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マルコヴィッチの穴

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他の誰かに通じる穴があったら一度は入ってみたいと思うだろう。 自分ではちょっと休業して誰かの中に入ってその人の生き方をのぞいてみる、同じ地球上でも自分ではない別の人の見る世界は違うのだから。 それが大好きな人だったり憧れの人だったらなおさら“穴”に入ってみたくなる。 人の欲望は強いものだ、欲には逆らえず心の赴くままになる。
  “世にも奇妙な物語”の世界のような不思議な不思議な世界がこの「マルコヴィッチの穴」である。 原題と邦題がこれほどまでにうまくつながっていると思ったのは初めてだ。 原題「BEING MALKOVICH」で考えても器となるジョン・マルコヴィッチに他人が入ってほんの少しでもマルコヴィッチになるわけだし「マルコヴィッチの穴」と考えてもマルコヴィッチへ通じる穴がメインで出てくるわけだからどちらをとってもうまくできている。
 「仮面の男」とはちょっと違うマルコヴィッチよりも、主要人物を演じる二人の役者のこの作品での変身ようがすごい。 きっかけを導き出したクレイグをジョン・キューザック、その妻ロッテをキャメロン・ディアスが演じた。 彼女は山田孝之が“電車男”になったときのような変わりようでスクリーンに現われた。 二人とも日本でいうオタクのような風貌になっていたのだった。 普段かっこいい役をやっていてたまに思い切ったこの映画のような彼ら役者を見るものも中々おもしろい。
 一番おもしろいのが器に入った人々がどこから出されたのか放り出されるところで、放り出されてもみな,さぞ満足して嬉しそうに帰ってくるのがなぜだか見ていてあきない。
 冒頭で出てきて物語の中にもたびたび出てくる操り人形はとても物語と深く関わっている。 はじめにすぐこうしてキーとなるものを持ってきて映画を説明するのは理解も深まる。 テーマをはじめにびしっと見せるという洗練されたようなオープニングがよくできている。
“穴”の秘密がだんだんと明らかにされるが穴の仕組みを考えれば考えるほどおもしろくなってくるのだ。 穴を通じて他の人になるということは器の頭の中にヒーローもののロボットのように操縦席があって器となる人の目で外の世界を見てその人を楽しむということだ。
 ジョン・マルコヴィッチの目から見る世界の映し方や“7と2分の1階”とそこで働く人々,特にレスター博士と変わったモノと変わり者というおかしな世界観は惹かれるポイントである。
 難しいことだけれど欲はおさえる必要がある、欲に従いすぎてしまうと結局よいことはない。どこまでそれができるのか。 自分の限界を知ることになる。 後半ただ笑うしかないようなシーンもあれど結論としてはおもしろい。 

by jd69sparrow | 2006-03-22 00:27 | 映画タイトル ま行