NINE

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<あらすじ>
 映画界きっての天才監督グイド・コンティーニは、今度の新作『イタリア』の製作発表をするものの,スランプに陥っていた。 撮影が間近に迫っているのにも関わらず、脚本が1ページもできていない。 アイディアすら浮かばない状態。しかし、クルーたちはそのことは言えぬままだ。脚本がない状態で製作の準備が着々と進む中で、窮地に追いやられたグイドは 会見の途中逃亡する。そして彼が向かった先には一人の女性の姿が。愛人のカルラだった。 グイドは自分を慰めるべく、女たちのもとへ逃げおおせたのだ。時に現実逃避、妄想にふけりつつ なんとか危機から逃れることを試みる。9歳の少年だった頃の記憶を甦らせて、ママの幻想を作り出す。彼の人生にとって特別な時期だった時代である。
 どんなにひどい男でも、何故かその周りに女たちが集まってくる。 グイドとその女たちの物語。女たちはグイドが求める,あらゆるものを持っている。 それぞれ全く違う個性の持ち主だ。 
 グイドが苦しむ一方で、無情にも映画の製作は迫ってくる。 人間として,映画監督として追い詰められていく,グイドに脚本を作ることができるのか。 波乱万丈の男の人生の1ページ。

<感想>
 シリアスでどろどろな印象を与えないのは、なんと言っても主人公の妄想の場面で 映し出されるエンタテインメント・ショーの数々。 現実にはないけれど、グイドを囲む女たちが登場し,それぞれスタイルの全く違う,歌とダンスを披露する場面だ。 それらは,グイドがそれぞれに抱く思いが反映されたイメージである。 そのため,ジャンルも何もかも違うエキセントリックなショーを楽しむことができる。 それぞれの歌には役割がある。
 私が最も印象的に思うのは、映画の終盤に近づく頃に登場する,ケイト・ハドソン演じる女性記者が歌う,“シネマ・イタリアーノ”だ。 これは映画の要と言っても過言ではないクライマックス・ソング。 白と黒というはっきりとした色に分けられた男女がステージで,はじけて踊る とてもモダンなナンバーである。 ソウルフルな音楽と蝶が舞うようなダンスがエキサイティングで、個人的には数あるここでの歌の中の“華”だと思う。 
 役割としては、シンプルに言えば グイドが映画作りへ踏み出すために,後押しするような感じ。車で言えばアクセル。鋭い報道記者とは考えられない、一面が前面に出ている場面だ。
 そしてもう一つ、印象的な場面なのが ファーギーが演じる サラギーナが少年時代のグイドに歌う,“ビー・イタリアン”。これは、9歳のグイドに「立派なイタリアの男になれ」とアドバイスするようなナンバーだ。 これぞ、ブロードウェイの王道だと言わしめんばかりのパフォーマンスが炸裂する,グラマラスかつ大胆な、野性味たっぷりの魅惑の女の歌だ。 他の登場人物たちの曲とは一線をひくこの曲。 何が違うのか。 それは現在の多くの女たちから愛される,また愛を選びきれない性をグイドを作ったのが、サラギーナとの出会いだからと言えよう。 少年を男にした曲。一言で言うなら、“誘惑”ないしは、“魅惑”。どちらにしても惑わす歌である。
 しかし、グイドを一番癒すのは“ママ”である。 もう既に他界したママは、今もグイドに求められ、幻想と記憶の中、また妄想の中に生きている。ママはグイドにとって、“聖母マリア”のような存在なのだと思う。 彼が道に迷う時、必ずそれを救い,導くために現れるのがママなのだから。幾度となく、重要な場面に登場する。 グイドがママを愛したように、ママも息子を同じくらい愛していたのだろう。 完全にスランプに陥り、プライベートさえも居場所がなく道に迷う,グイドをあるべき道へと導くのだ。
 グイドが愚かなのか、それとも女たちが鋭いのか。 きっとそれは両方だと思う。 男が力で、女が知性とされるように 男の偽りは女には通用しないし、隠せない。 嘘はいずれ明るみに出るのだ。 言葉で言うのとは違う,その裏にあるもの。 それは本人ですら気付かないこともある。それが本能だ。 意思は目の前にいる存在が一番だと言っても、どこかで他のものを少しでも願っていたら、また,捨てるべきものを捨てきれてなかったりしたら それはおのずと見抜かれてしまう。それがよく伝わってくるのが、グイドの妻・ルイザと愛人カルラとの間に立ち,ルイザにカルラとの終わりを告げる場面だ。
 しかし、欲望のまま 愛を選びきれない男でも女たちが離れないのは何故だろう。 それがグイドの魅力だと言ったらそれまでだが。 優しさはもちろんのこと、人間としての脆さを見て,守りたいと言う思いにかられるからなのだろうか。
 ラスト、ついに結論を出す。 『イタリア』という壮大なタイトルから一転して、グイドが行き着いた作品は『NINE』というものだった。 最初この映画を見たときに、何故映画の題名が『NINE』なのかと疑問に思っていたけれど、改めて解説を読んでみたら、その答えがわかった。グイドが最後に持っているカチンコに書かれた“NINE”の文字、そのためだけにそのタイトルがついたのか?と内容が読み取りきれておらず、もやっとしていたのが一気に消えた。
 こんなにも『9』が強調されていると言うのに何故自分はわからなかったのかと思った。 これは確か解説の中にも詳しく説明されていたと思うが、グイドの今度の新作が“9作目”ということと,度々映画の中に登場する “9歳”のグイドの二つが鍵。 特に後者。 まず最初に、言えるのが 9歳の時に衝撃的な出会いを受けたグイドは9歳のまま、時が止まっている。 その“時”が彼の男しての目覚めの瞬間だったからこそ そこで止まっているのだろう。 
 グイドの原点が“9歳”のあの時。 悩みに悩まされた彼が、出した結論と言うのが まさに、原点に返ることだったのだと言えるだろう。
 あくまでこれは私が勝手にイメージした、男性が母親を見る目なのだが。母親とは、優しくて子供を一番に理解してくれる存在。 また、許しを求めれば それに答え、また癒しの存在。色々な側面を持つ,母親という存在が グイドのまわりいる女たちに分散された感じがする。 だから、それぞれ違う“母親”をルイザやカルラ、リリーといった仕事上の関係の人たちや身内などの女たちが持っているから グイドは彼らを,愛を選びきれないのかもしれない。
 とても衝撃的な場面(グイドがたくさんの女たちに文字通り囲まれるところ)に始まり、最後は温かな感じに終わる,ストーリー性という軸もしっかりした作品だ。  
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by jd69sparrow | 2010-03-26 16:30 | 映画タイトル な行

シャーロック・ホームズ

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<イントロダクション>
 名探偵の代名詞と言っても過言ではないのが、コナン・ドイルの生み出した,シャーロック・ホームズその人である。 『名探偵コナン』世代にとっては、きっと『コナン』の漫画を通じてその名をきっと聞いたことだろう。 探偵モノは数多くあるが、確かにここが原点だろうとミステリーファンの多くは口を揃えて言うと思う。 しかし、このロバート・ダウニーJr.版は過去の探偵のイメージをガラッと払拭したキャラクターである。 制作者曰く、原作で描かれた,当初のイメージに近づけたという。  武術をこなす探偵など聞いたことが無い。 しかし、名探偵には敵はつきもので,必要不可欠なのかもしれない。  頭のキレも良く,戦えるとなるとこれに勝るものは無い。 どんな状況下でもブレない推理力がホームズの魅力だ。

<あらすじ>
 19世紀イギリス。 この世にはびこる謎を愛する一人の男がいた、シャーロック・ホームズ。 彼は相棒で医師のワトソンと共に,いかなる難事件に挑み 解決させる名探偵だ。 ホームズに立ちはだかるは、魔力を持つとされるブラックウッド卿。 謎に包まれたその男は素性が見えない。 ブラックウッド卿は連続殺人犯として逮捕され,処刑される身となるが その顔には恐怖の色はなく,むしろ何かを待っているようだった。 予定通り刑は実行されるが…
 その後も奇怪な事件は絶えない。 地獄より蘇りし、悪魔との戦いが始まる。 次々と人の命が奪われていくが、その裏には大きな野望に満ちている。 ホームズは謎を解き明かすため,大切なものを守るために事件の先の先まで追っていく。

<感想>
 一番インパクトがあるのはやはりアクション場面。もちろん、推理場面も然りだ。 まずはアクション。 ミステリーとは思えないほどのエンターテインメント性の高いアクションが満載。 それは冒頭から始まる。 物語の始まりというのは動と静とがあるけれど、この場合,静とフェイントをかけた上での動な気がする。 いきなり動で始まり,動き出した物語は意外性を盛り込むとさらなる,期待感が増す。 まさにそうだった。 第一印象と実際とが違うという驚きが最高。  もちろん元を辿れば、最初の印象は事実としてある。 不注意だったかもしれないけれど、見えてなかったものが見えてくるのだ。 ホームズの最初の登場シーンはとてもクールである。 たとえ、その後どんなものが待っていても、だ。 
 頭脳明晰な人間は自分の起こすアクションについて分析をする、さらに相手の弱点から背景まで全てを99%見抜いてしまう。 だから、どんなことも物理的に解決しようと考える。 だから、相手と戦う際には必ず分析をかせない。 それを一瞬で行うその回転の速さは天下一品だ。 それがわかるのが巨漢とのファイトシーンだ。 まず、相手の弱点を解析し、そこをどう突いて攻めるのかを説明し,それを100%実行に移すのが見所であり、痛快である。 その構成じたいもさることながら,映像の速さの強弱もメリハリがついていて視覚的にも感覚的にも楽しめる。 ホームズという人間が頭脳だけ優れた,頭でっかちではなく、柔軟な人間なのだと窺える。 己の頭脳によって、物理的応用を利かせるという,現実には極めて困難なことを 説得力を持たせてそれを、見事に証明するのだ。 勉強は現実に活用できると。 
 頭も良くて、体力的にも強い。 こんな前代未聞な闘う名探偵は 実は原作で本来描かれるホームズ像にかなり近づけられているというのだから 驚きだ。 
 ワトソンとのコンビネーションは凄い。ドラマ『相棒』のようにタイプの違うホームズとワトソン。一人は名探偵で分析力と観察力に長けた天才、一人は医師という仕事柄的にも,また推理力もあり,二人はまさに名コンビである。 しかし、人間的には全く異なる彼らは生き方も違う。 事件やその謎にしか興味を持たず、私生活には関心がない自由奔放なホームズに対し、ワトソンはキャリアを積みつつ、温かで幸せな生活を送ろうとする真面目な人柄だ。 ワトソンはホームズの私生活のだらしなさに呆れ、時に手を焼いてしまう。 だけど、ホームズを見捨てることはできず、彼と共に事件を追う…まさに“腐れ縁”。 二人のコントみたいな場面もあり、印象的なのが馬車でワトソンがホームズに一発くらわすシーンだ。おどけた表情のホームズの顔を見て、一瞬笑顔を見せるワトソン。この場面を見て、ワトソンのホームズへ抱いている思いがわかるような気がする。 なんだかんだ言いつつも、互いが互いを大事に思っているという証拠。
 ワトソンは意外と直感的な人間だ。 ホームズが鍵を開けようと七つ道具を手に、時間をかけている横で、大胆にもドアに蹴りを入れて一発で開かずの扉を開けてしまうのだから。 常に冷静でホームズと同様思考型思いきや、だ。 とても驚きだが,このキャラクターに愛着がわく。
 推理ミステリーの醍醐味、“種明かし”の場面。 ホームズが追いやられていたはずが、一気に形勢逆転となる。「完璧な犯罪などない」と言わしめんばかりに犯人を追い詰めていくところがホームズの一番の見せ所で,最もかっこいい場面である。 しかもそのクライマックスが、生死を分けるようなまさに、背景的にも窮地に追いやられるからこそ、この緊迫感と爽快感がよりいっそう高まるのだ。
 “モリアーティ”。今回の話の影にいる謎の人物。 何度もこの名前が出てくるあたり、続編ができそうな感じである。 シャーロック・ホームズの数々の事件の中で、最も手ごわい相手。最大の敵であるのがモリアーティ教授,その人なのだ。 だからこそ、これはモリアーティとの直接対決を映像で描くべきなのである。
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by jd69sparrow | 2010-03-12 23:44 | 映画タイトル さ行

プリンセスと魔法のキス Disney The Princess and the Frog

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<イントロダクション>
 21世紀。 時代は3Dアニメーションが主流となり、人々を魅了している。 それは画面から登場人物が飛び出したり、画面に奥行きを出すなどリアルなエフェクトだ。 しかし、手書きアニメーションの良さを忘れてはならない。 3Dなど最新技術にはない、温かさがある。 時間をかけて熟成されたワインのように味わい深く、キャラクターたちの動きも柔らかい。 手書きはディズニーとジブリ作品の伝統だと私は思う。 この二つに勝る者は中々無いだろう。 
『プリンセスと魔法のキス』は『カエルの王子』の物語を材料にディズニーが新たに生み出した,オリジナルストーリーだ。

<あらすじ>
 1920年代、アメリカ ルイジアナ州ニューオリンズ。 伝統的音楽発祥の地。 ティアナは貧しい家柄に生まれながらも両親の愛に恵まれ、温かい人々の中で暮らし,幸せな日々を送っていた。彼女の特技は父親ゆずりの手料理だ。 ティアナの夢は父親の果たせなかった,レストランを開くことである。大人になってもその夢を持ち続け,時間を惜しまずレストランのための資金を稼ぐ毎日を過ごしている。 ある日、ニューオリンズの街にマルドニア王国の王子 ナヴィーン王子がやって来るというニュースが流れた。 王子は自由気ままで、音楽やダンスを楽しむ遊び好き。 せっせと夢のために努力し,働くティアナとは正反対。
 ナヴィーンは ドクターファシリエという怪しい男の誘惑に乗り,カエルの姿にされてしまう。王子でありながら,手持ちのお金がないナヴィーンは 裕福な家の娘との結婚をするしかない。 そのチャンスを目前にしている今、一刻も早く人間に戻りたかった。
 ティアナは彼のために開かれた,シャーロットの家のパーティに料理を振舞うために招かれていた。シャーロットにドレスを借りて,バルコニーにたたずむ彼女の元に,一匹のカエル。 カエルは人の言葉を話し,自分とキスしてくれと言う。 そのカエルはナヴィーンだった。 ティアナのキスで王子に戻れると考えたナヴィーン、キスと引き換えに夢を叶える手伝いするという約束を信じた,ティアナはナヴィーンとキスをするが… ナヴィーンと同じカエルの姿になってしまう。ドクター・ファシリエの野望の影が迫る中、カエルになった二人は冒険へと旅立つ。

<感想>
 恐らく日本のアニメの9割がたはCGなどの最新技術が駆使されたクリアなカラーによるものだろう。 コンピューターで色を塗ったり、CGで作られた映像を合成したりするなどといったもの。 それは日本国内のみならず、海外でも言えることだろう。 そんな今だからこそ、手書きの良さがすごく良く伝わってくる。登場人物が描かれる曲線も丸みをおびているし、色の質感も手書きだと濃厚な気がする。 しかし、本作はそれだけではない。 90年代やそれよりも前の時代のディズニー作品にあった,ミュージカルタッチの作品構成が見事に復活している。 アニメーション本来の魅力がここにあると言っても過言ではない。
 ヒロインや王子もこれまでにないキャラクター性を持っている。 ティアナは夢を実現させるために何が必要で,何が大事なのかを知っている。 目標に向けて努力を怠らず、時間を惜しむことなく,日々働く自律した女性。少しずつ上がっていく成果を大事にするひたむきな人。それこそが本当のヒロインだと思う。現実的だ。 そんなティアナを支えるのが父親が夢にかけた情熱と家族への愛。父親の夢はいつしか娘の夢となり、その娘は夢が現実になるその日まで,ロマンティックな恋や青春を追うことなく、その道のりを足を緩めず歩くのだ。 これから社会に出る人、また今働く女性が憧れるであろうプリンセスである。
 王子と言えば、紳士で白馬に乗ってプリンセスのもとへ優雅にやってくると言う個人的イメージがある。 ナヴィーンは雄弁で派手好きという性格だけとると王子というよりも、過去のディズニー作品に登場してきた,ヒロインに恋するも破れる男たちを連想させられる。悪役で言えば、ガストンだし,そうでないとしたら『魔法にかけられて』のエドワード王子の雰囲気を漂わせる。しかし、ちょっぴり不器用な優しさは『美女と野獣』のビーストのよう。
 ディズニーの伝統を多く取り入れつつ、新しい切り口で物語を展開するなど,ディズニーアニメの新旧が同居している。
 物語の設定など全然違う話なのに何故か、いくつかの場面で私は『ライオンキング』を連想させられた。 製作者が言うように音楽の構成がまずそうだ。 物語の始まりは『美女と野獣』の冒頭シーンのようだが、主人公が夢を語り,歌う場面はシンバが王になる夢を語る場面のよう。 キャラクターで言えば、ママ・オーディがラフィキ、レイがティモン、ルイスがプンバァだ。 これまでディズニーに登場してきた魅力あるキャラクターのスピリットがこの新たなディズニー作品に引き継がれている。
 既存の物語をベースに,この映画のように作り手のオリジナルストーリーに築き上げるというのはとても面白い。 今後も名作を新たな切り口で表現されていって欲しい。 『プリンセスと魔法のキス』の場合、元ネタの作品の時代設定とは異なることも良い。 プリンセスものアニメでは珍しい近代の世界なのだ。 しかも、ミュージカル仕立ての本作の舞台がニューオリンズというところにも魅力があり、また 大きな意味を持っていると思う。 音楽に満ち溢れたこの街に行きたくなってしまうことだろう。
 冒頭に書いたようにジャズ発祥の地と知られるニューオリンズ。個人的な話をさせていただくと、この街を印象付けたのは『インタビューウィズヴァンパイア』である。 歴史ある街並みが幻想的に描かれているところがあるのだ。 ニューオリンズは、音楽と歴史の街なのだ。これも製作者の言葉で知ったのだが、ニューオリンズは他のアメリカの地域とは全く違う異国オーラを放つ街。是非行って見たい。 この『プリンセス~』では、この街の人々や歴史、音楽と様々な視点から魅力を語っている。
 男女が結ばれて めでたしめでたし、と終わるのではなく 実写映画で見受けられそうなどちらかというとサクセスストーリー的な締めくくり。 意外な展開で結末を迎えるのがとても楽しい。 なるほどな、って感じにティアナとナヴィーンの二人が幸せをつかむ展開も従来のディズニーにはない。
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by jd69sparrow | 2010-03-09 17:06 | 映画タイトル は行

挑戦。

何かやらねば、何も起こらない。

いつも変わらぬ日々に退屈したら

何かに挑戦してみればいい。

無理かどうかは結果が出す答え。

可能性はいつだってゼロじゃない。

わずかでも希望が望めるならば、それに賭けてみよう。

やろう、やろうで終わっていいのか。

あきらめて、忘れていいのか。

口先で終わってはいないだろうか?

夢を語るも自由、

決心を決めるのも自由。


何事もポジティブに考えよう。

『何もしないで、後悔するより

挑むことで失敗して後悔する方がよっぽどいい』

失敗から多くを得られるからだ。

だからたまには後先考えずに

踏み出してもいいじゃない。

なんと思われようと関係ない。

恐れていては、始まらない。

人は皆、変化を望む。

だからまずは挑戦あるのみ。
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by jd69sparrow | 2010-03-04 00:55 |

恋するベーカリー

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<あらすじ>
 主人公はパン屋を経営するジェーン。その腕は多くの人々から認められ,彼女のお店は人気がある。ジェーンの作るパンは味わずとも見ているだけで美味しい。夫であるジェイクとは10年も前に別れていた。 子供は大きく住む場所は離れている。 彼女はパン屋の仕事で忙しい日々を過ごしながらも子供たちの特別な日には必ずかけつける良き母親だ。恋することなど忘れ、ジェーンは彼女なりの幸せな日々を送っていた。 しかし、ジェイクと思わぬ再会を果たしたジェーンは,ジェイクに歩み寄られ…。 再び恋が始まり、その相手がなんとジェイクだったのだ。 その一方で、ジェーンが密かに家の増築を計画していた。 そのための建築士がアダムという人で、彼は意外にもジェーンと同じように離婚者で,その原因もジェーンと全く一緒だったことから,互いに共感し 意気投合するのだった。
 三角関係の中心にいるジェーン。 自分にとって本当に大切なこと,相手は何なのか。 また、自分がすべきことは? 様々失敗を経て、ジェーンはその答えを見出していく。

<感想>
 ジェーンとジェイク。 二人は別々の道を選び,それを幸せだと信じ10年という月日を過ごしていた。 それなのに、幸せだと信じていたことが実はそうではなかったことを知るということはどんな気持ちなのだろう。 それにいち早く気付いたのはジェイクの方だった。 しかし、心から愛する人はジェーンもジェイクも一緒だった。つまり、互いを愛していたということだ。 ジェーンの方はジェイクによってそれを気付かされた。 もし、偶然の再会がなければ この恋が芽生えることはきっとなかったことだろう。 運命の相手どうしだったのかもしれない。 なんだかんだと言っても、心を許せる相手は一人しかいない。 ジェイクが一つに一直線だったのに対し、自分の心を満たす,ジェイクとアダムの二人の人物が表れることでジェーンは常に心が揺れていた。 正反対な彼らは当然,ジェーンに与える影響も違うからだ。馬が合うか、話が合うかの違いだろうか。
 ジェイクはジェーンの恋のツボを押すのがとても得意なのだろう。 だから封印したはずの彼女の思いを解いたのだと思う。だからこそ、一度二人は結ばれたのだ。自分の意識とは別の,心の奥底で二人はお互いを求めている。愛人を作り、その人との生活を始めたジェイク。 なのに、ジェーンと再会すると別れたことがなかったかのように接してくる。 調子のいい人間に見えるけど、実は違う。ジェーンは心揺さぶられつつも、中々ジェイクを完全に受け入れることができず、ジェイクにはないものを持っているアダムにも惹かれ まさにさまよっている。
 しかし、本能には逆らえない。 そしてやがて気付かされることになる。 本当の気持ちに。 見せ掛けに見えた,ジェイクの愛情が本物であることがだんだん見えてくるのだ。 
 その先がどうなるのか、これだと語られることはないにしろ,思い描くことは難しくないと思う。
 ロマンティックな場面もあり、人間ドラマ的もあり、コメディあり…。 最も衝撃的だったのがパソコンの画面を通してジェーンとアダムが会話する場面。 こっそりとジェーンの部屋にやってきたジェイクの大胆な行動が大きな笑いを呼ぶ。パソコンとジェイクの愛情表現がこんな珍場面を生み出すとは… それ以上のことは言いがたい。
 ジェーンとジェイクの二人の話でもあり、家族の絆の物語である。温かい作品。 大人のラブストーリーである。
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by jd69sparrow | 2010-03-03 01:23 | 映画タイトル か行

猿ロック the movie

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<イントロダクション>
 ドラマから映画化するものには、ドラマでの人気を経て,実現されるものもあれば 映画化を前提にドラマがスタートする場合もある。『猿ロック』はこの後者である。 しかし、ドラマから映画化というのは大きな賭けだと思う。 ドラマが良くても映画でうまくいくかどうかは未知。しかも、ドラマ化の時点で映画化が決まっているのだから、尚更賭けは大きい。映像化される以前に原作が人気だったとは言え,ドラマから見る人も多いし、そんな視聴者を含め ドラマを見る人たちの反応を見ぬうちに、映画へ進路向けるのは凄い。原作の有無に問わず、数ある映画の中には映画の規模に満たないものも稀にあるけれど、『猿ロック』は成功と言える。 映画から見る人間にも楽しい作品だ。
 現代ポップでありながら人情的な部分も滲み出るところ、鍵師が主人公という設定が珍しい。さらにアクションものだけど、主人公は強くはない。 だけど、大切なもののために全力を尽くすというまっすぐさが、主人公の魅力で,作品全体にも光を当てている。

<あらすじ>
 鶴亀商店街に鍵屋を構える,天才鍵師・猿丸耶太郎こと,サル。 彼は依頼された鍵を見事に開けるプロだ。 その実力は警察も認めるほど。 
 ある日、サルは事件現場にいた。 現場はまさに緊迫した空気が漂い,銀行強盗と警察とが対峙している。 現場突入を急ぐ,警察部隊の中心でサルは鍵を開けていた。 現場に居合わせた,水樹署長が人質となっていた。 無事鍵は開けられ、人質も解放され,犯人グループを確保された…しかし、警察はその中の一人を取り逃がしてしまう。 
 事件の報道を店で見ていた,サルたちのもとに 事件の人質の一人だった,マユミと名乗る 謎の女性が現れる。マユミは、勤め先で金庫を任されているが,記憶に障害があるため暗証番号が思い出せない。 そのため、金庫にある大切なものを取り出すために,鍵を開けて欲しいというのだ。美女の頼みに弱いサルはすぐ引き受ける。 とんでもない事件に巻き込まれることを知らずに…

<感想>
 物語が面白く伝わるかどうかのポイントはもちろん,ストーリーや演出もさることながら,主人公を始めとした,人物のキャラクターも大きい。 個人的に印象に残ったのは主人公サルのキャラクター性と、サルの妄想から現実への場面の数々である。 特にサルの人物像は重要だ。 サルがマユミに対して語る熱い思いは,直接語りかけているよう。 “お天道様はちゃんと見ている”や“本当に大切なものは心で見る…”、“人はみんな温かい気持ちを持っている。胸の奥にしまいこんでいて,忘れているだけ”といったふうな中々,最近の若者には中々言えない事をわざとらしくなく,言える熱い男なのだ。 最初の言葉はマユミと水樹に言う言葉で、二番目はサルないしは水樹が語る言葉,最後はマユミに対しての言葉。 二人に熱い言葉をかけるのは、二人の心の奥に温かさがあると信じているから,またそうだと知っているからだと思う。
 また、サルは決して暗い顔は見せない。これがサルという人物の見せるもう一つの魅力だ。笑顔が絶えないというのは,見ていて悪い気はしない。 むしろ周りかすれば気持ちがいいもの。サルの純粋な子供のような笑顔は、作品の魅力だ。これだけでも、見る価値があるだろう。
 サルは決して強くはない。 だから悪党が着ても,対等に戦うことはできないけれど,大切な人を守るという固い決心が糧となり,自身が持つ技術力を武器に立ち向かう姿は男らしい。鍵を開ける場面はやはりカッコいい。 特にカラクリ仕掛けの金庫との勝負の場面は見所。最初の場面もそうだったけど、危機迫る中,最後まで手を緩めることなく鍵穴を探る…そして極めてギリギリのところでやり遂げる。このハラハラドキドキな感じはスリルがある。 この他にも瀬戸際で危機を切り抜けるところが凄い。
 いくら鍵を開ける腕がいいとは言っても、心の鍵までを開けるのは難しいだろうと思った。プログラムのどこかにも書いてあったけど 信じることで心の鍵を開けられるのかもしれない。 サルはマユミに裏切られたと知らされても それでもマユミを見捨てることはなく,彼女の言う夢を信じ続けた。 その気持ちは行動にも表れて,固く閉ざされたマユミの心を徐々に開けていった。 事実が明らかにされていく中で,冷たい顔を見せてきたマユミがクライマックスでは、その表情に嘘がなく,サルを真っ直ぐ見るようになっていた。 この表情の変化は見逃せない。
 彼女は最後に“たくさん嘘をついてきたけれど、その中の一つを本当にしてもいいかなと思った”と言うけれど、サルが信じるようにマユミの夢だけは本当だったのではないかと思う。どんなに嘘を重ねたとしても,ずっと嘘を言うのも難しいし 人と関わる中で必ず気持ちがゆるむ瞬間はあるはず。 そんな時に本音が出てくるのだろう。 自分を信じてくれる人が側にいれば,なおさら。
“本当に大切なものは目では見えないもの”という言葉がある。 どうしても人は目で見えないものよりも,形あるものを求めてしまう。 お金は生きるために必要なものだけど、本当に大切なものは別にある。わかっていても,そうやって目に見えるものへ行ってしまうのはなんでだろう。 (時間に余裕がなく)先行きが不安な人々はみな,温かい心を胸にしまいこんでしまう。 特に世の中が不安定な現代は、人を思いやることが中々難しくて 助けを求める人にとって冷たく感じてしまう。 だけど、サルが言うように“人は皆、温かい心を持っている”というのは本当だと思う。だから、それを知っているだけで世界は違って見えてくることだろう。
 これもこの作品で語られることだが、“何もしなければ、何も起こらない。自分が何をやっても変わらないというこはない”というのは事実であり,そう信じて生きていけば きっと報われる日が来るはず。 政治資金問題や、税金が上に立つ人たちにより私用に使われるなど 信じることが困難な社会だけれど、“信じる者は救われる”という言葉があるように“信じることをあきらめてはいけない”。もちろん、物事を見分けることも必要だ。 でもどうか、疑うばかりの世の中にはならないあで欲しい。 不安は疑いに変わり、やがて惨事へとつながりかねないのだから。
 下町の人情。 これは日本人の宝物の一つだ。 下町に立ち並ぶ商店街の人々のようにお互いが助けあう温かさを取り戻し,協力し合う世の中にするために私も何かしたい。
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by jd69sparrow | 2010-03-02 22:59 | 映画タイトル さ行

雨。

雨は嫌いという人もいるかもしれない。

けれど、嫌ってばかりはいられない。

大地に水がなければ、何も育まれなからだ。

野菜も、植物も、飲料水も。

地に根付くという意味もある。

大地を潤わせる雨。

自然界における命の水。


雨音はまるで音楽のようで、

雨の香りには

不思議と人の心を落ち着かせる力がある。


砂漠や乾燥地帯に天からの潤いの恵みあれ。
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by jd69sparrow | 2010-03-01 01:48 |