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長ぐつをはいたネコ puss in boots

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【あらすじ】
 “長ぐつをはいたネコ”ことプスは 凄腕の剣の使い手でお尋ね者。 彼の過去をひもとく本作では 捨て猫だった幼少時代から話が始まる。 プスには かつて親友がいた,しかし ある事件で 親友に裏切られ 心に大きな傷を負う。 それから 月日が経ち,思わぬ形で その親友に再会するのだった。 空の上へ目指すための“魔法の豆”の情報を得たプス。 豆を手に入れるべく、ジャックとジルという人々から恐れられる凶悪夫婦の泊まる宿に忍び込むが 覆面をかぶったネコが行く手を阻み,失敗に終わってしまう。 覆面のネコのあとを追うと,猫が集う酒場にたどり着き,いきなり覆面のネコとダンスバトル。 その覆面のネコの正体は盗みのプロでメスネコのキティであり、その背後には 親友であり兄弟のようにしたっていたハンプティ・ダンプティがいた。 ハンプティが 子供時代に 二人で描いた夢を実現し,故郷に恩返しをしようと持ちかける。
 はじめは裏切った親友の誘いに渋るプスだが 友として名誉挽回を強く誓うハンプティを信じ,魔法の豆と 空の上の城にある“金の卵”を手に入れるため,キティと三人で旅立つのだった。 しかし その先にはプスにとって 思わぬ展開が待ち受けていた。

【感想】

by jd69sparrow | 2012-03-22 23:26 | 映画タイトル な行

忍たま乱太郎

2011年7月27日(水)


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<あらすじ>
 戦国時代、自然豊かな場所に忍術学園が存在した。 学園に入学したものは皆、忍者の卵,忍たまと呼ばれる。 乱太郎は一流の忍者になるべく、その忍術学園へと旅立つ。 一年は組という個性派ぞろいのクラスで学ぶことに。 乱太郎はすぐさま,二人と仲間となり,親友をえる。 どケチだけど、仲間思いのきり丸と裕福な家で育った,のんびりやなしんべえである。 彼らの長い忍者修行が始まる。
 上級生の斉藤タカ丸と,その父でカリスマ髪結いの幸隆親子は,ウスタケ城の“抜け忍”,つまり裏切り者として その命が狙われていた。 彼らを救うためには ウスタケ城の忍びたちと忍たまとで勝負をしなければならない。 それは、どちらが先にウスタケ城の敷地内にある寺の鐘を鳴らすかというものだった。 その勝負の行く末は全て,乱太郎の足にかかっていた。 果たして、忍たまたちは斉藤親子を救えるのか。

<感想>
 『忍たま乱太郎』とは、もとは漫画で 後にNHKでアニメ化されて以来、長きにわたり子供たちに愛され続けている物語である。 忍術学園の生徒に先生、悪役に八方斎など実に個性豊かなキャラクターたちがたくさん登場する,ギャグと友情の物語。 今回の実写版『忍たま乱太郎』は,そのアニメの世界観のよさを,素材そのまま活かした映画となっているところが最大の見所と言えるだろう。
 特殊メイクの凄さは さすがという感じ。 忠実に…あるいは大胆かつワイルドにキャラクターが作られている。 八方斎と忍術学園長がそのイイ例であり,かなり強烈。 メイクだけで言ったら、斎藤幸隆は いかにも漫画的で特徴的。 時にわざとらしいくらいの特殊メイクがあるけれど、それが逆にいいのだろう。 漫画らしさが際たつ。
 実写にするにおいて、個人的に一番アニメに近いといえるのが、一年は組を教える先生の一人,土井先生。 それに山田先生。 山田先生といえば、山田伝子と名乗り,女装する趣味を持った個性派キャラ。 今回の映画の中でも登場するが、ほんのわずかな時間しか見れないのが残念。
それ以上に、食堂のおばちゃんの登場時間を増やして欲しかった。 「お残しは許しまへんで」という決め?台詞のあるオバちゃんを あの個性派俳優が演じているのが 何よりの楽しみと言っていいくらいだった。 アニメでは鬼のように声をあらげるオバちゃんを,物静かな口調だけど強烈に印象づける実写版。 個人的に実写版で一番好きなキャラクターである。  他にも、戸部先生はかなり男前な実写化だし、意外な人が意外なキャラクターをやっているというところにも注目していただきたい。
 今回の映画版は、『忍たま乱太郎』の世界観を味わう,ビジュアル面をこだわりにこだわり抜いた作品と言える。 ストーリーの内容自体は特に特別というわけではなく、コメディをまじえた“仲間との絆”物語。 子供的視点で言えば、常に笑いを追求したものと言えるかもしれない。 子供たちの笑顔を決して絶やさない作品。“ついでに”程度ではなく、もし次があるとするならば キャラクターのディテールにもっと時間をとって欲しいと私は思う。 …というか、そうなると映画よりもドラマの方が良さそうだが。 実写ではあるが、漫画を見る感覚。 先に述べたように、“素材そのまま”なのである。 漫画(アニメ)をそのまま実写に変換した感じ。 ストーリー性としては、今一歩だが、エンタテインメントとして 何も考えずに見れば面白いかもしれない。

by jd69sparrow | 2012-01-02 15:36 | 映画タイトル な行

ノートルダムの鐘 THE HUNCHBACK OF NOTRE DAME

2011.3.9.Wed.

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<あらすじ>
 15世紀のパリに鳴り響くのはノートルダム大聖堂の鐘。 鐘の音色は街の人々の生活の一部と言っても過言ではないくらい、象徴的なものである。 毎日ノートルダムの鐘を鳴らすのは カジモドである。 彼は生まれてすぐ、パリの最高裁判事で街の独裁者フロローによって両親を失い,司祭の助けで命を取り留める。 しかし、その生まれつきの顔の醜さゆえに、フロローに生涯,大聖堂の最上階で鐘つきとして暮らすことを命じられるのである。 
 20年の月日が経ち、優しい青年へと成長した,カジモドだったが 街の明るい風景はいつも上空,鐘楼から眺めることしか出来なかった。 そんな彼の願いは一度でも街におりて、人とふれ合うことだった。 唯一の友である石像たちに後押しされ,ついに意を決して、祭りを見に出かける。 そこで出会ったのがエスメラルダだtった。 祭りの中心にいる彼女の美しさと優しさに恋をするカジモド。 
 ジプシーを嫌う,フロローは彼らをパリから一掃しようと目論むが、フロローのもとに就任した警備隊長フィーバスはこれをよく思わなかった。 カジモドとフィーバスはエスメラルダを通じて、力を合わせ この計画を阻止するために戦うのである。 

<感想>
 数あるディズニー作品の中で あらゆる面で稀な内容だ。 「王子様とプリンセス」という定番コースとは違う。 三角関係に友情関係、主人公にとってハッピーでもアンハッピーでもない締めくくりであることが 大きな違いと言える。 主人公カジモドの 唯一つの願いが実現に至ったという点から観ると,どちらかというとハッピーエンドよりかもしれないが。 そして何より製作が劇団四季であり、声優を務めるのも当時の劇団員の方々ということである。 ミュージカル形式の作品であるから、歌にスポットがあたるのは当然であるが、とりわけ この作品は注目したいところだ。
 主人公カジモドが大聖堂の最上階から,いわば空から街を眺めるという日常を送っている設定上、上空からの景色を眺める場面が多く、空から大地への舞台転換が楽しめる。 強いられた生活でなければ、彼はとても贅沢な暮らし送っているということになるだろう。 パリの美しい街並みを毎日見渡す事が出来るのだから。 ビジュアル的にも、観る側としては景観が楽しめるし,カジモドがいつも観ている景色を一緒に眺める事が出来る贅沢を味わえる。 
 注目すべきは、カジモドがジプシー祭へ行くべく、実に器用に大聖堂から街へと滑り降りるところとクライマックスでエスメラルダを火あぶりから救う場面の二つだ。 二つに共通するのが、いずれもカジモドが「決心」し、一歩踏み出すということだ。 ジプシー祭では祭りの華やかさとカジモドのダイナミックなアクション、後者もアクションはもちろん、まるで実写のようなカメラワークで場面が転換・展開していくというところが とても美しく、印象深い。 『美女と野獣』から,さらにスケールアップしたCGを駆使してのシーンは見ごたえ十分。 この技術は今も尚、通常のアニメーションを越えた存在と言えるだろう。
 物語が面白いのは 主人公のキャラクターありきだ。 心の優しい人柄で、内気であるけれど アクロバティックという意外な一面もある。 そして手先が器用など まだまだカジモドというキャラクターには魅力があるような気がしてならない。 初恋と失恋を短い期間で味わうも、ネガティブに殻に閉じこもるでもなく,一歩引くという姿勢が大人だなぁと思う。  
 もちろん、エスメラルダも魅力的なキャラクターで女性版アラジンという雰囲気を持っているし、可愛がっているヤギは幼きシンバを観ているかのようで可愛らしい。 ディズニー映画には感情豊かで愛らしい動物キャラが度々登場するけれど、今回はヤギのジェリだ。
 しっとりした音楽もあり、軽快でリズミカルな音楽もある。 しかし、映画を象徴するのはこの後者だと私は思う。 ジプシーの先頭に立っていた道化は忘れがたき…ある意味でマスコット。 話をポジティブに盛り上げる欠かせないキャラクターだ。 考えてみれば、『アラジン』の物語の始まりもこの道化がそうしたように、歌による語りでイントロダクションを表現していたような気がする。 歌なしの語りよりも 音楽に乗せての語りの方が個人的には好きだ。
 最後に。 ミュージカル仕立てであることもあってか、『オペラ座の怪人』とその関連作品『ファントム』を思い浮かべたのは私だけだろうか。 中々面白い作品(『ノートルダムの鐘』)だ。

by jd69sparrow | 2011-10-18 00:00 | 映画タイトル な行

ナル二ア国物語~第三章・アスラン王と魔法の島~

2011年2月28日(月)

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<概要>
 ぺベンシー兄弟姉妹は、戦争による疎開で暮らすことになった,古い屋敷で不思議な衣装箪笥を見つけた。そこは、なんと魔法の国への入り口だった。 ナル二ア国という名の…。 彼らはナル二アでは王や女王。 ナル二アでの戦いと冒険を経て成長をしていくという内容。 最初の旅から一年後にも新たな冒険があり、そしてそのさらに、一年後にも新たな冒険が待っている。 ナル二アという不思議な世界の始まりからその最期までを描いたファンタジーだ。

<あらすじ>
 二度の目の旅路,カスピアン王子が新たな王となった日から、一年が過ぎた。 エドマンドとルーシーのぺベンシー兄弟姉妹の末っ子二人は,いとこのユースチスの家に預けられていた。 ユースチスの家に飾られた,海を描いた絵画。 これがナルニアへの新たなる冒険の入り口となる。 意地悪で頭でっかちなユースチスとエドマンドが喧嘩する最中、絵画は動き出し、部屋には大量の海水がなだれ込む。 気が付くと三人は大海原のど真ん中におり、彼らを助けてくれたのは王となったカスピアンたちだった。 
 ナルニアでは異変が起こっていた。 ナルニアの地のうち一つの島は、街がすっかり変わり果てており,住民たちが次々と売買され、地上から姿を消していた。 彼らを救うには,先代の王に仕えた,“7卿”たちを探し出し、彼らの持つ剣を七本“アスランのテーブル”におさめることだった。
 エドマンドたちは、誘惑の待つ,島々へと旅立ち、数々の試練へ立ち向かうのである。

<感想>
 今回の冒険の主人公はユースチスと言えるだろう。 彼はルーシーたちへもナルニアの人々へも常に敵対心を抱き,理屈っぽい,ひねくれ者。 一見して、ナルニアの世界にはそぐわないように思える。 しかし、ユースチスは常に観る者を物語に惹きつける。 ある意味でナルニアへ影響(良い意味で)をもたらす、新たなる嵐。 観ていて飽きないキャラクターであり、役割を体現している。 ルーシーたちにとっての「最後の試練」を乗り越えるという話の前提があるがあるものの,やはりユースチスの成長の物語と言う方がしっくりくるだろう。
ファンタジーなどの物語では、「嫌なやつが最後に幸せを掴む」というお決まりがあるそうだが、個人的には新鮮に思えた。
 第三章を迎える『ナルニア国』シリーズが前二作と違うのは、解説にも掲載されている通り,シリーズの中では珍しい海上の場面が重視されているところはもちろんだが,戦争など争いよりも、試練に満ちた冒険色が濃くなっているからだと言えよう。 ある目的のための必要な戦いのみであり、争いごとはない。 あくまで三人の主人公たちの成長の記録。 そこがこの作品の見所の一つと言えるだろう。
 話は戻るが、三人の主人公のうち一人であるユースチス。 まるでどこかの大人のようにも思えるユースチスの成長がドラゴンになることで描かれると言うのはとても面白い。 ファンタジー映画全体を通しても、滅多にない,主人公のドラゴンへの変身と言えるだろう。 ドラゴンになることで自分を失ったと考えたのか、ここで初めてユースチスは子供らしさと弱みを見せることになる。 その相手がリーピチープというのは意外だった。ここでも、「最悪な出会いを果たした相手とは、最高のパートナーになる」という法則がある。 小さなネズミの騎士とドラゴンという異色な組み合わせは 一見不釣合いのようで自然に見えた。 また、ドラゴンの中身は実は怖がりな子供で、その背中にまたがるリーピチープは、そのカラダよりも何十倍も勇敢で誇り高き戦士というのもまた面白い。 
 ユースチスのドラゴン。 魅力は一つではない。 人としての成長する姿が観れること、物語が進むにつれて,それまで考えられなかったくらいの活躍を見せていくこと、そしてドラゴンとしての魅力だ。  ドラゴンとしての部分としては、彼がドラゴンになった日の一こまがまず一つ目と言える。 先にも述べたように、初めて子供らしさをみせるのがこの時で、“ドラゴンの涙”(ユースチス)がなんとも美しく見えた。 この作品の場合は、中身が人間の子供だからと言えば、そこまでなのだが やはり 人間以外の生き物が見せる涙というのはとても魅力的かつ美しいと思うのだ。 感情を持つのは人間だけではないのだと、それを観るたびに実感するのである。 ユースチスの最初の成長手段がドラゴンになることであるのは贅沢だけれど、羨ましくもあると思うのは私だけだろうか。
 ナルニアに着たばかりのユースチスは、孤独な存在。 ナルニアじたいを否定するため、カスピアンやエドマンドたち,旅の仲間に特に協力するわけでもなく、単独になりがち。 そんなユースチスがドラゴンになり、リーピチープの言葉一つで悲しみが希望に気持ちが変わり、旅の一行たちのための暖(ドラゴンの吹く炎)に始まり、最後の戦いにおいては 大海蛇と互角の戦いを見せると言う凄まじい成長振りを見せている。 立派なドラゴンの戦士と言える。 数々の成長の中で面白いと思ったのは,舵がとれず立ち往生になりかねなくなった,朝びらき丸(カスピアンたちが乗る船)を尾とドラゴンのパワーを使って,舵がわりになるという活躍である。
 ドラゴンになって初めての登場の瞬間、エドマンドを連れて,大地に自らの炎を使い、文字を描いて自分が何者かを知らせる件など、最初から最後まで注目せずにはいられないユースチス。 その最も印象的であり、心に残るのが最後のシーンにある。 今まで相手との間に作っていた壁も取り払い、トゲも抜け落ちた彼は ナルニアに必要な逸材と成長していた。 そして子供らしさと優しさを取り戻したのだ。 そんな彼が最後にエドマンドたちに対して言う「嫌なやつでごめんね」という一言が忘れられない。 その時に見せる笑顔から見れるあどけなさが なんとも可愛らしいからだ。 
 あと残る四つのナルニアの歴史の中で、二度に渡り、登場する新たな主人公のこれからの戦いに大いに期待がかかる。 最終巻『さいごの戦い』ではどんな成長を見せてくれるのだろうか。 
 アスランがユースチスにかける「ナルニアにはまだ、君が必要だ」という言葉は、「君にはまだ、ナルニアでの冒険が必要だ(ユースチスにはまだ乗り越えるべき壁がある)」ともとれる。 それはつまり、次の主人公はユースチスであり,エドマンドらぺベンシー兄弟姉妹からユースチスへの「世代交代」を意味することになる。 シリーズを通して、主人公が何回か変わるというのは 他では中々見受けられない光景だ。 しかし、この全七作にわたる「ナルニアの歴史物語」であり、またこの物語が子供から大人への成長の一部分を描く冒険だと言うこと考えると当然なのかもわからない。 
 この『ナルニア国物語』を見て思うこと。 まず、児童文学とあってか、話の内容…特に固有名詞がとてもシンプルで子供にとてもわかりやすく,覚えやすいという特徴がある。 次に、人が人生において乗り越える数々の試練をファンタジーの世界で描くのはとても素晴らしいと思う。 子供が大人になることを受け入れ、成長する課程は誰もが共感しうることばかりだ。 また、児童文学が原作でありながら子供から大人まで楽しめるというのが凄い。 その理由の一つと言えるのが、ナルニアへの入り口だ。 私たちが暮らす身近な,様々な場所がナルニアへ通じていると思わせてくれるからである。 
 最後にアスランが子供たちへ「人間の世界では、(自分には)別の名があり,存在している」というふうな言葉が残る。 解説を読むと「キリスト」という答えもあるが 個人的にはそれとは別に答えがあるような気がする。 
今回の第三作目は唯一の海上の物語であるということで、とても新鮮に思えたし,これまでとは違う面白さや魅力があると思った。

by jd69sparrow | 2011-10-13 00:00 | 映画タイトル な行

ナイト&デイ

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※ネタバレ注意

<あらすじ>
 それは必然だったのか。 ジューンは空港でロイと二度も肩がぶつかる。 運命的な出会いを果たした二人はそこから長い逃避行へと旅立つのである。 謎のベールに包まれたロイ。 ただ、自分といれば安全だと,そう告げれるが訳の分からぬまま、時間は進み,目覚めるたびに異なる地にいるしだい。 鍵を握るのは一つの“電池”だった。 それは高校を出たばかりの天才少年サイモンの発明した,小さな町の明かりなどを作る事ができると言う代物だった。 この“電池”めぐり,争奪戦が勃発。 そこにジューンは巻き込まれたのである。CIAのエージェントはロイを組織の裏切り者であり、恐ろしい男だと言う。 混乱するも,謎多き男・ロイに惹かれずにはいられず、また 離れる事は難しかった。 アクション、ロマン、コメディと多彩な色で彩られたエンターテインメントここにあり。

<感想>
 リアリティを追求した現代のハリウッド・アクション映画。 そんな作品が続く中でちょっと“そこ”から離れてみたいと思う,ある人の言葉に大いに納得がいく。 リアリティも確かに楽しみの一つで現実に近いからこそ、映画館にいながら現実の世界を深く堪能できるのだから。 しかし息抜きも必要。 ちょっと忘れていたけれど、こういう古き良きアクションロマンこそが、個人的には本来求めていたものではないかと思う。 これぞ、ハリウッド!…みたいな。 大胆なアクション、ありえないとツッこまれかねない展開。 危険だけど、誰もが憧れる世界観がそこにはある。 やはり、女性にとって謎が多くて強いスパイというのは憧れるというもの。 
 確かにロイとジューンのやりとりは絶妙で、コントの延長線上にあるように思える。 コメディありきだからこそ良いものある。 中々事態をつかめないジューン。 しかし、緊張感のない場面がいくつか窺える。 その場面こそが結構なツボ。 自分の後ろではドンチャン騒ぎが起こっているのに中々それに気づかず、能天気な表情をしているという…。 トムが指摘するようにトイレでのジューンのくだりは面白い。  アクション場面はあちこちにあるのだが、この冒頭の場面でかなり白熱したバトルが繰り広げられているのに、同じ場所にいるのに違う空間にいるジューンの面白さったらない。
 テンパってばかり見えるジューンだけど、かなり飲み込みが早く,彼女の中にはロイに引けをとらない力が眠っている…それが物語が進むにつれて現れてくるのもまた楽しい。 最後には立場逆転という、なんとも意外な結末が!(詳しくは、劇場で♪) これには驚き。 でもこんなハッピーエンドは観た事がない。 この時のロイの表情にも注目だ。 
 昔ながらを感じた瞬間。 まず、愛とアクションが絡んだ逃避行である事。 ここまではそう珍しくないように思えるが! 最近は“逃避行”と呼べるのはあまり見かけない。 そして中々見受けられない,古きであり 新しくもあるのが,ジューンがロイに何度か飲まされる睡眠薬のような薬を飲む場面である。 まるで夢の世界のよう。 何度か目が開くけれど、その視界はぼやけており,夢を見ているように次々とおぼろげながらも見える世界が変わってくるからだ。 で! 辿り着いたのがなんと南の島。 ちょっと『パイレーツ~』のあの場面が頭によぎる…。 
 アクション映画である以上、アクション・シーンに触れないわけにはいかない。 注目したいところはたくさんあるのだが、まずなんと言っても注目したいのが“走る,トム”! 文字通り、タッタッタッと全速力で走る場面はとても印象深い。 カッコいいようで…力強いようで…どこかオカシイようにも見えるからである。 
 カーチェイス。 もう珍しくはないアクションの醍醐味。 けれど,ヨーロッパの街並みをスピード感あふれる映像で流れる景色の中で楽しむのは最高だ。 景色が流れながらのアクションはとても綺麗である。 コマーシャルにあるようにジューンがロイにバイクに後ろ向きになってガンファイトをするというくだりはスリル満点である。 もうこの時ジューンの本来の力が形となって現れ始めている。 最近ではよく出始めているのだがヨーロッパの伝統的な建物が並ぶ中をアクションの舞台とするのはやはり,まだ面白い。 闘牛場で闘牛士がこの場面で登場し、180度くらい映像が回転するという場面はどうやらコマーシャル用だったらしく,少し残念だったが それがなくともここはかなりの見せ場と言えるだろう。 映像が流れながらのアクションと言う点では、オープニングの方にあった,飛行機での一幕も忘れ難い。 それは、飛行機の外にカメラの視点があり、飛行機の窓からロイが何人もの敵と戦うというスピーディかつ大胆な場面だ。 ジャッキー映画のようにその場にあるものをフルに活用しているところ、戦いの舞台が飛行機ということが良い。
 追っ手の攻撃を受け,ふっとばされるところも、車のボンネットにどこからか、落下してくる場面などアクションんはその他にも見所満載。 ハイウェイでの場面は,高い場所にあるモノを「取ってあげるから…」っていうノリで追っ手を次々倒していくところはなんだか面白い。 コメディアクションじゃないかとさえ思う。
 ジューンにとって,追いかけられたくない、二度と会いたくない存在だったロイがいつの間にか、ロイのその時の言葉どおり「離れられない仲だろ?」と言う言葉どおりになるのが驚きだ。 それもジューンにとってもそうだという点が。
 タイトルのあるように、ロイがジューンにとっての“ナイト”になっていく。 本名がマシュー・ナイトと,意外とベタというか、格好よくはない名前だがそんなツッコミどころなど関係ない。 というか、苗字が“ナイト”ってなんだかしゃれっぽいのも面白いところだが、ロイ・ミラーという名前も意外すぎるくらいシンプル。 それにジューン・ヘイブンズも単純のようで、ちゃんと意味の込められた名前なのでは?と思わせる,思いもよらぬ,着目点が。
 ナイトと言えば、ロイが空港で“騎士(ナイト)”のフィギアを買い,その中に物語の鍵である,“電池”を保管するのもなんか凄く考えられているんだなぁと思うポイントだと私は思う。 このように、単純なアクションじゃなくて,描写とかあらゆる設定が細やかな点で、『ウォーク・ザ・ライン』を作った人の手によるものなんだなぁと納得が出来る。 しかし、路線の全く異なるものを作るあたりがまた凄い。 ジム・マンゴールド。 アクションを専門分野ではない人によるアクション映画というのも中々新鮮なものである。 ストーリー性や描写を描くのを得意とする人によるものの方が、やはりストーリー性とか物語を描くということも重視されるので、アクション映画をより中身あるものに肉付けされている感じでナウな感じがする。
 なんとなく夫婦漫才しながら、世界中を旅するふうに見える,ジューンとロイ。 ロイは最初こそ利用目的で、ジューンに近づくが、いつ間にかボディーガードから、守られる側になっているという(前にも触れたが)のもなんだか滑稽でもあるが、意表をついていて面白い。 ジューンを追ったり、わざと?ぶつかったりと、ストーカーっぽく映りかねない、行動があったり 暗号の如く,ジューンへの警告をする(後にジューンにツッコまれるのも面白い)など観る側もツッコミたくなるような場面があったりといろんな角度で楽しましてくれるのが本作。 層かと思えば、わかりにくくはあるけれど、ジューンを追っ手の目にもわかりにくいように助けるというオーストリアでの場面もロイの頭のキレの良さがとても伝わってくるし、ジューンもまもなくしてその意味を理解するあたりも凄い。 凄いというのは、ジューンもさす。 
 ジューンが本当の自分を発見する旅…と言ったら、よくあるような話に思えるけれど,まさかそれがスパイとしての才能だなんて誰が想像できただろう。 きっと、アクションを知り尽くす人ならばすぐ気付いたのかもわからないが、少なくとも私にとってはサプライズだった。 キャメロンとトムがインタビューに洒落っぽく,二人の役の立場が逆だったら?という問いに答えていたけれど、それが実現したも同じになっているのが なんだか 意外というか面白い。 ジューンにとって、混乱に満ちた旅の幕開けが、全くの逆となり,ロイがジューンにしたことが今度はジューンの手で再現されているというか、リピートされているなんて、面白すぎる。 しかも、最初の夫婦漫才的場面といえる, ジューンのあの,「私、どうやって水着(ビキニ)を着たの?」というくだりが、そのセリフまでもが言う方が逆になっているなんて!!
 『ナイト&デイ』の意味とは? ナイトはそのままロイを表すとして、“デイ”はなんなのか。 あくまで仮説だがジューンを指しているのかもしれない。 Juneは六月であり、“Day”であるからか? night &dayとかけているあたり、日本人にって”旬”に思える。
 コメントにも書かれていたが、ヒロインとなるジューンがただパニクったりする,救われるだけの存在でないことに注目していただきたい。 守れられだけで泣く、守る存在になることに。 そのあたりが今までにない新しい切り口で描かれた,古きよきハリウッド映画でありながらニュータイプと言えるだろう。 ありがちと思えるアクション映画の特徴の中に隠れる新鮮さ…それは、ジューンをさりげなく,安全な場所へと返してくれたロイの心遣いに等しいと言えるかもしれない。 見ごたえ十分な娯楽作! 是非、ご堪能あれ!!

by jd69sparrow | 2010-10-31 21:35 | 映画タイトル な行

ニューヨーク,アイ ラヴ ユー

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<あらすじ>
ニョーヨークを舞台に「10+1」の物語が繰り広げられる。 つなぎ目の役割を担う「+1」と10組の男女の物語。 彼らは皆、それぞれ出会いをする。 あるいは、愛情がある。 この共通のテーマもストーリーによって異なる。 いろんな愛の形を描いている。  
 それは片思いだったり、両想いだったり様々である。 この物語はニューヨークという大都市で暮らす様々な人たちを追っている。 この街角にはこんな物語があって、そのまた向こうではこういう愛があって… まるでテレビカメラが同じある一つの番組の出演者一人一人,カメラのアングルを変えて映し出すように物語は進行して行く。 彼らは何を得、何を感じるのだろうか。 多種多様な世界がここにある。

<感想>
 11人もの監督によって作られているこの映画。 ショートムービーが連続的に流されているようで実は違う。前述したようにニューヨークのあちこちにカメラのアングルを変えて、物語を映し出しているのだ。 この大都会のあらゆる場所を見てみると、温かな光景がある。 人の数だけ出会いがある、いろんな思い・思惑がある。 寂しさ、温かさ、驚き、ロマンティック…たくさん詰め込まれている。 
 ニューヨークが舞台でありながらも、それらしい風景はあまり出てこない。 唯一それらしいのが、セントラルパークが登場する,二つの物語。 若者とその同世代くらいの女優の話と、テヤとマニー(男性のベビーシッター)の話の二つである。とりわけ,後者である。 緑をバックに高層ビルがバックに映る光景である。 ニューヨークの愛の物語と聞いて、タイムズスクエアが出てきたり、都会の景色ばかりが映し出されるかと思った。 例えば、『SATC』に出てくる街並みのような感じ。  しかし、ここではそう,きらびやかに映し出されるのではなく、素朴な感じ…水彩画チックな淡い色で彩られた景色が描かれている。  それについては、パンフの解説が語るように,監督たちのほとんどが海外出身者であり、“外から見たニューヨーク”だからである。 海外映画で日本が、日本人が思うのと違うように映し出されるのと同じ。 『ロスト・イン・トランスレーション』や『WASABI』がそうであるように。
 ニューヨーカーが作るよりも、外から見る人たちが描いた方が,よりリアルに見えると思う。 今、この瞬間にこの物語が進行しているとか、目の前で起こっているような感覚になる。 一つ一つの話が嘘っぽくない。 共感できたり、実際にありえるだろう状況ばかりだ。
 それぞの「10+1」ある物語で印象深い物語は次の通りである。
 まず、驚かされたのはプロムに行く若者の物語。 主役となる二人には何故か名前が明かされず。 失恋した少年は知り合いにその娘を紹介され、期待を膨らませ,はりきってオシャレをして車でお出迎え…しかし、家から出てきた彼女は車椅子。 がっくりした気持ちがよく伝わってきた。 が、しかし最後に騙されるサプライズのきいた物語。 これは、最後までわかるまい。 それに変わったカタチで少年の夢が現実になった瞬間も印象深い。 でも、少女の車椅子を押す少年の姿は春のそよ風を思わせる“絵”である。
 顔の知れない仕事の依頼主の“アシスタント”とのやりとり…作曲を職としているディヴィット。 無理難題を伝えてくる電話の向こう側のカミーユと名乗る女性。 顔が見えないけれど、最後に行くにつれてカミーユに対する関心が高まってくる,ディヴィット。 電話のやりとりでしか、知りえなかった二人が出会うその時…どんな気持ちなのだろう? なんとも素敵な出会い。 その後二人はどう進んでいったのか、想像するに楽しい終わり方がイイ☆
 夜,街頭の光が穏やかに人々を照らす景観の中で。 タバコで一服するという…光景。 それだけでも絵になる。 知らないものどうしが一緒にタバコをすい,片方が相手に火を借りる。なんだか風情のある雰囲気。 それを主人公は「親密」だと言う。 相手は何故?と不思議がる。 けれど共感はできる。 実際喫煙者ではない者の目からも。 たとえ短くても時間を共有しあったことが共通の何かを持つもの同士が出会うかのように思える…というか見える。
 最も不思議と思えるのが、元オペラ歌手と若きホテルマンのエピソード。 白くて綺麗な一室に通されるイザベルはホテルマンのジェイコブと時間をシェアする。 ジェイコブは腰に障害を持ち,仕事をするのも辛そうだけれど、イザベルの望みはスグ現実にした。 奇跡。 イザベルの言葉にあったと思うが ジェイコブは若いけれど、どこか寂しげ。 それが彼の真実を表すものだった。 しかし、それにしてもジェイコブの最後の衝撃的な場面。 もし、察するとおりならば、何故あの無惨な光景があるのだろう。
 個人的に気に入ってる場面は、いくもあるのだが…マニーの話にミューズを追い求める画家の話などなど。ダンテとテヤの話では親子以上に絆が強く結ばれているように思えるし、テヤの母親が娘を迎えに来る場面が全てを物語っている感じがする。 それと、この物語の冒頭である,“ビルのダンス”という話題。 子供らしい発想でありながらも、そんな見方があったのか!と驚かされると同時に、納得。
 忘れてはならない、(個人的に好きな)物語。 それは63回目の結婚記念日を迎える老夫婦の話。 この話を最後の方に持ってくるのも特別な意味があるのだろう。 男女の愛の終着点はここにあるのかもしれないと思った。 文句を言い合いながらもお互いほっとけない仲が続いている、しかも60年以上も。 杖をつき、横断歩道一つ渡るのも一苦労なおじいさん。 なんだかちょっと心配そうに見つめるおばあさん…そのおばあさんの気持ちを共有している気分だった。 しかし、おじいさんは全く慌てることもなく,うまく横断歩道をゆっくり渡っていく…まだまだ元気だぞ!と言わんばかりの場面だ。 歳を重ねるとちょっとやそっとじゃ、慌てもしなければ,怖がったりもしない…。 横断歩道に水辺を背景にした場面も良かった。 なんだかこの二人の場面はいつも白くて、その中性的な背景がなんだか自然。 相手を思いやることを忘れない夫婦、きっとそうだから60年も続いたのだと思う。 なるべく長く、好きな人と二人で歩いていたい…それがきっと多くの恋人たちの憧れと夢だろう。 この二人のように歳をとっても二人で話をしながら散歩に出かけられることは、とても幸せなことだ。
 世の中にはいろんな愛がある。 今こうしている間にも、どこかでいろんな出会いがあり、愛があるのだなぁと思うとなんだか,ほっと心温まる。

by jd69sparrow | 2010-07-03 00:00 | 映画タイトル な行

のだめカンタービレ 最終楽章 後編

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<あらすじ>
 フランス・パリで音楽を学びにやって来た,のだめと千秋。のだめはピアノ留学でコンセルヴァトワールへ、千秋はルー・マルレ・オーケストラの指揮者として音楽の道を極めることに。お互い別々の道を歩むも,いつも隣同士で生活していた二人の間には日本と変わらぬ関係が続いていた。 アパートにはコンセルヴァトワールの学生フランクやターニャという個性の強い二人が住んでおり,のだめ達の生活もすぐ馴染んだ。 のだめも千秋もそれぞれの力を発揮し始めた頃、千秋の提案で離れて暮らすことになる。いつでも会おうと思えば会えるし、今は距離を置く時で,それはお互いのためと考えた千秋。 何も問題がないように思えたけれど、これが二人の思いが遠ざかりかねない危険信号が出ていた。 それは、この時点で,のだめも千秋も知りえなかった。
 のだめは、千秋と二人でコンチェルトをするのが最大の目標。偶然にもコンクールで出会ったラヴェルの曲が波紋を呼ぶこととなる。 それは、二人にとっての最大の試練が立ちはだかる,引き金となる。
 
<感想>
 前編の千秋の物語に対して、今回はのだめがメイン。と言っても、後編大事なのは千秋との絆。前編にもドラマシリーズにもない,のだめが描かれている。 厳密に言えば、これまでも時々見受けられた側面が全面的に表れたのが本作と言えるだろう。影のかかった,のだめ。そして、千秋もまた、のだめ のことがほっとけなくなり,冷たくもクールでもなく、人間味があふれている。二人の感情的な面が、距離を置くことで浮き彫りとなり,よりドラマティックな物語に作品を作り上げている。千秋とのだめの恋を軸に物語は展開し、その終着地点がどうなるのかというのが、とても期待がわいてくる。 今まで以上に二人がそれぞれ悩み、高い壁へと挑むのだ。 なんのために彼らは音楽の道を走り続けるのか、これが最大のテーマだと個人的に思う。二人にとって音楽とはなんなのか。
 コメディな部分は今回とても控えめと言える。だが、その分その少ないコメディがとても面白い。なくてはならない、場面だ。実写を漫画に近づけるとこんなにも面白いものなのかと毎回思う。今回の後編での印象深いのが、のだめと峰の,千秋がのだめのところへ帰ってきたときのリハーサル…というよりも、のだめが妄想する,真似する,千秋。 もちろん、のだめと千秋の二人の漫才的な一こま一こまも面白い。 それは、のだめが抵抗することなく,ふっとんで行く事にあったり、千秋が千秋らしいキャラクターを見せたり,普段のキャラクターから崩れることにもあったりする。このやりとりがコンビネーション抜群の時はさらに面白い。 よく見受けられるのが、千秋の一撃でのだめが放り投げ出されるところ。 今回で言うと、ピアノに没頭しすぎて、文字通り完全燃焼した挙げ句,熱が上った,のだめを風呂へ投げ込む場面だ。人形とわかっていても,リアルに見える。というか、毎回その人形が使われていることを映画を見た後に気付く(汗)。変に曲線を描いたりするより、直線の方が「のだめ」っぽい。 この場面の後に、効果音がつけられていたのもなんだか,のだめの燃焼ぶりがわかりリアル。 放り投げられた後にのだめがどう動くのか、毎回気になる。
 最高の音楽を聴いてしまうと,また最高の音楽を演奏してしまうと,それ以上の音楽を極める自身を失ってしまう。 この最大の難関とも言える,試練がのだめにふりかかる。 そして、目標に近づきたくても、中々思うようにいかず,追いつくどころか,距離がどんどん広がっていくように感じる現実が,のだめにはあまりにもキツかった。 
 しかし、その試練を乗り越えた後の顔は今まで見たことがないくらい,のだめが女性らしくて,ピアニストの顔だった。 そして、のだめの抱える試練を傍らで見守り,のだめの予測不能な動きに振り回されつつも,音楽とのだめとを真正面から向かう千秋もとても温かい。 千秋とのだめはそれぞれの超えるべき壁と、二人で超える壁とを乗り越える。 二人のコンツェルトという素晴らしい共演。そのために、音楽と向き合うのだという結論を出した二人…とても素敵な締めくくりであり,作り手が言うようにまだまだ物語は続いていくんじゃないかなぁと思わせてくれる。 最後だとは思いたくない、けど寂しい。そんな気分になった。

by jd69sparrow | 2010-04-29 23:49 | 映画タイトル な行

NINE

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<あらすじ>
 映画界きっての天才監督グイド・コンティーニは、今度の新作『イタリア』の製作発表をするものの,スランプに陥っていた。 撮影が間近に迫っているのにも関わらず、脚本が1ページもできていない。 アイディアすら浮かばない状態。しかし、クルーたちはそのことは言えぬままだ。脚本がない状態で製作の準備が着々と進む中で、窮地に追いやられたグイドは 会見の途中逃亡する。そして彼が向かった先には一人の女性の姿が。愛人のカルラだった。 グイドは自分を慰めるべく、女たちのもとへ逃げおおせたのだ。時に現実逃避、妄想にふけりつつ なんとか危機から逃れることを試みる。9歳の少年だった頃の記憶を甦らせて、ママの幻想を作り出す。彼の人生にとって特別な時期だった時代である。
 どんなにひどい男でも、何故かその周りに女たちが集まってくる。 グイドとその女たちの物語。女たちはグイドが求める,あらゆるものを持っている。 それぞれ全く違う個性の持ち主だ。 
 グイドが苦しむ一方で、無情にも映画の製作は迫ってくる。 人間として,映画監督として追い詰められていく,グイドに脚本を作ることができるのか。 波乱万丈の男の人生の1ページ。

<感想>
 シリアスでどろどろな印象を与えないのは、なんと言っても主人公の妄想の場面で 映し出されるエンタテインメント・ショーの数々。 現実にはないけれど、グイドを囲む女たちが登場し,それぞれスタイルの全く違う,歌とダンスを披露する場面だ。 それらは,グイドがそれぞれに抱く思いが反映されたイメージである。 そのため,ジャンルも何もかも違うエキセントリックなショーを楽しむことができる。 それぞれの歌には役割がある。
 私が最も印象的に思うのは、映画の終盤に近づく頃に登場する,ケイト・ハドソン演じる女性記者が歌う,“シネマ・イタリアーノ”だ。 これは映画の要と言っても過言ではないクライマックス・ソング。 白と黒というはっきりとした色に分けられた男女がステージで,はじけて踊る とてもモダンなナンバーである。 ソウルフルな音楽と蝶が舞うようなダンスがエキサイティングで、個人的には数あるここでの歌の中の“華”だと思う。 
 役割としては、シンプルに言えば グイドが映画作りへ踏み出すために,後押しするような感じ。車で言えばアクセル。鋭い報道記者とは考えられない、一面が前面に出ている場面だ。
 そしてもう一つ、印象的な場面なのが ファーギーが演じる サラギーナが少年時代のグイドに歌う,“ビー・イタリアン”。これは、9歳のグイドに「立派なイタリアの男になれ」とアドバイスするようなナンバーだ。 これぞ、ブロードウェイの王道だと言わしめんばかりのパフォーマンスが炸裂する,グラマラスかつ大胆な、野性味たっぷりの魅惑の女の歌だ。 他の登場人物たちの曲とは一線をひくこの曲。 何が違うのか。 それは現在の多くの女たちから愛される,また愛を選びきれない性をグイドを作ったのが、サラギーナとの出会いだからと言えよう。 少年を男にした曲。一言で言うなら、“誘惑”ないしは、“魅惑”。どちらにしても惑わす歌である。
 しかし、グイドを一番癒すのは“ママ”である。 もう既に他界したママは、今もグイドに求められ、幻想と記憶の中、また妄想の中に生きている。ママはグイドにとって、“聖母マリア”のような存在なのだと思う。 彼が道に迷う時、必ずそれを救い,導くために現れるのがママなのだから。幾度となく、重要な場面に登場する。 グイドがママを愛したように、ママも息子を同じくらい愛していたのだろう。 完全にスランプに陥り、プライベートさえも居場所がなく道に迷う,グイドをあるべき道へと導くのだ。
 グイドが愚かなのか、それとも女たちが鋭いのか。 きっとそれは両方だと思う。 男が力で、女が知性とされるように 男の偽りは女には通用しないし、隠せない。 嘘はいずれ明るみに出るのだ。 言葉で言うのとは違う,その裏にあるもの。 それは本人ですら気付かないこともある。それが本能だ。 意思は目の前にいる存在が一番だと言っても、どこかで他のものを少しでも願っていたら、また,捨てるべきものを捨てきれてなかったりしたら それはおのずと見抜かれてしまう。それがよく伝わってくるのが、グイドの妻・ルイザと愛人カルラとの間に立ち,ルイザにカルラとの終わりを告げる場面だ。
 しかし、欲望のまま 愛を選びきれない男でも女たちが離れないのは何故だろう。 それがグイドの魅力だと言ったらそれまでだが。 優しさはもちろんのこと、人間としての脆さを見て,守りたいと言う思いにかられるからなのだろうか。
 ラスト、ついに結論を出す。 『イタリア』という壮大なタイトルから一転して、グイドが行き着いた作品は『NINE』というものだった。 最初この映画を見たときに、何故映画の題名が『NINE』なのかと疑問に思っていたけれど、改めて解説を読んでみたら、その答えがわかった。グイドが最後に持っているカチンコに書かれた“NINE”の文字、そのためだけにそのタイトルがついたのか?と内容が読み取りきれておらず、もやっとしていたのが一気に消えた。
 こんなにも『9』が強調されていると言うのに何故自分はわからなかったのかと思った。 これは確か解説の中にも詳しく説明されていたと思うが、グイドの今度の新作が“9作目”ということと,度々映画の中に登場する “9歳”のグイドの二つが鍵。 特に後者。 まず最初に、言えるのが 9歳の時に衝撃的な出会いを受けたグイドは9歳のまま、時が止まっている。 その“時”が彼の男しての目覚めの瞬間だったからこそ そこで止まっているのだろう。 
 グイドの原点が“9歳”のあの時。 悩みに悩まされた彼が、出した結論と言うのが まさに、原点に返ることだったのだと言えるだろう。
 あくまでこれは私が勝手にイメージした、男性が母親を見る目なのだが。母親とは、優しくて子供を一番に理解してくれる存在。 また、許しを求めれば それに答え、また癒しの存在。色々な側面を持つ,母親という存在が グイドのまわりいる女たちに分散された感じがする。 だから、それぞれ違う“母親”をルイザやカルラ、リリーといった仕事上の関係の人たちや身内などの女たちが持っているから グイドは彼らを,愛を選びきれないのかもしれない。
 とても衝撃的な場面(グイドがたくさんの女たちに文字通り囲まれるところ)に始まり、最後は温かな感じに終わる,ストーリー性という軸もしっかりした作品だ。  

by jd69sparrow | 2010-03-26 16:30 | 映画タイトル な行

のだめカンタービレ 最終楽章 前編

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<イントロダクション>
 音楽があってアクションもあり、そしてコメディなど様々な要素がミックスしたのが『のだめカンタービレ』である。 漫画を映像化する際に漫画的なノリも活用されているというのは実に面白く、コメディ色を引き立たせている感じがある。 音楽は感動を生むもの…完成されたハーモニーを聞くと心に響き,感動してしまう。一つの音楽が出来るまでの課程には様々な出来事がある。
 オーケストラの美しさや感動が実感できる作品で、クラシックで眠くなる…なんて概念を吹き飛ばす。 むしろ楽しくなる。 音楽を奏でる楽しさ、また 音楽の音色を聞く楽しさが実感・伝わってくる。音楽というものは、楽しむものである。 恋愛コメディというツールを使い,私達にそれを教えてくれているような気がする。 最高の音楽を引き出すことが出来たとき,また演奏できた時の主人公たちの顔はとても活き活きしていて,観ている側も同じような気分にさせる。 まさにエンタテインメントな作品。

<ドラマシリーズまでのあらすじ>
“のだめ”こと,野田恵美は音楽の大学へ通う三年生。 偶然にも部屋が隣の千秋真一は指揮者としての才能だけでなく 楽器や頭脳においても優れた実力を発揮する。“俺様”キャラの千秋に,ゆるいイメージだけど、皆から愛されるのが“のだめ”。 のだめは保育園の先生を目指している。 一方、千秋はプロの指揮者を志している…が、幼少時代の事故で飛行機への恐怖心を抱いており、目標への距離はとても遠い。 正反対な二人だが、お互いの才能に惹かれ始める。認め合うようになり,やがてパリへ目指す。千秋はSオケこと,名指揮者シュトレーゼマンに選ばれし実力者が集まる大学のオーケストラをまとめる指揮者に抜擢され,オケのメンバーと絆を深めつつ,オケを改造し、進化させる。 千秋は我流だけではオケからの信頼も力もつかないことを学び,成長していく。 のだめも負けじとピアニストの道を極め,千秋を追いかける。
 のだめの力で飛行機恐怖症が治った千秋は、のだめと共にフランスへ。そこで千秋は指揮者としての実力が試され、のだめは音楽の名門校で学ぶ日々が始まる。二人はそれぞれ成功をおさめ,幸先の良いスタートを切る。

<映画のあらすじ>
 フランスでの生活が慣れ始めた,のだめと千秋。 千秋は見事,指揮者コンクールで優勝をおさめた実力がかわれ,長い歴史を持つ音楽楽団“ルー・マルレ・オーケストラ”の常任指揮者に抜擢される。のだめの通うコンセルヴァトワール(音楽院)の同級生フランクの誘いで指揮者として招かれる前にマルオケの下見に行くことに。すると人手が足りないというマルオケのエキストラとして強引にオケに参加することに。やがて常任指揮者としてマルオケへ訪れる時がきた。由緒ある場所と聞いていた千秋だったが、実態に驚く。それは楽団員のほとんどが辞めてしまい,資金不足に苦しむゆえに残った楽団員は他の仕事で生活をまかなっている人が多い。人手も講演する際はほとんどエキストラでまかなっており,さらに音楽のまとまり悪ければ、実力が楽団の名にともなっていないという,まさに最悪な状況下にあることを思い知らされる。当然、千秋が来て初めての講演も失敗に終わる。
しかし、ここであきらめないのが千秋である。数年前のSオケの姿を今のマルオケに見て,俄然やる気に火がつく。 そしてスパルタレッスンが始まる。今後のマルオケの未来が決まるコンサートに向けて…

<感想>
 音楽とアクションコメディ、その間にラブストーリーあり…という感じ。 主に前者の2つのキーワードで作品を見ることが出来る。 この2つの観点から映画を振り返ってみたいと思う。 
 まず、音楽。 オーケストラをメインとするけれど、そこで使われる楽器全てとは言わないけれど、様々な楽器の音色の美しさがまず楽しめるのがいい。 ピアノやヴァイオリン…だけでなく、解説付きで他の弦楽器も見ることが出来たのが良かった。 映画でのストーリー進行上というのもあるけれど。 オーケストラにどんな個性が折り重なっているのがよくわかるだろう。 さらに、曲の解説。 普段何気なく聞いている音楽だけど、その音楽を演奏者の側から見ると違う見方が見えてきたり、曲によっては演奏者の実力がわかってしまう恐ろしい要素も持っている音楽あるなど知識を得られるのも良いなぁと思う。 
 指揮者の表情から、またその腕と手先の動きから見える躍動感でそれに従う演奏者もそれに連動して音楽を奏でる… 前編では千秋がメインとなるわけだが、この躍動感に辿り着くまでの軌跡が見所だ。 千秋の鬼指揮者っぷりも本番での指揮もすごかった。 力など微塵も抜く間はないのだ。 指揮者とコンサートマスターの二人の絆の強さがオーケストラの未来の要というのがよくわかった。
 一方、のだめも負けてはいない。 試験の場面だっただろうか。 楽しそうにピアノを弾く姿が印象的だ。その指が鍵盤で音色を出すたびに何か美しい魔法のようなものが出てくる。 それはつまり、音が形となって出てくるような感じである。 音が集まると音楽となり、そして天に舞うようだ。 映像の中にはなくても、なんだかそんな光景が見える気がする。 
 次にコメディ部分。 漫画の世界からそのまま飛び出てきたようなキャラクターもいる。 しかもそれをホンモノのコメディアンが演じているからさらに面白くなる。 また、普段コメディをやらない人が全力でコメディを演じるのもまた面白い。 そこまでやっても大丈夫か?というくらいの良いノリで漫画のようなテンションを見せてくれるがとてもサービス精神があるように思う。 印象が強いのはアクション映画さながらのコメディ場面。 ドラマシリーズでもお馴染みである,のだめが千秋に吹っ飛ばされる場面。 宙に舞う,のだめは人形には見えない。 漫画ノリがわざとらしく見えないのもすごい。 
 千秋とのだめの恋愛部分でとても印象的なのがある。 それはフランスという美しい街並みが並ぶ国でのロケだったからこそだと思う。 夜景の広がる街のベンチに座り会話する場面はとても綺麗だ。 あくまで主役は千秋とのだめなのだが、風景がとても綺麗。 映画ではこのような海外ロケは多いはずなのにこれが格別に美しく見えた。 やはりバックに映る風景はドラマを演出するんだなぁとしみじみ思う。
 バラバラで問題ばかりの仲間達を一つにまとめ、まとめる人間もまた,信頼を得ていくというのは学園ドラマなどでも定番なのだが、やはり見所として大きい。千秋はコンマスと始め、ぶつかり合うけど実は音楽的センスでとても気が合うというのがベストパートナーと感じさせるし、第一印象から見ると意外であるが楽しい。 団員の個性も見所だ。
 後編では千秋とのだめの恋愛模様も色濃くなりつつ、のだめがメインとなるのではないかと思う。とても楽しみである。

by jd69sparrow | 2009-12-27 06:00 | 映画タイトル な行