二人と一匹のその後の思い出の一つ一つがとても綺麗に映し出されていた…
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by jd69sparrow | 2009-12-11 02:06 | 映画タイトル か行

2012

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<イントロダクション>
 いずれ地球は滅びる時は来るだろう。 地球もまた人間のように生きている、だからこそ,その命が尽きる時がくる。 原因がどんなものであれ… しかし、老いて死を迎えるように必然というのがあったとしても 少なからず,力尽きるのには人間が関わっている事だと推測できる。 明らかに今、環境問題や一人一人の意識によって傷つけているのだから。
 とは言え、この物語は天命かもしれない。 地球も一つの惑星であり、いつかその時が来てもおかしくない。人は地球が滅び行く時、何を思うだろうか。 ここがまさに主軸となり物語は進んでゆき、作り手が一番見せたいところであり、観客に問いかけたいところだと思う。

<あらすじ>
 ジャクソン・カーティスはSF作家とリムジンの運転手という2つの仕事を持っている。 彼には子どもと妻がいたけれど、今は別れている。 だけど、子供達を思うカーティスは時折、子供達の下へ訪れる。 娘リリーだけは父親が大好きである。 ある日、カーティスは息子ノアとリリーとともにキャンプに出かける。 しかし、そのキャンプはうまくは行かなかった。 昔、妻ケイトと行った思い出の場所はもうなくなっていた、その素敵場所へと子供達を連れて行くつもりだったのだ。
 そこにはある現象の兆しが漂っていた。 カーティスたちはその向こうへと進んでいく…やがて、避けがたく,またあまりにも残酷な現実を知る事になる。 それは地球滅亡。 既にこの現象は遥か昔に発展していた,マヤ文明によって予言されてものだったのだ。 そして、少しずつ亀裂は入り始め、地球の運命も大きく動き始めるのである。
 人々は滅び行く運命と思われていたが、政府ではある計画が考えられていた。それは“ノアの箱舟”のように人類が生き延びるために、一部の人たちと動物達を連れて,安息の地へ旅立ついうものだ。 しかし、これには政府の策略と欲望が隠されており、多くの人たちを犠牲にするという非情な計画だったのだ。
 人々は生き残るために、その船に乗るためにあらゆる手段に出るという争奪線が勃発する。 カーティスも家族を守るためにその渦中へと飛び込んでいく。

<感想>
 誰が必要で誰がそうでないかなんて、こんな馬鹿げたことなどあってはならなない。 なのに、ここで登場する上層部の人間はそんなことをしようとしている。 権力のある者たちと、彼らを支える資金源を持つ富豪たちなんて…。 余力、つまり救える命を見捨てるということになる。 箱舟はとても巨大でそこに用意された空間はそこへ招かれる人たちにはあまりにも広すぎる。 そんな現実があっていいのだろうかと思った。 現実に起こりうるかどうかはわからないけれど、全否定はできない。
 人に未来を予測する力があったとしても、それは100%ではないはず。 ある程度の予測を立てるけど、未知数を越えるものが押し寄せるとそこへ不安が生まれる。 予測できないゆえに恐れる。 自分達で決めた範囲を超えても大丈夫だろうかと。 そこには色々な思惑が交差する。 人の心理が見えるだけでも、この作品を見る価値という者が生まれてくる。
 最初の異変は意外なところから始まる。 しかし、それは何でもないように錯覚してしまうが それが留まらないとなるとやがて疑問は恐怖へと変わる。 卵を割れるときのようにヒビが入り始めたと認識した次の瞬間、訪れる崩壊… あまりに非現実的だが現実として映し出されている。 実際にないなんて誰が何を根拠に言えようものか。 地球の運命の時計は、既に崩壊までのカウントダウンと差し掛かっているというのに。
 地球が滅ぶのはとても恐ろしい事のはずなのに、私達は何故,それを見ることに興味を持つのだろうか。『2012』の監督ローランド・エメリッヒが世に出してきた地球滅亡をテーマにした作品のように他にも『アルマゲドン』のようなものもある。 なぜかと考えてみた。 それはまず、滅び行く姿が不思議と美しく映るからである。 ここでは砂の城が崩れるかのごとく、あまりにも綺麗に街やら建物が崩れていく。 次第にその崩壊の波はすぐ後ろに迫ってくる。 主人公たちは車や飛行機など交通手段を変えつつ,箱舟の場所を目指すのだがどちらもとても緊迫感とスリルがある。 車の後ろには道路が津波のように崩れているし、飛行機では目の前で崩れてく建物のギリギリの合間をするり抜けていくのがなんだが『スターウォーズ』のようなSF大作にも見えるし、ジェットコースターなどの遊園地のアトラクションのように見える。実際には、この感想とは真逆な思いを抱くであろうから、こんな呑気でいてはいけないのだが…
 あともう一つあげるのならば、絶望的な危機の中にいる、家族の絆と愛だ。 こんな状況下では、我先にと助かる手段へ大勢の人たちがしがみついていくという風景もあるけれど、逆に人の絆が深まっていくと言う温かいものもある。 ここではバラバラだった家族が再び、同じ輪の中におさまってくというものだ。 そこにはみんなで助かろうと言う一人一人の気持ちがある。 守ろうとする命の数が多いほど、困難は多いけれど でもやはりこれこそが、人のあるべき姿なのだと痛感した。
 この地球の異変を一番最初に気づいた人が何故こんなにも残酷な仕打ち受けなくてはいけないのか、という不条理な現実もあり、ベルリンの壁が崩れた時のような人々の一体感のようなものがあったりなど、地球崩壊の姿が強いと思いきや、こうした地球滅亡の物語というのは、実は,人間模様や人と人との感情のぶつかり合いなどを主として大事な事を人々に諭しているようだ。
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by jd69sparrow | 2009-12-04 20:18 | 映画タイトル な行

ニュームーン~トワイライトサーガ~

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<イントロダクション>
 “ニュームーン”。 今回登場するのがヴァンパイアの他に天敵である狼人間が登場し、どちらに対しても関わりのありそうである。 主人公ベラとエドワードは人間とヴァンパイアの境界を越えた恋人同士、そこへ新たな“存在”が加わった。 それがジェイコブ。 第一作から登場はしていたが二作目でメインとして登場だ。 もし、このタイトルが狼人間よりなのだとしたら、ここに意味がありそうである。 
 人とヴァンパイアという生き方の違う両者に立ちはだかる障害は前作から続いており,シリーズ通してのテーマの一つなのかもしれない。 この問題にベラとエドワードは苦しめれる事となり、距離を置いた二人は孤独を味わい,その先にあるものへと突き進むのだ。

<あらすじ>
 ヴァンパイアに課せられた最大の掟、それは種族の存在を公にする事である。 背けば、処刑の運命を辿る事となる。 カレン家のヴァンパイアたちは人々に良心的だが、この掟,つまり秘密を隠し,そして人に悟られぬようにする事は難しい。 きっかけはカーライルの“若さ”だった。 人々の間に疑問の兆しが見えてきた事で彼らは町を離れなければならなくなった。 狂おしいくらいにエドワードを愛しているベラにとって、エドワードが自分のもとから去ることは地獄でしかなかった。
 離れてもエドワードの幻に苦しめられ、そんなベラを救ったのが親友のジェイコブだった。 エドワードとは対照的に温もりのある彼に気づけば,癒されるベラ。 しかし、エドワードを忘れる事はできない。 そして、ジェイコブにもある秘密があった。 それはカレン家とは因縁のある種族であるということだった。
 心が揺れ動くベラが出した答えとは? また、エドワードとの運命はどうなるのか? ベラの知らないヴァンパイアの世界の扉は今、開かれる…

<感想>
 『ロミオとジュリエット』は悲劇だが、究極の愛の物語である。 仲の悪い家どうしのもとに生まれた二人には障害が多いけれど、二人の恋は実に美しく切ない。 外国映画には特に、物語の内容を始め,鍵となる場面や設定(が語られる)になんらかのカタチで表現し、その隠喩がわかると面白く,また作りこまれているのを実感できる。  この名作をなぞられたところがあり、そこは物語の主軸として『ニュームーン』に描かれる。 二人の主人公の関係性や、今回起こる事件はまさにそれを連想させられる。 相手への愛のために危険に身を投じるベラ、愛する人に死が訪れたと思いこみ,自らも命を絶とうするエドワード…ロミオとジュリエットそのものではないか! 有無を問わずに自分の下から離れていった人、心がどん底に突き落とされようとも,他の誰かに傷を癒されても エドワードが自ら死へと向かおうとしていると聞くやいなや,走り出すベラはエドワード以外愛せないのだと物語っている。 そこまで強く結ばれた絆ほど美しいものはない。
 ヴァンパイアは常に血に飢えており,血を追い求めているダークなイメージを持ちやすいけれど、それが魅力だったりもする。 しかし、ここでは呪われた存在であることは変わらないけれど 人間の命を奪うのではなく,守るのだ。 もちろん、通説どおりのヴァンパイアもいる。 今回新たに登場する狼人間達も同じだということも驚きだけど、これが『トワイライト』のカラーなのだと思う。 ヴァンパイアは悪魔の化身とも言われるけれど、守護として描かれるのはとても珍しく,また美しい。 アン・ライスの描く世界もとても美しいけれど、モダンな美しさを持つ『トワイライト』も絵画のようなアートである。
 前作に続き今作もまた、新たな味を出している『トワイライト』。 新たな味というのはこれまでのヴァンパイアなどのモンスターの登場するジャンルという意味で、これまでにはない切り口で語られる部分が多い。 一作目では、前述したように人へ良心的なヴァンパイアがいて、彼らが血に飢えているなどほとんど感じさせなかったり、さらに日の下にいる彼らの肌に出る色が違うということなど多々あったが、今回は狼人間である。 これも既に述べているように人への危害を加えないという生き方をしているということがまず一つ。 もう一つは解説にも掲載されていたが、四本足で歩く、狼そのもので,しかも体の大きさもかなり大きいということである。 そしてこれもまた、興味深いのが種族として複数登場する狼人間は一人一人個性が出ていて,見た目はそれぞれ違うのだ。 ヴァンパイア族にも予知能力や読心術など様々な個性があるという,これまでのヴァンパイアモノにはない特徴が描かれていて面白いけれど。 『もののけ姫』に登場する狼のように美しい毛並みをしていて(大きさも近い)…でも顔はリアルな狼、これがとても良いなぁと思う。 性格的にも残忍とクールの二極端ではなく,熱い性格だったり,明るい性格だったりと個性豊かだ。 なので、こうだとイメージや断定付けるものがないのが良い。 だからこの作品の持つ色は他の同じジャンルのものと一線を引いている。
 二本足で立つ狼人間と言えば、カプコンの『ヴァンパイア』に出てくるガロンというキャラクターがいて、狼と人間の両方が半々だ。 個人的に見た映画にはこのようなものはなく,狼らしさというのは中々見られることはなく,どこか不自然さが残る,とても半分ずつとは言えない狼人間が多かった。 狼と化したときにリアリティがなかったのである。
 『ニュームーン』で登場する狼たちは体の高さは人間と同じくらいという大きいものだが、本物に近いのでは?と思う。 リアリティがあるからこそ,彼らがヴァンパイアと戦う様はとても迫力があった。 両者のぶつかり合いが物語で最高にエキサイティングなところ。 体格の差がありながらも,また、スピードの多少の誤差があっても互角に戦う様が、この,音楽のような綺麗な作品の中で唯一のアクション映画な部分だ。 対立したモンスターどうしだが、この関係性は時に協力関係になることもある。物語により,設定が変わるのがまた面白い。
 クラシックでもヴァイオレンスでもない、青春ともまた違う,二人の物語。 無駄がない。 エドワードはベラのハートを鷲づかみにするかのように,離さない。 相手を不安にさせることもあるけれど 愛する人の危機には敏感で,遠くにいても幻となってベラを安全へと導こうと努める。 彼が何よりも求めるのがベラの幸せ、ベラを愛しつつも自分と関わりを持ったことで異常にまで思える強い想いをよせる彼女の身をあんじている。 さらにヴァンパイアになることを熱望するベラを引き止める。 この想いの強さが第三者としてみても惹かれるものがある。 
 前に述べたかもしれないけれど、実際に文字で書かれた物語の世界を覗き込んでいるかのような,また一つの芸術のような作品だと思う。
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by jd69sparrow | 2009-12-01 17:33 | 映画タイトル な行