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プレステージ

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 映画のはじまりがこの物語の壮大な仕組みを語っているかのようである。 映画には次のシーンに続く出来事につながるキーポイントがある。 それはミステリーなど謎を多く秘めているものにおいては特に多く見られるものなのだろうと思う。 映画を髄まで知り,理解するためにはその一つ一つを解いていく必要があるだろう。 思わぬもの,しかしそれが観る側が気付くことでより楽しむことのできる隠された要素がある。 隠された、というよりそこにこちら側が見えていない、わからないだけなのかもしれない。 しかし作り手たちはそれを堂々とわかりやすくどんとおくのではなくさり気なく,それとなく物語に盛り込む。 それは映画をより楽しいものにする仕掛けであり,それを探求していくというまるでゲームのようでもある。 ここに“映画と奇術の共通点”があるではないかと思う。 「プレステージ」の場合もそれが存在し,最後の終着点を指し示すヒントのようなものが散りばめられていると言う。 「映画そのものがマジック」というように私たちが目にするのは映画というマジックなのだ。 それは冒頭で指し示されているように思う。 物語が「確認」から始まり「偉業」にしめくくられるマジックの仕組みそのものでできているのだろう。 私たちは映画をただ見るのではなく,マジックを見るのである。 
 謎を解けた瞬間、すっきりもするし謎を解いたことに喜びを感じる。 だけど それは映画を見終わった後考えること。 マジックを見るとそのタネ知りたさに先入観を持ち,なんとかトリックを探そうとする。 けれどこの映画においてもそうだけど見るときからそういった先入観を持つことよりも素直に驚く方がよいのだ。 ここでも語られるように「マジックとは観客の驚かせること」で教師が問題を出してそれを生徒が解くことではないのだから。観客の目を欺き驚かせることというのが奇術師たちの狙いであり,それがやりがいというものなのだと思う。 ただ呆然と見るというのも映画を味わうこととは違うと思うし、考えることも大事だけどこの映画は奇術、楽しむこと・驚くことが大切なのだろう。 とはいえどうしてもそれぞれのシーンの謎を解き明かしたくなる。もちろんこれらのことは一つの楽しみ方に過ぎず,個人的な考えである。 だから素直に目の前で繰り広げられる奇術に驚き,魅了されることも一つで、宣伝文句にもあるように全編に目を凝らすことも一つと言えるかもしれない。
 1890年代、ロンドン。 二人の奇術師がいた、アンジャーとボーデン。 彼らはそれぞれ違った趣向を持っていた。 かつては共に力を合わせた彼らはある悲劇的な事故の日を境に互いに競い合うようになる。 アンジャーは華麗に奇術をパフォーマンスをし観客を魅了し、ボーデンは己を信じ,マジックを重視した。 奇術に対する情熱は彼らの唯一の共通点だったと言えるだろう。 奇術で競い合い,また観客の前に立つ前,つまり舞台の外でも常に競い,お互いの奇術に目をはる。そして奇術師として名をはせ,いかに相手を越え,人々から認められることで脚光をあびるかという争いがあった。アンジャーとボーデンは互いにトリックで相手に攻撃をしかけ挑む。 何かを犠牲にしながら。



 衝撃にはじまり衝撃に終わる、悲劇にはじまり悲劇に終わる。 人が何かの行動へ出るとき必ず選択肢に迫られる。 そう,人はいくつもある選択肢の中からたった一つの道を選び生きている。 それは時として運命を大きく変えるものになりうる。 だから選択肢しだいでは歩まずにすんだかもしれない道を歩むことにもなるし、逆に幸せのチャンスをつかむことも夢ではない道を歩むことのできるのも0ではない。 アンジャーとボーデンのそれぞれの選択はいがみあうライバルとしての道へと二人を導いたのだ。
 奇術をすることの考えは違えどお互いの成功が気にかかり,その成功の秘密を追い求め,相手より上へ上へと目指していくことも彼らの頭にあることで実際、こうした奇術師と奇術師の間で起きることもありえないことではなく,その上 実在の人物,モデルとなる人物があったりとところどころにあって奇術が流行した時代を描いたこの作品に真実味を味付けている(パンフレット参考)。 ここが映画に学べること,知識を深められる鍵なのだ。
 二人は奇術に執着をしている。 ボーデンが成功をおさめる一方でアンジャーはボーデンへの復讐を考える心のあまりパフォーマーとしての実力はありながらも奇術師としての道をふみはずしていくように思える。 ボーデンは(奇術師として)正当に生きてきた。 しかし奇術のため,自らの人生の代価を払うことはいとわなかった。 そして二人の争いによる危険はエスカレートしていく。 その争いでわかること、それは現実問題でもあると思うがオリジナルは完璧に模倣することはできないということ。 同じ料理でも作る人が違えば味が異なるように奇術をすることにも同様のことがいえる。 そしてオリジナル越えるのもそうそう簡単にはできないことだ。 
 あとでわかったことだが目を凝らすことだけでなく登場人物たちの言葉も注意して聞く必要がある。 奇術の中に話術がふくまれるように言葉(セリフ)には意味があってそれには何か対象があるからだ。 最後に笑うのはどちらなのか。 最後まで予想できない。 観る者はきっとトリックにかけられるだろう、“アブラカタブラ!”

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by jd69sparrow | 2007-06-10 02:09 | 映画タイトル は行